京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『PERFECT DAYS』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月16日放送分
映画『PERFECT DAYS』短評のDJ'sカット版です。

東京、渋谷にある公衆トイレの清掃員として働く平山。安アパートで一人暮らしの彼は、毎朝同じ時間に目を覚まし、淡々と、ただ熱心に、そして何よりも黙々と仕事に精を出しています。それは同じことの繰り返される毎日に見えるのですが、平山にとってはそうではなく、毎日が新しい日なのです。それが証拠に、彼の日々には、少しずつ、されど確実に違いのあることを映画は見せていきます。
 
エグゼクティブ・プロデューサーと主演は、役所広司。監督と脚本は、70年代にニュー・ジャーマン・シネマを生み出し、世界中の映画人に大きな影響を与え続けるヴィム・ヴェンダースという組み合わせです。日本が舞台ということもありますし、共同脚本には、電通のクリエイティブディレクターで作家の高崎卓馬がクレジットされています。そして、製作は柳井康治。この方はファーストリテイリング、要するにユニクロの会長である柳井正さんの息子さんで、やはり取締役常務の方です。不思議な座組ですが、この柳井さんと高崎さんの映画との関わりについては評の中で触れます。キャストは、平山を演じた役所広司の他に、柄本時生石川さゆり三浦友和田中泯なども出演しています。昨年のカンヌ国際映画祭役所広司が日本人として2人目の男優賞を受賞した他、今年のアカデミー賞国際長編映画部門ショートリストに選出されています。
 
僕は先週木曜日の昼にTOHOシネマズなんば別館で鑑賞しました。年齢層高めの印象でしたが、かなり入って、映画館は良い雰囲気でしたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

あらすじの時点でそりゃ面白いだろうっていう映画もあれば、あらすじではまったく面白みが伝わらない映画もありまして、この作品は完全に後者です。主人公の平山が何をするって、本当に特別なことはないんですよね。目が覚めて、車で出かけて、仕事して、帰って、銭湯行って、一杯やって、家帰って、本を読んで眠くなったら寝る。冗談抜きに、それだけなんです。劇的なことって、ほぼないに等しいんだけど、それでも、これがまぁ見ていて目が離せないほどに面白いし、観終わってからなんだか豊かな気持ちになって、毎日を新鮮な心持ちで生きていけるんじゃないかって思えるんです。そんな魔法のようなことを達成してしまったのが、小津安二郎監督を心の師と仰ぐヴィム・ヴェンダース監督です。

©️2023 MASTER MIND Ltd.
ただ、企画そのものは、電通の高崎卓馬さんとファーストリテイリングの柳井康治さんが立てたもののようでして、実はまずトイレありきなんですね。柳井氏が渋谷区の公衆トイレを誰もが一度は使いたくなるようなひとつひとつ個性あるものに刷新するThe Tokyo Toiletというプロジェクトをあくまで個人として推し進めて結果を出したんだけれども、そこで大切なことであり課題として浮上したのが、メンテナンスの重要性だったらしいんですね。「家のトイレは毎日掃除しなくても汚れないのに、公共トイレは1日複数回清掃しても汚れてしまう」という負の行動連鎖を良い方向にシフトするにはどうすれば良いかと高崎さんに相談した時に「アートの力」が必要なんじゃないかと清掃員を主人公にした映画の企画が生まれてきて、そこにヴィム・ヴェンダースが加わっていったんですね。当のヴェンダースは、小津のスタイルを真似をすることなく、小津のスピリットや物腰を継承しています。小津の言葉に「いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、ドラマの本質は人格を作り上げることだと思う」というのがあります。平山というのは複数の小津映画で笠智衆が演じていた役名なんですが、ひとつひとつの行動の積み重ね、反復と差異、繰り返しと少しずつの違いの中に平山という人物がきっちり浮かび上がってきます。まるで、彫刻家がのみや彫刻刀でひとつの木の塊から彫刻を掘り上げるように。

©️2023 MASTER MIND Ltd.
そこでわかるのは、あの無口すぎる男、平山が「気づきの人」であることです。最も象徴的なのは、昼休みにご飯を食べながら、フィルムのコンパクトカメラでもって神社の木漏れ日を撮影するところ。いつもファインダーを覗かないんですよね。どれも似たりよったりに見えるけれど、ひとつとして同じではないものとしての木漏れ日。平山はそれを切り取らずにカメラで記録して、現像した後、休みの日に仕上がりを確認しては、気に入ったものを残し、気に入らないものはその場で破って捨てていく。平山というのは、世界の変化に目を凝らし耳を澄まし、あるがままに受け入れて、しかるべき選択をしていく。取捨選択をして、自分の人生や生き方をソリッドに磨き上げていく。頑固ではあるけれど、彼独自の美学がそこにあって、決して閉鎖的ではない。なんなら、家の玄関、いっつも鍵すらかけないですから(←この部分については、放送翌日、リスナーのeigadaysさんからこんなご指摘がありました。「あのアパートのドアはドアノブの真ん中にボタンがあってそれを押してドアを閉めることで自動的に鍵がかかるタイプだと思います。姪っ子が平山の帰りを待っていることからも」。確かに! あのアパートなら、そういう施錠方法の可能性が高いですね。平山が決して閉鎖的でないことには変わりませんが、これは僕の勘違いでした。ご指摘、ありがとうございました。)。トイレの書き置きを通して見知らぬ誰かと交流もすれば、いきなり登場した姪っ子も職場の出来の悪い後輩も受け入れる。なんなら、ほのかな恋心もある。ものは必要最低限だけれど、ささやかなりに素敵なチョイスの音楽や本が彼にはある。切ないことも悲しいこともあるけれど、修行僧が毎日庭の掃き掃除をするように、平山はトイレを隅から隅までピカピカにすることによって曇りなき心を取り戻す。それが証拠に、彼は毎朝、近所のおばさんが道路を箒で掃く音で目を覚まし、その音を聞きながら起き上がり、どんな天気であっても、前の日に何があっても、玄関のドアを開けながら笑みを浮かべるんです。

©️2023 MASTER MIND Ltd.
お仕事映画としても、東京観光映画としても面白いし、特に大人は平山の生き様にどこか心惹かれてしまうものがあるでしょう。いろいろと経験した末に、ものごとはもっとシンプルでいいんじゃないか。ガツガツとせずに、世界をコントロールしたり切り取ったり、ましてや何かを奪うのでなく、受け入れて感じ取って、必要最小限の自分の好きなものを軸に日々を慎ましくも楽しく暮らしていく。そんな平山の姿に憧れすら持ってしまう人は続出でしょう。平山が見る夢のように、この作品自体が都会暮らしの現代人には夢のようでもある寓話なのかも知れません。美化されてもいるし、ここに描かれなかった暗部や心の闇の部分もあるはずです。それでも、ラストショットの長回し役所広司が見せる笑い泣きは、なんだかんだとfeeling goodだという人生の肯定が画面に広がっていました。かつてヴェンダースが『不思議の国のアリス』をひねって『都会のアリス』を撮ったんですが、これはさしずめ『不思議の街の平山』かもしれません。現代の東京に生きる多様な人々とそこに絶妙に配された役者陣にもアッと驚きながら楽しんでください。また家でもいつか観ると僕は思いますが、断片的なエピソードがモザイクを織りなすタイプのこの作品は、集中して劇場で鑑賞するに限りますよ。
主人公平山は、毎朝早く、仕事道具をたっぷり積んだライトバンで出勤しながら、これまた運転席の上に積んだカセットテープの数々からその日の気分で音楽を流しています。そのチョイスがまた最高なんですが、いくつか参ったなと唸るものがありまして、これなんかはそのひとつ。金延幸子です。72年発表の伝説的アルバム『み空』から、細野晴臣のアレンジ、『青い魚』をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年1月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『笑いのカイブツ』。伝説のハガキ職人ツチヤタカユキの私小説岡山天音主演で映画化したものです。テレビの投稿ネタ番組もそうですが、ラジオも当然出てきそうですよね。僕が放送しているようなFMだとリクエストの曲とセットというところもありますが、普段からリスナーの投稿に感心している僕としても、興味は尽きません。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月9日放送分
映画『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』短評のDJ'sカット版です。

2019年にまさかの大ヒットを記録した『翔んで埼玉』の続編。前作では、東京都知事の息子で名門私立高校生徒会長の壇ノ浦百美が、埼玉解放戦線を率いる帰国子女の転入生麻実麗と出会い、埼玉を開放する戦いに向かっていくという都市伝説が描かれましたが、今回はその3か月後が舞台です。東京への通行手形制度が撤廃されたのは良かったものの、埼玉県人は横のつながりが薄いという問題が浮上します。麗は埼玉県人の心をひとつにするため、越谷に海を作ることを計画。仲間と和歌山の白浜へと向かうのですが、関西は大阪府知事、神戸市長、京都市長支配下にあり、滋賀県ジン、和歌山県人、奈良県人が非人道的な扱いを受け、白浜も大阪人のためのリゾート地になっており、通行手形がない者は入ることができないシステムになっていたのでした。

翔んで埼玉 翔んで埼玉

原作は魔夜峰央ですが、続編の今作はオリジナルのストーリー。監督は前作に続き、『のだめカンタービレ』『テルマエ・ロマエ』『ルパンの娘』シリーズの武内英樹。キャストは、GACKT二階堂ふみ加藤諒益若つばさといった前作からの面々に加え、杏が滋賀解放戦線の貴公子桔梗を演じる他、大阪府知事片岡愛之助、神戸市長を藤原紀香京都市長川崎麻世がそれぞれ担当しています。
 
僕は先週水曜日の夕方にMOVIX京都で鑑賞しました。ほぼ満席! それでは、今週の映画短評、いってみよう。

前作も僕はラジオで評していまして、2019年2月のことでした。その内容はブログで読めますので、良かったらご一読ください。日本映画史上最大の茶番でありながら、そしてローカル極まりないトピックを扱いながら、実はかなり普遍的な寓話でもあるコメディーだと言っていまして、それが奇跡的にうまくいったのは、お話のメタ的な構造にあると分析していました。今回は学校が出てくる場面が少ないのでなおのこと忘れそうになりますが、GACKT演じる麻実麗は高校生だし、二階堂ふみ演じる壇ノ浦百美は男子なんです。ムチャクチャなんだけど、そんな話をそのまま見せるんじゃなくて、あくまで埼玉で絶大な人気を誇るラジオ局NACK5でDJが語る寓話、都市伝説であるという入れ子構造にしてあるから、現実と程よい距離感を確保できているんですね。今回もその仕掛けが採用されていまして、さらなる利点としては、話が関西に飛び火することで肝心の埼玉の影が薄くなることを回避しています。現実の埼玉でとある家族がラジオで聴いている話にしてあるので、現実の埼玉の物語、今回は地域対抗綱引き大会という綱、いや、話の軸も並行して走らせることで、麻実麗たちが関西へ出向くという、これまた突拍子もないとしか言いようがない設定が空中分解するところをぎりぎりのところでうまく収めているんですね。

(C)2023 映画「翔んで埼玉」製作委員会
そして、今回のメインとなる関西の設定ですが、僕は前作が公開された時から、これ、関西でやるなら埼玉のポジションは我が故郷、滋賀がしっくり来るんじゃないかと思っていたもので、今作の情報が世に出たその日から番組でも前のめりな期待感をあらわにしておりました。滋賀出身の作家の姫野カオルコさんが書いた『忍びの滋賀:いつも京都の日陰で』という名著にもあったように、日本一スルーされる県とも言われる滋賀県にこうしてスポットが当たったことをまずは喜びたいです。やれ、滋賀作だ、やれ、ゲジゲジナンバーだ、京都洛中で働こうものなら、やれ産地偽装だと揶揄されまくってもめげずに琵琶湖のような広い心で笑って流してきた滋賀県解放戦線が犠牲を払いながらも一矢報いて関西に平和をもたらそうとする様子には、特に涙は出ませんが、たとえば杏演じる桔梗の面白いのになぜか感動的ですらある血気盛んな演説など、グッと来てしまうところがあります。

忍びの滋賀~いつも京都の日陰で~(小学館新書)

そして、出ました伝家の宝刀「琵琶湖の水を止める」という作戦で京都大阪に対抗するにあたり、その蛇口の部分である南郷洗堰、瀬田川洗堰というピンポイントに僕の故郷が大事な決戦の舞台となっていることも嬉しいかぎりでした。なんていう郷土愛をくすぐられるのは、僕が滋賀出身だからですが、こういう狭い地域でそれぞれの風習をいじったり、差をあげつらうなんていうのは、およそ人間が生きている世界中どこだってあることなんですよね。一歩引いてみればどんぐりの背比べだし、大同小異だと思うようなことで延々とぐちゃぐちゃやっている。それは傍目に見れば笑っちゃうようなことなんですよ。その笑っちゃうようなことを大真面目にやっているからなお笑えるという構図がまさにこの映画なわけです。だからこそ、関西いずれのいじりも、笑って済ませられるものになっているし、その姿勢はパンフレットで美術を担当された棈木陽次さんがしていた巧みな表現「ゼロ・リアル」なやり過ぎ演出の数々に結実しているのだと思います。

(C)2023 映画「翔んで埼玉」製作委員会
僕も実際に何度か声に出して笑ってしまいましたが、ただただ笑うだけの演芸的な映画化と言えば、僕はそうでもないと思っていて、それが端的に感じられるのは片岡愛之助演じる大阪府知事の繰り広げる日本、あるいは万博を通しての世界大阪化計画だろうと思います。何度か劇中で出てくるセリフ「昔の大阪人はもっとおおらかで人が良かった」というもの。それがここしばらくの間にすっかり変わってしまったと嘆く人が出てくるのは… なんていうのは、はっきり現実の風刺だと思いますね。という具合に、なかなか踏み込んだ表現にもなっているし、僕はそのあたりまで読み解くと、ますますこの映画は、このシリーズは面白いと思います。

(C)2023 映画「翔んで埼玉」製作委員会
風吹けば止まる湖西線。とびだしとびた君。滋賀の人間に信楽焼は割れません。比叡山は大津の世界遺産やねん。あと、最高だった、大阪の阪と書いての「阪流」ブームのくだりとか、小ネタの数々はいくら時間があっても足りないくらいなので割愛しますが、片岡愛之助藤原紀香の夫婦共演などのキャスティングも最高でした。たい焼きの尻尾まであんこが詰まっているようなネタ過積載な本作、ぜひ劇場でやっているうちに笑いに行ってください。
 
主題歌をお送りしても良かったんですが、ここはやはり滋賀のミュージシャンがいいなと思いまして、滋賀のほんわかバンド、ゴリラ祭ーズの最新アルバムExtreme Ennui Super Ultra Popからのインストナンバー、グッドバイをオンエアしました。

さ〜て、次回2024年1月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『PERFECT DAYS』です。お賽銭箱に貯まっていた13.600円を一度リセットしてもうちょい金額を増やし、能登地震ガザ地区での人道支援のためにそれぞれ1万円ずつ寄付をしたことが功を奏したのか知りませんが、映画ファンなら押さえておきたい話題作をきっちり当てることができました。ヴィム・ヴェンダース役所広司を主演に迎えて日本で撮影したこの作品。僕の周囲でも非常に高い評価の声を耳にします。行くぞ! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ウィッシュ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月2日放送分
映画『ウィッシュ』短評のDJ'sカット版です。

願いが叶う魔法の王国に暮らす少女アーシャの願いは、100歳になるおじいちゃんの願いが叶うこと。ところが、その国では、市民の願いは魔法を操る王様に支配されているという衝撃の事実をアーシャは知ってしまいます。みんなの願いを取り戻したいという切なる思いに応えたのは、願い星のスター。空から舞い降りてきたスターや、子山羊のヴァレンティノ、そして友達と一緒に、アーシャは王様を打倒するために立ち上がります。
 
ウォルト・ディズニー・カンパニー創立100周年を記念する本作。監督は「アナと雪の女王」シリーズのクリス・バック。脚本は、そのアナ雪でクリス・バックと共同監督・脚本を担当した女性のジェニファー・ミシェル・リー。主人公アーシャの声は、アリアナ・デボーズ、日本語版では生田絵梨花。マグニフィコ王は、クリス・パイン、日本語版では福山雅治。他にも、吹替版には、山寺宏一檀れい鹿賀丈史などが出演しています。音楽は、シンガーソングライターであり、ジャスティン・ビーバーエド・シーランへの曲提供でも知られる売れっ子のジュリア・マイケルズが担当しました。ちなみに、日本語吹き替え版の音楽演出は、FM COCOLO DJでもある森大輔くんの仕事ですよ。
 
僕は先週木曜日の午後にTOHOシネマズ二条で吹き替え版を鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ディズニー100周年ということで、同時上映された短編は、『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出』という作品で、スタジオそのものの実写映像とCG、セルアニメを組み合わせてアニメーションそのものの変遷も絵的に織り込みながら、なんと500以上のディズニー・アニメーションのキャラが記念撮影をするために集合するというもので、なかなか楽しかったんですね。そして、続けての『ウィッシュ』本編もまたアニバーサリー作品ですから、当然、これまでのディズニーの総括という側面があって、いわゆるイースター・エッグ、つまりはファンなら気づく小ネタ・隠しネタが、これまたすごい、100以上も散りばめられているようです。「ようです」というのは、僕も当然すべてに気づけているわけではなく、「鏡よ鏡」という雰囲気でマグニフィコ王が自分のイケオジっぷりに酔いしれる雰囲気は『白雪姫』だよなとかなんとか、とにかく枚挙にいとまがないわけですが、それと物語や作品そのものはとりあえず直接の関係はないので端折るとして、注目すべきは、ディズニーがこれからの新たな主人公像を模索しているのだろうということです。

©2023 Disney. All Rights Reserved.
監督や脚本家は、先述したように「アナ雪」のクルーなわけですが、アナ雪の画期的だったことのひとつは、恋愛至上主義ではなく、連帯というものが重視されたことで、あれから10年ほど経って、ディズニーも新作を出す度に、試行錯誤しながら、その路線をより強固なものにしてきました。つまり、ディズニークラシックの雛形であった「女性は王子様と結婚して幸せに暮らしました」という価値観とストーリーラインの時代に合わせたブラッシュアップ、あるいは乗り越えですね。ディズニーの多様性へのこだわりというのは、世界中のファンを巻き込んでいきたいという商業的な思惑とうまく重ね合わせながら実践されてきました。結果として、ポリコレうざいといったバックラッシュ、強い反動も呼び起こしてきたわけです。それを踏まえて今作の設定を振り返ると、この地中海の王国では、市民みんなの願いが登場するんですね。多様な願いがあって、ここがポイントなんですが、主人公アーシャの願いは何かと言えば、自分がどうなりたいというよりも、おじいちゃんの願いが叶えられることだっていうんですよ。つまり、誰かの応援なんです。

©2023 Disney. All Rights Reserved.
しかし、争いのないユートピアのようなあの国で、なぜおじいちゃんの願いが叶えられないのか。これはマグニフィコ王によって「願い」がすべて管理されているから。人が叶いもしない願いを胸に抱いていると、それは辛い人生になってしまうし、いさかいのもとでもあるということですよ。ほほう、なるほど。その結果、彼はまず市民から願いを受け取り、それを大切に保管する代わりに、端的に言えば、身の程知らずな願いを放棄することで心安らかに、もっと踏み込んで言えば、平凡かつ国の安寧を乱さない範囲で一生を送れるというロジックなんですね。面白いのは、そんなこととはつゆ知らずだった主人公のアーシャが、マグニフィコ王の弟子になることを目指し、こうした国家という大きな主語でありがた迷惑な政策の内幕を知った上で願うのは、つまるところみんなの願いをみんなの心に取り戻すことを願うという究極の利他の心の発露なんですよね。きっとマグニフィコも当初はエゴではなく利他的な精神から出発していたのだろうけれど、国家権力とナルシシズムの果てに心に濁りが生じ、気がつけば正反対のポジションに陥る一方、アーシャは7人の仲間たちとスターという素敵な魔法と力を合わせることで、恋愛やいわゆるヒロイズムとは違う現代的な活躍をみせるのがこの物語の肝だと思います。

©2023 Disney. All Rights Reserved.
正直なところ、たとえばキャラクターそれぞれの掘り下げと「水彩画風」と言われる絵のタッチのすり合わせがいずれも不足している感じはあって、それこそ100周年という節目にネタをせっせと仕込むあまりまとまりが失われているのは否めません。それでも、これまでの歴史を踏まえながら、なんなら自己批判しながら、これからの映画が描く夢と希望、その物語の持つべき役割というものを模索するディズニーの姿勢には感心します。僕は吹き替えで見ましたが、生田絵梨花福山雅治というキャスティングは、それぞれの芸能界におけるイメージもふわり踏まえているようで、演技も何より歌もすばらしかった。完成度というよりも、僕はその意気込みや姿勢を高く評価したい1本でした。

さ〜て、次回2024年1月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』です。ついに当たりました。公開スタートから候補に入れ続け、一度は他の大作に押されていなくなったものの、翔んで戻り、それも外れ、またしても翔んで戻ったところで引き当てました。FM COCOLOのDJ陣では最も琵琶湖愛、滋賀愛、郷土愛が強い僕が、鮒ずしを日常的に食べている僕が、いよいよ評します。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ポトフ 美食家と料理人』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月26日放送分
映画『ポトフ 美食家と料理人』短評のDJ'sカット版です。

19世紀末のフランス片田舎。森の中の美しいシャトーに暮らす美食家のドダンと、彼のアイデアを完璧に具現化する女性料理人ウージェニー。ふたりが生み出す料理はヨーロッパで広く噂になるほどです。ある日、仲間と一緒にユーラシア皇太子晩餐会に招待されたドダンはその豪華なだけの料理にうんざりし、お返しに料理の真髄を示そうと、庶民的でシンプルなポトフでもてなそうとするのですが……
 
今年のカンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞し、アカデミー賞国際長編映画賞フランス代表になった本作。原作小説からの脚色・脚本・監督は、ベトナム出身のトラン・アン・ユン。料理人ウージェニーに扮したのは、ジュリエット・ビノシュ。そして、美食家のドダンを引く手あまたの名優ブノワ・マジメルが演じました。そして、料理の監修を務めたのは、ミシュラン三つ星シェフのピエール・ガニェールです。
 
僕は先週水曜日の午後にアップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

五感で楽しめる◯◯なんていう表現をちょくちょく見聞きします。人間の五感というのは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですが、映画で言えば、このうち視聴覚を扱うものになるわけですね。ところが、本作は不思議と五感すべてをたとえ擬似的にであれ動員しているような錯覚を覚えるのがすごいところです。さすがは映像の名手トラン・アン・ユンだけありまして、わかりやすい例が開始30分の部分だと思いますが、ドダンとウージェニーがシャトーで朝食をとるところから、友人たちを招いての食事会へと流れていくくだりで早速その手腕が発揮されているんですね。スクリーンに映る湯気には香りも一緒に漂ってきそうだし、食材を収穫・調達してカットしたり煮込んだり焼いたりする際の音も伝わってくることから触感も刺激されます。そして、味覚は言わずもがなですよ。流れるカメラワークにはため息すら出るほど。それは眼福にして幸福、いや、口の福と書いて口福でもあります。

©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
しかも、トラン・アン・ユンのすごいのは、ひとつひとつのショットのカメラポジションや動きに意味とリズムがあるんです。間が持たないから、とりあえずレールに乗っけてカメラを動かしておこうか、なんて選択はまずなかったはずです。さらに、これは19世紀末ということで、主な舞台となるシャトーなんてのは、昼でも暗いところがたくさん。その陰影をうまく計算しているし、蝋燭の灯りを使った撮影は相当に難しいはずですが、どの画面もそれぞれにまるで一幅の絵画のようでした。音楽はほとんどありません。19世紀末、同時代のクラシックを使ってムードを高めることもできるんだろうけれど、トラン・アン・ユンはフランスの田舎の自然音や料理や食事中の音、そしてそこで繰り広げられる会話こそ良質なサウンドトラックだと言わんばかりの演出で、下手すりゃ退屈しそうですが、そんなことはまったくない。

©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
美食家と料理人なんて副題がついているから、僕はてっきり海原雄山みたいなのが出てきて蘊蓄を偉そうに語ってこちらの食欲を減退させるんじゃないかと身構えていましたけれど、このドダンという料理を芸術の域に高めた人物は大変に研究熱心であり、なおかつ知性豊かでウィットもあるイケオジでして、悲しいときにははっきりめっきり落ち込んじゃうところも含めて、もうその魅力ときたら、ブノワ・マジメルの好演も光って非の打ち所がないにも関わらず、20年来の仕事のパートナーであるウージェニーは、簡単にはドダンに身も心も委ねないのがまたピリッとしていて良いんです。仲良し夫婦でやってます、みたいなことでも良いんだろうけれど、ドダンがどれだけウージェニーに惚れ倒していても、ウージェニーはと言えば、公私混同はわきまえるべきものとして自立した女性として凛としているのがまた美しいんですね。で、これはまったくの余談だし、この品のある映画にはふさわしくないゴシップかも知れないけれど、ブノワ・マジメルジュリエット・ビノシュはかつて結婚していて、ふたりの間には娘さんもいるんですよ。もう20年くらい前に別れているとはいえ、監督もこのふたりをドダンとウージェニーにそれぞれキャスティングする勇気と、それに見事に応えるという座組がまた素晴らしいなと思いました。

©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
これは僕がちょくちょく言うことですけれど、食欲と性欲というのは芸術においてはよく置き換えて表現されることがあります。ドダンとウージェニーに当てはめれば、性的な関係を匂わせたりするところはあるものの、ふたりが知恵と技術を凝らして作る料理やそれをおいしく味わう様子そのものがとても官能的でもあって、あのふたりならではの愛の形として美しい。ドダンがウージェニーのために料理を作ってあげるところにはその愛が凝縮されているし、僕にはそのシーン全体がトラン・アン・ユンならではのラブシーンだと感じました。ドダンがウージェニーのために口にする季節をモチーフにした愛の詩とそこへの返答、そしてラスト近く、シャトーの厨房でカメラが360度くるりと巡るところなんて、僕はもう卒倒しそうなほどにうっとりしまして、大人の恋愛映画としても極上だし、全体として言うなら、ふたりのもとで料理を学ぶ若い女性たちの存在も含めて、食文化の伝統と革新というものがどれほどその文化そのものを広く豊かにするものかを教えてくれる食育映画でもあるなと感じました。それをベトナム出身のトラン・アン・ユンがものにしたことに最大級の賛辞を送りたいです。あと、ポトフ、食べたい。
先述したように、ポトフでは、基本的に音楽は流れません。森の音、料理の音、ドダンの詩的な言葉などが映画の音の基調をなすわけですが、僕はあの男女二人の友情、愛情、同士としての一口に表せない関係を念頭に、放送ではこの曲を鳴らしました。リンゴとポールが共演したWALK with You。

さ〜て、次回2024年1月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ウィッシュ』です。ディズニー100周年記念作品ということで、これまでのディズニー像を総括したうえで未来へと向かう作品になっているという話も聞きますよ。楽しみ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月19日放送分
映画『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』短評のDJ'sカット版です。

幼い頃から母親と一緒においしいチョコレートの店を開きたいと夢見ていたウォンカ。一流のチョコレート職人が集まるチョコの街へと向かうのですが、いきなりお金をめぐるトラブルに巻き込まれてしまいます。それでもめげないウォンカの生み出す魔法のチョコレートは見事人気を博すのですが、地元のチョコレート組合に目をつけられてしまい、あの手この手の妨害を受けることに。さらには、ウォンカを付け狙ってくる小さな紳士ウンパルンパも登場して、事態はますます大変。ウォンカはチョコレート店を作れるのか。

チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール コレクション パディントン2(字幕版)

ハリー・ポッター』シリーズをヒットさせた敏腕プロデューサーのデイビッド・ヘイマンが製作を手掛けていて、監督と共同脚本は『パディントン』シリーズのポール・キングが担当しました。原作はもちろんロアルド・ダールですが、出演もしているサイモン・ファーナビーと監督がオリジナルストーリーに仕立てました。ウィリー・ウォンカを演じたのはティモシー・シャラメウンパルンパにはヒュー・グラントが扮した他、ローワン・アトキンソン、オリビア・コールマン、サリー・ホーキンスなど豪華な面々が出演しています。
 
僕は先週金曜日の昼にMOVIX京都のドルビーシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

現代のレオナルド・ディカプリオ、あるいはジョニー・デップと言われることのあるティモシー・シャラメが主演するウィリー・ウォンカの若い頃の話というと、ティム・バートンが監督した『チャーリーとチョコレート工場』でジョニー・デップが演じた特徴あるウォンカ像がすぐに思い浮かんでしまうわけですが、シャラメはその強すぎるぐらいのイメージをうまく煙に巻いて、独自の夢ある青年としてのウォンカと作り上げることに成功しているし、ポール・キングも演出でそこにうまく誘っていました。それぐらいにしっかり別物だし、71年に同じダール原作として彼が脚本にも関わったカルト作『夢のチョコレート工場』ともまた違った味わいのオリジナルストーリーに見事に昇華しています。

© 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
船に乗ってチョコレートの街にウォンカがやってくるところからスタートするこの物語。ウォンカはまず1曲歌い踊りながら、映画のスタイルを観客に過不足なく提示します。そう、これは要所要所で歌が物語を引っ張るミュージカルの体裁を取っています。夢を持った若き男がやって来たのが、実は夢を持つなんてことを禁じられた街であること。だけれど、苦境に追い込まれても、お金がなくても、夢を捨てずにチョコの魔法を信じ続けるほどに、お人好しでもあるし、邪気のないウォンカ。そういう基礎的な世界観を始まってすぐに、言葉ではなく、その身のこなしと音楽の調子と歌詞、そして色の使い分けで表現してしまうセットアップがすごく巧みです。僕は決してミュージカルが好きではない、ミュージカル映画にしてみれば招かれざる客なんですが、それはなぜかと言えば、ミュージカルという硬直化したジャンルが要請する歌によって、物語が停滞するばかりか、下手をすると後退しているんじゃないかと思うことがあるんですよ。その点、本作はウォンカの夢と音楽がもたらす高揚感などの感情、そしておいしいチョコを食べた時のうっとりする感覚が手に手をたずさえて、物語をがっちり強固にしてそのアクセルを踏み込んでいるのがすばらしいです。

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ロアルド・ダールらしい毒っ気もちゃんとあります。ガレリアの四つ角にそれぞれ店を構える3店舗がカルテルを結び、その甘い魅力でチョコの街の市民を魅惑することを完全に越えて支配しているその仕掛けなんて最高です。教会権力を抱き込み、警察権力も手なづけている。そして、完全に詐欺を働いて金と労働力を巻き上げ続けるブラックな経営者もいる。そんな悪党どもまでを、決してシリアスにではなく、楽しく戯画化して描き、そこにひとつひとつ落とし前をつけるっていうか、ギャフンと言わせるのが楽しいんですね。そこに一役買っていたのが、ウォンカのチョコレート作りに生かされるあの小さな小さな工場を始め、たくさんのバリエーションが登場する機械仕掛けの数々。下水道を駆使して警察の目を逃れながら仕事をするウォンカ一味という流れでは、街全体をひとつの魔法がかった機械に見せていたともいえるでしょう。加えて、善悪のはっきりしないウンパルンパみたいな存在も忘れないのが、世の中の大半はグレーなのだからと、あんなに奇抜だけれど妙に頷いてしまいました。多彩なチョコレートが画面に登場しましたが、複雑な味わいを見せるチョコを作るには、実は甘いだけではない材料が大事なこととか、ひとつ入れるものを間違えれば毒にもなりかねないこととか、板チョコは割って分けやすい誰かとその喜びを分かち合うものだとか、人付き合いや社会にとって大切なことのメタファーとしてチョコをうまく働かせていたのも、素敵な演出レシピといったところでしょう。

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ポール・キングは「パディントン」シリーズで培った良質なファンタジー・メイカー、大人もばっちり目を丸くして楽しめる作品の造り手としての才能を本作でも遺憾なく発揮していて、ひとつの到達点だと思いますし、スーパーヒーロー映画には出ないと決めている作品選びに慎重を期すシャラメは、その甘いマスク、目尻の少し垂れたあの瞳が失わないきらめきもウォンカにぴったりで、きっと後に代表作と言われる役柄になったと思います。これは年末に見るのにも自信を持っておすすめできる1本です。
 
いい曲がたくさんあって迷っちゃうサントラですが、やっぱり頭のところ、夢を詰め込んだハットを被ってウォンカが登場します。なけなしのお金をポッケに入れてやって来たけれど、たった4分程度のこの曲の間に無一文になってしまうという、切なくもウォンカ青年の人柄を表す内容になっているのが巧みです。

さ〜て、次回2023年12月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ポトフ 美食家と料理人』です。年末年始とごちそうを用意している方も多いかと思いますが、互いが互いを高め合うような関係が描かれているのかどうか、そして画面を彩る料理の美しさはどんな塩梅か。生唾ゴクリなタイミングが多そうなんで、適度に小腹に何か入れてから劇場へ行こうかしら。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『怪物の木こり』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月12日放送分
映画『怪物の木こり』短評のDJ'sカット版です。

「怪物の木こり」という絵本に登場する怪物の仮面を被り、人の脳を文字通り奪い去る猟奇的な連続殺人が起こり、警察が捜査を進める中、犯人がどうやら唯一殺しそこねた男らしい謎の弁護士、二宮彰に話を聞くことになります。ただ、その二宮は二宮で、冷血非道で殺人も厭わない男でした。犯人を追う警察と、自分を殺そうとした犯人に逆襲しようと企む二宮。先に真相にたどり着くのはどちらか。

怪物の木こり (宝島社文庫)

2019年に「このミステリーがすごい!」で大賞を受賞した倉井眉介の同名小説を実写映画化した本作。監督は、三池崇史。主人公の弁護士二宮を亀梨和也、警視庁のプロファイラーを菜々緒、二宮の婚約者を吉岡里帆、二宮に協力する医師に染谷将太が演じる他、堀部圭亮、渋川清彦、中村獅童などが出演しています。
 
僕は先週木曜日の夕方にTジョイ梅田で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画には、サイコパスという、用語取り扱い注意なワードが頻発するんですね。広く言えば、なにかしら精神に異常をきたした人物のことなんでしょうが、医学的あるいは脳科学的な裏付けや助言はクレジットを見ると中野信子氏が担当しているようです。あくまでフィクションの物語なのでぼんやりとはしているものの、狭い意味では、人間など命ある動物を傷つけることにまったく躊躇がないほどに冷酷かつ暴力的で、自分の利益と思えることに迷いなく手段を選ばずに突き進んでいく人間ということになるのかな。ポイントとしては、映画の冒頭で示されるように、そんなサイコパスを人為的に作り出そうとした夫婦がかつていて、子どもを対象とした脳の手術が一定数繰り返されていたこと。つまり、フランケンシュタイン的な人が生み出した怪物と、生まれながらにしてなのかは定かではないけれど手術を経ずともサイコパスである人物の2種類がいて、それぞれに何食わぬ顔で社会の中を生きているという設定なんですね。途中で、とある人物が「人が裁かれるのはその精神によってではなく、行為によってだ」という趣旨の発言をするし、また別の人物は「連続猟奇殺人事件の被害者がもしサイコパスなら、犯人を捕まえることが正しいのかどうか」みたいなことを言うゾッとするくだりもあって、倫理的に結構な綱渡りではあるけれど、人の精神をめぐるやり取りとして興味深いところはいくつかありました。僕も観終わってちょっと考え込んでしまうほどに、サイコパスをめぐるキャラクターの考え方の違いがあって、なかなか興味深いなとは思いました。

[c]2023「怪物の木こり」製作委員会
ただ、だからといって作品を手放しに褒められるかというと決してそうではなくて、脚本の組み立て方のところでピントがぼやけてしまっているのがまず気になります。骨格としては犯人探しの物語なんですが、その犯人を被害者のひとりである弁護士の二宮も警察も追っているという構図はいいものの、警察の中に敏腕女性プロファイラーいて、菜々緒演じる彼女が活躍するのが、僕は話の大筋をかえってグラグラさせている気がするんですね。彼女はすごくいいキャラなんですけど、単独行動が目立つため、警察組織のくたびれた刑事たちのこれはこれで味のある佇まいを完全に食ってしまっていて、もはや独自の探偵的なポジションになってしまうし、探偵的な役回りは犯人に襲撃された弁護士の二宮も同じだし、なんかこう話の線がグラグラしていて、うまく組紐状に束ねられていれば納得なんですが、むしろほつれ気味という印象です。僕はもうプロファイラーの彼女を主人公にしてしまっても良かったと思うくらいですよ。逆に不憫に思えてしまったのが吉岡里帆演じる二宮の婚約者で、彼女は舞台役者のような役どころでしたが、原因不明の死を遂げた父親と二宮との間でどんな思いを抱いているのかという描写がほとんどなく、人物像が浮かび上がってこないため、とても大事なキャラクターなのに映画の中でうまく機能していません。それから重要なモチーフかのように提示される絵本にしても、結局のところ、あの絵本がいったいなんなのか、今ひとつ示しきれていません。

[c]2023「怪物の木こり」製作委員会
三池崇史の演出は、たとえば冒頭のカーチェイスや二宮の非道っぷりがすんなりわかる手際の良さもあちこちにある一方で、予算の都合もあるのでしょうが、大事な舞台となる洋館での対決シーンが、洋館の浮世離れしたおどろおどろしさにかなり頼っているのと、キャラクターが怪我を追ったのをいいことに全体の鍵となる部分を微動だにしない役者のセリフで説明してしまっていたのは大いにマイナスでした。

[c]2023「怪物の木こり」製作委員会
座組もストーリーももっと面白くなる可能性があるだけに、僕としては煮詰め不足を感じる結果となりました。原作があるからというのは別として、菜々緒を主人公というか全体のガイドにして構成を組み直したバージョンが見てみたいくらいです。

さ〜て、次回2023年12月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』です。ご存知、『チャーリーとチョコレート工場』の工場長ウィリー・ウォンカの若かりし頃を描いた作品ですね。って、考えたら、今日評した作品の劇中では、絵本『怪物の木こり』がティム・バートンによって映画化みたいなフィクショナルな遊びが入っていましたが、『チャーリーとチョコレート工場』の監督はティム・バートンやったやんかいさ。奇しくも、なんて思いながらも、ティモシー・シャラメに会いに行くことにしましょう。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『シチリア・サマー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月5日放送分
『シチリア・サマー』短評のDJ'sカット版です。
1982年、イタリア、シチリア。サッカーのイタリア代表がワールドカップで優勝した、あの夏。17歳のジャンニと16歳のニーノ。バイクの整備工場と打ち上げ花火の現場でそれぞれ父親の手伝いをしていたふたりは、バイク同士でぶつかってしまったことをきっかけに知り合います。家庭環境も性格もまるで違うジャンニとニーノでしたが、だんだんと親密になり、ふたりだけの秘密を分かち合うようになっていきます。当時実際に起きた事件を基にしたこの映画は、イタリアの重要な映画賞ナストロ・ダルジェント(銀のリボン)で新人監督賞を獲得し、公開されるや記録的な大ヒットとなりました。
 
監督と脚本は、90年代から俳優として活躍してきたシチリア出身のジュゼッペ・フィオレッロで、これが長編初監督です。ジャンニとニーノを演じたのは、ともに2004年生まれのサムエーレ・セグレートとガブリエーレ・ピッツーロ。ふたり揃って、ナストロ・ダルジェント(銀のリボン)賞で最優秀新人賞を獲得したことで、ヨーロッパで人気が急上昇しています。
 
僕はメディア試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

銃声が鳴り響く、シチリア、海沿いの荒野。16歳のニーノとその甥っ子トト、そして、ニーノの伯父さんがいて、ニーノは銃の手ほどきを受けています。狙うのは野ウサギ。そこだけ切り取れば、親戚が集まってごちそう目当てに狩りをする手法を継承していく牧歌的な光景なんですが、映画を見終わってみると、これがプロローグとしてうまく機能していることがはっきりとわかります。銃というマッチョなアイテムと、そこに漂う極めて男性的な価値観が実はここで提示されていたということなんですね。

© 2023 IBLAFILM srl
残念ながら、80年代前半のシチリアは、カトリックの保守的な価値と倫理が支配するイタリアの中でも、性的少数者にとって居心地が最悪という場所でした。いわゆるホモフォビア、つまりは同性愛を多かれ少なかれ嫌悪する人が大勢を占めているような状況で、それは都会ならまだしも、田舎の村ならますますひどい状況だったことが端的に描かれています。ワールドカップでイタリアが勝ち進む様子を、村のバールにみんな集まって観戦するというようなところで、いつもの連中からいつものようにからかわれ、小突かれてばかりの青年ジャンニ。彼は同性愛者であるとそのムラ社会で完全に認識されているんですね。劇中でチラッとセリフで示されることですが、なんとまぁ矯正施設にも入れられた過去があるらしい。同性愛というのは、矯正するものであるという恐ろしい発想が施設という形をとって制度化されていたというありさま。そんなところから地元に戻ったら大変です。あちこちから後ろ指を指される中、ジャンニは義理の父親が運営するバイクの修理工場で働き、好奇の目で見られ続けるという責め苦を味わっています。ここで僕は重要だなと思ったのは、わりと屈強な村の若い兄ちゃん、バールにたむろしている兄ちゃんが、どうやら彼も同性愛の指向があるようでジャンニに陰で言い寄るんですが、拒絶されるんですね。すると、その兄ちゃんは、マジョリティの側に立って、マジョリティを隠れ蓑にしてジャンニに暴力を振るおうとする。これもこれで哀しく、差別の根が深いことをうまく描いたシーンです。強い抑圧が感情の屈折を生むわけです。

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そんな状況と環境の中で、ジャンニとニーノはバイク事故により文字通り交錯します。ひとつ年下のニーノの方は、おそらくまだ性に無自覚だったと思うんですが、かくしてふたりはまずは友情を育んでいきます。ジャンニにしてみれば、抑圧的な父親やムラ社会の外でほとんど唯一の友達としてニーノを大切に思えたし、そんなニーノが、彼しか知らない秘密の場所を自分に案内してくれたことにも感動したことでしょう。山間にかかる橋の下を流れる美しい川です。夏ですからね。そこで泳ぐふたり。この作品では、川と海と雨と、水はふたりにまとわりつく周囲からのホモフォビアという汚れを洗い流してくれる場所でありモチーフとして機能しています。一方で、ニーノの家業である花火は、また違った意味合いが込められていて、ニーノがジャンニにその魅力を熱心に説くように、愛をも表現できる美しいものでありながらも、僕たち観客には一瞬きらめいては闇に吸い込まれてしまう儚いものと読み取れるんですね。

© 2023 IBLAFILM srl
そして、もうひとつ、家族についても考えさせられます。家庭は、安らぎの場所であると同時に、守るべきものであり、それは時に、体面を汚す要素があれば手段を選ばずに守ることも起こり得る。特に、後半で鍵を握るのは、ジャンニとニーノ、それぞれの母親です。息子を愛してやまないのだけれど、ふたりはそれぞれに少し違った理由ではありますが、物語の決定的な引き金を引いてしまいます。これも、強い抑圧がもたらす屈折かも知れません。

© 2023 IBLAFILM srl
全体として、シチリアの美しい自然を背景に美少年たちがその青春を謳歌する喜びと悲しみが乱反射する作品になっていまして、その反射をつかさどるアイテムのひとつ、鏡を使った演出もあちこちで冴えています。そんな風に、直接的ではなく間接的に暗示的に、そして全体のトーンも抑制をきかせた演出の目立つフィオレッロ監督。長編初監督ですが、俳優だけじゃないその才能はすばらしい!
この映画のためにジョヴァンニ・カッカモというシンガーソングライターが書き下ろしてシチリア方言で歌い上げた、「遠い」という意味のLuntanuをオンエアしました。物語の基になった事件から40年余り。事件を発端に、まさにシチリアから性的少数者がその理解と人権意識の向上を促す団体が成立するなどしましたが、ある程度事態が改善していても、今年シチリアでいじめられた少年が自死するという痛ましい事件があったところ。そして、これは日本も同様ですが、先進国の多くで同性婚が法的に認められる中、イタリアも法整備が進んでいないという現実があります。誰もが自分のありのままで生きられる時はまだ遠い……。


さ〜て、次回2023年12月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『怪物の木こり』です。三池崇史監督が亀梨和也を主演に迎えたサイコスリラーって時点で僕は縮み上がっておりますが、そんなチキンでも大丈夫か!? さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!