京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『アンダーカレント』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月24日放送分
映画『アンダーカレント』短評のDJ'sカット版です。

亡くなった父から家業の銭湯を継いだ女性かなえでしたが、共同経営者の夫が突然失踪。一時休業して途方に暮れていましたが、再開したところに働きたいとやってきた堀という謎の男。一方、かなえは大学時代の友人から紹介された探偵の山崎と失踪した夫の行方を捜すことになるんですが、そこで驚きの事実が明るみに出てきます……。

アンダーカレント (アフタヌーンコミックス)

原作は、国際的にも評価の高い、豊田徹也が2004年に発表した同名漫画です。監督と共同脚本は『窓辺にて』や『ちひろさん』の今泉力哉。音楽は細野晴臣が手がけました。主人公のかなえに、原作がもともと大好きだったという真木よう子が扮した他、謎の男堀に井浦新、探偵の山崎にリリー・フランキー、失踪した夫に永山瑛太、かなえと夫共通の友人に江口のりこと、真木よう子と以前から関わりが深いキャストが集いました。
 
僕は先週金曜日の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

今泉監督は、前作の『ちひろさん』も漫画原作だったんですが、彼は決して漫画フリークというわけではなく、原作のことも打診を受けて初めて知ったくらい。だからこそというか、程よい、いや絶妙な距離感で原作とつきあった、幸福な映画化と言える作品になっていると思います。原作の豊田徹也氏は劇場パンフレットでこう書いています。「これは『アンダーカレント』の映画化であると同時に今泉監督の新作でもあります。原作の熱心な読者はどう撮られても不満を感じるのかもしれません。でもなるべく鷹揚に映画『アンダーカレント』を観てくれたらうれしいです。そして原作を知らない人は原作のことはあまり気にせず、今泉君の新作を楽しんでくれたらいいなと思います」。これはもう、豊田さんからの敬意ですよ。今泉監督への信頼ですよ。なにしろ、これまで何度かあった映画化の話は断ってきたということらしいですから。

(C)豊田徹也講談社(C)2023「アンダーカレント」製作委員会
テーマとしては、過去の心の傷に蓋をして生きてきた人物の再生っていうことになるのかもしれないけれど、そんなものに特効薬はないわけで、逆立ちしたってわかることのできない自分以外の他人、そして自分自身のことを、それでもわかろうとしながら、時間という絆創膏もあてつつ、治癒や再生というか、かさぶたくらいのところまで傷が癒え始める話です。傷は一足飛びにも一直線にも治らない。ある程度治ってきたかなと思ったら、それこそかさぶたがボロっと外れて血が流れ、傷跡は前よりも深くなるなんてことがわるわけです。この作品で言えば、主人公のかなえや堀さんという謎の青年がそうです。かなえにしても、堀にしても、時折、本人の中で時間が止まったり脇道にそれたりするようなフラッシュバックに襲われるんです。それは、水の中に首をしめられて沈められるような、映像はぼやけたり粒子が粗かったり水で揺れるはっきりと恐怖のイメージだったり、直接的には映像は挟まれないけれど、そうしたフラッシュバックが脳内で起きているのかもしれないというような様子の本人の佇まいや表情として示されることもあります。この映画は143分と尺が長いんですが、それは時間の表現のために必要な尺なんですよね。だって、ギュッと煮詰めてストーリーラインだけをダイレクトにつなぎ合わせれば、おそらくですが、100分とか110分に収まりますもん。

(C)豊田徹也講談社(C)2023「アンダーカレント」製作委員会
普通の劇映画だったら編集で削ぎ落とされそうなカット尻を残してあることが多いんですね。でも、その微妙な間の中に、彼らの悲しみそのものであったり、悲しみを抱えながらも続いていく日常のおかしみみたいな部分がにじみ出ているんです。わかりやすい例を出せば、かなえが夫の行方を調べてもらっている探偵から、定期報告を受ける場面。なぜかカラオケボックスに行くんです。それ自体もシュールなんだけど、喫茶店なんかよりも、意外とこういう場所の方が話しやすいという探偵の言葉に妙に納得はするし、そんなことも消し飛ぶような話が出てきます。謎が謎を生み、かなえも観客も放心するわけです。普通なら、そこで次のシーンに行くんだけどっていうところ。おかしみと悲しみが一度に去来する演出はお見事でした。

(C)豊田徹也講談社(C)2023「アンダーカレント」製作委員会
それから、知り合いのツテで、かなえと堀さんが隣町ぐらいにある銭湯の人に会いに行くシーン。思ってもみなかったことが既に起きていて、現場で初めてそれを知り、立ち尽くすかなえ、堀さん、知り合いのおじさんという3ショット。そこそこロングの背中越しに撮るんです。起きたできごとを物語る背景、3人の後ろ姿。そこで次へ行けば良いんだけど、呆然としたその絵はまだ途切れない。と思ったら、ふと、なんでもないことだけど、風が吹いて、ちょっと滑稽なできごとが起こるところまで活かしてある。そういう、ストーリーラインとしては一歩間違えればノイズになるようなところが、実は少しずつ積もり積もって、作品のテイスト、あるいは文体のようなものを構築していきます。だからこそ、必要な長さなんですね。その他、時の経過を示す7月とか8月という、本や漫画で言えば章立てに当たるテロップは出るんですが、それ以上に、シーンの多くが、フェードアウトからの黒画面で、句読点を打つようにして編集されているのも大きな特徴。ジム・ジャームッシュ初期作品風ですかね。そのフェードアウトも、長いやつ、短いやつ、ほとんどカットアウトなものとバリエーションがあるので、あのあたりの編集のさじ加減も魅力になっています。映画と漫画は、似ているようでいて、実は違った原理で成立しているものですが、それが幸福な関係を築けた一例だと感じました。

(C)豊田徹也講談社(C)2023「アンダーカレント」製作委員会
劇場パンフレットでライターの吉田大助氏が言及しているように、原作の豊田徹也氏が村上春樹の小説集『一人称単数』の装画を担当していますが、他人と自分、それぞれの中で、あるいはその間で渦をなすような本心を巡る物語であることは、村上作品の大きなテーマと通じるでしょう。そこで果たす水というモチーフにも似たところがある。映画では実は表現が難しいテーマですが、今泉監督は形にしてものにしています。
 
映画に主題歌はありませんが、今泉作品の主題歌も担当していた澤部渡のプロジェクト、スカートに、同じタイトルの曲がありまして、これも豊田徹也さんの原作へのオマージュなんですね。聞いてみてください。

さ〜て、次回2023年10月31日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』です。大本命を珍しく公開直後に当てました。マーティン・スコセッシ監督。レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロ。ハリウッドを背負って立ってきたイタリア系の3人が集っての3時間26分。開映前にトイレ必須。そして、あとは飲まず食わずで臨む予定です。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッター改めXで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!