京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月22日放送分
映画『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20201222215256j:plain

ハリウッドの音楽業界でトップに君臨するベテラン黒人女性シンガー、グレース。いつか音楽プロデューサーとして一旗揚げたいという夢を持つマギーは、グレースの付き人として日々の雑用をこなしてはいるのですが、製作にはまったく関与できず悶々としていました。ある日、マギーの前に現れたのは、才能はあるがまだ磨きがかからずくすぶっているシンガーソングライターのデヴィッド。マギーは彼をプロデュースしたいと仕事の合間にレコーディングを始めるのですが…

WAVES/ウェイブス(字幕版)

本作は脚本家も監督も女性です。脚本は音楽業界に身をおいたこともあるフローラ・グリーソン。監督は配信作品で名を挙げてきたニーシャ・ガナトラ。さらに付け加えるなら、製作総指揮のアレクサンドラ・ローウィーも女性なんですね。マギーには『フィフティ・シェイズ』シリーズや『ソーシャル・ネットワーク』のダコタ・ジョンソン、グレースにはダイアナ・ロスの娘であるトレイシー・エリス・ロスが扮した他、デヴィッド役として『WAVES/ウェイブス』のケルヴィン・ハリソン・Jr.、そしてグレースのマネージャー役としてラッパーのアイス・キューブも出演しています。
 
僕は先週火曜日の昼過ぎに大阪ステーションシティシネマで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画のすばらしいところを、まず列挙しましょう。キャスティングが良い。ロケーションが良い。サントラが良い。脚本が良い。はい、だいたい良いんです。欠点を挙げることもできますが、それら欠点を補って余りある美点がゴロゴロしているのが、この作品の長所です。
 
まずキャスティング。グレースの役どころはとても難しいです。ハリウッドを舞台に、本当にいそうだけど実際にはいないグレースという40代のシンガーソングライターを演じられるのは、トレイシー・エリス・ロス以外にあり得ないし、彼女はグレースを見事に体現しました。大ヒット曲を複数持っていて、キャリアも十分というオーラと自信を放ちつつ、その栄光を傷つけずに新たな挑戦をするにはどうすれば良いのか、焦燥感を募らせているという繊細な弱みも表現する必要がある。練られた衣装やメーキャップの助けを借りながら、トレイシーはグレースとしてスクリーンにいます。
そして、プロデューサーを目指しているマギーを演じたダコタ・ジョンソン。豊富な音楽知識と豊かなセンスを持つマニアであり、野心を持ってグレースに近づいたのは良いけれど、このままではいけないという、これまた焦燥感を抱えながら、チャーミングでユーモアがあって、生真面目だけれど少し抜けている。ダコタ史上最高のダコタを引き出してくれた監督のガナトラさんに感謝です。マギーの前傾姿勢で夢は、きっと若い女性を勇気づけることでしょう。42歳のおじさんですら、そうでした。さらに、彼女は劇中で恋をするんですが、夢を追いながら、今は恋をしている場合じゃないと思いながら、ためらいながらも恋に落ちる様子が最高でした。
加えて、アイスキューブの強面で「こういう人いるんだろうな」っていう敏腕マネージャー感、ケルヴィン・ハリソン・Jr.の愚直で素直な青年っぷりも良かったし、極めつけはビル・プルマンが演じたマギーの父親にしてラジオDJのマックスがすばらしい。かつてはビッグなラジオ局で活躍していて、今はリゾート地の小さなローカル局で番組を持っているマックスの娘との距離感なんて絶妙。あんなDJ、憧れるなぁ。
ロケーションは、もちろんハリウッド、LAなんですが、映画はなかなか舞台の街そのもので撮影できないのが常です。使用許可とか大変ですから。ところが、この作品は幸運にも、そしてスタッフのロケハンと許可取りの成果がスクリーンいっぱいに広がっているので、観光映画的な側面と、そこで生活している感覚を疑似体験させてくれるんです。グレースの豪奢な邸宅も、市民の憩いの場であるトレッキングコースも小さなライブハウスも味わえるんですね。
 
そして、サントラ。音楽映画ですからこれが肝ですが、この映画ではまずアルバムを先に作ってるんです。しかも、統括したのは、マイケル、ホイットニー、マライア、アリアナ・グランデビヨンセ、マルーン5などなどなど… ジャンルを問わず活躍してきた名プロデューサーのロドニー・ジャーキンスコリーヌ・ベイリー・レイ、サラ・アーロンズ、レノン・ステラといった作家陣が曲を書き下ろしています。盤石の布陣ですね。
最後に脚本。業界の裏側を垣間見せながら、ふたりの立場の違う女性の来し方行く末を希望を込めて描き、起承転結の前半は少々もたつくものの、転結の鮮やかさと美しさには目頭が熱くなりました。パンフに評論家の宇野維正氏が寄せた文章に詳しくは譲りますが、グレースが抱える葛藤は真に迫っています。男社会の音楽業界で、表舞台に立つ女性で、40代で、有色人種であるグレースが未来をどう意欲的に描けるのか。実際にそういう条件で全米ナンバーワンを獲得するシンガーはほとんどいません。だから、それが茨の道であることと、だからと言ってひるまずに進むには女性の連帯が必要なことを見事に描いたと思います。
 
以上の理由から、若干甘い評価であることは百も承知で、この映画を僕は強く推したい。映画の神様に感謝感謝の1本でした。

トレイシー・エリス・ロスの堂々たる歌声とグッド・メロディーを楽しめるこの曲のみならず、サントラはどれもすばらしいです。今回の評はずっと流しっぱで書いていました。それから、あちこちで引用される曲たちも、的を射た選曲で、ただ雰囲気を醸すBGMとしてではなく、物語にしっかり組み込んでいたことに好感が持てました。


さ〜て、次回、2020年12月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『私をくいとめて』です。攻めた映画を撮り続ける大九明子監督と綿矢りさの原作と言えば、すばらしかった『勝手にふるえてろ』があるじゃないですか。今回は、のんちゃんと林遣都を巻き込んで、どうしたって抱いてしまう期待に応えてくれるのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『100日間のシンプルライフ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月15日放送分
映画『100日間のシンプルライフ』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20201216221223j:plain

IT系のベンチャー企業を経営する30代の幼馴染パウルとトニー。ふたりはまずまずの成功を収め、好きなものに囲まれながら、結構広いこじゃれたフラットに上下で住んでいます。プログラマーパウルは、自分が作った人工知能搭載アプリNANAを恋人のようにしていて、デジタル依存気味。トニーは自分の見た目を過度に気にする自分大好き人間。ふたりは、ひょんなことから、ある勝負を始めます。持ち物すべてを倉庫に預け、取り戻せるのは1日ひとつずつのみ。期間は100日。どちらが先にギブアップするのか。

365日のシンプルライフ(字幕版)

この話は、もともとドキュメンタリーがあったんですね。フィンランドでブームになりました。そちらのタイトルは、100日ではなく、『365日のシンプルライフ』。その設定をベースに、舞台をドイツ・ベルリンに移しつつ、働き盛りの独身男が財産をかけるゲームへと脚色しました。主役のパウルを演じているフロリアン・ダーヴィト・フィッツが、なんと監督・脚本も手がけています。豊かな才能ですね。そして、親友のトニーはあちらの人気俳優マティアス・シュヴァイクホファーが演じています。
 
僕は先週水曜日の昼過ぎにまたまた京都シネマで観てまいりました。会員になるべきだよってくらいに通っております。最近は課題作がミニシアター作品続きなもんでね。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
結論から先にお伝えすると、ハートフルで風刺の効いた巧みなコメディーでした。縦軸には、100日間のゲームとその勝敗の行方があって、横軸に、トニーの恋の行方、パウルの家族との関係、ふたりの会社の今後、浮上するわだかまり、価値観の変化といった要素がいいタイミングで絡んできて、ストーリーラインに起伏と刺激を与えていくという構成。もともとドキュメンタリーがあったということで、フィッツ監督も、これ、自分だったら、あの人だったらどうして乗り越えていくんだろうと、想像を働かせたんだと思うんですよね。映画を観終わると、僕たち観客も、きっと似たような感覚を覚えて帰路につき、家に溢れるものを見ながら、こんなにもたくさんのものが必要なんだろうか、むしろものがたくさんあることによって失われていることもあるだろうし、それにしたってこれはかけがえのないものなんだと愛おしさが増すアイテムを再発見したりと、自分に引き寄せて考えることになるはずです。

f:id:djmasao:20201216220500j:plain

© 2018 Pantaleon Films GmbH / Erfttal Film & Fernsehproduktion GmbH & Co. KG/ WS Filmproduktion / Warner Bros. Entertainment GmbH

まぁ、しかし、小難しくはなくて、語り口はポップそのもの。巧みだと言ったのは、そこです。冒頭、ふたりがゲームに突入するまでの日常描写が既に噴飯ものです。自意識高すぎるイケメンのトニーは、見た目の手入れと筋トレに無我夢中で、鏡の前でも笑顔の練習は欠かさない。明らかに恋も仕事もできるが、どうも胡散臭く、見かけ倒しな雰囲気も。プログラマーである相棒のパウルはと言えば、仮想世界と現実をシームレスに行き来していて、好きなスニーカーの新製品が発売されようものなら、たとえ既に何十足と持っていたとしても手に入れずにはいられない買い物依存症。このあたりの描写のテンポ良く、ネタが細かいので、すべて当てはまらずとも、誰でもひとつくらいは心当たりがあるっていう、前フリになっています。そして、どうやらいいコンビなんですよ、このふたりは。互いに抜けている部分を補い合える間柄。生活にも困っていない独身貴族で、会社まで持ってる。なんなら、持ち過ぎなくらいなんだけど、そこで例のアプリがアメリカのザッカーバーグ的なSNSのキングに売れてしまったもんだから、また大金が転がり込んでくる予定。普通なら、会社のみんなと大喜びでパーティーやって、もうエンドマークなんですが、そこでかねてよりの互いの不満が爆発。「取らぬ狸の大金」を巡ってのゲーム、賭けに酔っ払った勢いで突入。目が覚めると、それぞれの家で裸ですよ。首から鍵をぶら下げてるだけで、あとは文字通り映像通りの裸一貫、すっぽんぽん。

f:id:djmasao:20201216220606j:plain

© 2018 Pantaleon Films GmbH / Erfttal Film & Fernsehproduktion GmbH & Co. KG/ WS Filmproduktion / Warner Bros. Entertainment GmbH

寒い! ふたりはまず食い物よりもあったまる服だと、倉庫へ走るんだけど、会社の仲間たちが押さえた貸し倉庫がまた微妙に遠いのね。ふたりは股間を隠しながら、ベルリンの名所を走る。この手の、小学生、あるいは思春期レベルのライトな下ネタいっぱいで、万国共通の笑いがいい具合です。そして、倉庫にたどり着くと、俺、こんなにものを持ってたのかという家財道具の数々。ところが、向かいのコンテナを借りている美女ときたら、さらに多くの服、また服を所有している様子。なんだ彼女は。ここでトニーとのロマンスが持ち上がる、と同時に、テーマは一段、深くなります。
 
考えてみたら、ドイツは東西に分かれていたわけで、時々見かけますが、過度の消費主義社会へのアンチとしての、東ドイツ懐古描写ってのがここでもスパイスになります。案の定、主人公たちの親、祖父母の世代は、まさにそこで揺れていたわけですから。認知が怪しくなってきているパウルのお祖母さんが大事に所有しているものは何か。達観しているような母親の眼差しがぬくもりを宿すのはなぜか。大の男が恋人でもない女性の膝枕でホッとして心開くのはなぜか。

f:id:djmasao:20201216220655j:plain

© 2018 Pantaleon Films GmbH / Erfttal Film & Fernsehproduktion GmbH & Co. KG/ WS Filmproduktion / Warner Bros. Entertainment GmbH

アッと驚くほどの結論が出るわけではないものの、自分たちの暮らしぶりと価値観の問い直しへとやさしく導いてくれるストーリーラインと映像運び、そして、最後のカメラ目線でのパウルの問いかけも含めて、とにかく巧い1本。正直、話を広げて目先の笑いに夢中になった結果、盛り込みすぎて、テーマのピントがぼやけた印象もありますが… タイトルのわりに、設定がシンプルじゃないのでね。これ、ドイツでの公開は2年前ですが、コロナ禍でそもそもワークライフバランスも改めて見直され、プレゼントを贈り合うクリスマス・シーズン、そして大掃除の時期にぜひご覧いただきたい作品に出会いました。
主題歌は、ベルギーのシンガーソングライター、Milowでした。


さ〜て、次回、2020年12月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』です。ダイアナ・ロスの娘やらダコタ・ジョンソンやらアイス・キューブやらが出てくる、ハリウッドの音楽業界内幕ものと聞いてます。そりゃ、音楽ファンにはたまらないでしょうよ、きっと。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『エイブのキッチンストーリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月8日放送分
映画『エイブのキッチンストーリー』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20201208105819j:plain

なんだか知らないけれど、「エイプのキッチン・ストーリー」って予定表に入力してしまっていたんですが、エイプ、類人猿の料理の話ではありません。12歳の少年エイブくんの物語。舞台はニューヨークのブルックリン。デジタルネイティブ世代、エイブくんの家庭は少々複雑。母親はイスラエル人、父親はパレスティナ人。ふたりとも無宗教ではあるものの、双方の両親や親戚の信仰まではコントロールできないし、習慣やもろもろの儀式も違うとあって、なかなか大変。そんな環境でエイブが夢中になっているのは、料理。ある日、フュージョン料理を作るブラジル人シェフ、チコとの出会いが彼に大いなる刺激を与えます。
 
物語の原案と監督を務めたのは、81年生まれ、ブラジル出身でユダヤ系の若手映像作家、フェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ。脚本はパレスティナアメリカ人のラミース・イサックとジェイコブ・カデルに頼み、撮影はイタリア人といった具合に、スタッフもかなり国際色豊かです。主演はNetflixのSFホラーシリーズ「ストレンジャー・シングス」で一躍スターとなったノア・シュナップで、彼の映画初主演作となります。ちなみに、現在公開中の『アーニャは、きっと来る』も彼の主演作。引っ張りだこなのがうかがえますね。
 
僕は先週水曜日の昼過ぎに京都シネマで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
 

昨今、日本だけでなく、世界のあちこちで分断の時代と言われていますね。グローバル化が進んだ一方で、民族・宗教・政治的スタンスなど、それぞれの特性によって似た者同士が近づく一方、それぞれの集団同士は交わらず、理解し合うことがなくなってきている。こうした、たとえばカルチャーギャップが引き起こす軋轢ですけれども、考えてみれば別に最近始まったものではありませんね。それこそ、エイプの時代からあったものだと思います。古くからの問題がここにきて複雑化し、ネットで急加速した高度情報化社会によって、ますますのっぴきならないものになっている状況なんでしょう。争いはないほうが良いけれど、接触・交錯・衝突がやがては融和し、その先に生まれる新しいものってのも必ずあるわけですよ。そんな融和を促してくれるものに、恋と料理があるわけです。

f:id:djmasao:20201208214552j:plain

© 2019 Spray Films S.A.

恋の賜物としてのエイブのような子どもがいて、料理の場合だと、新しいレシピが僕たちの舌と胃袋を満たしてくれる。その最先端の場所のひとつとして、ブルックリンが今回は舞台になっているんだと思います。それにしても、ですよ。ユダヤ教イスラム教ってだけでなく、イスラエルパレスティナの領土問題まであの小さなエイブの家庭の外堀にあるってんですから、まぁ大変です。ここでひとつツイストしてあるのが、両親が結婚を機に無宗教を選択しているということですね。積極的には宗教的なことはしないんだと。ただ、宗教から完全に離れているかというと、そうでもないんですね。結局、親や親戚も近くに住んでいるから、それなりの頻度で会うわけで、彼らが日常的に行っている祈りや儀式、習慣の影響から免れることはできないわけです。このあたりの描写と感覚は非常によくわかります。僕のイタリア人の母も無宗教ですが、向こうのクリスマスの街の雰囲気を懐かしんで話すこともあるわけです。結局、信仰のあるなしとか深浅は別にして、宗教はその社会に根づいていますからね。そのシンボルが食習慣というわけです。

f:id:djmasao:20201208214423j:plain

© 2019 Spray Films S.A.
エイブの気持ち、アイデンティティの揺れというのは、日本とイタリアの血を引く僕にはよくわかります。ひとりっ子という共通点もある。子はかすがいなんて表現もありますけど、かすがいという部品になる子にかかる圧力は、特にまだ未熟な思春期には相当なもので、きっと大人には想像もつかないものです。だからこそ、避難所になるような場所が必要なんですが、それがエイブにとってはSNSでありキッチン=料理というわけです。ひとりっ子なので、家庭内に同世代がいませんから、そこはSNSでカバーして独自のコミュニティーを形成しつつ、家族や親戚以外に自分を導いてくれるような年長者=メンターが必要になれば、親に無断ででも外出して、彼の場合はブラジル人のチコという料理人に大いに影響を受けていきます。

f:id:djmasao:20201208214516j:plain

© 2019 Spray Films S.A.

ここで大事になるのが、チコがフュージョン料理を得意としていること。故郷ブラジルの食習慣をベースに持ちながらも、発想・着想は常に大胆で自由です。そのアイデアがエイブにとって翼となるわけですね。フュージョンという言葉は日本ではともすると料理よりも音楽の方が馴染みがあるかもしれません。ただ、現代の日本の料理はフュージョンそのものだと思います。僕がよく例に出すたらこスパゲティや海鮮のカルパッチョ、いわゆる洋食がその好例ですよ。もともと日本のものでないものを、日本の味付けになじませているわけですから。ただ、考えたら、保守的に見えるイタリア料理だって、素材の代表格トマトが日常的に使われるようになったのは、ここ150年ほどです。原産地のアンデスからやって来た当初は「魔の果物」と言われて日陰者の野菜だったんですね。

f:id:djmasao:20201208214641j:plain

© 2019 Spray Films S.A.

頭の柔らかいエイブは、愛する自分の家族・親戚をフュージョンさせたいと、皿の上で奮闘するわけですが、生み出すのはコンフュージョン、混乱でした。それは料理を習う過程で、誰もが経験するプロセスでもあります。味がまとまらない。それがどう曲がりなりにもまとまっていくのかってのが、物語のテーマと見事に一致しているので、とても観やすい作品になっています。ジャーナリストであり、YouTuberでもあるアンドラーデ監督の柔軟で軽快なカメラワーク、編集技術も、作品の口当たりの良さに貢献しています。尺も89分と観やすいんですが、ドスンとした素材、いくらでも深堀りできる内容なだけに、食い足りなさもありました。それこそ、それぞれの伝統料理の描写、料理のバックグラウンドがもう少し見えても良かったんじゃないか。もうちょい食べたいぞという感じも否めませんが、監督としては安心して楽しめる腹八分目を目指したのかもしれません。それこそ屋台料理のような感覚でこのテーマを味わえる良作でした。
曲はラテンよりのジャズ・カルテットquasimodeを選びました。サントラも、南米の要素を巧みに取り入れたもので、料理のリズムともあっていて楽しかったですよ。
 
さ〜て、次回、2020年12月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『100日間のシンプルライフ』です。この超のつく消費主義社会にあって、ゲームとして、あえて所持品すべてを倉庫に預け、本当に必要なものだけを1日ひとつ持ち出していく。そんな設定を読みましたが、まさかすっぽんぽんからスタートするとは… 面白そうじゃないですか。そして、自分の生活の見直しを余儀なくされそうだ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

映画『ホテルローヤル』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月1日放送分
映画『ホテルローヤル』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20201130154655j:plain

北海道の釧路湿原。最高の景色をバックに佇む小ぢんまりとしたラブホテル、ホテルローヤル。経営者の一人娘である雅代は、得意の絵の才能を伸ばそうと挑んだ美大の受験に失敗。失意のもとに地元に戻り、ホテルを手伝うようになります。出入り業者でアダルトグッズ会社の営業マン宮川への恋心を秘めつつも言い出せないまま、黙々と仕事をこなしています。ある日、ホテルローヤルで死体が見つかる事件が発生。マスコミによる取材攻勢の中、オーナーが病に倒れます。雅代の人生の選択やいかに。
 
原作はこの物語で直木賞を受賞した桜木紫乃の自伝的同名小説。『百円の恋』やNetflixオリジナルの『全裸監督』の監督である武正晴が演出しました。主人公の雅代に波瑠、アダルトグッズの営業マンに松山ケンイチ、父親に安田顕が扮した他、夏川結衣余貴美子友近岡山天音といった面々が脇を固めています。

百円の恋 ホテルローヤル (集英社文庫)

僕は先週の水曜日のお昼にTOHOシネマズ梅田で観てまいりました。平日昼間というタイミングということもあって、僕より上の世代が多めで、女性も多かった印象でしたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

1932年の映画のタイトルがそのままジャンルになった「グランドホテル形式」という物語展開があります。それぞれある程度バラバラにも機能する短い話が、ひとつの場所で相互作用を起こしていく、響き合うようなタイプの群像劇です。原作は7本の連作小説になっているものを、映画ではグランド・ホテル形式で描くことにしたと、武監督はインタビューで語っています。ホテルのオープンから現在に至るまでの30年。オーナーの娘である雅代にとっては、ホテルの歴史がそのまま自分の人生と年齢的に重なるので、狂言回しのようにしてそのところどころに立ち会っていくという構成です。メインとなるのは、死体発見を筆頭に、大小様々なできごとの起こる象徴的な一部屋と、事務所・倉庫・雅代の部屋などホテルの裏側。これはラブホテルという特性上、客室が非日常というハレ、スタッフのいる側が日常というケでもあります。表と裏という言い方もできますが、利用客は社会という表舞台から逃避する場所と捉えるわけでもあるので、この表裏がきっちり分かれるのではなく、交錯するところに面白みがあるなと思いました。

f:id:djmasao:20201130155031j:plain

(C)桜木紫乃集英社 (C)2020映画「ホテルローヤル」製作委員会
たとえば利用客は普通だれかと鉢合わせたくないし、そのためにチェックイン方法なども考えられているわけですけど、そこで火災報知器が鳴ったとしたら… あるいは、清掃員たちスタッフが休憩をする倉庫に換気口を通じて漏れ聞こえてくる会話や喘ぎ声に、固唾を飲んで聞き耳を立てるとか… そして、ホテルの職員が誰かと逢瀬をするとなると、客室ではなく、離れの倉庫を使うとか…
 
いろんなエピソードがありましたが、大別すると2種類でしょうか。ひとつは、愛情の維持・管理の難しさ。その時々で本気で愛したとしても、その感情を持続することが何らかの理由で難しくなった時にどう対処するか。その失敗がゆえに、当人やその家族が深く傷ついてしまうことがままありました。その対比としての、深く長い結びつきが感じられる例も出てきましたね。刹那的な愛の発露の舞台として描かれがちなラブホテルという空間ならではの展開だったと言えます。

f:id:djmasao:20201130155114j:plain

(C)桜木紫乃集英社 (C)2020映画「ホテルローヤル」製作委員会
もうひとつは、自分なりに人生を歩もうとした人と、その人の生み出したものが、長い年月の中で否応なしに廃れてしまうこと。時間の経過の残酷さと言い換えてもいいでしょう。プロローグは、廃墟になっているホテルでヌード写真を撮影しようとした男女の話でした。そこから、カメラのシャッターという仕掛けを通して、長いフラッシュバックとして物語が始まるという構成も、このテーマの効果的な表現を狙ったものです。フラッシュバックは、今では失われてしまったものを描く時により力を発揮しますから。
 
ただ、以上のテーマ設定と演出の狙い、それぞれのエピソードの潜在的な面白みを、映画全体としてうまくまとめられていたかと問われれば、僕には大いに疑問があります。時間が不用意に行ったり来たりしすぎて、多少画面のトーンを変えてはいるものの、時系列がわかりづらいんですね。前後関係が判然としないがために、そもそもグランド・ホテル形式で描き込みづらい登場人物の心理もぼんやりするので、それぞれの転機が急すぎて、紙芝居ばりに、間がスコンと抜けたような印象を持つ場面が多かったです。グランド・ホテル形式は、ひとつ屋根の下で同時間に別のことが起こるのが面白いので、30年ていう時代の変化を描くには、もっと焦点を絞らないと散漫になるなと。そして、雅代という狂言回し的な主人公が、狂言回しには少なくともなってないくらいに傍観者に見えるんです。彼女の人生への踏み込みの浅さも問題でした。

f:id:djmasao:20201130155138j:plain

(C)桜木紫乃集英社 (C)2020映画「ホテルローヤル」製作委員会
一方で、バブル以降の地方都市の疲弊っぷりが街そのものの衰退する景色に見事に重ねられるエピローグは僕は気に入っています。そのグッとくる場面がホテルより街のロケだってのもどうなんだよって感じですが、ともあれ、部分部分でかなり楽しんだことも事実だし、俳優の演技もあちこちで光っているので、どうぞ劇場であなたもご覧になってみてください。

主題歌は、78年、柴田まゆみのカバーなんです。この選曲もおつなもんだし、シンガー・ソングライターLeolaが歌うバージョンも良かった。

さ〜て、次回、2020年12月8日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『エイブのキッチンストーリー』です。先日、ぴあ関西版映画担当の華崎さんが番組で紹介してくれていた、この作品。複雑な出自を持つ少年が料理を通してアイデンティティを確立していけるのかというお話のようですが、ある種の寓話としても読み解けそうですね。ノア・シュナップくんの映画では初主演かな? あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

モルタッチは魔法のことば

「ブオニッシモ」という言葉を耳にしたことはないだろうか。「美味しい」を意味する「ブオーノ」の語尾が変化したもので、協調の意味が加わり「めちゃくちゃ美味しい」となる。イタリア語で書くと”buono”の語尾の“o”の部分が”issimo”に変わって”buonissimo”だ。音楽用語の「フォルテ」から「フォルティッシモ」、「ピアノ」から「ピアニッシモ」も同様の変化で、前者は「強く(演奏する)」が「めちゃくちゃ強く(演奏する)」となり、後者は「静かに(演奏する)」が「めちゃくちゃ静かに(演奏する)」となる。このように語尾をいじることで、もとの言葉に意味合いが加わるのが、イタリア語の大きな特徴だ。

”issimo”以外にも、さまざまな語尾変化がある。例えば”ino”とすると「小さな」の意味が付加され、”one”は「バカでかい」となる。そして今回のテーマとなる”accio”は侮蔑としての「クソ」の意味合いが加えられる。例えば、少年は”ragazzo”というのだが、”ragazzaccio”は「クソ少年」ということになる。いたずらをした少年を、近所のおばさんが「このラガッツァッチョめ!」と叱りつけるのだ。

つまり”accio”の語尾変化は悪口を言うときに頻出するのだが、ローマ弁の悪口で”accio”を活用した「リ・モルタッチ・トゥア」なるものが存在する。この“Li mortacci tua”をスタンダードなイタリア語に直すと”I mortacci tuoi”だ。冒頭の”I”は男性名の複数形につける定冠詞、”tuoi”は所有形容詞の「あなたの」。これらに挟まれた名詞”mortacci”というのは死人を意味する”morto”の語尾をaccioに変化させて”mortaccio”、さらにそれを複数形になって”mortacci”だ。まとめると「お前のクソ死人ども」ということになるが、ここで言う死人というのはご先祖さまのことで、つまり悪口を言われる対象の自分だけではなく、先祖もろともクソ扱いされるという超ド級の悪口になる。

f:id:djmasao:20201124142936j:plain

ゼロカルカーレ、言われてみると、ちょっとフランス人っぽいですね~♪

 

そんな「リ・モルタッチ・トゥア」も、TPOによっては良い意味にもなると、漫画家ゼロカルカーレは主張する。フランス人とイタリア人のハーフであるゼロは、生まれはローマではないが、子どもの頃にローマ郊外レビッビアに引っ越し、高校時代から落書きのような独特のタッチで漫画を描き始め、そこで暮らす自らの無為な生活と、社会問題を絡めたとめどない独白を描き散らし、ローマのアンダーグラウンド・シーンで多くのファンを獲得し、いっきに全国区に上り詰めた。

彼の育ったレビッビアというのは、地下鉄の終点という閉塞感、刑務所があるという圧迫感、郊外に延びる幹線道路のわびしさなどの特徴から、治安の悪いローマ郊外のなかでも異彩を放っている。そこでは、まさに「リ・モルタッチ・トゥア!」とののしり合う日常生活が営まれているのだが、レビッビアの「リ・モルタッチ・トゥア」には、ドギツイ方言を耳にしたときに覚えるほっこり感もある。言うなれば、石川啄木上野駅で故郷の訛りを聞いて安堵するのと同じ効用がある……のかもしれない。とにかく、額面通りの「クソ先祖ども」の意味合いだけではない、親しみのニュアンスがそこにはにじみ出ている。

こうなってくると難しいのが日本語訳だ。誇張するとイタリアで『鬼滅の刃』くらい売れているゼロカルカーレなので、マニアックな内容ではあるが、日本でも作品が発表されている。ゼロカルカーレの原作をもとに映画化された『アルマジロの予言』が2019年イタリア映画祭の機会に東京と大阪で上映され、2015年の代表作『コバニ・コーリング』が今年の9月に出版された。『アルマジロの予言』は、子どものころ好きだった女の子の訃報を受け、戸惑いながらも悶々とした日々を過ごす実話風の青春物語で、字幕を付けたのは、このブログの主、野村雅夫を中心とする京都ドーナッツクラブのメンバーだ。いっぽう『コバニ・コーリング』はレビッビアで鬱屈した生活を過ごすゼロが、シリア北部の自治区ロジャヴァを訪れるルポルタージュで、主に現代イタリア文学を訳している栗原俊秀さんが訳された。


La Profezia dell'Armadillo - Trailer Ufficiale Italiano HD

ジャンルは違えど、両作品のなかに、悪い意味ばかりではないという文脈で「リ・モルタッチ・トゥア」というセリフが出てくる。映画『アルマジロの予言』では「チクショ-」と訳され、単行本『コバニ・コーリング』では「これはローマ方言で『お前のご先祖でべそ』を意味するが、文脈によって侮辱にも愛情表現にもなる、たいへん可塑性に富んだ表現である」と原註が付けられた。

正しい答えがないのが翻訳なので、同じ訳にならないのは当然だ。そして映画では長くて数秒という厳しい時間制限があり、単行本でも物語の流れを止めてしまわない巧みなテクニックが必要となる。当然ながら、私がここでつらつらと解説した「リ・モルタッチ・トゥア」の意味に触れる暇なんてまったくない。それは裏を返すと、ゼロカルカーレの仕掛ける言葉には、それだけ意味が濃く詰まっている場合もあるということだ。数秒、数ページで過ぎ去る訳文のはざまに、その濃さを感じ取ることができれば、最高の鑑賞/読書体験になるに違いない。

ちなみに12月20日までオンラインで特別に開催されているイタリア映画祭で『アルマジロの予言』は鑑賞できるし、単行本『コバニ・コーリング』も絶賛発売中だ。ぜひ「視聴する」をクリックして、手に取って、濃厚なゼロカルカーレの世界を味わってほしい。

そして両作品の訳者である栗原さんと京都ドーナッツクラブ野村が参加するオンライン講演会が来る11月28日(土)に開催される。この記事や作品に触れて気になった方は、ご参加のほど、よろしくお願いします。

↓↓↓↓

イタリア映画祭『アルマジロの予言』

単行本『コバニ・コーリング』試し読み

オンラインセミナー『イタリア語翻訳の魅力:漫画家ゼロカルカーレ』

f:id:djmasao:20201029033101j:plain

映画『おらおらでひとりいぐも』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月24日放送分
映画『おらおらでひとりいぐも』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20201123151732j:plain

75歳の桃子さんは、長く寄り添った夫に先立たれて以来、郊外の大きな一軒家で一人暮らしをしています。頻繁に図書館へ通っては本を借りてきて読み漁っているのですが、近頃のお気に入りは、地球の歴史。コツコツと読んでは、46億年の歴史ノートを自分でまとめています。傍から見れば孤独な老人に見える桃子さんの脳内は、実は賑やか。心の声がたくさん聞こえるのみならず、最近では目の前に立ち現れてきます。これは、そんな桃子さんが自分らしく一人で生きていく様子を綴った、ささやかながらも壮大な1年の物語です。

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)

3年前に出版され、芥川賞文藝賞をダブル受賞して話題となった若竹千佐子の同名ベストセラー小説を映画化したこの作品。監督と脚本は、『南極料理人』や『横道世之介』の沖田修一。75歳の桃子を演じたのは田中裕子。若き日の桃子は蒼井優が演じました。他に、夫の周造を東出昌大が担当する他、桃子さんの脳内の声を体現する素っ頓狂な役どころに扮するのは、濱田岳青木崇高宮藤官九郎です。
 
僕は先週水曜日の昼下がりに京都シネマで観てまいりました。サービスデーということを考慮しても、僕の人生の先輩たちを中心に、かなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

考えてみると、ひとりで番組を進行する僕たちラジオDJってのは、妙なことを生業にしています。同じ一人喋りなら落語があるじゃないかってことですけど、噺家はお客さんを前に話すわけですよ。今の僕はどうでしょう。ガラス向こうにスタッフはいるものの、スタジオのブースにはひとり。聞いてくれているリスナーが万単位でいることはわかっていても、相槌は誰も打ってくれません。そんな状況である程度意味の通ったことをまとめて喋るのって、日常生活では普通ないんですよね。主人公の桃子さんは、家でぶつくさ独り言。のみならず、声にはならない声で、心のなかであれやこれやと、それぞれに脈絡のないことを考えるともなく考えたり、自動筆記のようにもうひとりでに考えが湧いてくる。それは他人には、いや、下手すりゃ本人にだって制御も理解もできないことがある。原作は、そういう桃子さんの生活描写と思考の断片を地続きに綴った小説です。彼女の脳内には、性別も年齢も不詳で、使う言葉もバラバラな様々な声があるんです。少し引用します。「有り体にいえば、おらの心の内側で誰かがおらに話しかけてくる。おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話で成り立っている。それをおらの考えどいっていいもんだがどうだが。たしかにおらの心の内側で起こっていることで、話し手もおらだし、聞き手もおらなんだが、ついおめだば誰だ、と聞いてしまう」。

f:id:djmasao:20201123152018j:plain

© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会
物語の出来事、アクションは、目に見える範囲では、ひとりの老婆が病院や図書館へ行き、車の営業マンやおまわりさん、たまに訪ねてくる娘や孫娘と話して、墓参りをするという、極めて日常的で静かで地味なものです。ところが、その実、彼女はとても賑やかな環境にいて、長い人生の記憶と経験が堆積した地層、言わば時間の層「時層」の上に生きている。桃子さんが地球という星そのものの歴史に興味を持つのは、それゆえだったりするんですが、ともかく、映画化にははっきり向いていません。普通はね。ところが、これが沖田修一監督のように現実とファンタジーを自在に行き来してユーモアとペーソスでくるむ術を知っている映画人の手にかかれば、一級のエンターテイメントになるんです。

f:id:djmasao:20201123151957j:plain

© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会
予告編などでも垣間見えるように、映画ならではの表現としてわかりやすいのは、心の声を完全に擬人化していること。濱田岳青木崇高宮藤官九郎と、それぞれ特に似てもいない男性が出てきて、桃子さんと合わせて4人でコタツを囲んで会話したり、ジャズセッションをしたり。でも、これにとどまりません。話が進んでいくと、この心の声の人数が極端に増えることも。さらには、過去の自分や亡くなった夫、周造の若い頃もそのまま画面に登場。CGなんかは使わずに、ほんとにただそこに一緒にいるというのが面白みにつながります。あとは、絶滅したマンモスがこちらはアニメーションやCGで登場。いかに人の脳内が、精神が小宇宙を成しているかをそっくり絵で見せてくれます。その時の最大のポイントは、妄想をただスクリーンに映すのではなく、桃子さんが見ている世界を桃子さんごしに捉えていること。注意してみると、これがものすごく多い。原作では、「オラは」という一人称と、「桃子さんは」という三人称がまぜこぜになり、方言と標準語、話し言葉と書き言葉がないまぜになって、独自の文体を形作っています。映像そのものには人称ってありません。「何かを見ている桃子さん」の後に「桃子さんの見ている何か」を見せることで、初めて三人称と一人称の関係を擬似的に編集で生み出せるんですが、沖田監督は、画面奥に「桃子さんの見ている何か」、手前に「何かを見ている桃子さん」と、ひとつの画面にどちらも収めることで、原作小説のテイストを映像に置き換えることに成功しているんです。それによって、映画では、すべてを見ているカメラを強く意識させられるんですね。つまりは沖田監督の視点です。実際、インタビューを読むと、桃子さんの部屋は監督のお母さんの家を再現したそうです。
関連作として思い出したのは、スペインのアニメーション『しわ』という老人の物語と、子どもの感情をそれぞれに描いたアニメ『インサイド・ヘッド』。老人と子どもってのが面白いですが、世間の常識にとらわれない頭の中を見事に映像化した、いずれも傑作です。ただ、どちらもアニメならではの表現を活用していたわけですが、今回は沖田監督がそれを実写で実現してみせたのがすばらしい。惜しむらくは、さすがに尺が長かったので、もう少しタイトに引き締めても良かったのかな。でも、お見事と手を叩きたくなるとともに、今後のこうした分野の可能性を押し広げる1本でした。

主題歌はハナレグミの歌う『賑やかな日々』。エンドロールで名場面を振り返る編集ってのにお目にかかることがありますが、この作品の場合は、監督作詞によるこの歌がその役割を果たしているような気がします。
 
ところで、京都シネマで作品を観終わった後、エスカレーターに向かっていたら、桃子さんと同世代のふたり連れの女性がこんな会話をしているのが耳に入りました。「良かったねえ。なんか思うところがありすぎるからさ、今日はお茶をせずにそれぞればらばらに帰りましょうか」。なんかすごくいい瞬間に立ち会えた気がする!

さ〜て、次回、2020年12月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ホテルローヤル』です。ホテルものって、昔からたくさん作られていますよね。それぞれに関わりのない人たちが行き来して、同じ屋根の下で夜を越える場所。しかも、これは北国のラブホテル。どう考えても面白そうじゃないですか。『TENET/テネット』に続き『罪の声』が一向に当たらないまま消えていきましたが、いいんだもん! これも面白そうなんだもん! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ストックホルム・ケース』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月17日放送分
映画『ストックホルム・ケース』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20201117094859j:plain

1973年、スウェーデンストックホルム。過去に犯罪歴のある男ラースは、アメリカへ逃れる資金を得ようと、銀行に押し入り、ビアンカという女性銀行員を含む3人を人質に取ります。要求は、仲間の釈放と現金、そして逃走用の自動車。警察や行政と犯人側の駆け引きが長引いていく中で、犯人と人質の関係性が徐々に変化していきます。

ブルーに生まれついて (字幕版) ミレニアム ドラゴンタトゥーの女(字幕版)

 ノルマルム広場強盗事件として、心理学用語「ストックホルム症候群」の語源となったこの事件。製作、脚本、監督と映画化プロジェクトの中心人物となったのは、ロバート・バドロー。ラースを演じたのは、チェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』でバドローとタッグを組んだイーサン・ホーク。人質のビアンカには、「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスです。

 
僕は先週水曜日の昼下がりに京都シネマで観てまいりました。またまたかなり入っていましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 

さぞかしスリリングなクライム・サスペンスなんだろうなと予想すると同時に、実際にあった有名な事件だけに、先が読めてしまうから難しい作品だろうなとも思っていましたが、良い意味で予想は覆されました。
 
まずもって、ジャンルが思った以上にゴチャまぜになっていました。確かに犯罪の一部始終を描いた、手に汗握るスリルが映画全体を貫いてはいるものの、実はかなりコミカルでもあったということです。だって、イーサン兄さん演じるラースという男は、映画冒頭、やおら長髪のかつらを被るんです。変装っちゃ変装なんだけどさ、たっぷりした口ひげや革ジャン、ハットのチョイスも手伝って、『イージー・ライダー』がお好きなんですよね、っていう。それであらよっと、気軽にというか、楽しそうにというか、計画はしていたんだろうが、ふらっと銀行で強盗をおっぱじめます。映画のテンポとしても、この導入を手早く進めるのがとても良いです。この物語の場合には、これまでうだつの上がらない人生を送り、何をやってもダメな男だったラースが人生の一発逆転を狙って、数ある銀行の中からあそこを選んで、なんて説明はない方がいい。いきなり始まるほうがむしろ、ビアンカという人質になる女性同様、僕ら観客も、だんだんラースの人となり、過去の片鱗がわかってきて、ラースの心情に寄り添いやすくなるという、大きな利点があります。

イージー★ライダー (字幕版)

もう後は密室劇としての楽しさが充満しているんですよ。冒頭に「実在の事件に基づく物語」みたいなお決まりの文句が出るんですが、この映画でちと違うのは、「based on the absurd true story」って書いてあること。つまり、「馬鹿げているが本当にあった話」なんだと。そのバカげた、素っ頓狂な要素ってのが、この映画を貫く魅力になっています。「え? なにそれ?」ってことが起こるので、先が読めると思いきや、読めないし、最後の最後は逃げるか捕まるかなわけだけど、途中からはその結果よりもプロセスそのものが興味深くなってくるので、そう観客に思わせたバドロー監督の勝ちなんです。

f:id:djmasao:20201117101144j:plain

© 2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.
その昔、成田離婚って言葉が流行りましたけど、あれは新婚旅行っていう、慣れない場所でふたりで力を合わせてトラブルを乗り越えられず、こいつ頼りにならないなとか、実はろくでもないやつじゃないかって気づいてしまって、即離婚してしまうという現象だったと思います。ビアンカたち人質にしてみれば、当然ながら、頼るのは警察であり、政治家であり、夫など家族であるわけなんですが、これが困ったことにですね、どいつもこいつも頼りにならないんですよ。ビアンカとしては、自分も含めて誰一人怪我をすることなく、ましてや命を落とすことなく、とにかく無事に外へ出て、子どもたちを抱きしめ、手料理をふるまってやりたい。ところが、ふらっと交渉に来る警察にはやる気があるのかないのか、打てども響かない。夫を連れてきてくれたけれど、夫との会話もどうもチグハグ。それよりは、必要なものを用意したり、話を聞いてくれるラースの方が魅力的に感じられてきて、なんなら、この人、無鉄砲だし、運もないし、今こうしてろくでもないことやってるけど、その実とても優しいところもあるような。そんなシーンごとの犯人たち、人質たちの心情の変化が丁寧に描写されていくので、僕たち観客も、同じ釜の飯を食った仲間であるかのように、だんだんこいつらとにかく無事でいてほしいなって思えるし、メンツやら組織論やらでいけ好かない外の奴らにイラッとしてくるんですよ。

f:id:djmasao:20201117101248j:plain

© 2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.
ラースと仲間は持ち込んだラジカセでボブ・ディランの曲を聴き、歌います。格好はイージー・ライダーです。逃走用に要求する車は、スティーブ・マックイーンの映画『ブリット』が好きだからマスタングです。70年代のアメリカに憧れる北欧のぼんくらオヤジたち。事態としてはとんでもないことになっているんだけど、どこか牧歌的でユーモラス。そして、ほんのり悲哀がある。予想とは違ったけれど、すっかり魅了されてお気に入りの1本となりました。
 
では、ディランを聴きましょう。ラースが歌ってましたよ。しみじみと楽しそうだったなぁ。

さ〜て、次回、2020年11月24日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『おらおらでひとりいぐも』です。ぴあの華崎さんも番組で取り上げてくれていたし、沖田修一監督は同世代としてとても応援したい人でもあるし、3人の男性たちの役柄にも興味をそそられるしってんで、もう観たいことこの上なし! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!