京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

二宮大輔(ハムエッグ大輔)

人種差別戦線イタリア

2010年、年明け早々、カラブリア州の小都市、ロサルノでアフリカ系黒人労働者たちが、不当な労働条件を訴えて暴動を起こした。暴動自体は2日間で収まったが、事件の波紋はそれ以降も収まる様子がない。すぐさま各メディアから激しい批判を喰らったロサルノ…

イタリア・ジャーナリズムの現在・過去・未来 その2

4月某日、今度はアウディトリウムで行われた“Le grandi lezioni di giornalismo(ジャーナリズムの大いなるレッスン)”に参加する。月に1回、著名なメディア関係者が壇上で講演をするというイベントで、最終回の今回は大手新聞社『テンポ』(il Tempo)編…

イタリア・ジャーナリズムの現在・過去・未来 その1

マルコ・リーズィ(Marco Risi)の映画『フォルタパスク』(Fortapa`sc、2009年)を鑑賞する。1985年ナポリの犯罪組織カモッラに暗殺された若きジャーナリストの話だ。主人公ジャンカルロ・シアーニ(Giancarlo Siani)が作中でメモ帳に走り書きをする。カシ…

あの高い場所へ行きたい  〜『グラムシの遺骸』を観て〜

他のヨーロッパの諸都市がスラリと立つ貴婦人なら、ローマという町はデンとふんぞりかえる太った中年売春婦である、などと言われたりもするらしい。ローマの地下鉄B線ピラミデ下車、徒歩10分の距離にあるガスタンクの鉄塔はそんな場末感漂うローマの象徴だろ…

コッリエーレ・デイ・ピッコリ展

現在ミラノでコッリエーレ・デイ・ピッコリ(Corriere dei piccoli)展が行われている。コッリエーレ・デイ・ピッコリとはイタリア最大の売り上げを誇るコッリエーレ・デッラ・セーラ(Corriere della sera)の増刊として週1回、1908年から1995年まで刊行さ…

手に届く距離にある映画 Roma Indipendent Film Festival

ピニェート通り(Via del Pigneto)のすぐ近く、新しく建て直された映画館、ヌオーヴァ・チネマ・アクイラ(Nuova Cinema Aquila)でやっているローマ・インディペンデント・フィルム・フェスティヴァルというイベントに行ってきた。ピニェートは映画関係者や芸…

中庭にある風景 〜エピローグ〜

このあいだパリに行ったとき、シャンゼリゼ通りにあるラデュレというお菓子屋さんに立ち寄りました。マカロンという名のお茶菓子が非常に名高いラデュレは、東京の銀座かどこかにも店舗があるらしいのですが、天下のシャンゼリゼ通りにある本店の門構えはや…

彼氏と彼女の文学史

男性作家にとって、女性関係はしばしば作品を書く原動力になるようです。ダンテ・アリギエーリ(Dante Aligheri)は、9歳のときにベアトリーチェに出会い、後に、彼女の絶対的な美とともに昇天する冒険譚をつくります。世界最初で最大のひきこもり、ジャコ…

空にうかんだ大きなクエスチョンマーク

Spinaceto pensavo peggio! Non e per niente male! スピナチェートはもっとひどい所かと思っていた! ぜんぜん悪くないじゃないか!(訳は筆者) これは映画『親愛なる日記』(Caro Diario、1993年)の中でナンニ・モレッティ(Nanni Moretti)が発した名言…

拝啓、ピエル・パオロ・パゾリーニ様

ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)が参加した映画『怒り』(La Rabbia)がこのほどリバイバルされて、ちょっとした問題が起こりました。ことの始まりはこうです。1963年、映画プロデューサーであるガストーネ・フェッランティ(Gastone Ferran…

コロッセオの近くに

初めてできたぼくのイタリア人の友達は、ダニエーラという名前の女の子でした。地方から出てき学生で、ローマのモンティ地区に下宿し、大学では日本語、日本文化を勉強していました。そんな彼女の家に遊びに行ったときのことでした。コーヒーでも飲みに行こ…

マイ・ライフ・アズ・ア・ズィンガリ〜

風の民ジプシー。陽気に歌い踊り幌馬車で旅をする。そんな彼らのプラス・イメージをぼくが初めて知覚したのは、手塚治虫の『リボンの騎士』だったでしょうか。いっぽう、他国に逃げ出し寄生するように街を徘徊するジプシー。そんなマイナス・イメージを知覚…

チネチッタでイタリア・メディア黙示録

もう去年のことになりますが、イタリアのテレビに出演したんですよ。ええ、それはたいへん光栄な体験でした。ことの始まりは日本人とイタリア人のハーフの友達、ジュリアーノが紹介してくれたのです。彼は過去に何度か映画やドラマのエキストラとしてチネチ…

その男、詩人につき

ラルゴ・アルジェンティーナからチンチン電車でテヴェレ川を越えてすぐのところに、トラステーヴェレ(Trastevere)という地区が広がっています。そこはいわゆる飲み屋街。うまいピザ屋にエノテーカと呼ばれるワインバー、レストランやブック・カフェ、昔か…

旅人たちのローマ

すべての道はローマに通ず。詩人ジャコモ・レオパルディ(Giacomo Leopardi)は生まれてはじめて故郷レカナーティから足を踏み出し憧れのローマを訪れました。しかし薄汚れた外界にすっかり打ちのめされて、再び故郷に帰っていきました。ジェイムス・ジョイス(…

ヴィットリオ広場の中心で愛を叫ぶ

今回は話題のドキュメンタリー映画『ヴィットリオ広場のオーケストラ』(L’orchestra di Piazza Vittorio、2006年画像下)を大胆後取り! 大阪では梅田ガーデンシネマですでに上映されました。知らない人のために説明しておくと、梅田ガーデンシネマとは、梅田…

ヴァルテル・ヴェルトローニとイタリアの夜明け

今年の1月終わりにイタリアでは第2次プローディ(Romano Prodi)内閣が解散しました。よって次の首相を決める総選挙が4月半ば行われそうですが、その話題で現在メディアは大揺れしています。次の首相と予想されるのは、まずは嫌われ者のシルヴィオ・ベルル…

B級なローマにはB級映画がよく似合う

クリスマス、正月と日本に一時帰国していたハムエッグ大輔です。日本では鍋を食ったり、M‐1グランプリを見たり、風呂に入ったりしてほっこりしました。そして日本を楽しんだと同時に、今までのローマ生活を振り返ってみました。アンデルセンが思い焦がれ、ゲ…