京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ファーザー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月14日放送分
『ファーザー』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210915093929j:plain

ロンドンの広いマンションで一人暮らしをするアンソニー、81歳。記憶が怪しくなってきてはいるものの、まだまだ人の手を借りる気はないと、娘のアンが手配する看護人を拒否し続けていました。ある日、パリに恋人ができたので、引っ越すとアンから告げられてショックを受けたアンソニーでしたが、家には彼女と10年連れ添っているという見知らぬ男が現れて、当惑することになります。

羊たちの沈黙 (特別編) [DVD] 女王陛下のお気に入り (字幕版)

 監督と共同脚本はフランスの劇作家フローリアン・ゼレール。これが長編デビュー作ですが、原作はゼレールが2012年に発表した戯曲でして、日本では橋爪功が主演して絶賛されるなどしていたものを自ら映画化しました。主演はこの作品でアカデミー主演男優賞を獲得したアンソニー・ホプキンス。娘は『女王陛下のお気に入り』でアカデミー主演女優賞を穫ったオリヴィア・コールマンという強力タッグです。

 
日本では5月14日に公開された本作ですが、その際にはおみくじで当たらず、今回、8月14日からプレミアム先行配信がスタートしていたタイミングで、改めて候補作としましたが、僕は先週土曜の夜、まさにその先行配信が終わってしまったタイミングで観ようとして観られず、オロオロしたんですが、アマゾンで2400円出せば購入できることを知ってホッと安心しましたが、買って良かったと思えるすばらしさでございました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画を観て、しばらく、アンソニーと娘のアンのやりとりが続きます。認知症の介護エピソードではよくある「誰かにものを盗まれた」なんて流れから、彼の腕時計が風呂場から出てくるんだけれど、それは自分でしまいこんでいただけではないのか。そして、介護人は信頼できないとか、アンにはアンの人生があるのだけれど、同じ街に住めない場合はどうするか、なかなか言いだせないアンの表情。口の悪いアンソニーの高慢な態度と切なさ侘しさ。そりゃ、そうだよなぁ、こりゃ大変だと思っていたところへ、僕たち観客がギョッとする展開が不意に訪れましたね。「え? ちょっと待って、これ、どゆこと? じゃあ、さっきのはなに?」。自分が今まで観ていたことが信じられなくなるわけです。認知症疑似体験ムービーとも言えるこの作品の本当の幕が上がった瞬間です。

f:id:djmasao:20210915095102j:plain

(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020
この映画には、CGもないし、アニメ・パートもない。少ない登場人物が、ほぼ全編、アンソニーのフラット、彼の家の中で会話したり食事をしたりするだけの、小さなヒューマン・ドラマ。のはずなんですが… シーンが切り替わるごとに、次に画面がどうなるのかハラハラさせられる、異様とも言える雰囲気を滲み出しているんです。それはなぜか。映画というのは、基本的には、レンズの前で行われた役者の演技を撮影し、その映像をつなぎ合わせて物語を紡いでいくわけですね。それはどれも、機械的に記録された「客観的な」映像の連なりなんですが、編集によっては、その客観的な映像が、登場人物の「主観的な」映像に感じられる。これが映画の文法の基礎的な要素のひとつです。たとえば、僕がじ〜〜〜〜っと何かを見つめている映像の後に、炊きたてのビリヤニが映れば、言葉はそこになくても、「雅夫はビリヤニが食べたいんだな」とわかるし、ビリヤニの映像は雅夫の目が見ている主観的な映像なんだなとわかります。

f:id:djmasao:20210915095134j:plain

(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020
『ファーザー』に戻ると、ゼレール監督は、そんな映画の原則を意図的に利用して、認知症を描きました。つまり、客観と主観をぐちゃぐちゃに混同させているんです。だから、さっきまで見ていた客観的「だったはず」の映像が、もしかしてアンソニーの主観的なもの「だったのかもしれない」と僕らは頭を働かせる。そこへすぐに続いているこのシーンは、じゃあ、どうなんだ。おかげで、登場人物は少ないくせに、アンソニー以外の誰かが家に出入りするたびに、ビクビクさせられるんです。次は誰なんだ。どんな姿をした、なんて名前の人が、なにをしに来たんだ。これは、中盤を過ぎても変わりません。登場人物が出揃っても、先が読めないんです。おかげで、場面によっては不思議とホラーやミステリーの様相を帯びてきます。それは登場人物の言動によるものだけでなく、シーンによって変化していく家の様子も不気味そのもの。家具の配置が変わる。色が変わる。そう、特に色は緻密に計算されています。服、鍋、ビニール袋にいたるまで。だんだんとブルー系が増えていきませんでした? アンソニーの記憶がまるで水に溶けていくように、人、物、時間、空間、どれをとっても、映画が始まったときと終わったときでは様変わりしている。彼が唯一と言っていい客観的な基準として信頼を寄せていた腕時計が見当たらなくなるというのは、鑑賞後に振り返れば象徴的でした。

しわ [DVD]

認知症を主観的に描いた傑作として、スペインのアニメーションに『しわ』(2011年)というのがありました。ゼレール監督はきっと参照しながらまずは自分のフィールドの演劇で手応えを感じながら、おそらくは映画ならさらに本質的な表現に高められるという自信を持って作ったはずです。それほどに、見事な計算と映画的な意欲が実を結んだ傑作です。途中でミステリーやホラーの味わいが出てくると言いましたが、アンソニーはその中を生きている。映画ではなく、現実の日常として生きている。これは大変です。認知症の見方、見え方が変わるこの作品、介護する立場としても、自分がなるかもしれないという意味でも、誰しもが当事者です。ぜひご覧ください。
曲は、たまに聴いては涙腺を刺激される、ラッパーの狐火が認知症をラップで綴ったものをオンエアしました。

さ〜て、次回、2021年9月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アナザーラウンド』となりました。デンマークからアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した作品ですね。マッツ・ミケルセンが何やら飲みまくっているようですが、左党の僕としては気になってしょうがないです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!