ローマにはなかなか立派な動物園がある…らしい。観光地として賑わうスペイン階段やコルソ通りに程近いところに、ボルゲーゼ公園という憩いの場がある。広大な敷地の中には、国立現代美術館(Galleria Nazionale d'Arte Moderna)や映画の家(Casa del Cinema)といった文化施設の他に、ローマ・バイオパーク(要するに動物園)がある。大都市の中心に位置しているにもかかわらず、一歩足を踏み入れると気持ちのいい空気に満たされる。夕暮れ時には赤く染まったローマの街並みも眺められ、なかなか雰囲気のある場所だ。
いかにも折に触れて足を運んでますといった書き方だけれど、正直なところ映画を観に行くといった用事でもない限り、僕はボルゲーゼには赴かない。素晴らしさは認める。都会に住んでいると、緑が恋しくなることだってあるわけだから。喧騒から離れて、静けさに包まれて、一息つきたくなることだってあるだろう。そして僕も、期間限定とはいえ永遠の都ローマの一市民だ。しかし、ボルゲーゼの安らぎは僕をそこまで魅了しない。なぜか? それはひとえに僕の住環境に原因がある。
以前のコラムにも書いたように、僕はローマはローマでも地下鉄の途切れた、さらにそのまた先に住んでいる。近郊などという生易しいものではない。まさに郊外。「郊(まち)の外」、いや、ほとんど「蚊帳の外」なのだ。一片の誇張もなく、皆さんの思い描くローマとは別世界である。ベランダに出れば、視界を遮るものはほとんどない。実にのどかだ。わざわざ片道1時間ほどかけてボルゲーゼくんだりまで癒しを求めに行かなくとも、新鮮な空気と静けさはここに溢れんばかりに存在しているのだ。村上春樹が書いたり訳したりしている小説の主人公のように動物園が好きというのならまだしも、僕は残念ながらそんな嗜好は全く持ち合わせていない。そんなわけで、僕は用のついでに公園に立ち寄ることはあっても、ローマ動物園にはまず入場しない。別に動物園を毛嫌いしているわけではないが、自分から好き好んで行くことはないだろう。
つい先日、そんな僕の習慣というかスタンスというか、ぼんやりとした意志のようなものを、そう簡単には揺るがない固い決意に変えてしまう夜を過ごした。といっても、動物の出てくる悪夢にうなされたというようなことではない。もっと始末の悪いことだ。だって現実に起きたことだから。
夏至へと近づくにつれ、ローマの陽は遠慮なしに長くなる。サマータイムの後押しもあって、8時半くらいまでは十分に明るい。おかげで食事も9時くらいからとることが多くなるし、酒でも飲もうものならついつい時間がたつのを忘れてしまい、気がつけば最終バスをものの見事に乗り過ごしてしまうことだってある。
僕はその晩、地下鉄の駅で途方に暮れていた。時間は日付も変わって12時半。僕を自宅前まで運ぶはずのバスは、すんでのところで無情にも僕を置いて行ってしまったのだ。3分ほどそのまま立ちすくんでみたが、当たり前だが埒が明かないので、仕方なく、とぼとぼてくてく歩いて帰ることにした。もはや俗にも言われなくなった、テクシーである。後で思い返せば、それは紛れもないナイトサファリへの入場だった。
複雑に交差する郊外の幹線道路沿いを歩く。僕は民家のレンガ塀の脇にか細く続く歩道を辿っていた。レンガ塀の上にはフェンスが張ってあり、向こう側がこちらより一段高くなっている。僕はそのフェンスの向こうに何か光るものを見つけた。好奇心に駆られて歩を速めて近づくと、僕はさらに歩を速めることになった。雄鶏と目が合ったのである。
間近で見るとあんなに怖いものだとは知らなかった。ましてや深夜におもむろに目が合ったわけだから、怖さも倍増というものだ。早足でフェンスの向こうを確認すると、ところどころに鶏がうろついている。完全に放し飼いだった。一刻も早くレンガ塀が途切れるあたりまで行きたい。恐怖のあまり焦る僕。しかし時間は無情にもスローに流れた。少なくとも僕には。ようやく鶏と離れたところで、僕は膝頭に手を突いて一息入れた。
モ〜〜〜!! いったい何の騒ぎだ、人が安堵の息をもらしている時に? 音の鳴る左手に目を向けると、牛がいた。
もちろんこの写真は現物、いや現牛ではないが、距離感はすこぶるこれに近いものだった。あやうく腰を抜かすところだった。気がつくと一目散に駆け足を開始していた。一気に風景が流れ出す。道路のまわりには果てしなく野原が広がっている(余談だが、僕はイタリアへ来て初めて本当の野原とめぐり合ったような気がする)。その淡い緑が頼りない街灯に照らされている。幻想的だった。緑は街頭から離れるほどに濃くなり、手前から美しいグラデーションをなしている。それを目で追う…と、また驚いた。街頭の光もとどなくなるエリア、もはや月明かりだけのエリアが広い範囲で白い。しかもその白がかすかにざわめいている。僕は一旦立ち止まり、眼を凝らした。今度ばかりは距離がある。何であろうと安心だ。
それは羊の群れだった。草を食んでいるのだろうか?さすがに眠っているのだろうか? 羊毛が風に吹かれていた。来世というものがあるならぜひとも羊になりたいと古くから願っている僕だ。その光景には我を忘れて、ぼんやりとしてしまった。
しかし、アルコールも入っている。このままいつまでも見とれているわけにはいかない。今は人がいないからいいものの、通りすがりの車が不審者を発見したと携帯電話から通報しかねない状況だ。夜中に遠くの羊の群れを見るのも楽なことではない。
しかし、もはや怖いものはないぞ。神秘的な光景を目にしたばかりの僕は、むしろ満ち足りた心持ちでゆったりと家路を歩いた。横断歩道もない危なっかしい片側2車線の道路を渡り、いよいよ自宅に近い区域に差しかかった。僕は自らをねぎらい、それによって安堵し、さらに油断した。歩道に乗り上げたトラックの脇を通る際に、僕の肩先に野性味あふれる吐息が吹きかかった。
馬だ。おとなしくはしているものの、見事な鼻息だった。しかもよく見ると、二頭いる。いくら郊外とはいえ、いくら規模が小さいとはいえ、仮にも住宅地だ。馬を二頭も車上に放置しておくとはどういう了見だ。僕は驚きを憤りにスイッチして、馬たちとさよならした…とたんだった。民家のフェンス越しに、またしても鶏が現れた。
しかし、いくらなんでも今回はそう驚かない。へへ、あんまりバカにするもんじゃないぞ。無駄に足元をついばむ鶏から視線を上げると、僕は度肝を抜かれた。
小林幸子ではない。孔雀だ。月明かりに照らされて、孔雀が羽を広げている。またもや神秘。僕はしばらく見とれてしまった。この愛すべき郊外に住んでもう半年にもなるというのに、僕はこんな身近にこんな美しい鳥がいるなんて知らなかった。しかも住宅街の中の農家でもない家の庭先に。
ふと腕時計を見ると、1時を回っていた。これ以上ぼうっとしていると、いつまでたっても寝床につけない気がしたので、名残惜しくも孔雀と別れることにした。
まさにナイト・サファリだった。ただ、普通なら車で回るところを、僕は果敢にも徒歩で挑んだ。やれやれだ。ただ、ここはサバンナでもなければステップでもない。ローマだ。一度知ってしまえば、またいつの日か最終バスを乗り過ごしても怖い思いはしない…はずだ。むしろ楽しめる…はずだ。こんな環境に常日頃から身を置いている僕が、都心の動物園に赴く必要がどこにあろう? そんなことを考えながら角を曲がると、わがアパートメントが見えてきた。もう何も起こらない。ワンワン!
そこに犬がいることは知っていた。でも今まで吠えられたことはない。むしろ、お互い顔見知りというような間柄になっているものと僕は信じていた。それがその時に限って、藪から棒に吠えてきた。縮み上がった僕は、駆け足で自宅に駆け込んだ。
動物園がどうという問題じゃない。しばらく、いやもう当分動物はたくさんだ!