京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ラーヤと龍の王国』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月16日放送分
『ラーヤと龍の王国』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210315171717j:plain

舞台は、聖なる龍たちに守られ、多様な人々が平和に暮らす、クマンドラという世界。ある時、ドルーンという心を持たない闇の魔物が出現。ドルーンは触れたものを石に変える力があり、世界は混沌とします。龍たちは持てる力を結集して、最後の龍シスーに委ね、自分たちが犠牲になることでクマンドラを守ったものの、シスーはそのまま行方知れずに。それから500年。龍のいないクマンドラで人々は互いに信じる心を失い、5つの国に分裂して対立しています。ハートの国で代々龍の石を守ってきた一族の少女ラーヤは、荒廃したクマンドラをもう一度平和な世界にしようと、最後の龍シスーを甦らせる旅へと出発します。
 
ご覧になっていない方にとっては、なんのこっちゃって感じだと思いますので、珍しくひとことで言い直すと…
 
信じ合うことを忘れ、分断された世界を再びひとつにするため、少女ラーヤが龍のシスーや仲間と力を合わせて奮闘する冒険ファンタジーです。

ベイマックス (字幕版) ブラインドスポッティング(字幕版)

 監督は『ベイマックス』のドン・ホールと、実写映画『ブラインドスポッティング』の監督でまだ32歳のメキシコ出身カルロス・ロペス・エストラーダの2人。エストラーダさんは原案も務めています。脚本はベトナム系のクイ・グエンと『クレイジー・リッチ』のマレーシア系アデル・リム。僕は吹き替えで観ましたが、オリジナル・キャストもアジア系の比率が非常に高いです。

 
アナと雪の女王2』以来のディズニーの長編アニメーションである今作は、劇場公開と同時にディズニープラスのプレミア・アクセスでも配信しています。僕は先週金曜日、その配信で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

映画を観ながら、これはディズニーの新作だと自分に言い聞かせる必要があるくらい、いくつもの新しい要素がこの作品にはひしめいているので、そのあたりを中心に話していきます。
 
まずは音楽よりも冒険と戦闘をメインにしていること。ディズニーと言えば、歌だし、なんならミュージカルだっていう常識は当てはまりません。歌詞と物語を連動させ、歌いながら映画を進めていく構成は今回まったくなく、その代わりにラーヤが世界を順に巡っていく旅、冒険がワクワクの柱となっています。そして、踊りよりも、宙を舞い、肉体の鍛錬と技の修練が織りなす武闘が見どころなんですね。特に武器も使いません。ディズニーによくある魔法など特殊能力も、プリンセスにあたるラーヤにはそもそも備わっておらず、今回そういう人智を超えた能力は、旅の相棒となる龍のシスーや闇のドルーンなど魔物たちにのみ授けられている。結果として、ラーヤたちは極めて人間的なキャラクター造形になっています。それに、龍の石を代々守ってきた家系の娘ではあるものの、そして龍の王国という邦題が付いているものの、王様の娘ってわけでもなさそうなんですよね。そこはぼやかしてあって、どうやら厳密な身分制度があるってわけでもない共和制っぽいのも、おとぎの世界とはいえ、好感が持てるというか、今っぽいです。恋愛要素もありません。そもそも、それっぽいお相手も出てきません。キラキラのドレスもありません。

f:id:djmasao:20210315172137j:plain

(C)2021 Disney. All Rights Reserved. (C)2021 Disney and its related entities

だけど、ワンダー、心躍る要素はたくさんある。その最たるものは仲間でしょう。この作品はあらすじをまとめるのが一苦労ってほどに、結構設定も舞台も込み入っているし複雑なんですが、おそらく小学生以上なら難なく理解できるでしょう。それはロールプレイング・ゲームのような物語の運びに理由があります。まず前提となる龍の昔話があって、クマンドラの人々は互いに信じられなくなり、分裂してしまった。そこで地図が大写しになります。わかりやすい。500年後、ラーヤはそれぞれの国に散らばった龍の石の欠片を集めに行く。いっぺんには無理だから、順を追って探していく。そこでだんだん仲間が増えていく。事実、最初は行方知れずの龍の生き残りシスーと出会うんですが、このシスーがまたいいんですよ。ドラゴンボールのシェンロンみたいなのが出てくるのかと思いきや、ちょっとどんくさくて、愛嬌があって、純真なんですよね。そこから各地域の個性的なキャラクターとの出会いにドラマの起伏を見出していく。エリアの地形や人々の暮らしぶりもバリエーションが豊かなので観光映画的な側面があって、展開がとても明快。人間たちの造形は、そりゃキャッチーに造形してありますが、3DCGの描写力、特に難しいとされる水なんかは、これって実写ではないですよねっていうレベルで目を見張ります。これもすごい。

f:id:djmasao:20210315171910j:plain

(C)2021 Disney. All Rights Reserved. (C)2021 Disney and its related entities

テーマとしては、わかりやすく分断を乗り越えてどう融和できるか、ですね。僕があえてここで四の五の言うまでもなく、極めて現代的で現在進行形の問題です。僕はさっき冒険と戦闘って言ったけれど、ラーヤが誰かを心底憎んで、つまり敵として誰かを倒そうとすることって、実はないんですよね。これも大きなポイント。理解してもらうために、必要最小限の武力行使はやむを得ないという感じなんです。ところが、龍のシスーは、理解してもらえないって、それ思い込みじゃないって言い出すわけですよ。それによって大変な目にも遭うんだけれど、それでも信じることはやめない。ラーヤもその信じる行為を取り戻せるのか。そのプロセスと試行錯誤が一貫して描かれています。きれいごとに聞こえるだろうし、現実の世の中がもっと複雑なのは当然ですが、人を信じるまでの葛藤はきっちり映画に刻印されていて見ごたえがあります。

f:id:djmasao:20210315172051j:plain

(C)2021 Disney. All Rights Reserved. (C)2021 Disney and its related entities

と同時に、実は僕が今回一番感心したのは、実は何かに秀でた存在だけに世の中を変える力があるわけではないということ。それは終盤に明らかになることなんだけど、凡庸とされかねない人や生き物にだって大切な役割があることを諭してくれる物語運びは、実に爽やかで真っ当だと思いました。

 
ドルーンの設定など、脚本でいくつかご都合主義的な面も見受けられたものの、21世紀的な価値観のディズニーの新たなモデルケースとして申し分のない1本の誕生です。
 
本編に歌はないものの、主題歌は当然あって、物語を端的に要約する内容でした。歌っているジェネイ・アイコは、今回のグラミー賞で3部門にノミネートしていた新鋭。日本の血も入っているということで、やはりアジアを意識しているし、こうした才ある若手をきっちりフックアップする人選はさすがです。

このダンゴムシトゥクトゥクちゃん。まさかクルクル転がってあちこち連れてってくれるなんて。またかわいいキャラが出てきたよ。僕も乗りたいぞ!

さ〜て、次回、2021年3月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ビバリウム』です。仲睦まじいカップルが不動産屋から紹介された夢のマイホーム。ところが、その住宅街から出られなくなる… ちょっと、怖いんですけど。スティーヴン・キングも驚いたスリラーって… ひえぇぇぇ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!