京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ベルファスト』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月19日放送分
『ベルファスト』短評のDJ'sカット版です。

北アイルランドの街、ベルファスト。9歳の少年バディは、家族や親戚、友だちと和気あいあいとしたコミュニティで楽しくやっていました。ところが、1969年8月15日のことです。プロテスタントの過激派集団がカトリック系住民への武力攻撃を始め、バディを取り巻く世界は一変します。カトリック住民の多いバディたちの住むエリアは特に分断され、平穏ではなくなってしまいました。このままベルファストに残るべきか、故郷を離れるべきか、家族は決断を迫られます。
 
共同製作、脚本、監督を務めたのは、ケネス・ブラナー。彼の経験もふんだんに織り込まれた脚本は、見事にオスカーを獲得しました。バディのお母さんを演じたのは、ダブリン出身の女優カトリーナ・バルフ。お父さんは、ベルファスト出身のジェイミー・ドーナン。印象的なおじいさんも、ベルファスト生まれのキアラン・ハインズが演じた他、ジュディ・デンチもおばあちゃん役で出演しています。
 
本当は前週に評する予定だったこの作品。僕が新型コロナウィルス陽性で自宅療養となってオコモリーノだったため、一週持ち越して、外出できるようになった一昨日の日曜日に、京都シネマでようやく鑑賞しました。もう上映回数が各劇場かなり少なくなっていますが、一昨日の昼間はかなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

98年の和平合意からだいぶ時間も経っているので、遠く離れた日本では記憶がおぼろげになっている方がいても不思議ではない北アイルランド紛争。イギリスってのは、大英帝国からの流れもあって、あちこちで植民地を持っていましたから、この作品にも移住先の候補として地名やパンフレットが登場したオーストラリアやカナダも含めて、コモンウェルス、英連邦王国として今も名を連ねる国があり、領土問題も歴史上あちこちでありました。今年で40年が経つフォークランド紛争もありましたしね。そして、北アイルランドにおいては、そこに宗教の問題も加わるからややこしい。これは16世紀の宗教改革以来のことをひきずっていますから、プロテスタントカトリックの対立は根深く、1969年から足かけ30年の間に、3600人ほどの死者を出したと言われるのが、北アイルランド紛争。その勃発の頃に小学生だったケネス・ブラナーが、右往左往した子ども時代をこうして回想することになったきっかけは、コロナ禍だったようです。「これからどうなるかわからない状況と不安を受け入れなければならない」感じが、当時のベルファストでの不安を思い出すきっかけになったとインタビューで語っています。

(C)2021 Focus Features, LLC.
僕はこの言葉で「なるほどな」と思いました。というのも、さっき僕が話したような紛争の背景や解決の難しさ、厳しさが実はそこまで描かれないからです。だからこそ、最低限の知識は持ち合わせておかないと、この人達は何をどうして争っているのかピンとこない可能性があるので、一応さっき触れたんです。むしろ、この作品は、僕が思った以上に自伝的で、ケネス・ブラナーのプライベートな思い出から出発した物語なんですね。基本モノクロで撮影されていることの理由も、「当時のベルファストは白黒の世界に見えたから」って彼は語ってます。それは、誰にとってって、もちろんケネス・ブラナーにとってです。平和を取り戻した今のベルファストとは違うものだったということを、ひとつの物語としてまとめておきたかった。それがねらいでしょう。

(C)2021 Focus Features, LLC.
劇中、何度か爆発や暴動は起こるんですが、それ以外には、きな臭いムードこそあれ、大人の僕らが観れば、牧歌的なところもあるんですね。大人とは違って、無邪気でいられる部分がある。だって、学校はある。そこで淡い恋もする。いたずらもする。おじいちゃんに宿題を手伝ってもらう。ただ、時々、怖いこともあるし、建設関係の仕事に従事するお父さんはロンドンへしょっちゅう出稼ぎに行っていて、どうやらベルファストの失業率は上がっているらしい。お父さんはいっそ新天地を求めて街を出ようと言うものの、お母さんにはそれは耐え難く、ふたりはよく喧嘩をしている。喧嘩はしているけれど、愛し合ってもいる。みんなで観に行った映画、たとえば『チキ・チキ・バン・バン』はカラーで引用されるのは、バディ少年=ケネス・ブラナー少年にとって、「シネマはカラフルな想像の世界への逃避だった」からです。

(C)2021 Focus Features, LLC.
オスカーでは脚本賞を得ました。確かに、特にセリフ回しはさすがのうまさ。算数の宿題みたいに「答えがひとつなら、紛争など起きんよ」みたいな、ユーモアをいつだって忘れないおじいさんの言葉は特に印象的でした。でも、どちらかと言えば、総合的に質の高い映画です。キャストたちの掛け合い、なめらかな質感のある美しいモノクローム映像、吉原若菜さんのヘアメイク、ヴァン・モリソンの音楽などなどの要素がくんずほぐれつ、それこそバディ一家のように一体となったからこそ、ケネス・ブラナーの代表作のひとつと言える良作になっていると言えます。

(C)2021 Focus Features, LLC.
互いにリスペクトをもってやさしく接することの大切さをお父さんがバディに説く場面がありました。それは、この時代にますます意味を持つことだし、時代は変わっても、どこであっても変わらない、前を向いて希望を棄てず、ユーモアと笑顔を糧に生きていくことの強さを描いています。その普遍性を獲得できたからこそ、この極めて私的な物語が、遠く離れた僕たちの心をも打つわけです。
 
重い荷物は分け合って、一緒に日向を選んで辿って歩んでいこうじゃないかというこの歌は、映画にぴったりでした。サントラからお送りしました。


さ〜て、次回、2022年4月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハッチング 孵化』となりました。予告を観ている時点で、「これはオシャレ怖いやつだよ!」と思って、おののいていたんです。当たってしまいました。なむさん! 「はたから見れば幸せそのもののファミリーが実は…」なパターンの物語は好きではあるんですが、これは怖そうだ… 自分の殻を破るつもりで、劇場へ出向きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!