京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『PERFECT DAYS』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月16日放送分
映画『PERFECT DAYS』短評のDJ'sカット版です。

東京、渋谷にある公衆トイレの清掃員として働く平山。安アパートで一人暮らしの彼は、毎朝同じ時間に目を覚まし、淡々と、ただ熱心に、そして何よりも黙々と仕事に精を出しています。それは同じことの繰り返される毎日に見えるのですが、平山にとってはそうではなく、毎日が新しい日なのです。それが証拠に、彼の日々には、少しずつ、されど確実に違いのあることを映画は見せていきます。
 
エグゼクティブ・プロデューサーと主演は、役所広司。監督と脚本は、70年代にニュー・ジャーマン・シネマを生み出し、世界中の映画人に大きな影響を与え続けるヴィム・ヴェンダースという組み合わせです。日本が舞台ということもありますし、共同脚本には、電通のクリエイティブディレクターで作家の高崎卓馬がクレジットされています。そして、製作は柳井康治。この方はファーストリテイリング、要するにユニクロの会長である柳井正さんの息子さんで、やはり取締役常務の方です。不思議な座組ですが、この柳井さんと高崎さんの映画との関わりについては評の中で触れます。キャストは、平山を演じた役所広司の他に、柄本時生石川さゆり三浦友和田中泯なども出演しています。昨年のカンヌ国際映画祭役所広司が日本人として2人目の男優賞を受賞した他、今年のアカデミー賞国際長編映画部門ショートリストに選出されています。
 
僕は先週木曜日の昼にTOHOシネマズなんば別館で鑑賞しました。年齢層高めの印象でしたが、かなり入って、映画館は良い雰囲気でしたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

あらすじの時点でそりゃ面白いだろうっていう映画もあれば、あらすじではまったく面白みが伝わらない映画もありまして、この作品は完全に後者です。主人公の平山が何をするって、本当に特別なことはないんですよね。目が覚めて、車で出かけて、仕事して、帰って、銭湯行って、一杯やって、家帰って、本を読んで眠くなったら寝る。冗談抜きに、それだけなんです。劇的なことって、ほぼないに等しいんだけど、それでも、これがまぁ見ていて目が離せないほどに面白いし、観終わってからなんだか豊かな気持ちになって、毎日を新鮮な心持ちで生きていけるんじゃないかって思えるんです。そんな魔法のようなことを達成してしまったのが、小津安二郎監督を心の師と仰ぐヴィム・ヴェンダース監督です。

©️2023 MASTER MIND Ltd.
ただ、企画そのものは、電通の高崎卓馬さんとファーストリテイリングの柳井康治さんが立てたもののようでして、実はまずトイレありきなんですね。柳井氏が渋谷区の公衆トイレを誰もが一度は使いたくなるようなひとつひとつ個性あるものに刷新するThe Tokyo Toiletというプロジェクトをあくまで個人として推し進めて結果を出したんだけれども、そこで大切なことであり課題として浮上したのが、メンテナンスの重要性だったらしいんですね。「家のトイレは毎日掃除しなくても汚れないのに、公共トイレは1日複数回清掃しても汚れてしまう」という負の行動連鎖を良い方向にシフトするにはどうすれば良いかと高崎さんに相談した時に「アートの力」が必要なんじゃないかと清掃員を主人公にした映画の企画が生まれてきて、そこにヴィム・ヴェンダースが加わっていったんですね。当のヴェンダースは、小津のスタイルを真似をすることなく、小津のスピリットや物腰を継承しています。小津の言葉に「いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、ドラマの本質は人格を作り上げることだと思う」というのがあります。平山というのは複数の小津映画で笠智衆が演じていた役名なんですが、ひとつひとつの行動の積み重ね、反復と差異、繰り返しと少しずつの違いの中に平山という人物がきっちり浮かび上がってきます。まるで、彫刻家がのみや彫刻刀でひとつの木の塊から彫刻を掘り上げるように。

©️2023 MASTER MIND Ltd.
そこでわかるのは、あの無口すぎる男、平山が「気づきの人」であることです。最も象徴的なのは、昼休みにご飯を食べながら、フィルムのコンパクトカメラでもって神社の木漏れ日を撮影するところ。いつもファインダーを覗かないんですよね。どれも似たりよったりに見えるけれど、ひとつとして同じではないものとしての木漏れ日。平山はそれを切り取らずにカメラで記録して、現像した後、休みの日に仕上がりを確認しては、気に入ったものを残し、気に入らないものはその場で破って捨てていく。平山というのは、世界の変化に目を凝らし耳を澄まし、あるがままに受け入れて、しかるべき選択をしていく。取捨選択をして、自分の人生や生き方をソリッドに磨き上げていく。頑固ではあるけれど、彼独自の美学がそこにあって、決して閉鎖的ではない。なんなら、家の玄関、いっつも鍵すらかけないですから(←この部分については、放送翌日、リスナーのeigadaysさんからこんなご指摘がありました。「あのアパートのドアはドアノブの真ん中にボタンがあってそれを押してドアを閉めることで自動的に鍵がかかるタイプだと思います。姪っ子が平山の帰りを待っていることからも」。確かに! あのアパートなら、そういう施錠方法の可能性が高いですね。平山が決して閉鎖的でないことには変わりませんが、これは僕の勘違いでした。ご指摘、ありがとうございました。)。トイレの書き置きを通して見知らぬ誰かと交流もすれば、いきなり登場した姪っ子も職場の出来の悪い後輩も受け入れる。なんなら、ほのかな恋心もある。ものは必要最低限だけれど、ささやかなりに素敵なチョイスの音楽や本が彼にはある。切ないことも悲しいこともあるけれど、修行僧が毎日庭の掃き掃除をするように、平山はトイレを隅から隅までピカピカにすることによって曇りなき心を取り戻す。それが証拠に、彼は毎朝、近所のおばさんが道路を箒で掃く音で目を覚まし、その音を聞きながら起き上がり、どんな天気であっても、前の日に何があっても、玄関のドアを開けながら笑みを浮かべるんです。

©️2023 MASTER MIND Ltd.
お仕事映画としても、東京観光映画としても面白いし、特に大人は平山の生き様にどこか心惹かれてしまうものがあるでしょう。いろいろと経験した末に、ものごとはもっとシンプルでいいんじゃないか。ガツガツとせずに、世界をコントロールしたり切り取ったり、ましてや何かを奪うのでなく、受け入れて感じ取って、必要最小限の自分の好きなものを軸に日々を慎ましくも楽しく暮らしていく。そんな平山の姿に憧れすら持ってしまう人は続出でしょう。平山が見る夢のように、この作品自体が都会暮らしの現代人には夢のようでもある寓話なのかも知れません。美化されてもいるし、ここに描かれなかった暗部や心の闇の部分もあるはずです。それでも、ラストショットの長回し役所広司が見せる笑い泣きは、なんだかんだとfeeling goodだという人生の肯定が画面に広がっていました。かつてヴェンダースが『不思議の国のアリス』をひねって『都会のアリス』を撮ったんですが、これはさしずめ『不思議の街の平山』かもしれません。現代の東京に生きる多様な人々とそこに絶妙に配された役者陣にもアッと驚きながら楽しんでください。また家でもいつか観ると僕は思いますが、断片的なエピソードがモザイクを織りなすタイプのこの作品は、集中して劇場で鑑賞するに限りますよ。
主人公平山は、毎朝早く、仕事道具をたっぷり積んだライトバンで出勤しながら、これまた運転席の上に積んだカセットテープの数々からその日の気分で音楽を流しています。そのチョイスがまた最高なんですが、いくつか参ったなと唸るものがありまして、これなんかはそのひとつ。金延幸子です。72年発表の伝説的アルバム『み空』から、細野晴臣のアレンジ、『青い魚』をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年1月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『笑いのカイブツ』。伝説のハガキ職人ツチヤタカユキの私小説岡山天音主演で映画化したものです。テレビの投稿ネタ番組もそうですが、ラジオも当然出てきそうですよね。僕が放送しているようなFMだとリクエストの曲とセットというところもありますが、普段からリスナーの投稿に感心している僕としても、興味は尽きません。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!