京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『犬王』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月14日放送分
『犬王』短評のDJ'sカット版です。

時は南北朝から室町の時代です。京の都で、当時は近江猿楽と言われた能楽、比叡座の家にひとりの子どもが誕生します。ただ、その姿があまりにも奇怪だと、大人たちは彼にお面を被せ、全身を衣服で包んでしまいます。彼こそは、後の犬王なのですが、彼はある日、友魚(ともな)という琵琶法師の少年と出会います。友魚は壇ノ浦出身で、幼い頃に父親と自分の視力を失っていたのですが、京都へ流れ着いたのです。ふたりはやがてコンビを組み、独自の平家物語を人々にショーとして披露することで人気を博し、ポップスターへになっていくのですが…

平家物語 犬王の巻 (河出文庫)

原作は平家物語を現代語に訳してもいる古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』。監督は『四畳半神話大系』『映像研に手を出すな!』の湯浅政明。脚本は野木亜紀子。キャラクターは松本大洋。音楽は大友良英という豪華な布陣。犬王の声を当てたのは、ロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。友魚を森山未來が演じた他、柄本佑松重豊、さらにはヨーロッパ企画の面々も出演しています。
 
僕は、先週金曜日の午後、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

湯浅作品は頭から油断なりませんよ。ものすごいアニメ表現のオンパレードでした。野木亜紀子脚本の原作にはないアイデアだったようですが、まず現代の京都を舞台にしたプロローグが用意されています。僕はまさに京都で観ていましたから、余計にゾクゾク来ますよ。ストリート・ミュージシャンのような琵琶法師と舞を舞う犬王がアスファルトの路上にいる。そこから時代は一気に600年前へ。その時間の移動の際にサブリミナル状態で矢継ぎ早に挟まれる映像に驚きながら、古都京都が当たり前だけれど堆積してきた歴史、それも大文字で書かれる歴史ではなく、名もなき人々の営みの上にあるということを思い知らされるわけです。
 
ところ変わって、600年前の壇ノ浦。源平の合戦で海に沈んでしまった神器のひとつである刀剣を、今日の侍からの依頼を受けて地元の潜水士親子が海の底から拾い上げると、悲劇が起きて、主人公のひとり、友魚が視力をほぼ失ってしまい、その復讐を果たすべく、京へ上ってくる間に、琵琶法師と出会い、楽器も覚えるようになる。物語としてはこういうことなんですが、これだけでは何も語れていない気がするのはなぜって、それは湯浅監督の淡い水墨画のようなタッチによる友魚のおぼろげな視界の描写がものすごいからです。視覚が損なわれたことでみるみる発達していく聴覚と連動するような絵の動きはお見事で、僕はとりわけ序盤にアニメ的快楽を覚えました。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
一方の犬王ですが、腕が1本だけ異様に長かったり、どうやら素顔も人間らしからぬ姿のようで、いつもひょうたん型のこれまたいびつなお面をしています。彼の動きも、人間の身体の動きとは違うわけで、アニメとして見ていて楽しい部分です。ましてや、そんな彼が独自の舞、猿楽の舞を編み出していくわけですから、劇中での変化から目が離せなくなります。
 
実在の人物とされる犬王ですが、どうやら作品の記録は残っていないようでして、それはなぜなのかという僕たちの疑問も、映画を貫く観客の好奇心として作用するので、ますます目が離せず、耳も傾けっぱなしになる。そんな快調な出だしでした。絵の技法やアングル、画面の引きと寄りが自由自在で、湯浅監督のアイデアをこれでもかと注ぎ込んだであろう動きは、アニメが絵に魂=アニマを吹き込む行為そのものだという言葉の由来まで思い出させるような集大成的なレベルに達しています。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
原作の古川日出男さんのロング・インタビューリアルサウンドに掲載されていて興味深く読んだんですが、そもそも平家物語というのは文字を読むというよりも、琵琶法師が歌って聞かせる、まさに「物語る」ものとして伝承されたわけで、バリエーションも様々だし、全国津々浦々でこういう話やああいう人物を入れろといったリクエストに応えて、琵琶法師たちがエピソードを拾い拡張してきたものです。だからこそ、主人公のふたりが平家の亡霊たちの無念を拾い上げて、それまでの平家物語の枠組みを押し広げていく様子はなるほどなと思うし、そうした名もなき者たちを、語りと舞と音楽という総合芸術で救済することを全体を貫くテーマに据えているのも合点がいきます。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
当時の彼らのパフォーマンスが革新的で庶民をストリートで巻き込むものだったかを見せるために、この映画ではジャンルとしてはロックを採用しています。そこに踊りはヒップホップの要素も加えつつ、和楽器の音色にいわゆるバンドサウンドを混ぜながら、簡単に言えばサウンドトラックは和楽器バンドみたいなことになっています。大友良英の用意した劇伴にアヴちゃんや森山未來の語り混じりのボーカルが重なって、話が進んでくると、ストリートからライブハウス、ホールからアリーナへという具合に、ショーの内容と規模、そして観客の構成も変化していくんですが、僕が正直なところ乗り切れなかったのは、その音楽的な語りの部分です。アニメーションでの序盤の豊富な見せ方が、ライブシーンになると現代の僕たちには既視感のあるものにむしろ後退して手数が少なくなったように見えるのと、規模が大きくなるにつれ、そこでの映画全体の物語のスピードが落ちるように感じたんですね。だいたいそれまでに超現実的なことが乱発されていたわけで、ショーがむしろ普通に見えてしまうという現象が起きていました。そして、結局犬王はなぜ最終的に権力者である足利義満にあのような対応をしたのか、すんなり合点がいかない流れで、また最後にスッと現代に戻られても、僕のもやもやとした気持ちが結局現代の京都に浮遊するという結果にはなりました。
 
とはいえ、湯浅監督がこれだけ有名になって大御所になっても、まだまだ意欲と挑戦、冒険心の塊でいることをビリビリ感じる作品であることは間違いないので、でっかい音で楽しめる劇場で観られるうちに、あなたも鑑賞してみてください。
ロックオペラ的なサントラから、チラッと雰囲気を味わってもらおうと、ラジオではこの『腕塚』をオンエアしました。ただ、語る要素の多い作品とあって、まだまだ語りきれていないもどかしさも残っていますよ。たとえば、友魚が名前を友一、友有と変化させていく名前のアイデンティティのことなんかも、もう少し考えてみたいところ。あと、エピローグについては、リスナーのラジオネームかばじゅんこさんがこんな解釈を番組に寄せてくれました。「ふたりの魂が現代で再会して成仏できた(?)のは、この作品がふたりの物語を”拾った”からだと気づかせる終わり方は好き!」これには、なるほどと膝を打ちましたよ。なんだかんだ、早速見返したくなっています。


さ〜て、次回、2022年6月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『冬薔薇』(ふゆそうび)となりました。これまで何度か阪本順治監督にインタビューをしていて盛り上がった経緯もあり、先日も番組にゲスト出演いただきました。そこでの話も思い出しながら、伊藤健太郎主演のこのオリジナルの物語を来週は語ります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!