京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

CREVASSE

 これは、みやびないとで上映した1本目の作品名です。クレバスと読みます。登山用語として一般に用いられている言葉で、裂け目を意味します。夏であれば、登山者は 「あ、ここは落ちたら危ないな」 と危険を事前に察知して、その裂け目を乗り越えていくことができるのですが、問題は冬です。雪で覆われてしまって、上からは見えなくなっているのです。氷河があるところでは、もちろん季節を問わず危険ですね。クレバスの核心は、その危険を前もっては認識できないところにあるのです。認識したときには、時すでに遅し。場合によっては、何百メートルも滑落してしまい、二度と戻ってくることができないほどです。僕は大学生だった頃ワンダーフォーゲル部に所属していて登山をよくしていたので、今でも山は好きなんですけど、雪山だけは何となく行く気がしません。もちろんクレバスに遭遇する確率なんて相当低いものなんだろうけど、冬の山の土を踏みしめられない感じが末恐ろしいんですよね。

 前置きが長くなりました。僕の映画の話に戻りましょう。快適便利な現代的生活をつつがなく送っているうちに、ひょんなことから精神的危機を抱え込んでしまうことってあるんじゃないかなと思ってました。それはまるで、しっかりと舗装されたコンクリートにひょっこり姿を現す亀裂。そうした危うい状況と隣り合わせで生きる人はたくさんいると僕は思います。心のひずみにのまれそうな人とその人を取り巻く人々は、どのようにして事態を認知し、問題を共有し、それに対処していくのか?あるいはできないのか?それがこの作品のテーマと言えます。一つ屋根の下に暮らすある若い男女を被写体に選んで、僕なりにこのテーマを掘り下げて制作したわけです。

 ラジオでDJが読み上げる現代詩以外は、まったく台詞のない作品です。言語を使用したやり取りは、男の昼休みに交わされる電子メールのみ。女の精神的な不安定さが次第にのっぴきならないものになって行くにもかかわらず、男は仕事を中心とした日常の中でそのことに気づかない。女のずれた行為からも、彼女の危機の深刻さを読み取れない。むしろ、自分が落ち着き払って行動することで、確固たる日常的な安定を作り上げることで、彼女を徐々に快方に導くことができると信じ込んでいたりする。こんな2人のすれ違いが、二つのベクトルのブレが、取り返しのつかない結果を招き、男はそこで初めてことの重大さを知る。

 う〜ん、悲劇だ。悲劇です、これは。ぎこちないコミュニケーションしか取れない2人の話を、言語情報を極力排除した映像だけで撮りあげた僕ですが、観客とのコミュニケーションは果たして無事に取れているのだろうか?その辺が一番問題なんだろうけど、上映会ではこの作品を好みだといってくれる人が少なからずいたので、上に書いたような筋=内容でなくても、観た人ひとりひとりがそれぞれもやもやしつつ解釈してくれたんならそれでいいんだなって思ってます。でも、「意味わかんない」っていう人もいたかもしれないなぁ。ドラマっぽい撮り方はしてるけど、なんせ言語的な説明が一切入らないから。

 CREVASSEは、この3月まで僕がイメージフォーラム付属映像研究所第28期に在籍してたんですけども、その卒業制作として作ったものです。秋には渋谷で卒業制作選抜展があるんで、そこで再上映されるといいなと思ってるんだけど、どうなることやら。


CREVASSE
 出演:林千尋・竹内美洋・嘉納みなこ
 DV/8mm 31分 2005年

余談ですが、僕はこの作品でDJとして声の出演をしました。DJ役だけは、どうしても他の人に譲れなかったのです。音楽をこよなく愛し、「舌と脳が、僕の体で一番大事な部分だ。突き詰めれば、やっぱり舌だな。舌は大事だ。レーゾン・デートルだよ、僕の」と言い切ってしまう僕です。当然のように昔からDJという職業にあこがれていて、今回の作品で擬似的ではあれ、本懐を遂げることができました。書いてみると、余談さ加減が並大抵ではありませんでした。ま、いいか。て事実だから。