京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月3日放送分

あの『ハリー・ポッター』シリーズの前日譚の既に3作目となります。魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公なんですが、今回は黒い魔法使いのグリンデルバルドが世界を支配しようと着々と動く中、それをなんとか阻止しようと、魔法学校時代の恩師ダンブルドアや魔法使いの仲間たち、そしてあの世界ではマグルと呼ばれる人間との寄せ集めデコボコ・チームを結成します。その中で、ダンブルドアとそのファミリーに隠された秘密が明らかになってもいきます。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(字幕版) ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(字幕版)

全5部作とされるこの前日譚シリーズの脚本は、原作者J・K・ローリング自らが書いています。監督は、ハリー・ポッター4作目の「不死鳥の騎士団」以来、ずっとこの魔法の世界を映像化し続けているデヴィッド・イェーツ。キャストは、ニュート役のエディ・レッドメインダンブルドアジュード・ロウが演じる他、基本的にはおなじみのキャストが揃っているんですが、大きな変更点として、黒い魔法使いグリンデルバルドがジョニー・デップからマッツ・ミケルセンへとバトンパスされました。
 
僕は先週木曜日に、TOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

これまでの作品を復習すると言ったって、ファンタスティック・ビーストで2作あるし、今回は特にファンにとって嬉しい展開となるホグワーツ魔法学校のことやダンブルドアのことを知ろうとハリー・ポッターから見直すとなると8作あるわけです。しかも、どれも長い。大変です。それを5本目からずっと撮って映画人生を魔法ワールドに捧げているデヴィッド・イェーツにそんなこと言ったら、「クルーシオ!」とか言って魔法をかけられそうですが、この魔法世界の映画化も20年以上経っているので、ファン層の世代交代、ご新規さんの獲得も考えなきゃいけないし、熱心なファンへのサービスも入れていかないといけないという、それこそ魔法みたいな離れ業が、原作者にして脚本も手掛けるJ・K・ローリングには求められていて、僕はある程度それに成功していると思います。そこはさすがです。さらに、イェーツ監督の演出も手慣れたものという感じで、ファンタビの魅力になっている要素はきっちり押さえています。

(C) 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved Wizarding World TM Publishing Rights (C) J.K. Rowling WIZARDING WORLD and all related characters and elements are trademarks of and (C) Warner Bros. Entertainment Inc.
1920年代のニューヨーク、ロンドン、パリ、オーストリアを舞台にしてきましたが、今回はそこにドイツやブータンまで加え、いよいよ007よろしく観光映画の歴史版といった様相を呈してきました。人間世界と魔法世界の行ったり来たりのややこしい部分には、人間代表、パン屋のジェイコブさんがいることで、いちいち今回も魔法に驚くリアクションを見せてくれるから、僕ら観客も「魔法を当たり前に思わずに楽しめる」んです。壁を通り抜けるような時にも、ジェイコブが「いや、これ、わかってんにゃけど、なんべんやっても慣れへんわあ」みたいな表情を見せるのが良いんです。コミカルでもあるし。さらには、魔法動物たちですね。正直、今回は影が薄めではあるものの、モグラやカモノハシみたいなニフラーとか、小枝のボウトラックルの見せ場も出てきますよ。途中、仲間を救出するとあるシーンでは、インディー・ジョーンズばりの冒険があって、そうだそうだ、ニュート・スキャマンダーは学者だったんだというリマインドも入れてありました。さらに、新キャラのキリン、鹿みたいなキリンが出てきて、物語の行方を左右します。どれもかわいいし、面白いし、魔法はもう既視感がムンムンだけれど、CGがますますレベルアップしているのでまだまだ飽きません。加えて、今回はダンブルドア先生と、その家族にまつわる謎も明らかになるってんですよ。なに、この要素の多さ…

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もう満腹でしょう? 僕もホームページやら何やらで予習復習を軽くしましたけど、固有名詞の多さに大混乱。観に行くまでは、こりゃ置いてけぼりを食らって下手すりゃ寝るなと思ったものの、スルスル頭に入ってくるのに感心しました。それぐらい、よくできていると思います。謎もですね、ひとつやふたつではなく、3つ4つ、でかいのがあって、それをバランス良く物語の中に配置することで、だれないように展開するのはうまいです。それなりの眠気を引きずって劇場へ向かった僕ですが、冒頭のダンブルドアとグリンデルバルド、つまりは、ジュード・ロウマッツ・ミケルセンが喫茶店で向き合っていきなりあっさり明かされる謎には驚いてばっちり目を覚まされてしまいました。これ、ふたりにとっては驚きもなにもないからあっさりなんだけど、そのあっさり具合が逆に見事な演出になっていました。
 
ただですね、ここからは僕がぶつくさ言うところです。だいたいがお家騒動だよなっていうこと。さっき褒めたのと裏返しにはなりますが、話を整理することに腐心した結果、全体として落ち着いたトーンになっていて、今回は「ノープランこそがプランなんだ」とか言うわりには、段取り良くトントン拍子に物事が進んでいくのだなと思ってしまうこと。魔法世界の総選挙みたいなのがあって、ポリティカリー・コレクトを踏まえ、アジア系、ラテン系、男女と候補者のキャスティングまでしっかり考慮しているのに、肝心の選抜方法が、キリンってなんなん? ほな、演説意味ないよ、とか。そもそも魔法はCGでなんでもできちゃえるようになっていて、強くなればなるほど、本人たちの肉体的な動きが鈍くなって、役者たちは落ち着いた感じに見えるという問題点が浮き彫りになったようにも思います。ローリングさんには、言葉も魔法も場面転換もいいけれど、動きで見せる展開を次作以降は強化してほしいもんです。

(C) 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved Wizarding World TM Publishing Rights (C) J.K. Rowling WIZARDING WORLD and all related characters and elements are trademarks of and (C) Warner Bros. Entertainment Inc.
などなど、ぶつくさはまだまだ言えるんですが、ジョニー・デップに代わる大役を見事やってのけたのは、マッツ・ミケルセンでした。奇抜な出で立ちと狂気じみたふるまいのデップではなく、見た目はほとんどそのままで、冷静と情熱のあいだを妖艶さが服を着て歩くようなグリンデルバルドに持っていけたのは、ミケルセンの魅力の賜物です。すばらしい! ということで、なんだかんだ言って、結局は次も観に行くことになると思います〜
今回は家族・一族の秘密、そこでないがしろになってしまったことや感情ってのがいくつか出てきましたが、同時に、前作からの流れを踏まえて、マグル、人間と魔法使いの恋の行方、新しい家族の形も模索されていて、そこで鍵となっていたこの甘いラブソングをオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年5月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パリ13区』となりました。この前扱った『ベルファスト』しかり、今回も当たらなかった『カモンカモン』しかり、モノクローム映像の作品がにわかに増えていますね。ジャック・オディアールのこの作品はどうしてモノクロなのかしら。パリを舞台にした恋愛群像劇、監督の意図に思いを巡らせながら劇場へ向かいます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ハッチングー孵化ー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月26日放送分
『ハッチングー孵化ー』短評のDJ'sカット版です。

フィンランドの郊外、針葉樹の森の中に広がる、ゆったりとした住宅地。12歳の少女ティンヤは、美しい母親と内向的な父親、そしてわんぱくな弟と一緒に素敵な一軒家に暮らしています。母親は一家の幸せっぷりをアピールする動画配信に血道を上げていて、ティンヤは母の求める完璧な娘の期待に答えようと、習っている体操の大会優勝を目指してトレーニングに励んでいます。ある夜、彼女は森の中で奇妙な卵を見つけて、家に持ち帰って温めることにしたのですが、その卵はなぜか次第に大きくなり、やがて孵化します。生まれてきた「それ」は、幸せな家庭の仮面をじわりじわりと剥ぎ取っていきます。
 
監督は、これが長編デビューとなる、女性のハンナ・べルイホルム。脚本は、これまでもホラーを得意としてきた若手のイリヤ・ラウチ。ティンヤを演じたのは、1200人もの応募があったオーディションで選ばれた、フィギュアスケートの選手でもあるシーリ・ソラリンナ。母親は、ソフィア・ヘイッキラが演じています。
 
僕は先週水曜日に、UPLINK京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

はじめに僕の評価を話しておくとするなら、粗やツッコミどころはあるものの、監督も脚本家もごく若手の有望な女性たちを僕は讃えたいです。描きたい内容も問題意識も、だいたいは申し分なく盛り込んだうえで、自分のビジョンを90分にまとめる手腕は、長くなるばかりの昨今の劇映画において、光るものがありました。
 
一見幸せそうに見える家庭が、一皮むけば実は… この手の話は古今東西枚挙にいとまがないです。誰だって、まず、家の中、家族を相手にした時の自分と、職場や学校での自分、そしてたとえば趣味の仲間のような友人とのつきあいにおける自分ってのが、多かれ少なかれ違うものですよ。自分でもままならないってのに、他人なんてますますままなりませんから、その他者との関係性、距離感や温度感の中で、アイデンティティが形成されていくんだと思いますが、その中で勘違いされがちなのが、家族です。家族の中でなら、本当の自分が出せる。あるいは、家族はある程度、ままなるはずだ。ましてや、自分の子どもなら、こちらの思い通りになるはずだ。そんな思い込みや、思い違いが、思わぬ悲劇を生むケースが多いように思います。そこに家父長制が絡んでさらにしんどくなっていた物語もありますが、本作の場合は女性が力を持っていて、なおかつ家庭内のすべてをコントロールするパターン。

来る

ここで鍵となるのが、母親のやっている動画配信、その名も「素敵な毎日」です。思い出すのは、やはりホラーテイストだった中島哲也監督の『来る』ですよ。あそこでは、妻夫木聡が自らのイクメンっぷりを盛りに盛って綴るブログが引き金になって悲劇のひとつが起きていました。こちらでは、母親が動画を撮影して、出演して、箱庭のような完璧な小宇宙を形成しているわけです。冒頭からその撮影シーンが出てきます。予告で流れるのがその場面になりますが、チリ一つないようなモデルハウスのような家で、彼女が文字通り監督・編集しているんだけど、それは実生活をそのままトレースもしているわけですね。彼女こそがあの家の監督であり編集者で、他の家族は意のままに操られる役者にすぎません。外面のためなら、都合の悪い部分は編集でカットするし、思い通りにならない部分があれば、何度だってやり直させる。それは、体操教室での娘へのコーチ以上に厳しい接し方にも表れていました。

[c]2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Väst
興味深いのは、そんな環境にあって、父親はなんの役にも立っていません。一定の収入があり、美人の妻と一緒になり、子供に恵まれたことで、彼はもう満足している様子で、妻とは反対に、おそらくは子どもにどうあってほしいということもなく、自分の趣味がある程度充実すれば、あとはもう面倒は避けたい事なかれ主義。極端に言えば、自分中心の無関心です。妻も同じように自分中心ですが、ベクトルは反対で、過干渉。すべて自分通りにしたい。
 
そこで、ティンヤが持ってきた卵が何を意味するかということですが、タイトルの孵化というのは、とてもシンボリックですね。これはそのまま、その卵から何かが出てくるということでもありますが、思春期に入っていく直前で、まだ母親に依存せざるを得ず、抑圧された自分をだんだんと認識して、彼女が内側に溜め込んでしまったやり場のない憎悪や不安がその殻を破ることでもあるわけです。

[c]2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Väst
この手の話だと、ある程度、本当に幸せそうな家族像を見せてから、それが崩れるっていう描写の段階が多いと思うんですが、この作品は卵にたどり着くまで、ものの数分です。それで興味の持続ができるのか。大丈夫なんです。なぜなら、孵化した「それ」が変容するからです。そこでさらなるサスペンスやスリルや恐怖が育まれていく。ホラーなのに、暗い場面は少なく、表面上は明るく、美しいのもいいです。ゴア描写も程よく的確に配置されていて、「母殺し」の構造はわかりやすく、おとぎ話としてUPDATEされたモチーフになっていて、なおかつ怖くて、幕切れは鮮やかでいて解釈も楽しめる。僕たちも自由でいるつもりでも、籠の中の鳥という側面があるはずです。目を覆いたくなるけれど、見て良かった、そんなフィンランド製ホラーの秀作の登場です。
曲は、サントラからではなく、僕のイメージ選曲でLinkin ParkのNumbにしました。これは親をモチーフにしていて、「自分の人生、こうあってほしかったというような人生」を子供に生きさせようとすることで感じる、子供の側のプレッシャーが描かれています。親の靴を履いて歩かされているようだって歌詞が痛々しいですよ。そこから自立していく歌でもありますが。

さ〜て、次回、2022年5月3日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』となりました。考えたら、これもでっかい鳥が出てくるやつですね。って、それはいいんですが、これだけの壮大なシリーズ3作目ともなると、復習が必要だよなぁ。迷子にならない程度に振り返ってから劇場に出向きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ベルファスト』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月19日放送分
『ベルファスト』短評のDJ'sカット版です。

北アイルランドの街、ベルファスト。9歳の少年バディは、家族や親戚、友だちと和気あいあいとしたコミュニティで楽しくやっていました。ところが、1969年8月15日のことです。プロテスタントの過激派集団がカトリック系住民への武力攻撃を始め、バディを取り巻く世界は一変します。カトリック住民の多いバディたちの住むエリアは特に分断され、平穏ではなくなってしまいました。このままベルファストに残るべきか、故郷を離れるべきか、家族は決断を迫られます。
 
共同製作、脚本、監督を務めたのは、ケネス・ブラナー。彼の経験もふんだんに織り込まれた脚本は、見事にオスカーを獲得しました。バディのお母さんを演じたのは、ダブリン出身の女優カトリーナ・バルフ。お父さんは、ベルファスト出身のジェイミー・ドーナン。印象的なおじいさんも、ベルファスト生まれのキアラン・ハインズが演じた他、ジュディ・デンチもおばあちゃん役で出演しています。
 
本当は前週に評する予定だったこの作品。僕が新型コロナウィルス陽性で自宅療養となってオコモリーノだったため、一週持ち越して、外出できるようになった一昨日の日曜日に、京都シネマでようやく鑑賞しました。もう上映回数が各劇場かなり少なくなっていますが、一昨日の昼間はかなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

98年の和平合意からだいぶ時間も経っているので、遠く離れた日本では記憶がおぼろげになっている方がいても不思議ではない北アイルランド紛争。イギリスってのは、大英帝国からの流れもあって、あちこちで植民地を持っていましたから、この作品にも移住先の候補として地名やパンフレットが登場したオーストラリアやカナダも含めて、コモンウェルス、英連邦王国として今も名を連ねる国があり、領土問題も歴史上あちこちでありました。今年で40年が経つフォークランド紛争もありましたしね。そして、北アイルランドにおいては、そこに宗教の問題も加わるからややこしい。これは16世紀の宗教改革以来のことをひきずっていますから、プロテスタントカトリックの対立は根深く、1969年から足かけ30年の間に、3600人ほどの死者を出したと言われるのが、北アイルランド紛争。その勃発の頃に小学生だったケネス・ブラナーが、右往左往した子ども時代をこうして回想することになったきっかけは、コロナ禍だったようです。「これからどうなるかわからない状況と不安を受け入れなければならない」感じが、当時のベルファストでの不安を思い出すきっかけになったとインタビューで語っています。

(C)2021 Focus Features, LLC.
僕はこの言葉で「なるほどな」と思いました。というのも、さっき僕が話したような紛争の背景や解決の難しさ、厳しさが実はそこまで描かれないからです。だからこそ、最低限の知識は持ち合わせておかないと、この人達は何をどうして争っているのかピンとこない可能性があるので、一応さっき触れたんです。むしろ、この作品は、僕が思った以上に自伝的で、ケネス・ブラナーのプライベートな思い出から出発した物語なんですね。基本モノクロで撮影されていることの理由も、「当時のベルファストは白黒の世界に見えたから」って彼は語ってます。それは、誰にとってって、もちろんケネス・ブラナーにとってです。平和を取り戻した今のベルファストとは違うものだったということを、ひとつの物語としてまとめておきたかった。それがねらいでしょう。

(C)2021 Focus Features, LLC.
劇中、何度か爆発や暴動は起こるんですが、それ以外には、きな臭いムードこそあれ、大人の僕らが観れば、牧歌的なところもあるんですね。大人とは違って、無邪気でいられる部分がある。だって、学校はある。そこで淡い恋もする。いたずらもする。おじいちゃんに宿題を手伝ってもらう。ただ、時々、怖いこともあるし、建設関係の仕事に従事するお父さんはロンドンへしょっちゅう出稼ぎに行っていて、どうやらベルファストの失業率は上がっているらしい。お父さんはいっそ新天地を求めて街を出ようと言うものの、お母さんにはそれは耐え難く、ふたりはよく喧嘩をしている。喧嘩はしているけれど、愛し合ってもいる。みんなで観に行った映画、たとえば『チキ・チキ・バン・バン』はカラーで引用されるのは、バディ少年=ケネス・ブラナー少年にとって、「シネマはカラフルな想像の世界への逃避だった」からです。

(C)2021 Focus Features, LLC.
オスカーでは脚本賞を得ました。確かに、特にセリフ回しはさすがのうまさ。算数の宿題みたいに「答えがひとつなら、紛争など起きんよ」みたいな、ユーモアをいつだって忘れないおじいさんの言葉は特に印象的でした。でも、どちらかと言えば、総合的に質の高い映画です。キャストたちの掛け合い、なめらかな質感のある美しいモノクローム映像、吉原若菜さんのヘアメイク、ヴァン・モリソンの音楽などなどの要素がくんずほぐれつ、それこそバディ一家のように一体となったからこそ、ケネス・ブラナーの代表作のひとつと言える良作になっていると言えます。

(C)2021 Focus Features, LLC.
互いにリスペクトをもってやさしく接することの大切さをお父さんがバディに説く場面がありました。それは、この時代にますます意味を持つことだし、時代は変わっても、どこであっても変わらない、前を向いて希望を棄てず、ユーモアと笑顔を糧に生きていくことの強さを描いています。その普遍性を獲得できたからこそ、この極めて私的な物語が、遠く離れた僕たちの心をも打つわけです。
 
重い荷物は分け合って、一緒に日向を選んで辿って歩んでいこうじゃないかというこの歌は、映画にぴったりでした。サントラからお送りしました。


さ〜て、次回、2022年4月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハッチング 孵化』となりました。予告を観ている時点で、「これはオシャレ怖いやつだよ!」と思って、おののいていたんです。当たってしまいました。なむさん! 「はたから見れば幸せそのもののファミリーが実は…」なパターンの物語は好きではあるんですが、これは怖そうだ… 自分の殻を破るつもりで、劇場へ出向きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ナイトメア・アリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月5日放送分
『ナイトメア・アリー』短評のDJ'sカット版です。

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1946年に出版され、当時映画化もされたグレシャムの小説『ナイトメア・アリー 悪夢小路』の新たな映画化です。1939年、流れ者のスタンが迷い込んだのは怪しげなパフォーマンスも多い移動遊園地・サーカスの一座。そこで心を読む読心術を手伝った彼は、もっと大成したいと、一座のかわいい女性モリーと駆け落ちをするように大都会へと飛び出して2年。上流階級のパーティーでショーを担当していたふたりは、エレガントな身なりをした心理学博士リリス・リッターにトリックを見破られるのですが、それはさらなる波乱の幕開けでした。

ナイトメア・アリー (ハヤカワ・ミステリ文庫) ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)

 共同製作、共同脚本、監督は『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロ。スタン役は、共同製作でも参加したブラッドリー・クーパー。そのスタンの運命を後半大きく左右することになる心理学博士リッターをケイト・ブランシェットが演じている他、トニ・コレットウィレム・デフォールーニー・マーラなどが出演しています。

 
僕は先週火曜日に、梅田ブルク7で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

怪獣大好き、ギレルモ・デル・トロが、怪獣そのものではなく、人間の心の醜さと欲望、その因果応報を150分の地獄めぐりとして描いたのが今作です。社会からみれば異形のものを繰り返し描き、そこにやさしい眼差しを向けてもきたデル・トロが、今回は異形の獣ではなく、異形の人を見つめます。前半の舞台となる移動遊園地は、乗り物もあるけれど、実に際どい、見世物小屋もたくさんあって、なかなかに強烈です。檻の中のギーク=獣人が出てきたり、ホルマリン漬けにされた胎児がいたりと、主人公のスタン同様、僕たち観客もおっかなびっくり見物するわけですね。ポイントは、彼は声が出せないのかと思いこんでしまうほどに、しばらく無言なんです。オープニングから暗示されるように、彼はなんらかの理由で家に火を放ち、過去を焼き払ってここにたどり着いたらしいんですよね。この時点で明かされていませんが、驚きながら恐れながらも、ある種の居心地の良さも感じているような様子が、その表情とキビキビした働きぶりからうかがえます。要するに、ああした見世物、芸人の世界というのは、過去は問わないからです。

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(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
僕たちは、スタンが何者かよくわからないまま、その登場からエンディングにいたるまで、彼が夢見る成功への道のりを歩む様子を追いかけるわけですが、面白いのは、その夢への道のりが、タイトル通り、悪夢への道のりに様変わりしていくことです。いや、実は振り返ってみれば、端から悪夢だったのかもしれない。
 
お話の構成としては、一応ざっくり前半と後半に分けられます。移動遊園地でのいわば修行時代と、キュートなモリーを射止めてやってやんぜと大都会に繰り出してからの晴れ舞台。ただ、スタンに関わる3人の女性を軸に物語を分けることもできるでしょう。読心術のトリックを手ほどきするタロット占いが得意なジーナ。この作品における良心のモリー。そして、スタンの欲望を焚きつけるリリス・リッター。彼女たちはそれぞれキャラクターが違いますが、それぞれにスタンの人生の案内人=ガイドとして機能して、物語の進路を決定づけます。どこへのガイドなのか。それは冒頭に言った通り、地獄めぐりです。それぞれタイプの違う女性とそれぞれに違う関わり方をしますが、そのいずれでもスタンは地獄へと導かれるんです。おそらく彼は、自分で自分の未来を切り開いているつもりだろうけれど、それは思い上がりであり、成り上がった末に調子に乗って、自分がすべてを意のままにコントロールできるようになると信じてしまうと人はどうなるのか、そこに金銭欲と支配欲とアルコールが関与したらどうなるのか、いずれも依存しやすい悪夢にスタンは足を引っ張られていきます。

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(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
って、考えたら、ブラッドリー・クーパーは酒の誘惑に抗いきれない役が多いこと。『ハングオーバー』しかり、『アリー/スター誕生』しかり。そして、自分自身しかり。もちろん、実生活ではセラピーを受けて、他の俳優を助ける活動もしていますが、とにかくクーパーの演技、特にリアクションの多彩さはすごかったです。なんとかなるさと笑い、動じていないぞとはりぼての余裕を見せる笑い、そしてこりゃ降参だという笑い。僕はその笑いの表現に特に感心しました。そこに、彼の内なる獣が、今作の主題である異形の人っぷりが表面化していたように思うからです。

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(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
ギレルモ・デル・トロは、その仲間たちと、すごいセットを組み、見世物小屋から、アールデコスタイルの心理学者の部屋から、あの雪降る迷路のような庭園まで、そして雨のそぼ降るノワールな画面の作り込み、劇的な照明、ファンタジックホラーな苦い味わい、グロテスクで悪趣味な描写もサラリと挟みながら、緊迫と恐怖と誘惑と美しさに満ちた強烈な磁場をスクリーンに出現させています。そのうえで、この映画は、二幕構成でいて、3人の女性に導かれる三角形であり、最終的には円環構造を成しているのかもしれないと、ラストにまた強烈な余韻を与えます。デル・トロ節はやはり炸裂。映画の醍醐味びっしりです。どうぞご覧ください。
映画には、当時の流行歌や音楽が配置されていますが、おなじみのもの、これなんかは耳にキャッチーに響きます。ところで、余談ですが、僕は内田吐夢監督の幻の劇場デビュー作と言われる『虚栄は地獄』という作品を思い出していました。1924年の、たった15分のコミカルな短編ですが、かつて観た時に、これにもしっかり教訓をいただいたもんです。

さ〜て、次回、2022年4月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ベルファスト』となりました。祝、ケネス・ブラナーアカデミー賞脚本賞! 半自伝的作品で思い入れもすごかろうし、ウクライナ情勢を思えば、今しっかり観ておきたい作品とも言えますね。モノクローム表現の意図など、僕は既に気になるところがいろいろ。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月29日放送分
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』短評のDJ'sカット版です。

ベースとしては西部劇。1920年代のアメリカ、北西部、内陸にあるモンタナ州です。大きな牧場を受け継いだフィルとジョージの兄弟は、まるで異なるキャラクターの持ち主。フィルは典型的なカウボーイで、威厳はあるが高圧的なこともしばしば。ジョージはおとなしく紳士的で、フィルに何を言われても怒りません。そのジョージが未亡人のローズと結婚することになったのですが、フィルはそれも気に入らず、そこへローズの線が細くて学のある息子ピーターも絡んでくることで、人間関係は徐々に変化していきます。

パワー・オブ・ザ・ドッグ (角川文庫) ピアノ・レッスン (字幕版)

 原作は、トーマス・サヴェージが1967年に発表した同じタイトルの小説で、今回の映画化に伴い、初めて角川文庫から邦訳が出ました。共同製作、監督、脚本は、『ピアノ・レッスン』でカンヌ国際映画祭、女性として初のパルムドールを受賞したジェーン・カンピオンです。フィルを演じたのはベネディクト・カンバーバッチ。ジョージをジェシー・プレモンス、ローズをキルステン・ダンスト、そしてピーターをコディ・スミット=マクフィーが演じました。

 
去年のヴェネツィアでは最優秀監督賞にあたる銀獅子を獲得し、昨日発表されたアカデミー賞では、作品、監督、主演男優、助演男優、助演女優、脚色など、なんと最多の12ノミネートを果たし、監督賞をジェーン・カンピオンが受賞することになりました。
 
僕は先週水曜日に、自宅のテレビ、Netflixで鑑賞してました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

昨日の監督賞も納得という見事な演出だったと先にお伝えしておきます。まず前提として、ガチガチの西部劇な物語にジェンダーという現代的なテーマを見出して、今映画にしようとしたジェーン・カンピオンの脚色、台本があっぱれです。加えて、スクリーンいっぱいに広がる、美しく畏怖の念を抱かされる自然描写のすごさ。レディオヘッドのギタリストであるジョニー・グリーンウッドのメロディーよりもリフのような繰り返しで雰囲気を醸す音楽。そして、実に4人もがアカデミー賞にノミネートした俳優陣のキャスティングと期待に応えた演技。これらすべてがあいまって、映画的な魅力がムンムンに満ちた風格のある1本になっています。娯楽映画として最大公約数を狙うことをますます義務付けられている印象の拭えないハリウッド大作とは違い、ある種嫌われることを厭わない踏み込んだ表現が許容されるNetflix映画との相性も良かったのかもしれません。
 
具体的に触れていきましょう。カンバーバッチ演じる主人公のフィルは、「男性らしさ」を尊ぶ典型的なマチズモの体現者として登場します。カウボーイそのものという出で立ちと、威勢のいいリーダーとしての振る舞い、そして女性や彼が軟弱とする男性をかなり荒っぽい言葉でコケにする人物で、牧場経営者の息子としての権力と、伝説のカウボーイの自分こそ正統な後継者であるという人脈を笠に着ています。そして、風呂嫌いです。笑っちゃうくらい、風呂嫌いです。

[c] Netflix / Courtesy Everett Collection
対する弟のジョージは、そんなフィルにからかわれた未亡人のローズとその息子ピーターに慈愛の精神で接するばかりか、なんとまぁ、あっさり自分の家族にしてしまいます。え? そこまで?ってくらいにびっくりな展開でしたけど、ジョージがローズを文字通り包み込むようにして愛を育む様子はこの映画の数少ない心安らぐシーンでした。
 
そんな対称的な兄弟のせめぎ合いで話が進んでいくのかと思いきや、実はそうじゃないというか、思っていた流れを逸脱していくのがユニークなところです。ここで時代を思い出しておきたいんですが、1920年代なんですよね。つまり、もう西部開拓時代ではありません。フロンティアはなく、野心と拡大の歴史の縁(へり)を彼らは生きています。かつての希望も夢も消えかかった状態なんですね。だからこそ、もうこの世にはいない偉大なる先輩の名前ばかり出しては偉そうに振る舞うフィルの言動には痛々しさがあります。と同時に、途中で明らかになる彼のマチズモの裏にある性質を僕たちが垣間見てからは、フィルが抱えてきた絶対的孤独も浮かび上がるんですね。なぜ彼は男性らしさにそこまで固執するのか、明らかになるのが、風呂嫌いの彼が人知れず水浴びをするタイミングだというのも示唆的でうまいです。

[c] Netflix / Courtesy Everett Collection
一方、カウボーイらしからぬジョージは、おそらく将来のことを考えて政治家に取り入ったりなんだりと奔走するのだけれど、結果として妻のローズをあの荒野に置いてきぼりにする時間が増え、彼女はやはり孤独から抜け出せません。やさしいのは良いんだけど、ローズの寄る辺なさの本質を捉えきれておらず、彼女を守りきれていないことに気づけない、あるいは気づいてもなすすべもないというジョージの限界が見て取れます。
 
ここで、ここまで名前をあまり出していなかったローズの息子、ピーターが映画冒頭、1人称のナレーションとして発した言葉が意味を持ってきます。要約すれば、父親が亡くなって、母を守るのは自分であると。ただね、守るって言ったって、意志は強そうだけど、ひょろひょろしていて、髪型もおよそ西部的ではなく、折り紙とデッサンを愛し、医学を志しているんです。まぁ、守るったってせいぜい寄り添うというぐらいなんだろうなと思っていたら、母親を突き放すような場面もあったり… どうも、ちぐはぐな人間関係がぐるぐる巡っているんですが、実はそれはフィルがずっと編んでいる革製のロープのように、計算されたものでもあってと気づいた時には、もうこの映画の魅力にしっかりとロープでくくりつけられてしまいます。

[c] Netflix / Courtesy Everett Collection
滅びゆく西部の世界にこびりついて終始離れない死の気配。どんな時代と場所であっても、ひとつの価値観によって押し付けられていたとしても、その実、存在する人間の多様性、特にこの映画では性的な面にスポットがあたります。残虐な場面やセクシャルな場面などほとんどないのに、濃厚に画面を覆う性と死、エロスとタナトス。そして、耽美的なほどの美しさがスクリーンから観客を支配します。
 
パワー・オブ・ザ・ドッグという言葉は、劇中に出てきますが、旧約聖書の引用で「剣と犬の力から、私の魂を解放したまえ」という意味。武力・暴力や、邪悪な人間の差別構造から、解き放ってほしいという願いを指していると思われます。その願いは果たされるのか、また果たされるとすればいかにして。それがこの映画の突きつけるテーマであり、虚しさであり、怖さなんですね。目が離せない最後の最後に、僕は恐怖と切なさを覚えました。心動かされるとともに、いつの時代も僕たちに絡みつく負のロープを解くことの難しさを感じたからです。そのキツさを受け入れがたい人もいるでしょうが、ミステリー、サイコ・スリラーとしてもゾクゾク楽しめる娯楽作にもなっています。ジェーン・カンピオン、久々の長編映画にして、堂々たる怪作をものにしました。
 
 
映画全体の不穏なムードを醸すのに大きな役割を果たしたJonny Greenwoodのサウンドトラックから、25 Yearsをオンエアしました。
 

さ〜て、次回、2022年4月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ナイトメア・アリー』となりました。ブラッドリー・クーパーがかっこいいし、予告編を観ていてもすごい画面の連続でワクワクする、ギレルモ・デル・トロ監督作品。オスカーは逃しましたが、どう考えたって見ごたえあるでしょう。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『THE BATMAN ーザ・バットマンー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月22日放送分
『THE BATMAN ーザ・バットマンー』短評のDJ'sカット版です。

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自分が幼い頃に両親を殺されたことへの復讐心を持ちながら、ゴッサム・シティの大富豪ブルース・ウェインが悪をくじくバットマンに扮するようになって2年。というのが、今作のスタート地点です。街の選挙戦が近づく中、権力者を狙う連続殺人事件が発生します。犯人を名乗るリドラーは、犯行現場に必ずなぞなぞとバットマンへの手紙を残していました。挑戦を受けた格好のバットマンですが、知能犯リドラーの意図とは?

猿の惑星:新世紀(ライジング) (字幕版) エクリプス/トワイライト・サーガ (字幕版)

 クリストファー・ノーランが手掛けたダークナイト三部作、完結から10年。共同製作と共同脚本、そして監督を務めたのは、『猿の惑星:新世紀ライジング)』や『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』のマット・リーブス。ブルース・ウェインには、『TENET テネット』や「トワイライト」シリーズのロバート・パティンソンが扮したほか、レニー・クラヴィッツの娘ゾーイ・クラヴィッツや、ジェフリー・ライトコリン・ファレルなどが出演しています。

 
僕は先週金曜日の昼に、梅田ブルク7で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 
「信じれば残酷になり、否定すれば凶暴になるもの、な〜んだ?」
 
これは、ザ・バットマンのヒールとして今回登場する殺人鬼にして知能犯のリドラーが出す数々のなぞなぞのひとつです。カチカチカチと回答時間が短くなる切羽詰まった状況でこんな哲学的ななぞなぞを出されたらたまったもんじゃありませんが、今回のバットマンは、闇夜に紛れて街の悪漢を撃退するのみならず、名探偵ばりの推理も要求されて、大忙しです。
 
複数のキャラクターたちが同じ世界観を共有するユニバース構想でマーベルが大成功を収める中、DCコミックスの方もエクステンデッド・ユニバースを展開して、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』ってのが2016年にありましたけれど、今回もどうやら3部作となりそうな気配のバットマンのリブートは、あの『ジョーカー』同様、どうやら直接関係のない、異なる世界の話ということになるようです。マーベルとDC各ユニバースに正直しんどくなってきている僕としては、少なくとも今作はバットマンに詳しくなくても、過去作を観たことがない人にもすっきりオススメできていいです。敷居がかなり低い。

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(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
ただ、そうなると、物語の構成が難しくなることも事実です。だって、リブートの宿命として、その誕生からの語り直しが避けて通れず、毎度のこと見せ場にはなるけれど、有名なエピソードだけに「もうわかったよ」ともなりがち。そこでマット・リーブスが選択したお話の時期が絶妙です。バットマンバットマンになってから2年目ですもん。まだ若く、未熟な部分も迷いもあり、確固たる存在でないだけに揺らぎがある。観客としても、なんとなくバットマンのことは知っていて、そのイメージを裏切ることなく、一緒に補強していくような調子で物語を進めていく。そして、巧みなのは、過去に否応なく向き合わせるのが、悪役であるリドリーだということ。バットマンは、計算され尽くした犯罪に巻き込まれ、その謎を解けば解くほど、解決に向かえば向かうほど、「自分とは何か」と考えさせられる。それがそのまま、THE BATMANという新シリーズのテーマ表明にも重なっていくので、複雑な話ではあるけれど、とても見やすいです。

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(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
そこで、もう一度、あのなぞなぞ。「信じれば残酷になり、否定すれば凶暴になるもの、な〜んだ?」。バットマンは即答します。それが正義であると。つまり、わかっているんです。正義はそう単純ではないってこと。わかっちゃいるけど、大金持ちとしての自分の出自や、過去のトラウマや、実は浅はかで視野狭窄だった自分に気づかされる。バットマンはいつも、闇夜からヌッと登場して、また闇に消えていました。街のチンピラを成敗してヒーローを気取っていたけれど、闇の中から犯罪に目を凝らしていたバットマンが、実はリドリーによってその単純な行動様式と浅はかさな部分を見透かされていたようなもの。「お前は世の悪の根っこが何かをうまく見極めることなんてできていない。ただ燃える復讐心を散発的に慰めているにすぎない。それがお前の正義なのか…」最悪な犯罪者から、的を射た批判を公然と突きつけられちゃたまりませんよ。このあたりは、デヴィッド・フィンチャーの『セブン』を思い浮かべます。

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(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
マット・リーブスはこうした哲学的なテーマを、抽象的にではなく具体的に、説教臭くならずスリリングに、黒と闇と雨とネオンを基調にした、ジャンルで言えばノワール極まりない映像世界に、探偵もののクライム・ミステリーという要素と、手に汗握るカーチェイスみたいなアクションを結びつけて描き出しました。しかも、トーンは極めてシリアスで、ユーモアはありません。ユーモアはないが、後のキャットウーマンになるだろう女性セリーナとのまるで青春映画のような、ロマンスめいたものがある。それでも、甘くはならず、とにかくどこを切り取っても、画面はかっこいい。2022年現在、地球のどこか、アメリカのどこかにゴッサム・シティのような街があって、そこでバットマンが苦悩しているんじゃないかと思えてくるほどに、様式美と存在感が同居しているのはすごいことです。だって、コウモリの格好をした妙な格好の男が、警察に混じって殺人現場で推理してるって、荒唐無稽としか言いようがないし、笑っちゃいそうでもあるけれど、それを見事に回避して緊張感を持続させ、『ゴッドファーザー』ばりに複雑で根深い犯罪模様をきっちり交通整理してスタイリッシュに僕らに伝え、最近の各種ヒーローものが忘れがちな、無辜の市民にシンプルに手を差し伸べる様子も用意するって、こんなの普通できません。

セブン (字幕版) ゴッド・ファーザー (字幕版)

僕はこれまでのバットマンで現状一番好きだってほどにハマりました。長いけどね。ニューズウィークの映画評を読んでいて笑ったのは、「エンディングになりそうな場面が3つはある」という指摘。確かにね。でも、長くて退屈したり、話がでっかくなりすぎて何が何やらというヒーローものにもなっていないので、ヒーロー映画好き以外の方にも強くオススメできるすごいのができました。
 
劇中で何度か繰り返されたのは、Nirvanaのこの曲でした。マット・リーブスはインタビューで、今回のバットマンブルース・ウェインをダークなロックヒーローのように描く構想を持っていたと明かしています。Something In The Way

さ〜て、次回、2022年3月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』となりました。ちょうど来週は日本時間で月曜日にアカデミー賞の授賞式がって、これも作品賞にしっかりノミネートしているので、結果はどうあれ、観てみたいなと思っていたところに、見事引き寄せました。まにあった! 鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ナイル殺人事件』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月15日放送分
『ナイル殺人事件』短評のDJ'sカット版です。

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大富豪の令嬢であるリネットは、ハンサムな夫サイモンとの新婚旅行にエジプトへ。その旅には、友人や親戚なども同行していて、ハイライトはナイル川を行く豪華客船クルーズです。ところが、そのハネムーンに水を差すのは、妻リネットの親友で、夫サイモンの元カノであるジャクリーン。彼女はストーカーとなって、船にも乗り込んできたところ、ある夜、リネットは殺されます。当然、ジャクリーンに疑いがかかるのですが、彼女にはアリバイあり。旅に同行していた名探偵エルキュール・ポアロの捜査が始まります。

ナイルに死す〔新訳版〕 エルキュール・ポアロ (クリスティー文庫)

演劇界の鬼才と名高いケネス・ブラナーによるポワロのリメイク・シリーズ2作目です。製作・監督・そして主演もケネス・ブラナー。富豪の娘リネットを演じるのは、『ワンダーウーマン』のガル・ガドット。夫サイモンを『君の名前で僕を呼んで』のアーミー・ハマー、ジャクリーンをエマ・マッキーが演じる他、大御所のアネット・ベニングなども出演しています。
 
僕は先週木曜日の午後に、MOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ご存知、アガサ・クリスティが生み出した名探偵、エルキュール・ポアロ。卵型の頭には灰色の脳細胞がうごめいていて、見事な口ひげをたくわえたポアロが、パリッと着飾ってステッキ片手に登場。ベルギー出身なので、フランス語混じりの英語で事件を解決に導く。大きな特徴はこうしたところでしょうか。僕も10代の頃にいくつか原作を読みつつ、映像化という意味では、日本でも放送されていたイギリスのドラマシリーズ『名探偵ポワロ』が、デヴィッド・スーシェの風貌も原作通りだと世界中のファンを獲得しました。もちろん、それ以外にも映像化はあって、ピーター・ユスティノフ主演で1978年、今日扱う原作『ナイルに死す』を脚色した『ナイル殺人事件』が公開されました。ニノ・ロータによる音楽も含めて、ヒットしたものが、今回、ケネス・ブラナーによるポワロ映画リメイクものの2作目としてお目見えという流れです。

オリエント急行殺人事件 (字幕版)

前提が長くなりましたが、それだけ人気の物語でもあるので、特に往年のポワロのファンにとってはそれぞれに思い入れがあるだけに、ヒットが見込める映画化であると同時に、観客の評価は下手すりゃ厳しいものになるという諸刃の剣でもあります。それは、前作の『オリエント急行殺人事件』もそうでした。僕はあの時も当時のCiao! MUSICAという番組で短評していまして、振り返ると、それなりに褒めて、ブラナー扮する新しいポアロのキビキビした動きと、推理を経てのまさかの人間的成長描写を独自のものがあると評価しつつ、全体として、演劇人らしい決めすぎの構図が大げさで興が削がれるなんて言っていました。ただ、ジョニー・デップデイジー・リドリージュディ・デンチペネロペ・クルスという豪華キャストによる演技合戦はそりゃ、見どころであると。

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(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved.
で、今回はキャスティングはさすがに前と比較すれば地味になっていますが、僕は設定や物語の改変ポイントに興味を惹かれました。サロメ・オッタボーンという人物が、原作や前回の映画化においては作家で、アガサ・クリスティもそこに自身を投影するキャラクターだったのに対し、今回は黒人でなおかつアメリカのブルーズ・シンガーなんです。ロンドンやナイルで、人々が生のブルーズ、しかもかっこいいジャズアレンジで踊る。この点については、ライターの速水健朗氏がpenに寄せた分析の中で、テネシー州のブルースの聖地として知られる町のメンフィスの名が、古代エジプトのメンフィスに由来しているのだという面白い読み解きをしています。それを監督がどこまで意識したかは別として、この設定変更によってもたらされたのは、音楽的な奥行きは当然ですが、加えて、1930年代当時、世界恐慌の影響でかつての威光に陰りが見え始めたイギリス社会の縮図をあの船の上に描くこと。黒人やインド人も含めたキャラクター配置は、単純にポリティカリー・コレクトだからということを越えて、時代背景の掘り下げの意図が反映されてのことだとうかがえるし、そうすることで、ケネス・ブラナーが目指す「愛の描写」ができると踏んだのでしょう。

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(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved.
謎解きよりも、事件を取り巻く人の感情、愛情を描くことに腐心しているケネス・ブラナー版『ナイル殺人事件』は、第一次世界大戦に兵士として参戦していたポワロの過去の恋愛と口ひげの秘密を付け足すなど、冒頭から最後まで一貫していましたし、その点は面白かったです。ただし、全体的にやはり大げさと言われても仕方のない演劇的な演技と、計算があざとくすら感じられるほどのカメラワークや色使いに食傷してしまう人はいるのは、好みの問題として仕方のないところです。さらに、ただでさえ込み入った物語を2時間強にまとめないといけないのに、さらに新たな要素を足したことで、どうしても事件が起きてからの展開があまりに性急で、ポワロのセリフ頼みで物語が進むことになり、名探偵の灰色の脳細胞が活性化していく様子は描きこみ不足と言わざるを得ません。ポワロがいつから何をどのように知っていたのかってことがわからないと、彼のすごさが伝わらないでしょうよ。その意味では、あれだけ左右対称を好むポワロを描くのに、バランスを欠いた演出になっていたかなと、僕は思います。でも、話も時代も異国情緒も面白いのは間違いないので、ぜひあなたも束の間の映画の船旅をスクリーンでお楽しみあれ。
 
愛を描いたうえで、そのままならなさがどうしたって醸し出されるラストに、例のサロメ・オッタボーンがこの曲を歌うというのはしびれるものがあります。

さ〜て、次回、2022年3月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『THE BATMANーザ・バットマンー』となりました。当たった瞬間に、「バットマンはこれまでだいぶ観てきたよ」ってついつい口走ってしまいましたが、予告を観る限り、これまたかなりダークでヘビーな雰囲気ただよう映像でしたね。尺は3時間弱… そのスリルと強烈さに、ぼくちん、耐えられるかしら… 鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!