京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ジュディ 虹の彼方に』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月17日放送分
映画『ジュディ 虹の彼方に』短評のDJ'sカット版です。

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(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation
1939年の『オズの魔法使』など、ミュージカル映画の大スタートしてハリウッドに君臨したジュディ・ガーランド。遅刻や無断欠勤がたたり、映画業界から干された格好になっていた彼女は、住む家もなく、借金を抱え、ふたりの子どもを連れて、巡業ステージで糊口をしのぐ状態でした。そんな折、イギリスのナイトクラブからショーの依頼が舞い込みます。人気が衰えていないロンドンでは条件も良く、子どもたちと離れるのは辛いものの、生活が一気に立て直せるかもしれない。ジュディは大西洋を渡るのですが…


ジュディに扮したのは、この演技でアカデミー主演女優賞を獲得したレネー・ゼルウィガーです。ジュディの半生を描いたこの作品には舞台の原作があります。『End Of The Rainbow』というタイトルで、日本でも5年ほど前に翻訳上演されています。監督はルパート・グールド。舞台の演出でならした人で、今48歳。長編映画としては、これが2本目。

 
僕は先週木曜日の夕方の回で観てきました。正直、ちとお客さんの入りは寂しいものがありました。新型コロナウィルスの騒ぎの影響もあるでしょうが、ジュディ・ガーランドが日本では欧米ほどの知名度を維持していないという問題もあるのかもしれません。それだけに、この作品で彼女の歌の魅力の再評価が進むことを期待したいところです。では、今週の映画短評いってみよう!

レネー・ゼルウィガーがオスカーを獲ってますから、いまさら僕が褒めたってしょうがないんだけど、まぁ彼女がすごいです。僕は育った世代的にも、文化圏からいっても、ジュディ・ガーランドの威光をダイレクトに感じたことはあまりなかったので、似てる似てないはわかんないですよ。それよりも何よりも、レネーが体現するジュディの最晩年のありよう、生き様に胸を打たれました。孤独を抱え絶望の淵にいるからこそ、その反動として、必要以上に飛びついて期待してしまう希望や恋愛に首ったけになり、また失望を覚え、薬に頼らないと眠れず、アルコールに溺れ、子どもたちを溺愛するのだけれどうまく立ち回れず、それでもステージに立てば圧倒的な存在感を放ち、観客との間に生まれる喜びを信じる。それはそれは大変な毎日です。

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(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation
映画は基本的にロンドン公演の直前からの短い月日しか描写しないんですが、映画の特性をよく理解しているグールド監督の抑制のきいた回想シーンがうまく機能していて、彼女の今をより深く理解するための材料を提示してくれます。どうやら彼女はもともと家庭環境も荒んでいたようだ。10代で映画業界に入ってからは、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーで独裁的な権力を発揮したルイス・B・メイヤーからのパワー・ハラスメントと、体型維持のための興奮剤と睡眠薬の日常的な投与を受けて、これまた心身ともに荒んでいったことがわかる。この回想が忘れた頃に不意に、手短に、的確に入っているのがポイントだと思います。あれがなかったら、ただの情緒不安定なスターにしか見えかねないところだったと思います。脚本と編集のうまさですね。しかも、ティーンのジュディがまだ健康的な体つきだったのが、今やとにかく痩せぎすなんです。そのギャップが雄弁に彼女の辛苦の人生を語ってくれるというメリットもありますし。
 
少なくとも僕が映画ではこれまであまりお目にかからなかった60年代のロンドンのナイトクラブの雰囲気も伝わってきて良かったです。もともとが舞台ってのもありますけど、おそらくはそう潤沢ではなかっただろう予算のかけ方も的を射たものだったと思います。

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(C)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation
これは映画ライターのよしひろまさみちさんがパンフに寄せた文章で知ったことですが、ジュディがゲイ・カルチャーの文脈でカリスマ的な人気を誇っていたようです。たとえば、マドンナ、カイリー・ミノーグレディ・ガガがそうであるように。確かに、劇場で出待ちをしていたゲイカップルとジュディが交流を持つ、この映画で唯一と言っていいほど心穏やかに過ごした一夜があります。様々な抑圧や不条理に見舞われながらもスポットを浴びて人々に感動を与え続けた彼女に、LGBTQの当事者がどれほど勇気づけられたか。さっきもお送りした代表曲『Over The Rainbow』もその文脈でより感動を覚えるし、虹の七色がLGBTQのシンボルカラーになっていることも、なるほどなと頷けます。
 
その意味で、狭い電話ボックスからジュディが国際電話で子どもたちと話すあの切ないシーンから、最後の舞台に彼女が立つところまでの流れは、空間の見せ方のうまさも手伝って、震えます。ジュディは懸命に生きて、間違いも失敗もあったけれど、人々を楽しませ、勇気づけた。歌とダンスは彼女を追い込みもしたけれど、彼女もやはり歌に救われていたのだと涙ながらに察しました。当たり前ですが、名曲揃い。劇場のいいサウンドレネー・ゼルウィガーの体現するジュディを体感してください。
せっかくですから、レネー・ゼルウィガーの声もお楽しみいただかないと。劇中ではゲイカップルとのエピソードでシンプルに歌われるこの曲が、サントラではSam Smithとの極上のデュエットで味わえます。まさに幸せ至福です。
 
そうそう、眼福でもあったのが、ジュディのマネージャーを演じたジェシー・バックリー。ジュディのわがままもうまく受け流していきつつ、彼女を本当にリスペクトして理解していたということがよくわかる演技でしたね。


さ〜て、次回、2020年3月24日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『スキャンダル』となりました。もう今週でラストぐらいかなと思っていた作品が、ここにきて颯爽と登場ですよ。シャーリーズ・セロンニコール・キッドマン、そしてマーゴット・ロビー。数年前にアメリカのテレビ局で実際に起きたスキャンダルを基にしたということで、一応放送業界にいる僕としても気合を入れて観に行きます。マーゴット・ロビーを目に焼き付けてきます(笑) あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月10日放送分

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(C)2018 Dangmai Films Co., LTD - Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD / ReallyLikeFilms LCC.
父親の死をきっかけにして、ずいぶんと帰っていなかった故郷、凱里(かいり)へ戻った青年、ルオ・ホンウ。そこで思い起こしたのは、約束が果たせないまま死んでしまった幼馴染の「白猫」のこと。自分を捨てて他の男と駆け落ちした母親のこと。そして、彼の心からずっと離れない女性のイメージ。ルオは彼女の面影を追って、記憶と夢の交錯する謎めいた旅に出ることになる。
 
監督・脚本は、1989年生まれで、まだ30歳のビー・ガン。彼自身が凱里の生まれで、一度離れたものの、今も北京と凱里を行ったり来たり。中国の南西部にあって、漢民族以外にも、ミャオ族など少数民族が住む自治州に属する、人口45万人ほどの小さな街です。長編デビュー作『凱里ブルース』も、その名の通り、凱里を舞台にしたものでしたが、2本目となる本作もそうです。

 

キャストを何人か触れておきます。凱里に戻ってきたルオ役にホアン・ジエ、彼の追い求める女性ワン・チーウェンとカイチンの二役を、中国のスター女優であるタン・ウェイが担当する他、白猫の母親役には台湾を代表するシルヴィア・チャンが起用されています。
 
この作品は途中から3Dメガネをかけて鑑賞するという特殊な構成となっているにも関わらず、新型コロナウイルスのせいで、関西ではそれが叶う劇場がひとつもないという残念極まりない状況の中、涙をのみながら、京都みなみ会館でやむなく2Dで観てまいりました。先週火曜日の昼間というわりには、そして、ウィルス騒ぎがあるというわりには、そこそこ入っていた印象です。それでは、今週の映画短評いってみよう!

『1917 命をかけた伝令』がアカデミーにも絡んでヒットを飛ばす中で、どなたも「驚異の長回し」みたいな言葉を目に耳にされたことと思います。実は、この『ロングデイズ・ジャーニー』も、同じようにとんでもない長回しがあるとのことで話題になっていました。同じ時期に、2本もそれを売りにした意欲的な新作が劇場でかかることもあまりないし、この言葉の意味するところをせっかくなので話しておきます。それが、この映画の凄さを理解する上でも大切だと思いますので。
 
長回しってのは、文字通り、カメラを長く回すことです。撮影現場で監督のアクションという合図があり、カットがかかる。役者たちはその間、求められた演技をし、カメラマンはそれを撮影(シュート)する。そうしてできあがった映像を、ショットと呼びます。もちろん、編集でそれをさらに細かく刻むこともあるんですが、基本的にはそうして撮りためたショットをつなぎあわせてシーンを構成します。そのシーンがいくつか繋がれて、もう少し物語的なまとまりを伴ったものをシークエンスと呼びます。このシークエンスは、小説だと章立てみたいなものだと思ってください。ざっくりたとえると、ショットという文がいくつかつながって、シーンという段落になって、それがまたいくつかつながって、シークエンスという章になると。で、よく長回しと呼ばれるものは、映画用語ではシークエンス・ショットと言います。これは、ひとつのシークエンスが、たったひとつのショットでできているということを意味するわけです。10分ほどのシークエンスがあるとしたら、普通は100前後のショットが編集されるんですけど、シークエンス・ショットの場合は、それがたったワンショット。途中で役者もスタッフもトチったら、その場でアウトなんですよ。後で編集できないわけですから。

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(C)2018 Dangmai Films Co., LTD - Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD / ReallyLikeFilms LCC.
『1917 命をかけた伝令』の場合には、2時間の映画まるごとを、ワンショット風に見せているんですが、実際はいくつかに分かれていて、それを観客に極力ばれないようにつないであります。この『ロングデイズ・ジャーニー』の場合には、後半の60分がまるごとワンショットで撮影されていて、こちらは本当にカットを割っていません。60分、撮りっぱなしにしたものを、そのまま使っている。お芝居に近いですよね。事前に入念に準備をして、後はショー・マスト・ゴー・オンですよ。各所入念に準備をして、いったん始まったら、途切れなく最後まで走り切る。では、なぜ監督がそんな面倒なことをするのか。それは、物語の中の時間と、実際の時間を一致させて、独特の緊張感を映画に宿すためです。大雑把に言えば、リアルな体験を観客にさせるためです。ところがですね、この『ロングデイズ・ジャーニー』では、なんとそのワンショットの中で、主人公と僕ら観客は現在と記憶、現実と幻を行き来するような体験をするんです。主人公とカメラは60分の間に、ビリヤードもすれば、花火に火を付けるし、あろうことか、宙に浮いたりもするんです。ドローン・カメラを使ってるんでしょうね。しかも、それが3Dなんですよ。こんなの見たことないです。

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(C)2018 Dangmai Films Co., LTD - Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD / ReallyLikeFilms LCC.
物語そのものは、とてもシンプルなんですよ。久々に故郷に帰った青年が、色んなことを思い出しながら一夜を過ごす。要約しちゃえば、それだけです。現在から過去へ、現実から幻へと切り替わる装置として、坂の多い街の高低差、トロッコ、りんご、鳥、そして映画館があります。前半で僕ら観客が断片的に見てきたイメージが、後半、主人公が映画館で3Dメガネをかけるのをきっかけに、その60分のマジカルなワンショットが始まるんです。そこで僕らは時空を越え、夢と現の間をフワフワ彷徨います。一筆書きなのに複雑怪奇な絵を眺めているような、そこにあるものはどれもこの世に存在するものなのに、この世のものとは思えない体験。絵画で言えば、具象画と抽象画を同時に見ているような感覚に陥る。
 
この若き監督は、詩人でもあります。さもありなんです。詩というのは言葉の彫刻と言われることもありますが、それだけに文法に必ずしも則しません。ビー・ガン監督も、ハリウッドが作り上げた映画の文法を時に逸脱しながら、映像で詩を作り上げたと言えるでしょう。この映画は難解だと言われるかもしれません。確かに物語は要約しにくいんだけれど、きっとどこかに忘れがたいイメージがこびりつく。闇と光のコントラスト、色使い、役者の佇まい、そのどれもが息を呑むほど美しいです。映画史に残る作品だと思います。

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(C)2018 Dangmai Films Co., LTD - Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD / ReallyLikeFilms LCC.
配給会社と映画館にぜひお願いしたいのは、新型コロナウィルスの騒ぎが収束したら、1週間限定とかで構わないので、関西でも3Dでこの映画を鑑賞できる機会を作ってもらいたい。そう強く願ってしまうほど、強烈な体験でした。正直、何度か僕も夢と現を行ったり来たりしたんですけど、この映画ならそれも本望というか、その寝落ちですら、この映画の体験にふさわしい気がしてくる、不思議な作品です。


映画音楽の巨匠、リン・チャンの手掛けたスコアも印象的だったんですが、驚いたのは、主人公ルオ・ホンウの携帯の着信音が中島みゆき『アザミ嬢のララバイ』だったことです。と、ラジオではオンエアしたんですが、曲がサブスクやYouTubeに開放されていないので、この曲のMVを。これは評の前にかけたMONDO GROSSO大沢伸一さんは公式サイトにコメントを寄せています。でも、それだけではなくて、映画の鑑賞後にこのビデオを思い出したんです。で、パンフレットを買ってみると、演出を手がけた丸山健志さんとビー・ガン監督が対談をしていて、我が意を得たりでした。

さ〜て、次回、2020年3月17日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『ジュディ 虹の彼方に』となりました。映画の公開もあって、また注目が集まっているジュディ・ガーランド。番組へのリクエストも既に届いていて、先日も電波に乗せました。でも、曲は知っていても、彼女の人生についてほぼ何も知らない僕なので、かなり興味があります。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『ミッドサマー』短評

 FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月3日放送分
映画『ミッドサマー』短評のDJ'sカット版です。

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心理学を専攻する女子大生のダニーは、不幸にも家族を失ってしまい、悲しみにくれている。そんな中、人類学を専攻する恋人クリスチャンとその男友達のグループは、フィールドワークも兼ねて、仲間のひとり、ペレの故郷であるスウェーデンの奥地にあるホルガ村を訪れるという。そこで、ダニーも同行することに。ホルガ村で開催されるのは、90年に一度という夏至の大祭。太陽は沈まず、あたりには花が咲き乱れ、人々は白を基調とした明るい衣装に身を包んで歌い踊る。まるで楽園のような光景。だけれど、とある儀式を境に、学生たちにとっては地獄のような体験が幕を開ける。

ヘレディタリー 継承(字幕版) 

監督・脚本は、長編デビュー作『へレディタリー/継承』が21世紀最高のホラー映画だと世界中で高い評価を得た、アリ・アスター、現在34歳。ダニーを演じるのは、もうじき日本でも公開となる『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』でアカデミー助演女優賞にノミネートされた、フローレンス・ピュー。恋人のクリスチャンは、『シング・ストリート 未来へのうた』のジャック・レイナー。仲間の一人マークには、『メイズ・ランナー』『デトロイト』のウィル・ポールターが扮しています。あとは、ヴィスコンティ監督の名作『ヴェニスに死す』の超絶美青年、ビョルン・アンドレセンがお年を召して久々に国際的な作品でスクリーンに登場することも話題を呼んでいます。

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© 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

アメリカでは去年の夏に公開されまして、興行的にも、批評的にも成功した作品となっています。僕は「やだな、やだな」と毒づきながらも、先週の金曜日にしっかりTOHOシネマズ二条で鑑賞してきました。金曜の午後にしては、若い人、それも女性を中心にたくさん入っていましたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

最近は『ジョーカー』を筆頭に、いわゆるジャンル映画の復権とも言える状況が世界の映画界で進んでいます。かつて量産された、お定まりのお約束通りに展開するものが、一流の作り手によって、ブラッシュアップされて、むしろ世の矛盾を突く鋭い批評性を備えた、B級ではない、A級のものとして、丁寧に作られる。たとえばタランティーノなんかはその旗手と呼べる存在でしたが、ここに来て、アリ・アスターという新鋭が現れました。今回の『ミッドサマー』は、ホラーの中のサブジャンル、フォークホラーと呼ばれるものだと言われています。2006年にニコラス・ケイジ主演でリメイクもされた73年のカルト作『ウィッカーマン』との類似性も指摘されていますが、要は民間伝承に基づく、その地域・共同体独自の信仰や風習に部外者が接触した際にどうなるのかという物語を、恐怖をベースに美しく残酷に演出していくジャンルです。

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© 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.
舞台となるホルガ村は、先祖代々、森の中の閉鎖的なコミュニティを維持しながら、独自の聖書を更新し続け、自然のサイクルの中に自分たちの暮らしと人生を位置づけています。老若男女、色々ですが、基本的に女系社会で、ハンディキャップのある人も大切に、というかシャーマン的に丁重に扱われています。ただ、どうもかなり厳格なようで、どことなくみんなの顔に貼り付いた笑顔が不気味。そして、90年に一度の特別な夏至祭というわりには、いろいろ手慣れてるし、なんか胡散臭くて、このご時世に自給自足的なコミューンってのは、カルト団体だろうと思いたくなってくる。
 
そこへ向かうダニー達ですが、この男どもがまぁ、なかなかなダメ具合なんですよね。ダニーのことも疎ましく面倒くさいなと思っているし、人の研究テーマを剽窃しようとしたり、不誠実だったり、いかにも男性社会的で、刹那的で即物的で俗っぽくて、旅行の道中もグループはとにかくぎこちない微妙な空気を形成しています。そんな中、真冬の吹雪で閉ざされた暗いばかりのアメリカから、一気に陽光眩しいスウェーデンへ。場所も気分も入れ替えようってことですが、カメラもくるりと一回転してみたり、価値の転倒や歪みをドラッギーな映像と極端なくらいの色彩美、そしてホルガのタペストリーや壁画など習俗で表現しています。

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© 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.
確かにグロテスクな描写もあるし、ゾッとすること間違いなしなんですが、びっくり箱、お化け屋敷的な突然びっくりさせる演出はほぼなくて、むしろ、2回観ればわかるでしょうけど、最初からどんどんこれから起こることを見せていくんで、お話はある程度読めます。それでもなお怖いのは、観客がどこに心を寄せていいかわからなくなることだと思います。ホルガ村はオーガニックで健康的に見えて、どぎつい管理社会の側面があるし、ダニーたちにもまた、さっき言った理由から寄り添えないんですよ。ダニーは最後の希望なんだけど、あのラストはどうですか。希望にも解放にも、そして絶望にも見える。そして、この物語が最初からすべて仕組まれていたのではないかという戦慄が、鑑賞後には襲ってくる。

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 閉鎖空間とそこでの倒錯した蛮行という意味では、パゾリーニの『ソドムの市』も浮かんだし、人類学や民間伝承との関係で言えば『デカメロン』など、生の三部作も浮かびました。僕はパゾリーニ研究者の卵だったんで、とりわけ。あとは『楢山節考』もよぎりましたね。でも、若いアリ・アスター監督は、そういった祝祭ホラーに、家族やコミュニティーの閉鎖性と、今僕らの多くが抱える、人と関わっていても何となく居場所がないと感じる不安や疎外感をプラスしつつ、何より開いた口の塞がらない緻密さでワンショット・ワンショット、意地悪く積み重ねていった怪作です。観終わっても思い出す、簡単には払拭できない濃い映画体験を、あなたも劇場でとっぷり味わってください。

さっき僕は意地悪いってアリ・アスター監督を形容しましたが、あの燦々としたまばゆい光を見せた後に、この曲が流れてきたりするもんだから、そこもまた両義的というか、味わい深いんです。日の沈まない夏至、白夜の物語の後に、太陽はもう輝かないですもの。
 
それにしても、『ヴェニスに死す』のビョルンになんてことしてくれるんだ、おい! とか、あの熊の象徴するものとか、やたら出てくる9という数字とか、ゲルマン語のルーン文字の意味するところとか、元気と時間があれば、もう一度観たい。そして、観た人と語り合いたくなります。パンフレットは売り切れで入手できなかったんですが、公式サイトの片隅にある、完全分析ページには考えるヒントがたくさんあるので、あくまで鑑賞後にですが、どうぞ。


さ〜て、次回、2020年3月10日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』となりました。これ、途中から3Dに切り替わるというギミックがあるというので楽しみにしていたんですが、現状関西のシアターではCOVID-19新型コロナウイルスの影響で、3Dメガネを貸与していないので、そこは味わえないのが残念無念。でも、だからこそ、応援の意味もあるし、ギミックなしでも観たい作品だったので、我ながら強い引きだったと自画自賛です。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『ハスラーズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月25日放送分
映画『ハスラーズ』短評のDJ'sカット版です。

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唯一の身寄りである祖母を養うため、ニューヨーク、マンハッタンにあるストリップクラブで働き始めた、アジア系の女性デスティニー。右も左も分からない新人の彼女にポールダンスの手ほどきをしてくれたのは、クラブのスター的存在であるラテン系のラモーナ。ふたりはすぐに打ち解けて、友情を育みます。デスティニーがストリッパーとしての処世術を覚え、生活が安定してきた2008年。リーマン・ショックが起こる。クラブの客も減り、不安定な生活に逆戻りしてしまうデスティニーとラモーナ。ところが、不況の原因を作ったウォール街のエリートたちの暮らしぶりはそう変わらない様子。憤懣やるかたないラモーナは、デスティニーたちストリッパーと徒党を組み、ウォール街の富裕層から大金をだまし取ろうと画策する。

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製作とラモーナ役を務めたのは、先日のスーパーボウル、ハーフタイムショーで舞台に立ったジェニファー・ロペス。ジェイローは、なんと出演料抜きで取り組んだようです。そして、デスティニーに扮したのは、『クレイジー・リッチ!』の台湾系アメリカ人、コンスタンス・ウー。他に、カーディ・Bやリゾなど、ミュージシャンも、実名やそれに近い役名で登場します。監督と脚本は、ボクと同い年の女性で、役者でもあるローリーン・スカファリアです。
 
今作はアメリカで批評家から高い評価を得て、興行収入ランキングでも初登場2位になるなど、ヒットしているんですが、どうしたことか、日本では公開が限定的。僕は先週木曜日にTOHOシネマズくずはモールで観てまいりました。僕以外は全員女性でしたね。それでは、今週の映画短評いってみよう!
予告を観ていると、これは女から男への逆襲の映画なんだろうと思っていたんです。ノリノリの音楽をバックに、ポイポイ服を脱いでポールダンスを踊りながら、ウォール街の証券マンから金を巻き上げていた女性たちが、リーマン・ショックを境に羽振りが悪くなった。にも関わらず、世界を大恐慌に陥れた男どもの生活水準はちっとも下がらないじゃないか。こちとら、女手一つで、身体一つで子どもも育ててるってのに、この差はなんだ。ニャロメ〜! 月に変わってお仕置きよとばかりに、美女軍団が男達をやっつけて、ざまぁみろと。この予想は、当たっていなくもないけれど、映画の一面にしか過ぎないということもわかってきて、まさにそここそが重要なんです。

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(c)2019 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
リーマン・ショックを挟んで、数年にまたがる話なんですけど、途中から、この事件を記事にしようとする女性記者によるインタビュー場面が挿入されるようになって、R&Bやポップスに混じってショパンがちょいちょい流れることで、ははぁ、これはやがてはうまくいかなくなることが誰にでも予想できる作りになっています。実話ですから、アメリカの人なら、事件そのものを知っている可能性も高いわけですし。観ているとわかるんですけど、彼女たちは金持ちから金を掠め取って貧者に配るような義賊ではないんですよ。結局は、彼女たちも私利私欲にまみれていて、すべての価値は金金金って、証券マンがやってることと変わりないところに落ちてしまっている。その点で、彼女たちに騙された男達も彼女たちも同じ穴の狢なんですよ。似たような手法で社会に一泡吹かせた作品に、イタリアの『いつだってやめられる』シリーズがあるんですが、あちらと違って、彼女たちはやり口がずっと杜撰でどぎついんで、観ていてヒヤヒヤするし、ざまぁみろとも言ってられないのが実情です。

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でも、このスカッとさせないのが、肝なんですよね。スカファリア監督は、さっき言ったジャーナリストの視点を入れることで、ハスラーズを格差社会の被害者として描くことも、ヒロイックに描くこともしなかったんです。彼女たちはもちろん、一定の社会的制裁は受けたし、こんな悪事を働いたって、ろくなことはないともきっちり見せています。そして、こういうセリフを引き出しています。
 
「あの頃、この街、この国全体がストリップクラブだった。金をばらまく側と踊る側の人間がいただけ」

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(c)2019 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
彼女たちは黙って踊っていることにうんざりしたわけですよ。そして、奪われてばかりは嫌だから奪うんだ。ハッスルされ続けるくらいなら、こっちがハッスルしてやる。奪い取ってやるとなる。思えば、デスティニーは駆け出しの頃、男達になめられ、マージンやら何やらで、金をむしり取られていました。一方、ラモーナは札束のシャワーの中で踊っていた。そこで生まれた極端な上昇志向が悲劇を生んだわけです。そして、それはウォール街の男達の上昇志向と何が違うのか。映画はポールダンスや高層ビルなど、高さ低さを感じさせるモチーフを交えながら、その点を見せていきます。
 
「これは、コントロールについての物語」。ジャネット・ジャクソンのそんな語りから始まる曲『Control』で始まるこの作品。コントロールできなくなって、目指した高みからやがては墜落する。資本主義・拝金主義社会の切なさ、ほろ苦さが胸に染み入る作品でした。
それにしても、ジェイローたちのこの役にかけた努力が相当なものであることは想像に難くないし、彼女たちの佇まいとカッコ良さ、そして社会的メッセージも鑑みて、もっと評価しろよ、アカデミー! ってついつい思っちゃいました。そして、もっと日本でも上映してくれよ! どうも過小評価されてるって気がします。

さ〜て、次回、2020年3月3日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『ミッドサマー』となりました。
 
って… 神よ… 映画の神よ… なぜだ。怖い。怖そうすぎる。
 
来週はひな祭りだってのに、こちらは明るいのに怖い、恐怖の祭典の幕が切って落とされそうです。はわわ~ 鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『グッドライアー 偽りのゲーム』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月18日放送分
映画『グッドライアー 偽りのゲーム』短評のDJ'sカット版です。

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2009年のロンドンが舞台。熟年層の利用する出会い系サイトで知り合ったのは、老紳士のロイと、未亡人で資産家のベティ。レストランで落ち合ったふたりは、早速打ち解けるのですが、柔和な雰囲気を漂わせるロイは実はベテランの詐欺師。ベティの全財産をだまし取ろうと策略を練っていました。一方のベティはインテリではあるものの、あまりすれておらず、まんまと乗せられている様子。ふたりの急接近を心配そうに見守るのは、ベティの孫で歴史学を専攻する大学院生スティーヴン。ロイの計画はどうなるのか。

老いたる詐欺師 (ハヤカワ・ミステリ) ドリームガールズ (字幕版) 

原作は、早川書房から邦訳の出ているニコラス・サールの小説『老いたる詐欺師』。製作と監督は、『シカゴ』の脚本や『ドリームガールズ』の監督・脚本、そして2017年実写版『美女と野獣』の監督で知られるベテランのビル・コンドン。ベティをヘレン・ミレン、そしてロイをイアン・マッケランという、オスカー俳優ふたりが演技の火花を散らせています。
 
僕は先週木曜日に大阪ステーションシティシネマで鑑賞しました。平日昼下がりということも影響しているのかもしれませんが、比較的年齢層高め、女性多めって感じで、賑わっていましたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

先週の『ナイブズ・アウト』同様、大人がじっくり楽しめるミステリーとして、質の高い一本です。
 
タイトルからもわかる通り、嘘についての話なんですけど、あらすじでも伝えた通り、まず老紳士づらしたロイが、世間知らずで悲しみに暮れる未亡人ベティを騙すという構図を思い浮かべるわけですよ、こちらは。ところが、冒頭のシークエンス、ふたりがパソコンの画面で出会い系サイトに登録をしている様子が短いカットのつなぎで矢継ぎ早に示されるところで、どうやらそういう一方通行の話ではないと示唆されます。たとえば、ロイはタバコを吸っているのに、自分のプロフィールには非喫煙者のところにチェックを入れる。まぁ、こいつは詐欺師だもんな、これぐらいちょろいちょろい。と思ったのもつかの間、ワインを飲みながら画面を見つめていたベティも、飲酒はしないってところにチェックを入れる。おいおいおい! となると、これはふたりとも信用できませんぞ。そして、この冒頭でリズムを作るのは、キャストやスタッフの名前を画面表示するためのタイプライターの音。ルパン三世的な演出ですね。でも、ふたりが使っているのはネットに接続されたパソコンですよ。古めかしいタイプライターとはズレがあるよなぁと僕は些細な違和感を覚えていました。気持ち悪いんじゃなくて、何かこれも示唆してるんだろうなという謎への好奇心としての違和感です。

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レストランで出会うふたり。そこで互いがした告白は、名前も偽名だということ。早速かい! って、この時点で、恋愛初期に不都合な欠点は隠したい、いいとこ見せたいってところを高らかに越えてますよね。名前変えとったんかいと。このあたりで、キツネの化かしあいって様相を呈してくるわけですが、それからがどうしたことか、ベティが比較的おとなしいんです。いちゃいちゃデートしてるし、ロイの身体も自然に気遣うし、こいつ財産狙いで近づいてるだろって訝しむ孫をたしなめるし。僕らは思いますよ。こんなはずじゃない。ベティはこんなたまじゃない。だって、ヘレン・ミレンなんだもの。それがサスペンスになってくる一方、ロイは絶好調で、この件以外にも、大胆にも同時進行で他の詐欺も働いてやがりますから。
 
ビル・コンドンの演出は、出しゃばらないことを基本にしています。途中からはオーソドックスと言っても良いでしょう。名優二人の表情・仕草・声色の些細な変化に観客が気づけるようにと、奇をてらうことはしません。そこがじっくり楽しめるゆえんです。たとえば、ふたりが映画デートに出かけて、タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』を観て、感想を言いながら話す何気ないシーン。でも、そういうところに、後から考えると意味がある。なぜその映画なのか、とかね。なので、まずは邪推せず、ふたりの手練の密度の高い演技に見とれていればいいんです。最後には、嘘にも色々あるよなと思い当たるはず。言い逃れのような、積み重ねる嘘。そして、緻密に組み上げる蜘蛛の巣タイプの嘘。

イングロリアス・バスターズ(字幕版) 

ただし、僕としては、謎解きの提示の仕方が、少々やり過ぎだなと。そこだけ、劇場型というか、名探偵の謎解きよろしく演出されるんですが、あの人、名探偵じゃないから! どうしたって、再現VTRを観せられているようになるんで、どうもなと。今回の全体のテイストに、構造のみ古風でいて、ビジュアルはレトロな味わいとも言えない、どっちつかずなあの一連のシーンはもったいないと思いました。でも、それぐらいのもんで、傑作とは言いませんが、十分に良作でしょう。
 
資産目当てのロイに対して、ベティは何を目論んでいるのか。彼女が、池で水遊びをする若い女の子たちに言うセリフが、この映画全体をも言い表していましたよ。「見た目以上に深いから気をつけて」。あなたも劇場で驚きの深みを目の当たりにしてください。
 後で考えると「なるほどな」となる、ふたりが劇中で鑑賞する映画『イングロリアス・バスターズ』のサントラから、この曲をお送りしました。
さ〜て、次回、2020年2月25日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『ハスラーズ』となりました。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月11日放送分

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ニューヨーク郊外の林の中にゴシック様式の屋敷を構えるミステリー作家、ハーラン・スロンビー。世界的な成功を収め、莫大な資産を形成してきた彼は、85歳の誕生日を一族みんなに祝ってもらった翌朝、寝室で遺体となって発見されます。喉がナイフで切り裂かれていたのですが、そこは密室。家族やハーラン専属の看護師など、前夜邸宅にいた全員が、どこか怪しい。1週間後、警察と一緒に現れたのは、名探偵のブノワ・ブラン。彼は匿名の人物から捜査依頼を受けたという。誰が、どんな目的で…

スター・ウォーズ/最後のジェダイ (字幕版) LOOPER/ルーパー (字幕版)

 監督は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』『LOOPER/ルーパー』のライアン・ジョンソン。脚本も自分で担当したこの物語は、完全オリジナルです。探偵のブノワ・ブランを演じるのは、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の公開を4月10日に控えるダニエル・クレイグ。作家ハーラン役のクリストファー・プラマーや、『キャプテン・アメリカ』のクリス・エヴァンス、『ブレードランナー 2049』のアナ・デ・アルマス、ジェイミー・リー・カーティスマイケル・シャノンなど、一癖も二癖もある個性豊かな顔ぶれがキャストに揃いました。

 
昨日発表されたアカデミー賞では、脚本賞にノミネートしていましたが、獲得はならずでした。
 
僕は先週木曜夜にTOHOシネマズ梅田で観てきましたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

スター・ウォーズ/最後のジェダイ』では、総スカンを食らってしまった感のあるライアン・ジョンソンですが、彼は長編デビュー作『BRICK ブリック』がそうだったように、ミステリー好きで、なおかつ脚本も一から好きにさせたほうが良いタイプなんですよ。その意味で、今作は製作も自分で手掛けたオリジナル作品ということで、まぁイキイキとしています。こういうのを待っていました。
 
なんですか、この館はアカデミー賞の授賞式でも開かれるんですかっていうくらいに豪華なキャストが揃っているにも関わらず、この映画は無闇に派手な見せ場・ハイライトを作らない、大人が落ち着いて楽しめるエンターテイメントです。印象として抽象的な言葉を使えば、品が良いんです。久しぶりにミステリーらしいミステリーだなと思います。それもそのはずで、監督は大胆にも「アガサ・クリスティ推理小説を思わせるようなミステリーを撮ってみたい」と表明しているわけですよ。言うのは簡単だけど、ポアロミス・マープルみたいなキャラクターを生み出すのがどれほど大変か。他にも、ホームズ、金田一耕助、この人は刑事だけどコロンボに匹敵するような探偵に… 少なくともなっているような気がする魅力を放っているのが、このブノワ・ブランです。これだけですごいです。

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Motion Picture Artwork © 2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. Photo Credit: Claire Folger

スーツやコートをビシッと着こなして、冷静沈着、ダンディーではあるけれど、南部の訛りがあって、ユーモアを忘れない。だいたい最初のくだり、ピアノの横に陣取って、容疑者の家族たちの供述の合間に不意にピアノを鳴らすとか、コインをことあるごとにトスするところとか、なんなんですかっていうケレン味もしっかり。だけど、ちょいと抜けてるところもあるっていう魅力はただごとではありません。この事件の構造をドーナツにたとえるなど、表現力も独自のものがあるんですけど、彼自身については語られないことも多くて、謎めいているのもまた良し。そこにダニエル・クレイグを抜擢したのがまた慧眼です。どうしたってボンドのシャープな肉体派のイメージがあるんで、意外性があるんですよ。それは、アナ・デ・アルマスにしても、クリス・エヴァンスについても言えますね。
 
と言いつつ、これはその紳士探偵ブノワ・ブラン大活躍の映画ではないんです。存在感はばっちりなのに、控えめ。そこが全体の品の良さを下支えしています。

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Motion Picture Artwork © 2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. Photo Credit: Claire Folger

では、なぜそこまで惹きつけられるのか。『パラサイト 半地下の家族』に賞は譲りましたが、アカデミー脚本賞にノミネートってのも納得なシナリオがやはりすごい。始まってからしばらく、わりと早い段階で事件当夜のあらましが明らかになるので、てっきり、コロンボ古畑任三郎型の倒叙ミステリーかと思うんですが、叙述トリックの要素もバッチリあるっていうあわせ技、ブノワがドーナツだとユーモラスな表現をした人間関係と関係者の供述のあり方が最後まで明らかにならないお話の構造が練られまくっていました。トリックそのものは度肝を抜かれるようなものではないんだけど、語りが複雑で楽しめるんですよ。彼らって、嘘はついてないけど、本当のことも言わないんですよね。それは、輪の中心人物である、死んだハーランの作家的やり口でもあるわけです。このあたり、国会の予算委員会でやられると腹が立つんだけど、スクリーンの中での謎解きなら面白いんです。

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Motion Picture Artwork © 2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. Photo Credit: Claire Folger

無数のナイフを背もたれに配置した風変わりな椅子から、食器や衣装のひとつひとつにいたるまで、振り返れば細かく配慮された道具類は、すべてこの語りを強固にすることに貢献しています。ブノワが言うところのお粗末なカーチェイスはあっても、見せ場のためのアクションシーンもありません。伏せられていた出来事と隠されていた本音が段階的に明るみに出てくる様子を、じっくり楽しむんです。アメリカ人が移民をどう捉えているのか、そして家族でもリベラルと保守で分断されている様子など、このご時世だからこそっていう背景も描くことで、レトロな探偵ものながら、十分にアクチュアル。トータルに隙きのあまりない良作でした。
 
もう、僕はブノワ大好き。好評につき続編も決まったことですし、クレイグもいよいよMI6を引退したら、あとは探偵稼業に勤しんでほしいと願っています。
 途中で何度かありものの挿入歌も流れてくるんです。何とは言いませんが、わりと聞けばすぐわかるもの。それらもサッと入れて、バシッと切り替えちゃうので、曲に頼ってなくて、好感が持てます。好感が持てると言えば、黒人警部補の助手的立ち位置のワグナー巡査が僕は好きでしたよ。ミステリー好きで、ミーハーなんだけど、それも話を脱線させるほどではなく、押し付けがましくない。そんな中、しっかり流れる曲が、てっきりRadioheadのKnives Outかと思ったら、違ってこの曲でした。これがまた雰囲気にぴったりで、シーンをやさしく包んでいましたよ。


さ〜て、次回、2020年2月18日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『グッドライアー 偽りのゲーム』となりました。今週は嘘はつかないが、みなまで言わずに逃れおおせようとする人たちの話でしたが、来週は稀代の詐欺師が登場ってわけですね。ヘレン・ミレンイアン・マッケランの共演。演技合戦は相当な火花を散らせそうです。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

小説『靴ひも』レビュー

イタリアの小説で日本語訳が出たものは、その存在を知りうる限り、理解の及ぶ限り、漏らさず読みたい。ずっとそう思って本屋パトロールはしつつも、なかなか読書にあてる時間が確保しきれず、書斎デスク脇の積ん読タワーはうず高くなるばかり。ただ、僕の誕生日に合わせるような日取りで出版されたとなると、プライオリティがグンと上がるというもの。しかも、ミステリー仕立ての家族もの。好物だ。矢も盾もたまらず、リュックに入れてどこへ行くにも持ち歩き、かなり早いペースで「結び」にたどり着いたのが、『靴ひも』だ。ニューヨーク・タイムズが選ぶベストブック2017で注目の本とされ、30カ国以上での翻訳が決まっている作品だ。

Lacci  靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

構成はかなり変わっている。一応、現代に軸をおいて、ある4人家族の物語が紡がれるのだが、大きく3つのパートに別れていて、それぞれに時代、性別、空間、何より語り手も文体も違うのだ。

 

たとえば、最初は1974年の妻。彼女は、女を作ってナポリの自宅を出てローマに行ったきりの夫に宛てて、立て続けに手紙を送っている。ふたりの子どもはどうするのか。感情はかなり波打ち、言葉も要求も目まぐるしく変化する。僕たち読者は、家族の変化を妻の言葉からしか知ることはできない。夫からの返事(たとえあったとして)を読むことはかなわないのだ。ただただ一方通行の書簡文学としてこのパートは成立する。

 

続いては、2014年の夫。場所はローマの自宅で、前のパートの騒動から40年を経て、ふたりの関係がどうなっているのか、ここは感情的な妻の言葉とは違い、インテリ老年男性の努めて知的かつ冷静な文体で、妻になじられた過去の弁明を交え、現在の状況が描写される。70代になった夫婦ふたりが、ささやかなバカンスから戻ると、どういうわけか家が荒らされていて、飼い猫が忽然と姿を消している。誰の仕業なのか。目的は何なのか。その謎が読者の好奇心を喚起しながら、語り手は娘へとバトンタッチする。

 

こちらも2014年なのだが、40代半ばになった彼女のパートは、兄との会話を交えながら、たった数時間のできごとを時系列に進めていく。およそ半世紀にわたる家族の話が、最後にはわずかな時間でダイナミックに大きく弧を描くのだ。謎は明かされ、ドスンと来る結末が用意されているのだが、作家の角田光代が本書に寄せた短い文章にあるように、「読み手を絶望させない。人生というものを、嫌悪させない」絶妙なバランスの余韻をもたらす。 

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

 

先述したように、どのパートも語り手が違うので、センテンスの長さも語彙も違う。原文をチェックしたわけではないが、関口英子さんの訳はさすがにこなれているのが、すごい。読み進むにつれてわかってくるのは、この家族全員と夫が関係をもった女性がそれぞれのパートで言及されること。章によって(この本では章ではなく第一の書、第二の書と、あたかも独立した書物であるかのように扱われるのも興味深い)一人称が異なるが故に、彼ら/彼女らの生き方や価値観がどんどん立体的に浮かび上がってくるのが印象的だ。

 

タイトルの「靴ひも」は、大方の予想通り、家族の関係性の比喩として機能する。結んでは緩み、気を抜くとほどける。下手をすれば、切れることもあるだろう。ほどけたら、また結ぶのか。もうやめだと別の靴に履き替えるのか。そして、僕たちの「読むという行為」が、それぞれの「書」を結わえていく。

 

ところが、比喩でも何でもなく、靴ひもがダイレクトに大事な役割を果たす場面が不意にやって来る。一風変わった癖のある靴ひもの結び方をする息子。それを彼に教えたのは誰か。意外なところから、物語はさらに一歩深いところへと進んでいくのだ。人間関係の緒(いとぐち)がそんなところに、という作劇のうまさには舌を巻いた。

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それにしても、作者のドメニコ・スタルノーネというカナ表記は、これまで見かけなかったなと思ったら、やはりこれが初邦訳。1943年にナポリ近郊で生まれ、高校教師を経てから、新聞記者として、主に左派系の紙面に文章を寄せた後、作家に転じた。映画業界にも積極的に関わっていて、原案や脚本でクレジットされている作品は、優に20本を越える。中にはイタリア映画祭で日本でも上映されたものもある。アレッサンドロ・ダラートリ監督の『マリオの生きる道』(La febbre、2005年)がそうだ。

La Febbre by Valeria Solarino

なるほど、本書も言葉に重きを置いた文学らしい文学だと言えなくもないが、他方、空間を強く意識させる描写が多く、登場人物が発するセリフとそのトーンが肝になるという意味では、映画的、あるいは演劇的とも言えるかもしれない。いずれにしても、これだけの筆力だ。他の作品の訳が待たれる。たとえば、「教壇から」(Ex cattedra e altre storie di scuola、2006年)なんてどうだろうか。この本については、京都ドーナッツクラブの元メンバーで、翻訳家として活躍している二宮大輔がかつて僕らのフェイスブックに寄せた文章で言及されているので、最後にそのリンクを貼っておく。興味のある方は参照されたい。 

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