京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『川っぺりムコリッタ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月4日放送分
映画『川っぺりムコリッタ』短評のDJ'sカット版です。

富山県の川沿いにある小さな町の塩辛工場。そこで働き口を見つけた無口な青年山田は、社長から紹介された安アパート「ハイツムコリッタ」で一人暮らしを始めます。ひっそりとした新生活になるかと思いきや、隣人の島田が初対面でいきなり「風呂を貸してほしい」と訪ねてきたことで、一変。夫を亡くした大家の南や、息子とふたりで墓石の訪問販売を続ける溝口、そして島田の幼馴染の寺の住職など、ムコリッタ界隈の人たちとの交流の中で、ふさぎ込んでいた山田の心が少しずつほぐれていきます。
 
かもめ食堂』などで知られる荻上直子が2019年に発表した同名小説を原作に、彼女が脚本を書いて自分で監督しました。山田青年と隣人の島田を演じるのは、松山ケンイチムロツヨシ。大家の南には満島ひかり、墓石販売の溝口には吉岡秀隆が扮するほか、江口のりこ薬師丸ひろ子柄本佑などが出演しています。
 
僕は先週金曜日にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


映画でも冒頭で説明が入るので、まずムコリッタのことを話しておきましょう。僕は寡聞(ぶん)にして知りませんでしたが、これは仏教用語が由来とのことで、1日という時間を30分の1にした、48分という時間を指しています。しばらくの間、みたいな意味を持つわけです。まず、この単位が面白いなと思いました。僕がよく10時すぎに「番組はまだ小1時間生放送です」って口癖で言ってますが、それぐらいの単位ですよね。何かをするには短いささやかな時間だけれど、同じく仏教用語である刹那と比べるとうんと長く、考えてみたら、ムコリッタの間に昼は夜にもなりうる。映画を見るには短いが、食事をしたり、風呂に入ったり、ちょっとした庭仕事ならできる時間。ささやかだけれど、生きている実感が得られうる時間とも言えるかもしれません。

 
実際に劇場でもあちこちから結構笑いがもれていたように、コミカルなところもあるし、ファンタジックでシュールなところもある。おいしそう。これは悲しい… などなど、ほんわかしたタッチの中に喜怒哀楽をうまく散らしてあるんですが、鑑賞後に振り返ると、生と死、あるいはそのサイクルの話ということで、一本、筋がしっかり通っています。その意味で、あのように川のある町でロケをしているのは、タイトルにもなっている通り大事なんですね。いくつもの象徴的な意味が込められています。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
世界の大きな都市には必ずと言っていいほど川があるように、あの川も社会の象徴だと考えれば、文字通りハイツムコリッタの住人たちは、その「へり」でささやかなつましい暮らしを送る人たちです。島田さんは自称ミニマリストだけれど、傍目には無職だし、山田青年は社長のデリカシーに欠ける(とその時点では思ってしまう)あけすけな物言いで序盤にあっけなく明らかになる通り、元受刑者です。そして墓石を売る溝口さんにしても、傍から見れば変なおじさんであり、社会の本流からは外れているのでしょう。そんな彼らが、既存の価値観に踊らされることなく、自分の時間軸で、ささやかな幸せってものを模索していく話なんですね。僕たち誰しもがふとした拍子に考えるのは、生きていることの意味でしょう。この映画は死の影をあちこちに垂れ込ませることで、僕たちに問うてきます。思い出してください。大家の南さんは入居する山田さんにアパートの中を案内した時に「築50年の古いところですが、大丈夫。この部屋で死んだ人はいませんから」みたいなことをさりげなく言うんだけど、その後、山田がその部屋である意味死者と同居することになるわけで、見事なフリになっていました。実際、何人かの死が強烈な存在感をもって登場しますね。大家の南さんのパートナーや、ある人の家族、そしてご近所さん。彼らの死がそばに浮かび上がるにつれて、登場人物たちの生きている実感もより顕(あらわ)になってくる構成と演出に、荻上監督の手腕が光っていました。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
あつあつの風呂。風呂上がりの牛乳。炊きたてのご飯。自分で作った野菜の漬物。たまの贅沢の牛肉。誰かと囲む食卓。せっせと手足を動かすことで何かを作ること、生み出すこと。かつて生きていた誰かを思い出すこと。そうしたムコリッタな時間が有意義に感じられるようになる。
 
となると、あの川は現世とあの世、生と死を隔てる流れにも見えてきます。かつて日本の農村で頻繁に見られた弔いの儀式「野辺送り」のような場面があの川沿いを舞台にしていたことも大事です。遺骨も出てきましたが、人間という種の長い歴史という川の中で、その生と死のサイクルの中で見れば、僕たちの人生もムコリッタな時間なのだろうと感じます。そこに、誰かに決められたわけじゃない、自分なりのお手製の幸せを見つけてみるのも一興だろうと最後にじんわり思わせてくれる良作だったと僕は思います。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
ピアニカやリコーダーなんかを中心にした楽しい音作りをするパスカルズが担当していた音楽も劇中のあちこちで、かわいらいくて、どこかシュールで、どっか怖い不思議な効果をもたらしていました。
 
この声でお気づきだと思いますが、元たまの知久寿焼(ちくとしあき)さんです。知久さんは出演もしていて、溝口さんちの息子とセッションもしていましたよね。彼が率いるバンド、パスカルズは、最近短評した『さかなのこ』でも劇伴を作っていました。主題歌の歌詞ありバージョンで、むこりった、お送りしました。

さ〜て、次回2022年10月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『四畳半タイムマシンブルース』です。僕は森見登美彦の小説は全部読んでいて、森見作品と相性抜群でこれまで何度も映像化にあたって脚色をしてきたヨーロッパ企画上田誠氏も大好き。さらに、舞台は僕の左京区とくれば、観ない手はありません。なんなら、既にマスコミ試写で鑑賞済みですが、この機会にもう一度観る所存です。森見作品『四畳半神話大系』とヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース』の悪魔的融合と銘打たれています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!