京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

開催宣言! エドアルド・レオ特集上映 〜イタリア娯楽映画の進行形〜

どうも、僕です。野村雅夫です。

この秋、結成15周年の京都ドーナッツクラブは、「エドアルド・レオ特集上映 〜イタリア娯楽映画の進行形〜」という映画イベントを開催します。

10月16日(金)〜25日(日)アップリンク吉祥寺

10月23日(金)〜29日(木)アップリンク京都

10月30日(金)〜11月7日(土)アップリンククラウド

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そもそも京都ドーナッツクラブは、まだ日本で知られていないイタリアの作品、つまり本邦初公開のものを紹介したいという考えが、結成当初からありました。スピードこそかなりのスローペースではあるものの、イタリア好きの翻訳者集団である僕たちは、演劇も、小説も、映画も、そうしてひとつひとつ手がけて発表してきました。

 

映画については、イタリア映画祭というイベントが春にあります。イタリア文化会館朝日新聞が共催しているもので、毎年10本強の新作がかかるので、東京と大阪でこのイベントに参加すれば、概ね現在の向こうのシーンがわかるという仕組みができあがっています。ただ、様々な理由でこの映画祭で抜け落ちる良作があることも事実。僕たちとしては、そうしたものを拾い上げては字幕をつけ、「映画で旅するイタリア」というイベントにして東京と関西で上映しながら、日本におけるシーンの把握状況を勝手に補完してきたつもりです。なかなかの労力なので、毎年はできずにいましたが…

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そして、2020年。コロナ禍。イタリア映画祭は、2001年のスタート以来、初めての中止。少なくとも、春の時点ではやむを得ない決断だったと思います。ただ、映画の灯を絶やしたくはない。イタリア映画のまばゆい光が闇に飲まれてしまうのを、指をくわえて見過ごすのは辛い。折しも、京都ドーナッツクラブは結成15周年。よし、やろう! 重い腰を上げて、春から策を練ってきました。その結果、今年オープンしたアップリンク京都と吉祥寺、そして初めてオンラインでも開催することに。自治体への補助金の申請もしつつ、趣旨に賛同いただいた企業の皆さんのお力もお借りして、なんとかかんとかここまできました。

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この秋、お楽しみいただくのは、僕も仲間たちも前から注目していた映画人、エドアルド・レオ。僕たちの企画としては、初めて、人に焦点を合わせます。俳優としても、監督としても、彼はメキメキと頭角を現し、今やシーンの最重要人物のひとり、レオ。アーティスティックというより、娯楽映画を愛する男という印象で、僕は好感を持ってきました。本邦初公開が3本と、過去にイタリア映画祭でかかったけれど一般公開はされなかったものが1本で、合計4本。レオの魅力の片鱗くらいは掴んでいただけると思います。

 

このブログでは、作品のガイドや字幕制作の裏側など、ホームページ(近日公開)でお伝えしきれない内容を各メンバーが綴っていきますよ。イベントが始まるまで、ワクワクを高めるのに一役買うことができれば、これ幸い。

 

というわけで、改めて、開催宣言です。

エドアルド・レオ特集上映 〜イタリア娯楽映画の進行形〜」やりま〜〜〜す!

どうぞ、ご期待ください。

 

文:野村雅夫

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました!

今回は、イタリア語およびヨーロッパ言語の観光ガイド・アシスタントになるためのグイダプリマベーラ養成講座をご紹介。

インバウンド業務のプロフェッショナル株式会社JAPANISSIMOが母体となって立ち上げた一般社団法人日本ツーリストガイド・アシスタント協会。協会ではガイド・アシスタントを養成するグイダプリマベーラ養成講座をイタリア語、スペイン語、フランス語で定期開催。その他、野外講座、翻訳講座、文化セミナーなど、入会していただくと語学を使ったお仕事につながる様々な特典が用意されています。

下記バナーから公式ホームページへアクセス!

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映画『糸』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月1日放送分
映画『糸』短評のDJ'sカット版です。

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平成元年生まれの、高橋漣と園田葵。北海道の美瑛で生まれ育ったふたりは、13歳の夏の花火大会で出会って恋に落ちます。ところが、葵はある日、忽然と姿を消します。遠く札幌まで出向き、必死に葵を探し出した漣は、彼女が義理の父親からの虐待に苦しんでいたことを知り、ふたりで駆け落ちをしようと持ちかけますが、中学生にそんな大それたことができるわけもなく、ふたりはあえなく警察に保護され、引き離されます。8年後、地元のチーズ工房で働いていた漣は、親友の結婚式で上京。そこで葵と再会。ただ、既に別々の人生を歩み出していたふたりは、互いに踏み込めないまま。漣と葵を中心に、ふたりが関わる大勢の登場人物が織りなす布が、平成という時代を舞台に広がります。
 
モチーフとなったのは、ご存知、中島みゆきの数ある代表曲のひとつ『糸』。『8年越しの花嫁 奇跡の実話』の製作総指揮を務めた平野隆が、5年前から映画化の企画を温め、何度も一緒に仕事をしてきた『藁の楯』『空飛ぶタイヤ』などの林民夫が脚本を担当。監督は、予算規模大小様々な作品で結果を残している名匠、瀬々敬久(たかひさ)。音楽は亀田誠治
主人公漣と葵は、菅田将暉小松菜奈が演じた他、成田凌高杉真宙山本美月、馬場ふみか、倍賞美津子二階堂ふみ松重豊斎藤工榮倉奈々などなど、豪華な面々が揃い踏みの超話題作です。
 
僕は先週火曜日の昼過ぎ、MOVIX京都で鑑賞してきました。コロナ対策のもとオープンしているスクリーンに入るだけ入ったんじゃないかというくらいの大盛況。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

98年にリリースされ、平成を代表する歌のひとつとして愛され続ける『糸』。みゆきさんが、知人の結婚を祝って作られたもの。実際に結婚式で流した方もいるでしょうし、そういうウェディングに参列したというケースもあるでしょう。「縁は異なもの味なもの」で、結ばれるふたりの幸せを願うという内容。多くのポップソングがそうであるように、とても抽象化された歌詞なので、聞く人が自分や誰かの人生をそこに重ねられる。つまり、リスナーごとの『糸』があると考えると、歌の映画化って、なかなか難しいわけです。

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(c)2020映画「糸」製作委員会

そこへいくと、この物語の優れているのは、もちろん、主役の男女2人が結ばれるというメロドラマとしての柱はありつつも、平成30年間にふたりが巡り合う、鑑賞後もその顔をありありと思い出せる15人ほどの登場人物それぞれの糸もうまく織り込んでいることです。劇映画にする以上、歌のような抽象化はできないわけで、むしろとことんあらゆる要素を具体的に描いていかないといけない。そこでふたりばかりを熱心に描いていると、おそらくは時代を描くこともできなかったろうし、歌が好きな人ほど冷めてしまっただろうと思うんです。その危険を回避するどころか、むしろ映画ならこうすべきという、音楽とのメディアの違いを活かした運びになっていました。

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(c)2020映画「糸」製作委員会
映画の『糸』は、歌の『糸』同様、良い意味で大衆的な作品になるよう要請されたはずです。豪華なキャストを揃え、大規模なロケをあちこちでして、つまりはかなりの予算を投じて製作された。のであれば、きっちりその分、幅広い世代の数多くの観客を動員しないと利益を生みませんから。でも、そうやって最大公約数を狙った映画の多くが、悪くないんだけどそこまで心動かなかったり、下手すりゃ映画ファンから酷評されることも多いのはご存知の通りです。これはメロドラマですからね、正直なところ、僕は観る前は心配していました。ベタベタの演出が相次いだらどうしようって。その点、瀬々監督はうまい。ベタはやります。お約束もやります。なんだかな〜っていうショットも、そりゃ、ありました。でも、どのシーンも余韻がサラリとしている。それは、ショットの切り替えが早めなところに理由のひとつがあるように思います。どうだ、この絵は。ここ感動するだろう。泣けるだろうってのをダラダラ見せない。なんなら、もうちょい長く観たいところですら、サッと次へいっちゃう。それが故に、描写していない時間・場面のキャラクターたちが、どうしているかっていう、こちらの想像の余地なんですよ。さらに、特に日本の大作映画の良くない習慣と言われがちな回想シーンにも工夫がありました。回想はちょいちょい入るんです。ただ、それはやみくもに同じものをもう一度流すんではなく、必ず、一度目と別アングルとか、同じ場面でも画面内の人物を変えてあるんです。だから、回想に新たな情報があって、だれない。むしろ、深みが増している。

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(c)2020映画「糸」製作委員会

そんな作り手たちの矜持に、キャストはそれぞれベスト級の演技で応えました。ひとりひとり話す時間はありませんが、菅田将暉はやはりすごい。20代前半の、思った人生と違うものを生きている感じ。俺なんかどうせっていう雰囲気をまとっている野良犬感が好きです。あとは小松菜奈の食べる演技。何度も出てきますが、その違いの見せ方。さらには、成田凌です。僕はもう既に観ている、11日公開の『窮鼠はチーズの夢を見る』と見比べると、彼がいかに天才的かよくわかります。
 
とまぁ、語るトピック山ほどあれど、糸と糸が結ばれて布になるのを描くだけでなく、レンズと画面サイズをどんどん変えながら、もっと俯瞰で、大きく複雑な文様のタペストリーに編み上げた、映画『糸』。今年の大作映画としては、今のところトップの見応えでしょう。
実は石崎ひゅーいも意外なところで出演していて不意打ちをくらいました。キャスティングが絶妙だったなぁ。

さ〜て、次回、なんですが、来週は僕が休暇を取りますので、一週空けて、2020年9月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ソワレ』です。ソワレという字面を目にすると自動的に京都の純喫茶が浮かんでしまう僕ですが、舞台は和歌山なんですね。そして、新世界合同会社の第一回プロデュース作! これは豊原功補小泉今日子、外山文治監督が設立した映画制作会社です。日本のインディー映画に新たな夜明けが来るのか? 俄然、興味が湧いてきました。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『シチリアーノ 裏切りの美学』待望のベロッキオ最新作公開!

60年代から活躍するイタリア映画界の巨匠マルコ・ベロッキオの新作『シチリアーノ 裏切りの美学』が日本で観られる! 僕はすぐさま宣伝の担当者に掛け合って、ポスターを取り寄せ、事務所のチルコロ京都に掲示した。この密な構成。意味深な花びらの配置。ゾクゾクするではないか。原題はシンプルに「裏切り者」(Il traditore)。悪名高きシチリア・マフィアの組織コーザ・ノストラに忠誠を誓ったはずの男が、なぜ裏切ったのか。いや、国や地域のことを思えば、彼は英雄ではないのか。前半はダイナミックな編集で逮捕に至るまでの道程が描かれ、後半はジリジリとした法廷劇へと様変わりする。

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マフィア映画はロマンティシズムで様式化されたものや、克明かつドライに血なまぐさい逃走劇に仕立てるものが多かったように思うが、少なくともイタリアでは、今世紀に入ってから、『マフィアは夏にしか殺らない』『俺たちとジュリア』『シシリアン・ゴースト・ストーリー』『愛と銃弾』など、日本で上映されたものだけでも描き方が多様化していることがわかる。コメディー、ファンタジー、ミュージカルといったジャンルと掛け合わせることが多くなっている。大きな物語≒歴史の中の個人にこれまで何度も焦点を合わせてきたベロッキオ監督は、映画内の時間を場面ごとに伸び縮みさせながら、実在したブシェッタという男の虚無をあぶり出していく。その点で、マフィア映画に新たな語り口の可能性が加わったのかもしれない。8月28日(金)の全国公開を記念して、今回は女性のメンバーふたりが作品を鑑賞して感想を寄せた。 (野村雅夫)

1980年代初頭、シチリアではマフィアの全面戦争が激化していた。パレルモ派の大物トンマーゾ・ブシェッタは抗争の仲裁に失敗しブラジルに逃れるが、残された家族や仲間達はコルレオーネ派の報復によって次々と抹殺されていった。ブラジルで逮捕されイタリアに引き渡されたブシェッタは、マフィア撲滅に執念を燃やすファルコーネ判事から捜査への協力を求められる。麻薬と殺人に明け暮れ堕落したコーザ・ノストラに失望していたブシェッタは、固い信頼関係で結ばれたファルコーネに組織の情報を提供することを決意するが、それはコーザ・ノストラの ”血の掟” に背く行為だった……  (公式サイトより) 

「知っているイタリアの映画といえば『ゴッドファーザー』かな」という話を耳にすることがあります。同作は50年近くも昔の1972年にアメリカで制作された映画ですが、それくらいマフィアの映画といえばイタリアというイメージが強いようです。実際にイタリアの映画には大なり小なりマフィアを取り上げるものは多く、近年では市民目線でのマフィアを描いた2013年の『マフィアは夏にしか殺らない』や、私たち京都ドーナッツクラブが字幕制作を担当したノワール・ミュージカルの2017年『愛と銃弾』などでもマフィアの存在が描かれています。ただし、マフィアと一言でいっても、その組織はひとつではなく複数の個別の組織が存在します。前者で取り上げられたのはシチリアコーザ・ノストラ、後者ではナポリのカモッラであり、イタリアでは区別して認識されており、カラブリアンドランゲタ、プーリアのサクラ・コローナ・ウニータと合わせてイタリアの四大犯罪組織と言われています。今回紹介する映画は、シチリアコーザ・ノストラの一員だったトンマーゾ・ブシェッタを取り上げた作品です。

愛と銃弾 マフィアは夏にしか殺らない(字幕版)

ブシェッタはコーザ・ノストラを裏切って検察側に寝返った代表的人物として有名な存在。映画の前半は銃撃戦に逮捕・拷問といったザ・マフィア映画なシーンが繰り広げられ、後半はブシェッタが法廷でかつての仲間たちと争うシーンを中心に描かれています。画面に現れる死者のカウンターや拷問されて血まみれのブシェッタといった強烈なシーンが続く一方、印象に残ったのは彼の使う「裏切り」という言葉でした。ブシェッタは組織にとって裏切り者であり、この映画の原題も『Il Traditore(裏切り者)』です。彼が自供を経て故郷のパレルモに戻った夜も一番に目に入るのは大きな「TRADITORE」の文字の落書き。法廷で投げかけられる「裏切り者!」という罵声。実の姉も夫を組織に殺されブシェッタの名すら名乗りたくないと嘆く。誰にとってもブシェッタは裏切り者なのです。

 

しかし映画が進むにつれ、原題である「裏切り者」はブシェッタ一人ではないように思えてきました。法廷での主人公は、自身をコーザ・ノストラに忠誠を誓った「名誉ある男」のままであり決して改悛などしていないと主張し、本当の意味で「コーザ・ノストラ」を裏切ったのは自らが告発したかつての仲間たちだと訴えます。彼にとっては、目先の金に目をくらませ女子供まで無差別に殺め組織を堕落させていった人物こそが「裏切り者」でした。名誉ある社会であったはずのコーザ・ノストラは裏切り者たちに殺されたも同然であり、真実を口にしたのは組織が自身が誓いをたてたものとは別のものに成り下がってしまったからでした。「何を」裏切ったかという視点を変えてみると、裏切り者はあちらにもこちらにも存在します。そして終盤に法廷の場に現れるのは超大物の政治家。首相や大臣職を何度も務めたイタリア政界のドンである彼は、コーザ・ノストラと深い関係があったと言われており、複数の事件の黒幕として実際に起訴されています。彼もまた裏切り者であったとしたら、いったい何を裏切ったのでしょうか。

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©IBC MOVIE/KAVAC FILM/GULLANE ENTRETENIMIENTO/MATCH FACTORY PRODUCTIONS/ADVITAM

ところで、私のイタリア映画を観る楽しみのひとつは登場人物の身振り手振りの観察です。イタリア人の豊かな感情表現とジェスチャーとは切っても切り離せない関係。興奮する弁護士、動物園のような場を取り仕切る裁判官、監房の柵に隔たれた被告たち。裁判の行方も気になりますが、それぞれが言葉では足りないと言わんばかりに上下左右させる手にも目が奪われます。スパダーロ被告と弁護士の手だけの会話には思わずにやりとしてしまいました。「イタリア人を黙らせるには手を縛ってしまえばいい」という言葉を耳にしたことがあるのですが、各所に散りばめられる「口ほどにものを言う」登場人物たちの手の動きに注目しながら鑑賞するもの一興です。 

(文:チョコチップゆうこ)

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©IBC MOVIE/KAVAC FILM/GULLANE ENTRETENIMIENTO/MATCH FACTORY PRODUCTIONS/ADVITAM

見応えのある2時間半だった。イタリア文化やイタリア語を知っていく過程で、「マフィア」は必ずと言っていいほど出会う話題ではないだろうか。ハリウッド映画の「ゴッド・ファーザー」でシチリア=マフィアがいる場所というイメージをお持ちになった方もいるだろう。現在もマフィアとイタリア社会との関わりは深く、イタリア映画界では定番の題材となっている。

 

本作は、シチリアのマフィア組織「コーザ・ノストラ」で1980年代に激しくなった内紛から1994年の「ファルコーネ判事暗殺事件」、マフィアの大量検挙に至るまでの史実を、告発者トンマーゾ・ブシェッタの視点から描いたものだ。エンドロールで断り書きがあるように、演出上の誇張や創作が入っているとはいえ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ演じるトンマーゾの「人間味」にすっかり魅了されてしまった。善人であるかについてはさておき、格好よかった。原題はIL TRADITORE(裏切者)であるが、トンマーゾは「自分は裏切者ではない」と断言する。邦題のとおり、シチリアーノ(シチリア人)としての美学を貫き、組織に本来の秩序を取り戻そうとした。彼の立ち居振る舞いにぜひ注目してほしい。

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©IBC MOVIE/KAVAC FILM/GULLANE ENTRETENIMIENTO/MATCH FACTORY PRODUCTIONS/ADVITAM

場面は、キリスト教の行事を祝う華やかなパーティーから始まる。男たちの間にある独特の緊張感と交わされる視線は、何かが起こりそうだと観客に予見させる。その後、殺人による権力争いから主人公が逃れ潜伏先のブラジルからイタリアに送還されるまでが、アクセルを吹かすように一気に展開、主人公がローマの警察署でファルコーネ判事と出会うころから徐々に作品のテンポ、そしてトンマーゾ自身が落ちついてきて、観客側もじっくりと状況を見守る態勢になっていく。

 

観終わってすぐに、もう一度観たくなった。私がこの有名な事件の数々を詳しく知らなかったことも大きいと思うが、多彩な登場人物それぞれの立場を知ったうえで「あの時あの人はどんな動きをしていたのか」と解明しながら観る2回目以降は、きっともっと楽しめるだろう。当時の警察のマフィアに対する処遇、裁判の様子などもとても興味深く、音楽の効果も見事なので物語の世界をたっぷりと堪能できると思う。自分とは全く次元の違う話に感じていたが、事件や裁判の日付が画面に出るたびに、自分は当時日本で子ども時代を過ごしていたのだと気づいて、同じ時間を生きていたことになんとも不思議な気持ちになった。

(文:あかりきなこ)

『ハニー・ボーイ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月25日放送分
映画『ハニー・ボーイ』短評のDJ'sカット版です。

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子役として映画業界で働く12歳のオーティス。両親は別居していて、ステージパパであるジェームズと一緒に狭いモーテルで暮らしていました。ただ、前科者で無職のジェームズは、感情のコントロールがうまくできず、オーティスは振り回されることもしばしば。たまに電話をする母親、親身になってくれる保護観察員、安らぎをくれる隣人の少女、そして共演する俳優たちと交流するうちに、成長していくオーティスでしたが、10年後、ハリウッドのトップスターとなった彼は、アルコール中毒で騒動を起こし、更生施設に入ってしまいます。

トランスフォーマー(吹替版) ワンダー 君は太陽(字幕版)

監督と製作を兼任したのは、イスラエルアメリカ人女性のアルマ・ハレル。若手映画監督として、注目を集めている人物です。彼女に脚本を託したのが、父ジェームズ役のシャイア・ラブーフ。『トランスフォーマー』で主役に抜擢された、あの彼、シャイアの自伝的物語だと言われています。子ども時代のオーティスを、天才子役と言われるノア・ジュプ(『ワンダー 君は太陽』)が演じ、青年オーティスには、先日短評した『WAVES/ウェイブス』でも好演していたルーカス・ヘッジズが扮しました。他に、オーティスを癒やす隣人女性として、シンガーソングライターのFKA Twigsが出演していることも見逃せません。
 
僕は先週木曜日の夜、烏丸御池にあるアップリンク京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

映画を観始めて、タイトルが出るまで、僕、劇場で入るスクリーンを間違えたんじゃないかと思いましたね。ノア・ジュプが画面に登場するかと思いきや、ルーカス・ヘッジズがほとんどカメラ目線で登場して、いきなり奥に爆発でふっ飛ばされるんですもん。後ろには、前半分が吹き飛んでいる旅客機。映画の撮影現場だってことは、カチンコが見せられるんでわかるんだけど、驚きの始まりです。ていうか、ノア・ジュプはどこいったって聞きたくなるくらいに、しばらくヘッジズなんですよ。短い編集で、彼がハリウッドで忙しくしてる俳優だってこと、プレッシャーと忙しさに押しつぶされてアルコール依存症になっていることが示されて、逮捕。更生施設へ。PTSD、過去のトラウマがストレスになっているのではないかと疑われた彼は、自分の父親との関係を精神科医に語り始めるわけです。すると、ノア・ジュプ登場。冒頭と同じ構図で、カメラ目線で、今度は飛んできたパイが顔面に直撃するという。同じくカチンコが見せられて、やはり撮影現場だと。ここで、2005年から一気に10年前の1995年へ。オーティスは、22歳から12歳へ。そして、この作品の枠組が分かってきます。

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(C)2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved. 
僕はもっとシンプルな話だと思っていたんですよ。困ったお父さんと息子の、なかなか大変だけど、それなりに心温まる交流みたいな。どっこい、もっと複雑でした。主役は、12歳のオーティス、ノア・ジュプとも言えるし、その当時を振り返る22歳のオーティス、ルーカス・ヘッジズとも言えるけれど、どちらかと言えば、その困ったお父さんを演じた、シャイア・ラブーフなんですよ。だって、シャイアは実際にアルコール中毒になって、更生施設で父親との関係を語って文字にしてアウトプットしてトラウマを乗り越えてきた張本人ですからね。つまり、シャイアこそオーティスなんですよ、本当はね。彼は今リアルに30代半ばです。10代、20代、30代のあり様を僕らは観ることになるわけです。現実と映画が交差するとかいったレベルではなく、もう渾然一体となっている感じですよ。このメタ具合がまずもってすごすぎます。

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(C)2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved. 
ヘッジズ演じる20代のオーティスが、過去を思い出したり、その過去が夢の中に出てきたり。って、話していてもややこしいんですが、観ていると不思議とスッと理解できます。それというのも、まず舞台がほとんど固定されているんですね。更生施設と、親子が住んでいたモーテル、この現在と過去の行き来がベースです。ここをわかりやすく単純化していることで、いろいろ変化をつけられるし、大胆な演出にも踏み込めるってことだと思います。ハレル監督は、これまた女性の撮影監督と一緒に、色使いで心理描写を補強しています。暖色と寒色の使い分け、自然光と照明の使い分けがショットごとにうまくなされていました。

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(C)2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved. 
話してきたように、変わった成り立ちの映画なので、トラウマを乗り越える話とか、親子の軋轢と許しの話とか、あまり単純化して捉えないほうが、僕はこの作品を愛せると思います。FKA Twigs演じる近所の女の子との交流なんかは、初恋って一言にまとめられるわけはなく、家族以外の心の居場所を持つことが精神的にいかに健全かってことを示すエピソードだとも言えるでしょう。一応の結末はありますが、スカッとした話ではないです。ポイントは、20代のオーティスが、父親と一緒に画面に映るところでしょうね。夢かうつつかという美しい場面でした。映画そのものが、過去の記憶を物語にまとめるところからスタートしていて、何でも良いんだけど、表現をするということがいかにその人を救うのか、その人たらしめるのかを示してくれる作品だったと思います。95分と短い映画だけれど、必ずやまた思い出すし、観たくなる1本でした。
この曲が鳴ると、訳詞も字幕に表示されます。「君と競争したり、君を打ち負かしたり、騙したり、ひどく扱ったり、分類したり、単純化したり、否定したいんじゃない。僕は君と友達になりたいだけなんだ」。そんなような内容の歌を最後に聴くにつけ、このIとYOUは、父と子なのだろうか、どっちがどっちなんだろうって、映画館からの帰り道に歩きながら考えることになりました。アルマ・ハレル監督、ほんと今後が楽しみです。


さ〜て、次回、2020年9月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『糸』です。おりしも、中島みゆきさんは明日からフェスティバルホールでのコンサート劇場版の上映イベントがありますね。8月31日(月)まで。合わせて観るのも良さそう。あの名曲がどう膨らむのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ジョーンの秘密』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月18日放送分
映画『ジョーンの秘密』短評のDJ'sカット版です。

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2000年、イギリスのMI5から突如拘束されたのは、郊外の住宅地で穏やかなひとり暮らしを送っていた80代の女性、ジョーン・スタンリー。容疑は、かつてイギリスの核開発情報をソ連に渡していたというスパイ容疑。彼女は無罪を主張するものの、少し前に亡くなった元外務事務次官ミッチェル卿の遺した資料を分析したMI5側は、かなりの自信をもって尋問を進めていきます。
 
原作は、ソ連KGBの元スパイとして実際に逮捕されたメリタ・ノーウッドをモデルとしたフィクション『Red Joan』です。邦訳は出ていません。向こうでベストセラーになったこの小説を、舞台を中心に活躍してきた演出家トレヴァー・ナンが監督となって映像化しました。逮捕された80代のジョーンを演じたのは、監督を信頼してやまないジュディ・デンチ。若き日のジョーンは、『キングスマン:ゴールデン・サークル』に出ていたソフィー・クックソンが好演しています。

キングスマン: ゴールデン・サークル (字幕版)

僕は先週木曜日の午後、大阪ステーションシティシネマで鑑賞してまいりましたよ。上映館数がかなり少なめということとお盆休みという要因が重なったんだとは思いますが、現状の上映スタイルではいっぱいいっぱいというくらいに、お客さんは入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

冒頭、家族と慎ましやかに暮らしてきたのだろうジョーンの様子が手際よく示されます。広くはない庭で木々の手入れ。趣味なんでしょうね。同じく小ぶりで掃除の行き届いた家。キャビネットの息子の写真。と、そこへ、不意に何者かの来訪。そこで、凹凸の模様のある窓ガラス越しに映し出される、ジョーンの顔のショット。不穏な表情が、ガラスのせいで輪郭がズレてバラバラになっているんです。これはつまり、おっとりしていそうなこのおばあさんの見かけに騙されてはいけないし、彼女がひた隠しにしてきた秘密がこれから瓦解する可能性を示唆しているわけです。そして、逮捕までほんの数分。それなりにややこしい複雑なできごとを追ったドラマの割に、全体の尺は101分と短めで、その分、描写に無駄がないことを象徴する出だしです。

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(C)TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

トレヴァー・ナン監督。僕は不勉強にもこれが初見でしたが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、ナショナル・シアターで活躍し、重厚な歴史ものからオペラやミュージカルといった歌ものまで、舞台の演出をメインにしてきた方です。あのジュディ・デンチが信頼するのもうなずける、手堅い語り口と演技指導だったんじゃないでしょうか。MI5による取り調べと、第二次大戦前後に彼女がどうソ連寄りの物理学者に成長していって、事に及んだのか、それが行ったり来たり。アクションとリアクションという調子で、シンプルに構成されています。過去と現在。動と静。特にジュディ・デンチが演じるパートにはほとんど動きがないんですけど、監督の本業である演劇的な見せ方でもなくって、クロースアップの切り取り、短めのカット割り、そして取調室、病室など、場所もこまめに変えながら、ジョーンの些細な表情の変化が伝わることにこだわった映画っぽい物語運びを実はしています。
 
ナン監督はインタビューで、これは「巨大なテーマを扱った小さな映画」だと言っています。なるほど、確かに、若きジョーンが実行に移したことひとつひとつは小さなことなんですが、それがやがて国家同士の力関係を左右するような大きな出来事に結びつくわけです。当時の国際情勢はちとややこしいですが、ざっくりと、ナチスの台頭と、敵の敵は味方だとばかりに一時手を結んでいた、市民も理解を示していた資本主義国と共産主義国というぐらいの理解で、映画は十分に追えます。現代史に興味のある方は、パンフを参照すると、そのあたり細やかに確認できるのでおすすめです。で、その国家同士の力学が変化していく渦中で、ジョーンの青春も動いていくんだけど、彼女の変化を体現したソフィー・クックソンがすばらしいです。

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(C)TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

大学入学直後の垢抜けていない真面目な理系オタクが、ある夜窓から入り込んできたユダヤ系ロシア人、そしてイケてるソニアと知り合うことで、やがて彼女の周辺人物とつるむことで、どんどん人生を謳歌していく、女性としても開花していく、そして恋愛と思想の間に張られたタイトロープ、その危ない橋を渡る様子が、きっちり描けています。全体として小道具の使い方がうまいんですよ。たとえばミンクのコート。自分では野暮だと思った親戚からの貰い物を、ソニアが「これはクールだ」と褒めると、見方が変化するといったように、ひとつのアイテムを物語内で効果的に何度か配置しながら、ストーリーに映画的な奥行きを与えていました。

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(C)TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

最終的に彼女が守り続けた核兵器に対する信念というか信条のようなものに、僕はさして共感はしませんが、言いたいことは理屈としてはわかる。物理学者としての葛藤があったことも、描けていました。大きな歴史のうねりの中で、流れに棹さして迎合するのではなく、人生を賭して独自に極秘に抵抗して平和を求めた孤独な胸の内を想うと、じわじわ感じるものがありました。確かに、巨大なテーマを扱った小さな映画になっているし、余韻はかなりのロングスパンです。大人がじっくり味わうスパイ映画という、新しいスタイルかもしれませんね。

さ〜て、次回、2020年8月25日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハニー・ボーイ』です。映画館で予告を観ていて、光の具合がとても美しいなと感じていました。ノア・ジュプくんの成長も見届けなきゃ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『透明人間』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月11日放送分
映画『透明人間』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2020 Universal Pictures
天才科学者にして大富豪のエイドリアン。彼のパートナーであるセシリアは、DVを受けたり、生活のあらゆる局面で過度に干渉されたりしていたところを、ある夜、事前に練っていた家からの脱出計画を命からがら実行します。彼女は知人の男性警官とその娘の住む家にかくまわれるのですが、トラウマはまだまだ癒えない状況。そんな中、ものが勝手に動いたりする不可解な出来事が身の回りで起こるようになります。まるで見えない何かがそこにいるかのように。
 
1933年、ジェイムズ・ホエールという監督が初めて映画にした透明人間。映画ならではのトリックで観客の興味を引っ張るキャラクターとして、すっかり定着してきました。繰り返しの銀幕登場で、飽きられていた感もありますが、久々にリブートしてみせたのは、監督・脚本を務めたリー・ワネル。現在43歳。オーストラリアの方で、『ソウ』シリーズの脚本、製作、出演をしている人です。

ソウ (字幕版) 

透明人間は基本透明なので脇へおきまして、主人公セシリアを演じたのは、エリザベス・モス。彼女をかくまう警察官には、オルディス・ホッジが扮しています。
 
僕は先週木曜日の昼過ぎ、Tジョイ京都で鑑賞してまいりましたよ。お客さんは、ホラー映画らしく、カップルや若い人を中心にかなり入ってました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マッド・サイエンティストが、透明になる薬品を使って姿を消して、騒動を起こす。これは映画には格好の題材なわけです。透明になっていくプロセスをどう見せるか。透明化してからは「見えない」ということをどう見せるか。時代によって、その折々の技術をどう駆使するかが、映画人の腕の見せどころというキャラクター、透明人間です。でも、なんか久々に見たって感じがしますよね。マーヴェルみたいなSFXオンパレードの映像に慣れた現代の観客を素朴に驚かせるのは結構難しいですよ。ただ、僕、個人的には今年「透明人間もの」を観るのは2本目でして、イタリアの『インビジブル・スクワッド』っていうのを、サブスクリプション・サービスで春に鑑賞していたんです。これは少年がある日突然透明人間になってしまうというもの。これはこれで、なかなか面白くて、前半は学園もの、後半はマーヴェル的な展開を見せるという、イタリア映画のイメージを覆すヒーローものでした。一方、今作は本格サスペンス・ホラーです。

インビ​ジブル・スクワッド(字幕版) 

まず、舞台がすばらしくて、冒頭から、海辺の切り立った崖の上にある、コンクリート打ちっぱなしの無機質な豪邸がポツンとある。まだ様子はよくわからないけれど、主人公のセシリアは夜中に目を覚まして、親しげに自分を抱きながら眠るパートナーの手をそっと払い除けて、脱走を図るんですが、個人宅ではありえない、寝室の監視カメラを筆頭に、セコムもアルソックもびっくり仰天ってレベルのセキュリティ・システムが敷いてあって、すべては見せずとも、彼女の一挙手一投足がいかに管理されていたのかが伝わってきます。この家はやばい、と。つまり、主はやばい、と。この冒頭の逃走劇で、波が岩に打ち付ける音や飼い犬の食事用の皿の金属音と共に高らかに表明されるのは、この映画、音でもしっかり怖がらせていきますんでっていうことです。

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(C)2020 Universal Pictures

そして、特徴としては、透明人間の見せ方ですね。実は、そんなに変わったことはしてません。勝手にコンロの火が強火になるとか、包丁が動き出すとか、画面上の動きは、比較的小さな出来事から始まって、それがだんだんエスカレートしていくというもの。なんですが、巧みなのは、透明人間の性質、つまり観客の目にも見えないという特性を活かした怖がらせ方です。特に序盤、フリとして、誰もいない場所にカメラをよく向けるんです。結果として、そこでは何も起こらないことも多いんです。でも、劇映画で登場人物が映っていない画面を繰り返し見せるというのは普通はやらないことなので、僕ら観客も、セシリア同様、だんだん疑心暗鬼になるんですよ。ベンジャミン・ウォルフィッシュの手掛ける、重低音ビリビリでチェロとかそういう弦楽器で巧みに怖がらせる音楽もあいまって、もう何もなくても怖くなる。

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(C)2020 Universal Pictures

ただ、この映画の本当に怖いのは、ここから。というのも、誰が透明人間って、最初からわかってます。セシリアのパートナーです。でも、あのマッド・サイエンティストがどうやって透明になるのか。というより、彼は彼女が逃亡後、自殺したという知らせが届くので、これはどうなっているんだと、話の展開もいくつかどんでん返しが待っている。のですが、そこは恐怖よりも謎じゃないですか。怖いのは、中盤以降、実はもっと心理的な要素が僕らをすくみ上がらせるサイコ・スリラーであることが明るみに出ます。人間が人間を完全に所有したり、操ろうとしたりする、底抜けに利己的な欲望。自分の言っていることが誰にも伝わらない、信じてもらえなくて孤立無援となる恐怖。大事な人に危険が及ぶ不安。そして、失うものが無くなったと感じた時の人間の復讐心… こうした要素が重層的に波状攻撃で襲いかかるので、大変です。でも、根底には、女性の自立というテーマがありまして、それに透明人間という手垢のついたとも言えるモチーフを重ねてみせたところが、リー・ワネル監督の功績でしょう。
 
後で冷静に振り返ると、あの透明人間の移動手段とか気になるところもあるにはあるんですが、兎にも角にも、観ている間は手に汗握りっぱなし。自主映画からスタートして、低予算のアイデア勝負で場数を踏んできた監督の手腕が光る一本。エリザベス・モスの怪演も含めて、腹の底から寒くなる体験を映画館でどうぞ。
劇中、珍しく楽しげな場面で流れるのが、シアトルのソウルバンド、The Dip。こういう新しい音を見つけてくるセンスもいいなと感じます。

 さ〜て、次回、2020年8月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ジョーンの秘密』です。予告でもジュディ・デンチの表情に鬼気迫るものがありますね。原爆についての機密をめぐるスパイの話とあって、興味は今からかなり湧いています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『WAVES ウェイブス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月4日放送分
映画『WAVES/ウェイブス』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

フロリダに暮らすアフリカ系4人家族の物語です。高校生の長男タイラーは、成績優秀で、レスリング部ではスター選手として活躍する文武両道、自慢の息子。厳格な父親を疎ましく思いながらも、リスペクトもしていて、かわゆいガールフレンドに癒やされる日々です。しかし、肩に重い怪我を負ったところから、彼の人生には暗雲が垂れ込めるようになります。ある悲劇を境にもろくも壊れゆく家族。その心の再生が、後半は妹のエミリーを中心に描かれます。

 
監督、脚本、共同編集を手掛けるのは、現在まだ31歳という俊英のトレイ・エドワード・シュルツ。タイラーをケルヴィン・ハリソン・Jr、妹のエミリーをテイラー・ラッセルが演じましたが、今後このふたりは要注目ですね。
あと、基礎情報として外せないのは、制作したのがA24というスタジオであることですね。『ムーンライト』『レディ・バード』『へレディタリー/継承』など、低予算ながらも質の高い作品、そして優れた才能の若手を輩出する制作会社として、新作を出すたびに注目を集めている映画制作会社です。
 
僕は先週火曜日の昼、109シネマズ大阪エキスポシティで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 

監督のトレイ・エドワード・シュルツは、作品の中に自伝的な要素を色濃く反映させる作風のようで、今回も自分の経験したことに関しては、ちょっとどうかと思うレベルで再現したり、演技指導に織り込んだと聞いています。が、物語としては、そんな突拍子もないことって起こらないんですよ。最悪な事態は到来するし、心温まるシーンの素敵さも忘れがたいんですが、クールに出来事レベルでまとめると、まぁ、ドロドロの昼ドラとか、中学生日記にもありそうなホームドラマです。家族の軋み、恋愛、スポーツ、性、怪我、病気など、その多くは誰もが程度の差こそあれ経験するようなもの。なのに、シュルツ監督の確固たるビジョンで演出すると、なるほどこれは確かに、アッと驚くし、すごく今っぽくて新鮮な作品だと感心させられるんだから、その手際は見事だと言わざるを得ません。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

技術的な特徴として、まずカメラを挙げましょう。かなりよく動きます。特に前半、いきなり車の中で360度水平に回ってみせるのが象徴的でしょう。もちろん登場人物も持っていますが、スマホで動画を撮影したり投稿したりという、あの忙しない感じがスクリーンに展開されていて、それがそのまま兄タイラーのリア充極まりない日常を描くスタイルとしてマッチしているんです。ポスターにもなっている、赤と青を基調とした鮮やかな色使い、そのコントラストもすごい。ちょい久々に会ったガールフレンドと夕焼けの海で抱き合う時の、彼女のマニキュアの蛍光っぽいあのオレンジとか、徹底してんなぁって思いました。で、一転して、後半ではカメラはおとなしくなります。動から静へ、視点も兄から妹へスイッチ。どんよりした彼女の心に、事あるごとに押し寄せる、無力感や後悔、罪悪感。飲まれそうになったり押し流されそうになる、そんな感情の浮沈から、少しずつ立ち直ろうとする様子が、丁寧で静かなカメラワークと音楽、柔らかい色使いで表現されます。で、実は画面の縦横比、アスペクト比も変化します。1.85:1のビスタ、より横に長いシネマスコープ、さらに横に伸びたり、今度はスタンダードになったりと、複数の画面サイズをシーンによって使い分けているんです。グザヴィエ・ドランもそういうことをしますけど、スマホならそんなのちょいのちょいだし、色んな画面サイズを日頃から使ってきた世代の監督ならではだなと思いますね。もちろん、そのサイズが寄せては返すキャラクターの感情をある程度示してもいます。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.
こうしたいくつもの仕掛けを語っても、まだ大事な要素が抜けてます。音楽ですね。シュルツ監督は、31もの既存曲を台本の時点で添えてあって、関係者がオンラインで参照できるようになっていた台本には、シーンごとに該当曲を鳴らせるようにしてあったという念の入れようです。だから、字幕では限度もありますが、歌詞やサウンドがかなりシチュエーションや感情とリンクさせてあるわけです。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

何代も苦労を重ねた末の、アフリカ系ファミリーの経済的に安定した暮らし。成功したからこそ、努力はすれば必ずかなうんだというマッチョな思い込みもあって、宗教的にも敬虔で、善良であるがゆえに、家族4人それぞれが「らしさ」と役割から逃げられなくなっているし、互いに無意識に押し付けあっているんですね。だから、ひとつボタンを掛け違えると、あっという間に瓦解する。あの家は、そんな砂上の楼閣です。波が来れば、砂の城はもろいです。でも、形を変えて、既成の家族像ではないものを、もう一度構築できはしないか。そんな再生の物語を、シュルツ監督は、工夫をこらして映画にまとめました。トピックも、技術も、音楽も、ひとつひとつはありものなんだけれど、監督の手にかかれば、経験したことのない映画的語り口になっています。
 
観ていてモヤッとはするし、130分を長く感じる人もいるだろうけど、それはこの映画が誰かを裁くことではなく、許しにベクトルを向けているからです。許すのには時間が必要。それを音楽などありものを梃子にして描き切りました。好き嫌いは別として、彼のセンスを映画館の良質な視聴空間で浴びるように受け止める作品でした。
たくさん流れる既存曲の中でも、59年のこの曲は大事なところで2度使われます。流れる時の違いにも否応なしに気づかされます。 

さ〜て、次回、2020年8月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当ててしまったのは、『透明人間』です。映画館で観た予告だけでも失禁寸前だった僕は、無事に最後まで目撃できるんでしょうか。こんな納涼、望んでなかった… でも、映画の神様のお告げなので、観念して行ってきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!