京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『笑いのカイブツ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月23日放送分
映画『笑いのカイブツ』短評のDJ'sカット版です。

コミュニケーションに難ありで「人間関係不得意」を自覚するツチヤタカユキは、テレビの大喜利番組にネタを投稿することを生きがいに、バイトを転々としながら20歳前後の日々を送っています。見事認められてお笑いの劇場で作家見習いとなるものの、結局は業界内でうまく立ち回れずに、またひとり。今度はラジオ番組への投稿をきっかけに有名なハガキ職人へと成長し、憧れの芸人から東京へと誘われるのですが…

笑いのカイブツ (文春文庫)

ツチヤタカユキの同名私小説を映画化した監督は、井筒和幸中島哲也西川美和などの作品に助監督として関わり、劇映画ではこれが長編デビューとなる滝本憲吾。共同脚本は、プロデューサーとして今泉力哉監督の『愛がなんだ』などに関わってきた成宏基(そんかんぎ)や、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の監督で現在放送中の朝ドラ『ブギウギ』の脚本も手掛けている足立紳
 
主人公のツチヤタカユキを体現したのは岡山天音。ツチヤがあこがれる芸人に仲野太賀が扮している他、母親を片岡礼子、友人を菅田将暉松本穂香が演じています。
 
僕は先週木曜日の夜にアップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

もうね、観ていて辛かったです。それは、ツチヤタカユキという若き男の「世の中全部敵」と言わんばかりの尖り具合、「触るものみな傷つける」と言わんばかりのギザギザハートっぷりに、いくらなんでも、それでは生きづらかろう、生きにくいだろうと思ったからなんですね。若い頃というのは、多かれ少なかれ、誰でも世の中の矛盾や理不尽に苛立ったりするものだし、僕だって今思えば、成人式も行ってないし、父親の言うことにはひとつひとつ反発していたし、とりあえずうまいこと単位を積み重ねて器用に大学を出ていこうとする同級生たちに辟易していたし、就職活動もなんかこうすんなりできないし、頭下げるのも苦手だったし、結構暗いところがあったから、20代の頃なんて、何してたって、とりあえず酒飲んで鬱屈としてましたから。ツチヤの言動もわかるところがあるんです。だから、主人公に肩入れして多少の感情移入もしながら観ていたんですが、それだけに、彼の潔癖と呼びたくなるような突き抜けた笑いへのストイックさにだんだん辛くなってくるわけですよ。
 
ひとり孤独にネタを考えているうちはいいんです。テレビやラジオへの投稿はそれでできる。だけれども、いざそれを仕事にするとなると、劇場にしたって、放送局にしたって、誰かと一緒に作らないといけない。ましてや、彼はネタを考える裏方なわけで、誰かを面白くさせる立場なわけだから、「人間関係不得意」だからといって、それだけで何かが免除されるわけでも許容されるわけでもなく、構ってもらえなくなる。当然です。ツチヤの目指すのはひとりで創作に没頭する作家や画家とは違って、笑いという社会的なものなのだから。その実、実力はむやみにあるものだから、そこのみが評価されて何度か現場へ行くチャンスが彼の人生には訪れるのだけれど、その都度、一目置かれつつも、極端な無口と閉鎖性と内向性が災いして、結局はトラブルを起こしてしまう。その繰り返しから彼は何かを学べるのか。どこかに居場所を見いだせるのかというところが、破天荒な青春の行く末として描かれていきます。

(C)2023「笑いのカイブツ」製作委員会
でも、ずっと孤独というわけではありません。笑いという要素以外でも、彼を評価し、励まし、包んでくれる人はいます。母親であり、天使のようなハンバーガー屋の女性店員であり、気さくなホストであり、売れっ子漫才コンビ「ベーコンズ」の西寺です。ツチヤは彼らに感謝しつつ、心も開いているものの、結局はうまく折り合えないところに彼のろくでなしのブルーズがあるんですね。それは、菅田将暉演じる友達が言うように、地獄です。笑いはそれだけで自立してあるものではなく、特に演芸というのは世間の誰かを笑わせる喜ばせる癒やすためにあるというのに、その世間と馬が合わないという地獄。でも、その地獄で足掻くことが「生きること」なんだという言葉には泣けましたし、ツチヤにも響いていました。

(C)2023「笑いのカイブツ」製作委員会
ホアキン・フェニックスが演じたジョーカーにも似た強烈な負のエネルギーをマグマのようにグツグツさせながら、ツチヤは実は努力の人でもあります。劇場では漫才の傑作台本を片っ端から読み込んで研究し、ネタも絶えず生み出し続ける。僕は同じ足立紳脚本の『喜劇 愛妻物語』も思い起こしましたが、あの甘ったれた主人公の脚本家と違うのは、ツチヤにも甘えはあるものの、尋常ではない努力があること。ジョーカーと違うのは、温かい手を差し伸べてくれる人がいること。これらが無かったら、ツチヤはもうこの世にはいないかもしれません。結果として、彼は原作となる私小説を書き、ヒットし、こうして映画にもなりました。人によっては、この映画で自分は何を見せられているのか、てんでついていけないとなるかもしれませんが、僕はツチヤのような不器用の極みみたいな人物にも必ず居場所があるんだという作り手の強い想いが感じられて目が離せませんでした。

(C)2023「笑いのカイブツ」製作委員会
道頓堀や京橋、そして東京笹塚や放送局の雰囲気を生々しく切り取り、ストップモーションや写真を編集に折り込むかと思えば、クライマックスとなるベーコンズの漫才シーンを長回しで見せるなど構成に緩急をつけ、その後の駐車場におけるフェンスを挟んでの西寺とツチヤの会話の見せ方など、巧みな空間構成を感じさせる滝本監督の手腕はデビュー作にしてお見事です。岡山天音の演技は怪演と呼ぶにふさわしいもので彼のキャリアベスト級だし、彼に手を差し伸べる登場人物たちに名前も実力もある役者を据えたキャスティングもすばらしかったです。僕は痛々しい青春映画の良作として、劇場の暗闇の中で心をえぐられました。
 
この映画には主題歌はありませんが、なんだかブルーハーツが聞きたくなりまして、放送では『ロクデナシ』をお送りしました。

さ〜て、次回2024年1月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ゴールデンカムイ』。漫画の実写化って玉石混交もいいところですが、これについては原作ファンからの再現度の高さを評価する声や、原作抜きに観ても面白いという評判も聞こえてきます。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!