さ〜て、次回、2019年12月3日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』となりました。ほんと、もう! なんなのよ! だいたい、スタジオのマイクの風防が赤いんですよ。ピエロっぽいんです。怖いんです。正直、嫌です(笑) とはいえ、前作も短評していたことですし、甘んじて受け入れるとしましょう。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。
さ〜て、次回、2019年12月3日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』となりました。ほんと、もう! なんなのよ! だいたい、スタジオのマイクの風防が赤いんですよ。ピエロっぽいんです。怖いんです。正直、嫌です(笑) とはいえ、前作も短評していたことですし、甘んじて受け入れるとしましょう。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。
どうも、僕です。野村雅夫です。現在全国順次上映中のイタリア映画『トスカーナの幸せレシピ』。先日公開したココナツくにこによるレビューに続き、今度は料理業界にいるセサミあゆみのペンによるものをご賞味あれ。
海外の超一流店で料理の腕を磨き、開業したレストランも成功させた人気シェフのアルトゥーロ(ヴィニーチョ・マルキオーニ)。しかし、共同経営者に店の権利を奪われたことで暴力事件を起こし、順風満帆だった人生から転落。地位も名誉も信頼も失った彼は、社会奉仕活動を命じられ、自立支援施設「サン・ドナート園」でアスペルガー症候群の若者たちに料理を教えることになった。 無邪気な生徒たちと、少々荒っぽい気質の料理人の間には、初日からギクシャクした空気が流れる。だがそんな生徒のなかに、ほんの少し味見をしただけで食材やスパイスを完璧に言い当てられる「絶対味覚」を持つ天才青年グイード(ルイージ・フェデーレ)がいた。祖父母に育てられたグイードが料理人として自立できれば、家族も安心するだろうと考えた施設で働く自立支援者のアンナ(ヴァレリア・ソラリーノ)の後押しもあり、グイードは「若手料理人コンテスト」へ出場することになった。アルトゥーロを運転手にして、グイードは祖父母のオンボロ自動車に乗り込み、コンテストが開催されるトスカーナまでの奇妙な二人旅が始まる。
監督:フランチェスコ・ファラスキ
脚本:フィリッポ・ボローニャ、ウーゴ・キーティ、フランチェスコ・ファラスキ
出演:ヴィニーチョ・マルキオーニ、ヴァレリア・ソラリーノ、ルイージ・フェデーレ
原題:Quanto basta
配給:ハーク
2018年、92分
原題“Quanto basta”はレシピの用語では「適量」の意。『トスカーナの幸せレシピ』という邦題はなんだかおいしそう。イタリア映画でミシュランの星はどう描かれるのかしら。料理の世界の端の影に属して十数年、おいしいものにはますます目がなくなっている私にはちょうどいい映画かもしれないと思いつつ、鑑賞。
個性豊かな登場人物の料理人たちを通して、料理の面から映画を振り返ってみたい。まず、元・三ツ星シェフのアルトゥーロ。暴力沙汰を起こして、刑務所に収監された後、出所。社会奉仕活動を命じられて、自立支援施設サン・ドナート園で料理を教えることになり、そこでグイドに出会う。
そのサン・ドナート園での料理教室の一場面。バルサミコ酢を使うアマトリチャーナのレシピを試してみたいと言うグイドに、アルトゥーロは「アマトリチャーナにバルサミコ酢なんてありえない」と反論。さらに「トマトソースのスパゲッティが最高だ。チョコレート風味の料理なんて、クソくらえだ」というような格言めいた言葉を続ける。
現実のイタリア三ツ星シェフが作るトマトソースのパスタといったら、透明なトマトウォーターを使ったハインツ・ベックのスパゲッティが思い浮かんだ。アルトゥーロはクラシックを愛しているらしいが、トマトソースに見えない透明なトマトソースを受け入れるかどうか。彼がどんな料理で三つ星を取ったのか、気になるところ。
そして、アルトゥーロのライバルがマリナーリ。元々、アルトゥーロとマリナーリは同じ師匠に師事していて共同経営で店を開いたけれど、マリナーリはうまいことやって、店を自分だけのものにしてしまったよう。そして、現在四ツ星シェフ。あれ、ミシュランはいつの間に星を四つもあげるようになったんだろう。星付き店舗を複数経営していて、合計で四ツ星なのだとしたら、経営も含めた敏腕シェフだけれども、まあ、ファンタジーということにしておこう。
イタリアでの映画批評では、マリナーリのモデルとして、カルロ・クラッコという実在のシェフが想像されるという話がちらほら見えた。クラッコはマリナーリと同じようにテレビでも活躍する高級レストランのシェフ。たしかに、言われてみれば、二人の見た目もなんだか少し似ている?かもしれない。過去には、アマトリチャーナ協会とアマトリチャーナの作り方で一悶着あったようなので、先のアルトゥーロのアマトリチャーナ発言も、クラッコを匂わせたものなのか。
イタリア人の料理に対する保守的ぶりといったら、少なくとも、私の知っている十数年前には、なかなかのものだった。外国の料理に寛容な日本でさえ、「おふくろの味」という表現がまだ見られるけれど、イタリアの「マンマの手料理」や「自分のとこの料理」の呪縛はすさまじい。監督のファレスキもひょっとしたら、見慣れない食材の組み合わせや、小さなポーションできれいに盛られた皿が次々に出てくる高級料理を好まないのかもしれない。なぜって、クラッコはそんな人たちから標的にされているような節があるから。ミラノのガッレリーア(日本なら、銀座の一等地を思い浮かべるのがいい)に出しているカフェが高すぎると批判されたり、料理番組で鳩を使えば、動物愛護団体に咎められたりと、気の毒に思うところもある。
作中では、そんなクラッコをモデルにしたらしいマリナーリの解釈した「メディチ家風ティンバッロ」という料理が出てくる。パイ生地で詰め物を包んだ料理で、その詰め物は牛肉などの具材をベシャメルソースで和えたマカロニ。マリナーリのレシピでは、この重たそうな宮廷料理の焼き上がりに、ココアパウダーを振り掛けるという。
そこでアルトゥーロの「チョコレート風味クソくらえ」発言が関連してくるのだけれど、アルトゥーロはマリナーリの過去の料理を思い出して、その発言をしたのかな。すると、マリナーリは料理にチョコレート風味を使いがち、ということになる。いやいや、そんな星付きシェフはいないだろう。それではいくらなんでも脚本が浅すぎる、なんていろいろと考えてしまう。
最後に、未来の料理人、グイド。料理を食べると何が使われているのか当てられるという、絶対音感ならぬ、いわば絶対味覚の持ち主。でも、バルサミコ酢を使うアマトリチャーナを試しに作ってみたいと言うんだから、頭の中で味の足し算もある程度できるというのではない様子。
そしてアスペルガー症候群を患う彼にとって、レシピの「適量」はあいまいで難しい。「おいしい料理に仕上げるのに、必要だと思うだけ入れればいい。自分で決めるんだ」とアルトゥーロに諭されて、その後には、グイドが味見をするシーンが何度か挿入されている。
厨房では、食材の状態も環境も、日々変わっていく。自分の感覚で決断することが求められる厨房で、彼は活躍していけるのか。料理人になる若者を育てる機関に勤める者としては、彼が歩む未来を見てみたい。
こんな料理人たちが登場しているとはいえ、今さらだけれども、実はこの映画には、料理はあまり出てこない。「塩だらのフィレンツェ風」の盛りつけと、例のティンバッロは作業工程や出来上がりが少々。他にも、調理作業や厨房の様子のシーンが少しずつ。監督が「料理の世界を舞台としただけ」と発言していたようで、まさにその通りといった印象。飲食業界を取材した感じでもなく、所作指導もたいしてありそうにもなし。食べることや業界への愛はそんなに感じられない。というわけで、私のように邦題につられて、おいしそうな料理や料理の世界を期待して臨むのはおすすめしない。
「トスカーナの幸せレシピ」の醍醐味はやっぱり、多様性の理解について描いた物語の方。それぞれに困ったところのあるでこぼこコンビが旅を通して友情を育み、成長していく。大きな波風は立たないし、極悪人も登場しないけれど、ゆったりと安心できる穏やかな流れを楽しんだらいいんだろう。
<文:セサミあゆみ>
さ〜て、次回、2019年11月12日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『マチネの終わりに』となりました。日本映画の海外ロケって、微妙な結果を招くことが多いような気がしますが、これはどうでしょうね。原作の平野啓一郎は好きな僕ですが、この作品は未読。はてさて。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。
『トレインスポッティング』や『スラムドッグ・ミリオネア』で名高いダニー・ボイルと、『ラブ・アクチュアリー』『ノッティングヒルの恋人』『パイレーツ・ロック』そして僕がこのコーナーでべた褒めした『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』でこちらも名高いリチャード・カーティスが初タッグを組み、それぞれ監督と脚本を担当しました。シンガーソングライターのジャックをインド系のヒメーシュ・パテルが、その幼馴染エリーを『ベイビー・ドライバー』『マンマ・ミーア! ヒア・ウィ・ゴー』のリリー・ジェームズがそれぞれ演じる他、エド・シーランが本人役で登場しています。
で、これも意見や好みの分かれるのが、後半に出てくるある人物。ハッとする場面で、取ってつけた感も冷静に考えれば拭えないんですが、今言った幸せの価値というテーマを踏まえれば、ジャックがその人を抱きしめたくなる感情の動きも頷けるし、味わい深くなってきます。
どうも、僕です。ポンデ雅夫こと、野村雅夫です。 先月手に取ったのが、イタリアの作家が日本を舞台に書いた小説『最後の手紙』。帯にも出てくる言葉「別れがつらいのは、それだけ多くのものを受け取ったから」は、丸10年僕が在籍したFM802での最後の生放送で引用させてもらいました。
訳は例によって例のごとく、関口英子さん。小社のメンバーのほとんどが学んだ大阪外国語大学(現在の大阪大学外国語学部)イタリア語学科の大先輩なわけですが、今回は共訳。僕に面識はないんですが、横山千里さんも、やはり先輩とのこと。しかも、著者のアントニエッタ・パストーレさんは、かつて我が外大で教鞭をとり、訳のお二方はその教え子なのだとか。なかなかない座組ですよ。静かに興奮した僕は、せっかくならと、女性のメンバー、シナモン陽子にレビューを依頼しました。彼女も僕の同級生なので、後輩である僕たちがリスペクトを込めてお届けする。
別れた夫の思い出のみを胸に戦後を生きた女性。
その遺品の手紙が語り出す、悲しい真実とは。
イタリア人の目を通して描く、実話に基づいた「原爆と戦争」の傷跡――
日本人男性と結婚したイタリア人の著者は、結婚の挨拶に広島を訪れた。
義理の叔母ゆり子と話すうち、別れた夫を想い続けるゆり子に興味をひかれていく。深く愛し合っていたふたりは、なぜ引き裂かれてしまったのか。
村上春樹作品の翻訳者が綴った感涙のノンフィクション・ノベル
「二人の悲劇を歴史のせいにするのは、虫が良すぎる事だと分かっています。ですが、幸せになる事は、強い人間だけに与えられた権利なのでしょうか。」
(本文より)
『最後の手紙』は、「わたし」によって語られる「ゆり子」の物語である。
イタリア人である「わたし」がゆり子と初めて会ったのは1979年のことで、その時、ゆり子は57歳であった。二人がそこから親しい関係を築いていったわけではない。頻繁に顔を合わせる間柄でもなかった。広島県出身の日本人男性とパリで知り合い、結婚した「わたし」は、夫の母親である眞砂子と気が合った。ゆり子は彼女の妹であった。
1977年から生活の拠点を日本に移した「わたし」は、1979年、大阪の眞砂子の家で初めてゆり子に会う。再会したのは3年後の1982年で、「わたし」が眞砂子と一緒に数日間、広島の江田島を訪ねたときであった。ゆり子は、この島にある広い平屋造りの生家にひとりで暮らしていた。
「わたし」は、ゆり子とそれ以上の接点を持っていない。だが、彼女の持つ雰囲気やその佇まいに「わたし」は惹かれるものを感じていた。ゆり子はいちど結婚したけれど別れたという断片的な情報や、周囲の人たちが彼女に見せる気遣いから、過去に何かがあったことを「わたし」は察する。ゆり子に何があったのか? 江田島で過ごした数日間の出来事を通して、そして眞砂子から聞く話によって、「わたし」はゆり子の来し方を少しずつ理解してゆく。
かつてゆり子は、海軍兵学校の学生であった島津嘉昭と知り合い、心を通わせた。1944年春に結婚する頃には士官となっていた彼は、やがて出征する。彼からの便りが途絶えて久しくなった頃、ゆり子は連絡船に乗って広島へと渡った。それが、1945年8月6日の朝のことであった。「本能的に、あと三十分早く着いていたら、自分も命を落としていただろうと悟っていた」。1947年に甲状腺に悪性の腫瘍が見つかり、しばらくしてさらに白血病も発症した。
「わたし」はその後離婚し、1993年にイタリアへ帰国。だが眞砂子とは連絡を取り続けていた。この二人の揺るぎない信頼関係こそが物語を成立させている。
1995年、ゆり子は73歳でこの世を去った。生前、彼女が誰にも明かすことのなかった秘密を、その4年後に「わたし」は眞砂子から知らされる。原題『愛しいゆり子へ』(Mia amata Yuriko)と邦題『最後の手紙』はこの秘密に関係している。
著者アントニエッタ・パストーレによる付記では、この小説が実話に基づいていることが明らかにされている。何も語らずに亡くなった一人の被爆者の人生が、表現者を得て、このような物語として紡がれた。そのめぐり合わせに驚く。
この作品は、日本と深く関わりをもったパストーレ自身の記録でもある。ほぼ著者自身のものと思われる日本社会の観察や戦争に関する考察は、本書の読みどころのひとつである。
付記によれば、この小説は2011年3月の原発事故を受けて書かれた。現在またあらたに、核に生を翻弄される人々がいることへの危惧が本書には込められている。
文:シナモン陽子
↑ イタリアでももちろん大人気の村上春樹を多く訳しているアントニエッタ・パストーレ。彼女の翻訳術に迫ったインタビューはこちら。イタリア語だけど、興味のある方はぜひ。
いかがだっただろう。広島・長崎に続き、福島という美しき土地の名を、FUKUSHIMAというアルファベットで、そう、核と放射能の代名詞として世界に知らしめることになるにいたったことに、僕は改めてうなだれてしまいもした。読後、パストーレさんが筆を執った意味に、あなたも思いを致してほしい。