京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『Our Friend / アワー・フレンド』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月26放送分
『Our Friend / アワー・フレンド』短評のDJ'sカット版です。

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ジャーナリストのマットと舞台女優のニコルは、それぞれに仕事を楽しみながら、時に苦労しながら、ふたりの娘を育てていました。そこへ、ある日、ニコルに宣告された末期がん。マットは育児と仕事に加え、介護にも追い立てられる毎日です。そこへ手を差し伸べたのが、ふたりの親友であるデインでした。
 
原作というか、原案というか、もとになったのが、劇中でマットと呼ばれるマシュー・ティーグが雑誌エスクァイアに寄せたエッセーです。エグゼクティブ・プロデューサーは、リドリー・スコット。彼は『最後の決闘裁判』が上映中ということで、八面六臂ですよ、ほんと。そして今作の監督は、ドキュメンタリーの評価が高い気鋭のガブリエラ・カウパースウェイト。マットをケイシー・アフレック、ニコルをダコタ・ジョンソン、デインをジェイソン・シーゲルが演じます。
 
僕は今回はメディア関係者向けの試写で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

決して派手なものではないんだけれど、ひとつひとつのシーンが丁寧に編まれていて、脚本も演出も演技も、高いレベルにある秀作でした。トピックとしては、決して目新しくないです。家族や恋人、友人が不治の病に冒されてしまい、その余命をどう生きるか、どう死ぬのか、差し迫った時間の中での選択の難しさと意義を浮かび上がらせる。この手のものは枚挙に暇がありません。さらに、三角関係の話だって、そう。でも、この作品のうまいのは、まず脚本レベルで、3人の出会いからニコルの死までを、時系列に沿ってではなく、時間を行きつ戻りつシャッフルさせながら、人が記憶をポツポツと思い出すように、あるいは走馬灯のように、断片的に見せることです。僕たち観客は多少は混乱するわけですが、こうすることでむしろ、その時々に起きていたこと、誰かの発言、誰かの行動、その意味は見出しやすくなるんですよね。もちろん、そんなの意図なくやってたら支離滅裂なものになりますから、これらシーンの順列組み合わせにこそ、脚本の妙があって、露骨に泣かせにかかる説明くさいものではなく、こちらの観察や想像の補助線をさりげなく引く、とても映画的で節度と配慮に満ちた仕掛けです。

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(C) BBP Friend, LLC – 2020
加えて、カウパースウェイト監督の手腕が光っていたのは、ひとつには時折挟み込んだ長回しです。たとえば冒頭、夫婦が病床で話をしているところ。妻がいよいよ亡くなってしまうことを、子どもたちに伝えないといけない。決意と戸惑いがないまぜになってあの空間を満たしている様子を、ごちゃごちゃカットを割らず、わりとじっくり見せます。監督は俳優を信頼していて、ケイシー・アフレックダコタ・ジョンソンは確かな演技で応えています。一方、監督の手腕が光るもうひとつの点は、ドキュメンタリーで育まれただろう観察眼です。今挙げたシーンの後には、夫婦の親友、デインが子どもたちをふたりの部屋に送り届けて、夜、外のブランコでひとり佇んでいるショットが入ります。デインは何も言いません。暗くて、表情も見えないけれど、心の揺れが伝わったのであろう、動くブランコの軋む音が、彼の気持ちを雄弁に語るんです。こうしたさりげない演出の積み重ねが、ありふれたとすら言えるモチーフの今作を、非凡なレベルに持ち上げているんですね。

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(C) BBP Friend, LLC – 2020
さらに言えば、普通であれば、タイトルが指し示す主人公は夫婦のどちらかになりそうなものが、アワー・フレンド、つまり、このデイルになっているのもユニークですね。デイルは、もとはと言えば、ニコルに惚れてデートに誘ったんだけれど、「あ、結婚してたんだ、ごめんね」みたいな感じで気持ちを引っ込めた男です。パートナーがいることに気づけない鈍さがあるし、それでもグイグイ攻め立てる強引さはないし、コメディアンになりたい夢はあるが運も実力もない。そんなうだつの上がらない、されど、これがとても大事なんだが、友だち想いなんです。というか、この3人は、それぞれに人生の不備を、時にはっきり、時に知らぬ間に補い合ってきた、友愛と呼びたくなる関係を育んだチームなんですね。

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(C) BBP Friend, LLC – 2020
3人とも、そのつきあいの中で、やらかしていたこと、やりそこねたこともきっちり描いています。額縁に入れた美談にはしていない。観ていて思わず感情がこみ上げることはあるけれど、余韻はすっきり爽やか。そして、タイトルに納得です。アワー・フレンド、デイン。あいつはいい奴だってね。
 
曲はツェッペリンにしました。ニコルとデインが出会ってすぐ、音楽の話で盛り上がった時に流れます。ふたりは好みが違うんですね。ニコルにとって最高のバンドがツェッペリン。デインはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインですから。そして、このRamble Onは、トールキンの『指輪物語』に影響を受けて書かれた歌ですが、ニコルは残された人生でまた読みたい本に挙げていたものとも一致します。


さ〜て、次回、2021年11月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ロン 僕のポンコツ・ボット』となりました。見た目が白くて、ちょいちょいポンコツとなると、『ウォーリー』や『ベイマックス』といった秀作が近年アニメであったわけですが、今回はどんなあんばいでしょうか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月19日放送分
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
007こと、ご存知ジェームズ・ボンドは、エージェントを退いてジャマイカで静かに暮らしていたのですが、CIAの旧友であるフィリックスが助けを求めてきたことで、急転直下、生きるか死ぬかのミッションに逆戻りすることになります。誘拐された科学者を救出するのが、その目的なのですが、やはりことはそう単純ではなく、謎の黒幕の正体、その仮面を剥がす物語です。

007 / スカイフォール (字幕版)

5年前に企画がスタートした今作。もともとはダニー・ボイルが監督するはずだったんですが、すったもんだの末に、3年前、日系アメリカ人のキャリー・ジョージ・フクナガに交代。フクナガさんも共同脚本に名を連ねています。ボンドは6代目として2006年の『007 カジノ・ロワイヤル』から担当して、これが5本目となるダニエル・クレイグ。他にも、レア・セドゥ、ラミ・マレック、ラシャーナ・リンチ、ベン・ウィショーナオミ・ハリス、アナ・デ・アルマス、クリストフ・ヴァルツなどが出演しています。
 
シリーズ25作目にして、尺は最長の163分。僕は10月1日、公開初日の初回に、TOHOシネマズ二条のIMAXで瞬きも惜しいくらいの勢いで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

007シリーズ、その映画は、ショーン・コネリーがボンドを演じた1本目、1962年10月5日から始まりました。それから、およそ60年です。戦後15年ちょいで、世界には冷戦があり、多くの観客に未知なる場所がたくさんありました。ショーン・コネリー時代にはほぼ毎年新作が公開され、稀代の色男ジェームズ・ボンドが危険と美女を渡り歩いていくさまに、観客はあこがれたり、わくわくしたりしてきたわけです。そのボンドが、キャラクターとして還暦を超えているわけです。時代が変われば、観客が映画に求めるものも変わるわけで、その時代ごとに役者を一新しながら、ボンドも軌道修正をしながら、時には綱渡りしながら、ここまで生きながらえてきました。
 
そして2006年からはダニエル・クレイグがボンドに扮するわけですが、当時彼は30代後半。今は53歳。実は15年もボンドでいたってのはこれまで最長なんです。これまでのイメージとは違うし、知名度も当時はまだ低かったわけですが、今思えば僕は大成功だったと思います。『カジノ・ロワイヤル』という原作者イアン・フレミングのシリーズ1作目をベースにして仕切り直しながら、ボンドという、もはや古色蒼然(こしょくそうぜん)たるキャラクターを現代に位置づけなおそうとしたわけです。その中では、敵味方ともに、組織も戦い方も世界のあり方も、文字通りリブートで再出発。昔は大味な脚本も多かったし、とんでもガジェットが飛び出すコミカルな要素もあって迷走した時期もあったけれど、今や練りに練った複雑なシナリオと世界最高峰のアクションが求められる中で、ダニエル・クレイグは、悩むことも多い、人間味のあるボンド像を形成します。スパイ本来の孤独を抱えて、若いうちにはドタバタしながらも存在感を発揮して定着させ、『スカイフォール』ではシリーズ全体を見渡しても傑作という高みに登り、『スペクター』でそのキャリアから下りたボンドの、これは余生です。事実、スクリーンの中でそれだけダニエル・クレイグも歳を重ねてきました。もうそっとしておいてくれ。俺みたいなロートルはもう死んだものと扱ってくれ。そこでの、No Time To Dieですよ。まだ死んでいる場合ではない。死ぬのはまだ早い。

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(C)2019 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
劇中、とある大事な箇所で、ボンド・ガール、恋人のマドレーヌがとある人物にこう言います。「昔、ジェームズという人がいてね…」なんてことですよ。ボンドがMI6に戻ったら、007の殺しのライセンスには、黒人女性がいるわけですよ。この超大作5部作のしめとして、ジェームズは過去を清算、過去と決別して舞台から下りるために新しい戦いに向かう。ただ、そうやすやすと平穏が訪れることはないわけで、今回もイタリア、ジャマイカキューバ、ロンドン、北欧、北方領土、陸海空、そこかしこで、普通の映画ならハイライトになる場面が次から次へとやって来ます。新キャラもいるし、過去の因縁をある程度初心者にもわからせながら、なおかつ先が読めないように、アクションはフレッシュに、画面には迫力と気品の両方をにじませてください、フクナガさん! 僕なら匙を投げるところを、フクナガさんはその都度、少なくとも画面上で見事な結果を出していると思いますよ。特に中盤までの話運びなんて、どのシーンにも印象に残る画と動きがあるし、クレイグの身体ばりにシャープでした。とりわけキューバでアナ・デ・アルマスと見せたパーティーシーン突撃っぷりは、オールドファンも手を叩いて喜びますよ。あとは、冒頭のガンバレル・ショットそっくりの画面構成をクライマックスでさりげなく出すあたり、憎いね。

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(C)2019 DANJAQ, LLC AND MGM. ALL RIGHTS RESERVED.
とはいえ、膨らみきった話を回収するにあたり、型を貫くところと破るところ、脚本は難航しただろう部分が散見されるのも事実。細かいツッコミも入れたくなります。ラミ・マレック演じる悪役のサフィンも、フクナガの手際よい見せ方をもってしても印象が薄い。などなど、問題点はいくつもあります。
 
それでも、僕としては、賛否渦巻く終わり方も含め、大衆娯楽映画史に輝くシリーズの落とし前をつけようとする今作、そしてダニエル・クレイグのボンドに大きな拍手を送ります。何年か後にまた新しい俳優で始まるとしても、「古き良き時代」のボンドはwill not returnです。悩みもがきながら、よくぞやってくれたと、クレイグの背中を拍手で見送る僕がいます。
 
それにしても、Billie Eilishはいい仕事をしました。彼女自身の音楽性と、ダニエル・クレイグ版ボンド5部作の辿ってきた道のりとの距離感がちょうどいい曲になりました。

さ〜て、次回、2021年10月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『Our Friend/アワー・フレンド』となりました。この前、ぴあ関西版の映画担当、華崎さんが番組内で紹介してくれました。難病ものではあるけれど、お涙ちょうだいに終止することなく、映画ならではの表現をツイストにしているようで、期待大です。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『TOVE/トーベ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月12日放送分
『TOVE/トーベ』短評のDJ'sカット版です。

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日本を含め、世界中で愛され続ける児童文学、ムーミン・シリーズの作者トーヴェ・ヤンソンの伝記映画です。1914年にヘルシンキで生まれた彼女は、保守的で厳格な彫刻家だった父のもとで、むしろ自由な気風を備えた画家に成長します。第二次大戦で傷ついた青春の日々を取り戻すかのように、彼女は戦後、いくつもの恋をし、実は順風満帆ではなかった芸術家としての葛藤を覚えながら、ムーミンを生み出していく。この映画は、トーヴェの主に30代を丹念に描写しています。

劇場版 ムーミン 南の海で楽しいバカンス(吹替版)

フィンランドで大ヒット、ロングランとなった本作。アカデミー賞国際挑戦映画賞のフィンランド代表にもなりました。監督は、1977年生まれの女性、ザイダ・バリルート。トーヴェを演じたアルマ・ポウスティは、フィンランドスウェーデンで活躍する俳優で、これまでにやはりトーヴェの人生を舞台化した作品で彼女を演じたり、アニメ『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』に声優として参加していました。
 
僕は先週金曜日の昼に、京都シネマで鑑賞しましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

作品についてあまり調べずに映画館へ行って、ポスターやなんかの情報から受けた印象と中身は違った。っていうこと、この高度情報化社会ではすっかり減ってしまったことですが、僕が思い出したのは、そんな映画体験でした。最近は予告もすぐにwebで好きな時に観られるし、なんなら誰かのレビューを目にして面白いのかそうでないのか予め査定して、座席もしっかり予約してっていう時代なので、こうした「未知との遭遇」が減っていることを僕はもったいないなとも思っています。
 
ムーミンの原作者の伝記映画だって聞かされたら、ムーミントロールたちの生まれた経緯がよくわかるもんだと思うじゃないですか。全然そんなことはないんですよね。むしろ、こういう女性が生み出した世界だったのかと、困難な時代を生き抜いて創作に打ち込んだ女性の生き様そのものを描いたもので、僕が予想したものとは違ったけれど、これがとても良かったです。

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© 2020 Helsinki-filmi, all rights reserved
トーベが困難な時代を生き抜いたって僕は言いましたが、感覚としては「踊り抜けた」って表現したいです。彼女は節目節目で、文字通り映像通り、踊ってみせるんです。ひとりでも、誰かの前でも。その時々に流行しているジャズやシャンソンに合わせて。するとだんだん、パレットを持ってキャンバスの前で絵筆を持つ様子もダンサブルに見えてくるし、彼女の恋もいつだって踊るような心身の動きに対応したものなんです。
 
困難な時代と言いました。まずは戦争があったわけですね。彼女が部屋の蓄音機で鳴らすジャズで身体を揺らしていると、爆撃の音がドーンと割り込み、画面はヘルシンキの荒廃した街の様子のロングショットに切り替わります。この音と空間の対比が視聴覚的にうまくいっていて、冒頭からバリルート監督の確かな手腕が光ります。この時点で、こりゃこの映画うまくいくだろうなと期待が高まるというもの。

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© 2020 Helsinki-filmi, all rights reserved
困難というのは、戦争だけでなく、愛国的で保守的な父親との意見の齟齬も影を落とします。しかも、父は芸術家として大成しているオーソリティであるがゆえの窮屈さと言いますか、トーヴェとしても美大を出て油絵で勝負したいと考えながら、評価されるのは、お金のために引き受ける風刺漫画だったりして、思ったようにはいきません。おまけにいいなと思った青年は既婚者で、これまた「アチャ〜」って、普通ならなりそうなもんですが、だからといってそこらの昼ドラみたいにジメジメとはしません。あの時代の女性にしては珍しく、かっこよく自由にタバコを吸い、恋愛だって気ままできっぷがいい。それこそ踊るように女性とも恋に落ちる。バイ・セクシャルだったんですね。孤独もある。嫉妬もある。自分の目指すところと世間との評価に溝もある。そこでのある種の慰め、あるいは戯れとしてのムーミン谷の世界が、なにより彼女自身を救っていったのだろうなと感じられます。

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© 2020 Helsinki-filmi, all rights reserved
映像や演出には伝記映画にありがちな説明過多はなく、時にポエティックな飛躍もあるうえ、終わり方が鮮やかで風通しがいい。伝記映画って終わり方が難しいんだけど、ここでこうまとめるんだって、思わずうなりました。まさにトーヴェの表現や生き方にふさわしい映画になっているところに、僕はとても好感が持てました。ムーミンと必ずしも結び付けずとも、十二分に興味深い女性アーティストの踊る人生を堪能ください。
 
劇中に、トーヴェが脚本を書いて、彼女の女性の恋人が演出した舞台、ムーミン谷の彗星、上演シーンが出てきます。この名作は人形劇として映画化されていました。その主題歌を担当していたのが、ビヨークでした。この曲ですね。
さ〜て、次回、2021年10月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』となりました。こりゃ、大変だ。僕は公開初日にIMAXで観ておりますが、ダニエル・クレイグの卒業作だし、これまでの彼の5本と、シリーズ全体を見渡しつつ、この長尺の作品を語るなんて… こりゃ、大変だ。でも、映画ファンなら観ない手はないとも言える話題作ですから、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『シンデレラ』(2021)短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月5日放送分
『シンデレラ』短評のDJ'sカット版です。

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いつも、まずあらすじを僕なりにまとめて紹介していますが、『シンデレラ』をまったく知らないっていう人はいないんじゃないかというくらいのおとぎ話ですよね。主人公のエラは、継母とその連れ子である義理の姉ふたりに日々いじめられていました。日の当たらない部屋で暮らし、灰かぶり姫「シンデレラ」なんて言われています。孤独なエラの夢はドレスのデザイナー。ある日、お忍びで町へやって来たハワード王子に出くわしたことで、彼女の運命が大きく動き出します。

シンデレラ (字幕版)

監督・脚本は、『ピッチ・パーフェクト』シリーズの脚本家、ケイ・キャノン。実写版としては2015年にディズニーが製作していましたが、今回はアマゾン・スタジオの製作で、ポップソング満載のミュージカルとして生まれ変わりました。シンデレラを、映画初主演となるカミラ・カベロが変じるほか、国王役でピアース・ブロスナン、女王役でミニー・ドライヴァー、シンデレラの継母役でイディナ・メンゼルが登場します。
 
僕は先週木曜日の夜に、自宅のテレビで鑑賞しましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


やはりディズニーの印象が強い、というより、ディズニー・プリンセスの象徴と言えるシンデレラですから、6年前の実写版の際にも、この看板の姫に傷をつけてはいけないとばかりに、ガラスの靴を割らないように注意を払った演出が行われていたと思います。対して、本作はAmazonで配給されていますが、もともとはソニー・ピクチャーズで企画されていたもので、コロナ禍で劇場への足取りが重くなっているファミリー層へ向けた結果、ソニーは劇場公開をあきらめて配信に舵を切った格好です。ともかく、ディズニーじゃないわけですから、シンデレラをもっと自由に大胆に演出できるという背景があります。さっきはガラスの靴を割らないようにしたディズニー実写版って言いましたけど、Amazon版ではガラスの靴をシンデレラが文字通り投げますから。そして、それこそ企画の意図であり、ケイ・キャノン監督のブッキング理由だと推測できます。

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eigadaysさんのTwitterより
要するに、シンデレラは古典のビッグタイトルであるがゆえに、そのプリンセス像や価値観がかなり時代遅れになっているわけです。リスナーのeigadaysさんが先日番組のTwitterタイムラインで教えてくれていました。彼は今ロンドンへ出張中で、街で見かけた大きな宣伝看板のコピーにはこんな表現が使われていましたよ、と。Every Girl Dreams of Marrying the prince. 「女の子ならだれでも、王子との結婚を夢見る」というフレーズの後ろに線が引かれて消されていて、残るはEvery Girl Dreams 女の子には夢があるという言葉。それがどんな夢であるかは人によって違うのだから、後ろに余計なものを足して一般化するでないということですよ。現代の女の子には、古くさい女らしさの檻からするりと抜け出る自由と権利があって、それはシンデレラも同じなんだ。むしろ、シンデレラのような古風かつ保守的な匂いのするプリンセスをこそ大胆にアレンジしてみようじゃないかってのがねらいです。
 
そこで、ケイ・キャノンです。「ピッチ・パーフェクト」シリーズでは途中から製作もしていたし、価値観の更新に音楽をうまく掛け合わせて表現できる女性映画人ということで、今回抜擢されたわけです。

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(C)Amazon Studios
以上のことは、よくよく伝わってくるのだけれど、僕にはよくわからない設定と展開があったのも事実で、どうも乗り切れないなぁと正直なってしまいました。まず、シンデレラが地下室に閉じ込められて抑圧されまくっていたわりにはわりと明るい性格だし、明るいどころか、広場で人が集まってて何が起きているか見えないから銅像によじ登るなんておどろ木ももの木の行動に出るんですよ。お転婆を通り越して、それはダメでしょうよ。百歩譲って、あの物語世界では女性が自分の店を持つどころか外で働くことも稀なんだろうから、それを打破するためにはあれぐらい奇抜な行動を取る必要があるのかもしれないが、あっけにとられてしまいました。

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(C)Amazon Studios
そして、これも現代的な改変として、悪役を単純に真っ黒な存在にしていませんでしたね。それはいいんです。イディナ・メンゼル演じる継母の過去にフォーカスして、彼女にも実は夢があったのだが…という展開。これは面白いのだが、せっかくいろいろと踏み込むなら、諸悪の根源は男性優位どころか、女性にまともな権利がない世の常識や価値なのだから、継母を追い込んだ男に煮え湯を飲ませるなんて流れがあっても良かったのかなと思います。そうすれば、女同士の妬み嫉みにまとめるのではなく、むしろシスターフッド、連帯の話にはっきり持っていけたと思うんです。
 
と、テーマ的なところは今ひとつ踏み込みが浅いなと感じたんですが、音楽の使い方はやはりうまくて、特にポップソングのマッシュアップ的な組み合わせでひとつひとつの歌唱とダンスパートを比較的コンパクトにできたことで、ミュージカル入門的な楽しさと豊かな色使いで楽しく観られるし、カミラ・カベロのアイドル映画的な製作意図は達成できていると思います。まとめれば、良くも悪くも、軽い現代版という印象は残りますが、うまくまとめた作品でした。
Camila Cabelloが歌う主題歌は、さすがの歌唱力で引き込まれます。


さ〜て、次回、2021年10月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『TOVE/トーヴェ』となりました。ムーミンの作者であるトーヴェ・ヤンソンの伝記映画ということですが、ムーミンについては何冊か本を読んだり、映画を観たり、展覧会に出かけたりしてきたものの、考えてみれば、トーヴェの人生についてはほとんど知らないので、この機会に理解を深めたいところ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『オールド』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月28日放送分
『オールド』短評のDJ'sカット版です。

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舞台は南国の高級リゾートアイランド。そこで何日かゆっくりしようとあちこちからやってきた観光客。多彩なアクティビティがある中で、主人公一家、夫婦と子どもたち、姉と弟は、支配人から秘密のビーチで忘れがたい時間を過ごすのはどうかと提案されます。そりゃ楽しそうだと、ホテルのマイクロバスに乗り込み、もうひと家族とたどりついた場所では、不可解なことが次々と起こります。携帯はつながらない。海岸に女性の死体が流れ着く。人が次々失神する。そして、何より、子どもたちがみるみる成長していく… ビーチに集った彼らは、果たして無事に元の生活に戻れるのか。

ヴィジット (字幕版) シックス・センス (字幕版)

 製作、監督、脚本は、M・ナイト・シャマラン。上映前には、ご本人が寄せたビデオ・メッセージが流れるくらい、監督の名前で人を集められる奇才ですね。好き嫌い、出来不出来は別として、映画ファンなら一目置く存在なのは間違いありません。彼がインド系で、舞台がリゾートアイランドということもあって、キャストはダイバーシティの極み。主人公一家のお父さんをガエル・ガルシア・ベルナル、妻をヴィッキー・クリープスが演じるほか、黒人、アジア系など、出身地も考えれば、世界各地から集まったキャストが活躍しました。

 
僕は先週金曜日の朝に、Tジョイ京都で鑑賞してきましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

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(C)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.


いやぁ、なんかもう、シャマランがイキイキしているような演出が楽しくてしょうがなかったですね。ビーチというオープンスペースではあるものの、脱出不能という意味では密室劇で、自然の脅威というかなんというか、時間が目まぐるしいスピードで進んでいく中で人間はそれをどう受け入れるか打破するかという不条理スリラー。なにそれっていうような展開も用意しながら、このワンシチュエーションに生きるってなんだという哲学を凝縮させた寓話と言えます。

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(C)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
テーマは、ずばり時間ですよ。考えてみれば、だいたい2時間ぐらいの尺で誰かの人生を描くってのはよくあるもので、うまく編集すればもっと長いスパンのドラマを繰り広げることも可能なのが映画というメディアです。つまり、時間を伸び縮みさせることができるわけですね。本作でシャマランがやってのけたのは、たった1日2日で人がその生涯を終えてしまうような悲劇。特に子どもというのは、成長期がありますから、とりわけその成長が早く感じられる。成長して恋をして子どもを授かって、病気になったり、老いと向き合ったりして、やがては死んでいく。21世紀の先進国で言えば、人生の平均は75年とか80年という時の流れをかげろうみたいに短くしたら、そのジェットコースターばりのスピードに、誰だってふるい落とされそうになるし、パニックを起こします。さらに、そこには多種多様なバックグラウンドを持った老若男女がうまく配置してあるので、僕たち観客が経験してきたこと、あるいは経験するだろうことを投影できるし、自分ならこの状況でどうするだろうかと思い巡らしてしまう。ある程度のつっこみどころは飲み込みつつ、そもそもどうしてこんなことになってしまったのか、会話の端々、そして画面の端々に張り巡らされた周到な手がかりを思い出しながら考え、ビーチへと登場人物を誘うマイクロバスの運転手に扮したシャマランの視点におののきながら刮目するのが吉という作品です。

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(C)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
考えたら、冒頭にシャマランがビデオ・メッセージを寄せて映画館へWelcome Backみたいなことを言うんだけど、まさに映画の醍醐味を楽しませてくれる作品でして、たとえばオープニングクレジットのタイトルの出し方だって、アルファベットの端がじわじわ伸びていく演出で時間を意識させていたし、僕が今回うまいなと思ったのは、ワンカット内での時間の経過です。普通なら、編集で、つまりはカットを割って時間を飛ばすわけですけど、この作品のいやらしいところは、カメラがスーッと横移動して、また元の場所に戻ったら、映画内物語内の時間は同じなんだけど、キャラクターが変化していたりする、つまり老けていたりするっていうような見せ方をするわけですよ。もういたたまれないです。その中で、キャラクターたちの職業や年齢、性格といった要素をうまく煮詰めて、その人ならではの動きをよりダイレクトに表現します。僕が日本に持ってきたイタリア映画で『天の高みへ』っていう70年代の集団密室劇があって、それはエレベーターに閉じ込められる宗教人たちがどうなるかって話なんですが、それも本作も同様に、人間の悪しき側面、偏見とか嫉妬もあれば、ヒューマニズムや哀愁をじわじわ見せてホロリともさせる。そして、最後にはきっちりオチをつける。さらにシャマランは時間そのものを映画的に考えさせるという芸当までやってのける。コロナ禍にこんなものを撮影していたのかと、のけぞるとともに、おもしれ〜とガッツポーズをしたくもなる。ネタバレ厳禁なだけに、観た人と一緒に語り合いたくなる『オールド』を、あなたもぜひ。
 
ただ、釘を差しておきますが、統合失調症を患うと危険みたいな描写には、シャマラン監督自身の偏見を感じました。そんな医学的根拠はないはずです。ここは声を大にして補足しておきます。
これはサントラからでも主題歌でもありませんが、この曲を当てたくなりました。

さ〜て、次回、2021年10月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『シンデレラ』となりました。アマゾンプライムビデオのオリジナル映画として、カミラ・カベロが主演した実写ミュージカル。古典的な物語が、今どう映像化されるのか、その歌とともに注目です。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『アナザーラウンド』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月21日放送分
『アナザーラウンド』短評のDJ'sカット版です。

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デンマークの4人の中年男性教師。ことさら何かが不満というわけでもないのですが、冴えない毎日を送る中で、人生に希望を見いだせなくなっていることも確か。彼らはある日、ノルウェーの哲学者が提唱したという「血中アルコール濃度を一定のレベルに保てば、仕事の効率が良くなる」という説を実証しようと企むのですが…

偽りなき者(字幕版)

主人公のマーティンを演じるのは、デンマークのみならず、国際的にも人気・評価ともに高いマッツ・ミケルセンです。監督と共同脚本は、『偽りなき者』でもミケルセンとタッグを組んでいたトマス・ヴィンターベア。メタリカのMVを手がけたこともある人ですね。今回の『アナザーラウンド』は、アカデミー賞で国際長編映画賞を獲得。監督賞にもノミネートを果たしていました。
 
僕は先週木曜日の夜に、MOVIX京都で鑑賞してきましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

酒を飲むシーンが出てくる映画というのは、枚挙にいとまがありませんね。たとえばバーでの所作がかっこいいってこともありますが、これもかつて銀幕で漂いまくっていたタバコの煙と比べると、今ひとつ分が悪いところがありまして、たいていの作品で登場人物は飲みすぎてやらかしています。酒のんでヒャッハーみたいな『ハング・オーバー』シリーズですら、その呆れんばかりのやらかし具合には、観ていて落ち込んでしまうほど。まぁ、ハング・オーバーのあいつらは反省していないような気もしますが、ともあれ、アルコールをメインモチーフにすればするほど、その負の側面がクローズアップされるものです。このコロナ禍で酒場が閉まり、街へ溢れ出した路上飲みに眉がひそめられることもありましたから、ますます酒への風当たりは強くなっているような気がします。

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(C)2020 Zentropa Entertainments3 ApS, Zentropa Sweden AB, Topkapi Films B.V. & Zentropa Netherlands B.V.
その点、この映画のユニークなところは、酒の魅力の恐ろしさをきっちり伝えたうえで、それでも酒を飲むことそのものを否定せず、人生の希望・喜びへとベクトルが向いていること。ラストショットをどう捉えるかによって解釈は変わりますが、僕はそう考えています。
 
まずもって興味深かったのが、デンマークの飲酒事情です。主人公マーティンの妻、アニカが途中で言ってました。この国は酔っ払いだらけだと。観客もそう思いますよ。酒を買ったり、お店で飲んだりするのには制限があるものの、デンマークでは「飲酒は20歳になってから」みたいな法律がないんですもんね。だから、冒頭に出てくる高校生たちのおおっぴらかつバカな飲みっぷりに面食らうことになるわけですが、彼らには輝ける未来と可能性があるわけだから、それを酒でふいにするでないぞと、42歳、かつて僕もだいぶバカを見たおじさんとして心配になっていたら、いやいや、それこそ40代の中年親父たちの方がよっぽど心配でこちらも身につまされました。

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(C)2020 Zentropa Entertainments3 ApS, Zentropa Sweden AB, Topkapi Films B.V. & Zentropa Netherlands B.V.
ポイントは、中年の危機です。主人公マーティン同様、4人の男性高校教師たちの頭には、それぞれに生きる気力が減退するような、ぼんやりとした不安・不満・やるせなさ・だるさのようなものがモヤのように立ち込めているんです。ひとりの誕生日を祝う目的で集まって酒を飲むと、あら不思議、その時ばかりはそのモヤが晴れる気がする。と、そこでやめれば、ただの一夜の憂さ晴らしなんだけど、しょうもない提案が出てしまうんですよね。ざっくり言えば、ずっとほろ酔いでいたら、万事快調なんじゃないかと。それなりのインテリらしく、検証結果を論文にまとめようぜ、なんつって、自分の身体で実験を始めるわけです。薄々どころか、火を見るより明らかなことですが、人は自分ひとりで生きているわけではないのだから、実験失敗とあらば、滅ぼすのは自分ばかりではなく、ある程度は、ほら言わんこっちゃないという展開を見せるんですが、その一方で、彼らの人生が上向く時間があるのも事実でした。ほろ酔いで授業すんじゃねえってことですが、自分に自信を持ち直した彼らは、イキイキと仕事に取り組み、それが学生たちにも芳しい影響を与えるんですね。ただ、人は調子に乗るものでして、詳しくは伏せますが歯止めがかからなくなるのも確か。

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(C)2020 Zentropa Entertainments3 ApS, Zentropa Sweden AB, Topkapi Films B.V. & Zentropa Netherlands B.V.
で、普通なら、そこで取り返しのつかないことが起きて幕切れってなりそうなものなのに、この作品はそのさらに先へと向かうんです。この4人はそれなりに周囲に迷惑をかけたけれど、それぞれに人生と向き合って、その壁を捉え直したんですね。結果として、アルコールってダメだよね。気をつけないとねっていう教訓話にしてはいなくて、むしろ僕らの人生の息苦しさとか社会・時代の閉塞、合理主義だけではギシギシ言ってうまくまわらない部分の潤滑油として、お酒に代表される非合理なものも必要ですよねっていうバランスになっているんです。さらにすごいのが、少なくとも僕はこの映画を観ることで酒が飲みたいとは思えなかった。そういうフォトジェニックだったりあこがれたりする見せ方はせず、効用の部分は感じさせるという離れ業ですよ。ラストショットに、僕はマーティンの人生の喜びの方への大いなるアクションを見ています。その意味で、とてもユニークなアルコール映画でした!
僕のラストの解釈は、この曲が流れたことにも後押しされています。人生讃歌だと感じるからです。

さ〜て、次回、2021年9月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『オールド』となりました。シャマラン監督が今回取り組んだのは、「老い」というテーマのようですね。生き物によって寿命は違うし、流れる時間の感覚も違うのだろうけれど、みるみる老いていくとしたら、人はどうする? こわいよ〜! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『ファーザー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月14日放送分
『ファーザー』短評のDJ'sカット版です。

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ロンドンの広いマンションで一人暮らしをするアンソニー、81歳。記憶が怪しくなってきてはいるものの、まだまだ人の手を借りる気はないと、娘のアンが手配する看護人を拒否し続けていました。ある日、パリに恋人ができたので、引っ越すとアンから告げられてショックを受けたアンソニーでしたが、家には彼女と10年連れ添っているという見知らぬ男が現れて、当惑することになります。

羊たちの沈黙 (特別編) [DVD] 女王陛下のお気に入り (字幕版)

 監督と共同脚本はフランスの劇作家フローリアン・ゼレール。これが長編デビュー作ですが、原作はゼレールが2012年に発表した戯曲でして、日本では橋爪功が主演して絶賛されるなどしていたものを自ら映画化しました。主演はこの作品でアカデミー主演男優賞を獲得したアンソニー・ホプキンス。娘は『女王陛下のお気に入り』でアカデミー主演女優賞を穫ったオリヴィア・コールマンという強力タッグです。

 
日本では5月14日に公開された本作ですが、その際にはおみくじで当たらず、今回、8月14日からプレミアム先行配信がスタートしていたタイミングで、改めて候補作としましたが、僕は先週土曜の夜、まさにその先行配信が終わってしまったタイミングで観ようとして観られず、オロオロしたんですが、アマゾンで2400円出せば購入できることを知ってホッと安心しましたが、買って良かったと思えるすばらしさでございました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画を観て、しばらく、アンソニーと娘のアンのやりとりが続きます。認知症の介護エピソードではよくある「誰かにものを盗まれた」なんて流れから、彼の腕時計が風呂場から出てくるんだけれど、それは自分でしまいこんでいただけではないのか。そして、介護人は信頼できないとか、アンにはアンの人生があるのだけれど、同じ街に住めない場合はどうするか、なかなか言いだせないアンの表情。口の悪いアンソニーの高慢な態度と切なさ侘しさ。そりゃ、そうだよなぁ、こりゃ大変だと思っていたところへ、僕たち観客がギョッとする展開が不意に訪れましたね。「え? ちょっと待って、これ、どゆこと? じゃあ、さっきのはなに?」。自分が今まで観ていたことが信じられなくなるわけです。認知症疑似体験ムービーとも言えるこの作品の本当の幕が上がった瞬間です。

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(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020
この映画には、CGもないし、アニメ・パートもない。少ない登場人物が、ほぼ全編、アンソニーのフラット、彼の家の中で会話したり食事をしたりするだけの、小さなヒューマン・ドラマ。のはずなんですが… シーンが切り替わるごとに、次に画面がどうなるのかハラハラさせられる、異様とも言える雰囲気を滲み出しているんです。それはなぜか。映画というのは、基本的には、レンズの前で行われた役者の演技を撮影し、その映像をつなぎ合わせて物語を紡いでいくわけですね。それはどれも、機械的に記録された「客観的な」映像の連なりなんですが、編集によっては、その客観的な映像が、登場人物の「主観的な」映像に感じられる。これが映画の文法の基礎的な要素のひとつです。たとえば、僕がじ〜〜〜〜っと何かを見つめている映像の後に、炊きたてのビリヤニが映れば、言葉はそこになくても、「雅夫はビリヤニが食べたいんだな」とわかるし、ビリヤニの映像は雅夫の目が見ている主観的な映像なんだなとわかります。

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(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020
『ファーザー』に戻ると、ゼレール監督は、そんな映画の原則を意図的に利用して、認知症を描きました。つまり、客観と主観をぐちゃぐちゃに混同させているんです。だから、さっきまで見ていた客観的「だったはず」の映像が、もしかしてアンソニーの主観的なもの「だったのかもしれない」と僕らは頭を働かせる。そこへすぐに続いているこのシーンは、じゃあ、どうなんだ。おかげで、登場人物は少ないくせに、アンソニー以外の誰かが家に出入りするたびに、ビクビクさせられるんです。次は誰なんだ。どんな姿をした、なんて名前の人が、なにをしに来たんだ。これは、中盤を過ぎても変わりません。登場人物が出揃っても、先が読めないんです。おかげで、場面によっては不思議とホラーやミステリーの様相を帯びてきます。それは登場人物の言動によるものだけでなく、シーンによって変化していく家の様子も不気味そのもの。家具の配置が変わる。色が変わる。そう、特に色は緻密に計算されています。服、鍋、ビニール袋にいたるまで。だんだんとブルー系が増えていきませんでした? アンソニーの記憶がまるで水に溶けていくように、人、物、時間、空間、どれをとっても、映画が始まったときと終わったときでは様変わりしている。彼が唯一と言っていい客観的な基準として信頼を寄せていた腕時計が見当たらなくなるというのは、鑑賞後に振り返れば象徴的でした。

しわ [DVD]

認知症を主観的に描いた傑作として、スペインのアニメーションに『しわ』(2011年)というのがありました。ゼレール監督はきっと参照しながらまずは自分のフィールドの演劇で手応えを感じながら、おそらくは映画ならさらに本質的な表現に高められるという自信を持って作ったはずです。それほどに、見事な計算と映画的な意欲が実を結んだ傑作です。途中でミステリーやホラーの味わいが出てくると言いましたが、アンソニーはその中を生きている。映画ではなく、現実の日常として生きている。これは大変です。認知症の見方、見え方が変わるこの作品、介護する立場としても、自分がなるかもしれないという意味でも、誰しもが当事者です。ぜひご覧ください。
曲は、たまに聴いては涙腺を刺激される、ラッパーの狐火が認知症をラップで綴ったものをオンエアしました。

さ〜て、次回、2021年9月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アナザーラウンド』となりました。デンマークからアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した作品ですね。マッツ・ミケルセンが何やら飲みまくっているようですが、左党の僕としては気になってしょうがないです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!