さ〜て、次回、2020年9月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、実写版の『ムーラン』です。製作上のすったもんだがあって公開が遅れ、コロナ禍にぶち当たり、挙句の果てにディズニー+での配信となってしまった作品。会員登録(一ヶ月は無料とはいえ)に加えて税抜2980円が必要というハードルの高い作品。いろいろと波乱含みですが、ディズニーの新作を候補に入れないのもなと思っていたら、当たりました(笑) あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
エドアルド・レオ特集上映より 『黄金の一味』解説
どうも僕です。ハムエッグ大輔です。恥ずかしながらドーナッツクラブに戻ってまいりました。ここ数年は個人で活動してたのですが、この度エドアルド・レオ特集上映実現のために、再びドーナッツクラブと手を組むことになった次第です。今日から数回にわたって映画の解説を担当させていただきます。まずは数日後になら国際映画祭でも上映が決まっている『黄金の一味』(Gli uomini d’oro)からご紹介。
トリノの郵便局に勤めるナポリ出身のお調子者メローニは、給与にも仕事内容にも不満を覚えている。年金を繰り上げて受け取り、コスタリカに新天地を見出そうとしていたが、政府の金融改革により、計画はふいになってしまった。そこで企てたのが、自分の運転する現金輸送車から、護衛の警官に気づかれないように、現金を略奪するという計画だ。小柄の親友ルチャーノを、輸送車後部の金庫に潜ませ、偽の札束と現金をすり替えさせるのだが、この作業の時間を稼ぐために、堅物の同僚ザーゴも共謀者に引き込む……。
2019年に公開されたヴィンチェンツォ・アルフィエーリ監督の長編第二作『黄金の一味』は、1996年にトリノで実際に起こった現金略奪事件を題材にしたノワール映画だ。あまり知られていないが、イタリアは、実話をもとにしたノワールの宝庫だ。その理由は実際に題材となるような事件がたくさん起きていたから。誘拐、監禁の果てに殺害された元首相、在位期間33日で不審死を遂げた法王、テロ準備中に誤爆死したとされる実業家などなど、過激な政治集団のテロが横行した70年代には、信じがたい事件がたくさん起こり、そのいくつかは映画にもなっている。
このようなノワールのなかでもエポックメイキングだったのが、2008年から2010年にかけて放映されたドラマ『野良犬たちの掟』(Romanzo criminale)だろう。ローマを牛耳る犯罪組織マリアーナ団の趨勢を描いた一大叙事詩で、これが社会現象と言ってもよいほどの大ヒットとなった。さらにナポリの犯罪組織カモッラの抗争から着想を得た『ゴモラ』(Gomorra)、ローマの行政とマフィアの癒着問題を脚色した『暗黒街』(Suburra)と、人気ノワール・ドラマの系譜が続く。だから『黄金の一味』の前情報をつかんだとき、トリノの現金略奪事件という題材が、これらのドラマに比べて、ネタとして弱いのではないかと危惧した。ところが映画を観て、それはまったくの杞憂だったことがわかった。
まず、その脚本の妙に着目したい。事件に関わった三人の主人公メローニ、ザーゴ、そして映画序盤ではほとんど姿を現さない第三の男ウルフが、それぞれの視点で事件を体験する、いわば黒澤明『羅生門』方式になっている。主人公が変わるごとに、新事実が明かされ、事件自体はあっけないものなのだが、鑑賞者を飽きさせずに惹きつける仕掛けがたくさん施されている。緻密な脚本をアルフィエーリと一年かけて共同執筆したのは、エドアルド・レオ主演映画『私が神』で監督を務めたアレッサンドロ・アロナディーオ、アルフィエーリ監督のデビュー作『最悪の男たち』(I peggiori)からタッグを組むレナート・サンニオ、人気コメディー『お帰りなさい、大統領』(Bentornato Presidente)の監督ジュゼッペ・スタージ。アルフィエーリと同年代で、30代半ばから40代前半の彼らは、互いの作品に関わり合い、また各々で活躍している印象を受ける。今後のイタリア娯楽映画の重要な担い手となっていくだろう。
メローニ役のジャンパオロ・モレッリ(左)とヴィンチェンツォ・アルフィエーリ監督(右)
もう一つのポイントは、アルフィエーリがハイブリッドな感覚を持った監督であるということ。長編第一作『最悪な男たち』はヒーローものを選んだが、二作目はノワールで勝負したいと、当初から考えていた。そんな彼のもとに、脚本の共同執筆者サンニオが、トリノの現金略奪事件の新聞記事を持ってくる。記事の末尾に書かれた「もしこの事件を映画化したら、『いつもの見知らぬ男たち』(I soliti ignoti)のように始まって、『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs)のように終わるだろう」という一文を読み、両作品の大ファンだったアルフィエーリは、この事件を自分の長編二作目の題材にすることを決意したのだった。
『いつもの見知らぬ男たち』は、イタリア式喜劇の第一人者マリオ・モニチェッリの代名詞的作品。『レザボア・ドッグス』はクエンティン・タランティーノの記念すべき処女作だ。どちらも、ろくでもない悪人たちが出てきて強盗を企み失敗するという点で、『黄金の一味』に通じるものはある。どう始まって、どう終わるかはさておき、記事の文言に共鳴するほど、アルフィエーリのなでは、イタリア映画とハリウッドが骨肉になっている。その事実は、『アトミック・ブロンド』『ダンケルク』『暗殺の森』などなど、インタビューの端々で彼が引用する作品名からもよくわかる。イタリアのノワールの系譜のみに収まり切らない、彼のハイブリッドな感覚が、本作に深い味わいをもたらしている。
『黄金の一味』の上映日程はこちらでチェック!
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。
「私たちはイタリアのスペシャリストです」のモットーの下、「本物のイタリアの味」を日本の消費者に紹介しています。
イタリアのトップブランド、トップクォリティーの商品の提案において最も先進的で機動的であること、それがJETの強みです。
1981年に設立以来、JETは常にイタリアワインと食材の市場をリードしてきました。
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開催宣言! エドアルド・レオ特集上映 〜イタリア娯楽映画の進行形〜
どうも、僕です。野村雅夫です。
この秋、結成15周年の京都ドーナッツクラブは、「エドアルド・レオ特集上映 〜イタリア娯楽映画の進行形〜」という映画イベントを開催します。
そもそも京都ドーナッツクラブは、まだ日本で知られていないイタリアの作品、つまり本邦初公開のものを紹介したいという考えが、結成当初からありました。スピードこそかなりのスローペースではあるものの、イタリア好きの翻訳者集団である僕たちは、演劇も、小説も、映画も、そうしてひとつひとつ手がけて発表してきました。
映画については、イタリア映画祭というイベントが春にあります。イタリア文化会館と朝日新聞が共催しているもので、毎年10本強の新作がかかるので、東京と大阪でこのイベントに参加すれば、概ね現在の向こうのシーンがわかるという仕組みができあがっています。ただ、様々な理由でこの映画祭で抜け落ちる良作があることも事実。僕たちとしては、そうしたものを拾い上げては字幕をつけ、「映画で旅するイタリア」というイベントにして東京と関西で上映しながら、日本におけるシーンの把握状況を勝手に補完してきたつもりです。なかなかの労力なので、毎年はできずにいましたが…
そして、2020年。コロナ禍。イタリア映画祭は、2001年のスタート以来、初めての中止。少なくとも、春の時点ではやむを得ない決断だったと思います。ただ、映画の灯を絶やしたくはない。イタリア映画のまばゆい光が闇に飲まれてしまうのを、指をくわえて見過ごすのは辛い。折しも、京都ドーナッツクラブは結成15周年。よし、やろう! 重い腰を上げて、春から策を練ってきました。その結果、今年オープンしたアップリンク京都と吉祥寺、そして初めてオンラインでも開催することに。自治体への補助金の申請もしつつ、趣旨に賛同いただいた企業の皆さんのお力もお借りして、なんとかかんとかここまできました。
この秋、お楽しみいただくのは、僕も仲間たちも前から注目していた映画人、エドアルド・レオ。僕たちの企画としては、初めて、人に焦点を合わせます。俳優としても、監督としても、彼はメキメキと頭角を現し、今やシーンの最重要人物のひとり、レオ。アーティスティックというより、娯楽映画を愛する男という印象で、僕は好感を持ってきました。本邦初公開が3本と、過去にイタリア映画祭でかかったけれど一般公開はされなかったものが1本で、合計4本。レオの魅力の片鱗くらいは掴んでいただけると思います。
このブログでは、作品のガイドや字幕制作の裏側など、ホームページ(近日公開)でお伝えしきれない内容を各メンバーが綴っていきますよ。イベントが始まるまで、ワクワクを高めるのに一役買うことができれば、これ幸い。
というわけで、改めて、開催宣言です。
「エドアルド・レオ特集上映 〜イタリア娯楽映画の進行形〜」やりま〜〜〜す!
どうぞ、ご期待ください。
文:野村雅夫
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました!
今回は、イタリア語およびヨーロッパ言語の観光ガイド・アシスタントになるためのグイダプリマベーラ養成講座をご紹介。
インバウンド業務のプロフェッショナル株式会社JAPANISSIMOが母体となって立ち上げた一般社団法人日本ツーリストガイド・アシスタント協会。協会ではガイド・アシスタントを養成するグイダプリマベーラ養成講座をイタリア語、スペイン語、フランス語で定期開催。その他、野外講座、翻訳講座、文化セミナーなど、入会していただくと語学を使ったお仕事につながる様々な特典が用意されています。
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映画『糸』短評
そこへいくと、この物語の優れているのは、もちろん、主役の男女2人が結ばれるというメロドラマとしての柱はありつつも、平成30年間にふたりが巡り合う、鑑賞後もその顔をありありと思い出せる15人ほどの登場人物それぞれの糸もうまく織り込んでいることです。劇映画にする以上、歌のような抽象化はできないわけで、むしろとことんあらゆる要素を具体的に描いていかないといけない。そこでふたりばかりを熱心に描いていると、おそらくは時代を描くこともできなかったろうし、歌が好きな人ほど冷めてしまっただろうと思うんです。その危険を回避するどころか、むしろ映画ならこうすべきという、音楽とのメディアの違いを活かした運びになっていました。
そんな作り手たちの矜持に、キャストはそれぞれベスト級の演技で応えました。ひとりひとり話す時間はありませんが、菅田将暉はやはりすごい。20代前半の、思った人生と違うものを生きている感じ。俺なんかどうせっていう雰囲気をまとっている野良犬感が好きです。あとは小松菜奈の食べる演技。何度も出てきますが、その違いの見せ方。さらには、成田凌です。僕はもう既に観ている、11日公開の『窮鼠はチーズの夢を見る』と見比べると、彼がいかに天才的かよくわかります。
『シチリアーノ 裏切りの美学』待望のベロッキオ最新作公開!
60年代から活躍するイタリア映画界の巨匠マルコ・ベロッキオの新作『シチリアーノ 裏切りの美学』が日本で観られる! 僕はすぐさま宣伝の担当者に掛け合って、ポスターを取り寄せ、事務所のチルコロ京都に掲示した。この密な構成。意味深な花びらの配置。ゾクゾクするではないか。原題はシンプルに「裏切り者」(Il traditore)。悪名高きシチリア・マフィアの組織コーザ・ノストラに忠誠を誓ったはずの男が、なぜ裏切ったのか。いや、国や地域のことを思えば、彼は英雄ではないのか。前半はダイナミックな編集で逮捕に至るまでの道程が描かれ、後半はジリジリとした法廷劇へと様変わりする。
マフィア映画はロマンティシズムで様式化されたものや、克明かつドライに血なまぐさい逃走劇に仕立てるものが多かったように思うが、少なくともイタリアでは、今世紀に入ってから、『マフィアは夏にしか殺らない』『俺たちとジュリア』『シシリアン・ゴースト・ストーリー』『愛と銃弾』など、日本で上映されたものだけでも描き方が多様化していることがわかる。コメディー、ファンタジー、ミュージカルといったジャンルと掛け合わせることが多くなっている。大きな物語≒歴史の中の個人にこれまで何度も焦点を合わせてきたベロッキオ監督は、映画内の時間を場面ごとに伸び縮みさせながら、実在したブシェッタという男の虚無をあぶり出していく。その点で、マフィア映画に新たな語り口の可能性が加わったのかもしれない。8月28日(金)の全国公開を記念して、今回は女性のメンバーふたりが作品を鑑賞して感想を寄せた。 (野村雅夫)
1980年代初頭、シチリアではマフィアの全面戦争が激化していた。パレルモ派の大物トンマーゾ・ブシェッタは抗争の仲裁に失敗しブラジルに逃れるが、残された家族や仲間達はコルレオーネ派の報復によって次々と抹殺されていった。ブラジルで逮捕されイタリアに引き渡されたブシェッタは、マフィア撲滅に執念を燃やすファルコーネ判事から捜査への協力を求められる。麻薬と殺人に明け暮れ堕落したコーザ・ノストラに失望していたブシェッタは、固い信頼関係で結ばれたファルコーネに組織の情報を提供することを決意するが、それはコーザ・ノストラの ”血の掟” に背く行為だった…… (公式サイトより)
「知っているイタリアの映画といえば『ゴッドファーザー』かな」という話を耳にすることがあります。同作は50年近くも昔の1972年にアメリカで制作された映画ですが、それくらいマフィアの映画といえばイタリアというイメージが強いようです。実際にイタリアの映画には大なり小なりマフィアを取り上げるものは多く、近年では市民目線でのマフィアを描いた2013年の『マフィアは夏にしか殺らない』や、私たち京都ドーナッツクラブが字幕制作を担当したノワール・ミュージカルの2017年『愛と銃弾』などでもマフィアの存在が描かれています。ただし、マフィアと一言でいっても、その組織はひとつではなく複数の個別の組織が存在します。前者で取り上げられたのはシチリアのコーザ・ノストラ、後者ではナポリのカモッラであり、イタリアでは区別して認識されており、カラブリアのンドランゲタ、プーリアのサクラ・コローナ・ウニータと合わせてイタリアの四大犯罪組織と言われています。今回紹介する映画は、シチリアのコーザ・ノストラの一員だったトンマーゾ・ブシェッタを取り上げた作品です。
ブシェッタはコーザ・ノストラを裏切って検察側に寝返った代表的人物として有名な存在。映画の前半は銃撃戦に逮捕・拷問といったザ・マフィア映画なシーンが繰り広げられ、後半はブシェッタが法廷でかつての仲間たちと争うシーンを中心に描かれています。画面に現れる死者のカウンターや拷問されて血まみれのブシェッタといった強烈なシーンが続く一方、印象に残ったのは彼の使う「裏切り」という言葉でした。ブシェッタは組織にとって裏切り者であり、この映画の原題も『Il Traditore(裏切り者)』です。彼が自供を経て故郷のパレルモに戻った夜も一番に目に入るのは大きな「TRADITORE」の文字の落書き。法廷で投げかけられる「裏切り者!」という罵声。実の姉も夫を組織に殺されブシェッタの名すら名乗りたくないと嘆く。誰にとってもブシェッタは裏切り者なのです。
しかし映画が進むにつれ、原題である「裏切り者」はブシェッタ一人ではないように思えてきました。法廷での主人公は、自身をコーザ・ノストラに忠誠を誓った「名誉ある男」のままであり決して改悛などしていないと主張し、本当の意味で「コーザ・ノストラ」を裏切ったのは自らが告発したかつての仲間たちだと訴えます。彼にとっては、目先の金に目をくらませ女子供まで無差別に殺め組織を堕落させていった人物こそが「裏切り者」でした。名誉ある社会であったはずのコーザ・ノストラは裏切り者たちに殺されたも同然であり、真実を口にしたのは組織が自身が誓いをたてたものとは別のものに成り下がってしまったからでした。「何を」裏切ったかという視点を変えてみると、裏切り者はあちらにもこちらにも存在します。そして終盤に法廷の場に現れるのは超大物の政治家。首相や大臣職を何度も務めたイタリア政界のドンである彼は、コーザ・ノストラと深い関係があったと言われており、複数の事件の黒幕として実際に起訴されています。彼もまた裏切り者であったとしたら、いったい何を裏切ったのでしょうか。
ところで、私のイタリア映画を観る楽しみのひとつは登場人物の身振り手振りの観察です。イタリア人の豊かな感情表現とジェスチャーとは切っても切り離せない関係。興奮する弁護士、動物園のような場を取り仕切る裁判官、監房の柵に隔たれた被告たち。裁判の行方も気になりますが、それぞれが言葉では足りないと言わんばかりに上下左右させる手にも目が奪われます。スパダーロ被告と弁護士の手だけの会話には思わずにやりとしてしまいました。「イタリア人を黙らせるには手を縛ってしまえばいい」という言葉を耳にしたことがあるのですが、各所に散りばめられる「口ほどにものを言う」登場人物たちの手の動きに注目しながら鑑賞するもの一興です。
(文:チョコチップゆうこ)
見応えのある2時間半だった。イタリア文化やイタリア語を知っていく過程で、「マフィア」は必ずと言っていいほど出会う話題ではないだろうか。ハリウッド映画の「ゴッド・ファーザー」でシチリア=マフィアがいる場所というイメージをお持ちになった方もいるだろう。現在もマフィアとイタリア社会との関わりは深く、イタリア映画界では定番の題材となっている。
本作は、シチリアのマフィア組織「コーザ・ノストラ」で1980年代に激しくなった内紛から1994年の「ファルコーネ判事暗殺事件」、マフィアの大量検挙に至るまでの史実を、告発者トンマーゾ・ブシェッタの視点から描いたものだ。エンドロールで断り書きがあるように、演出上の誇張や創作が入っているとはいえ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ演じるトンマーゾの「人間味」にすっかり魅了されてしまった。善人であるかについてはさておき、格好よかった。原題はIL TRADITORE(裏切者)であるが、トンマーゾは「自分は裏切者ではない」と断言する。邦題のとおり、シチリアーノ(シチリア人)としての美学を貫き、組織に本来の秩序を取り戻そうとした。彼の立ち居振る舞いにぜひ注目してほしい。
場面は、キリスト教の行事を祝う華やかなパーティーから始まる。男たちの間にある独特の緊張感と交わされる視線は、何かが起こりそうだと観客に予見させる。その後、殺人による権力争いから主人公が逃れ潜伏先のブラジルからイタリアに送還されるまでが、アクセルを吹かすように一気に展開、主人公がローマの警察署でファルコーネ判事と出会うころから徐々に作品のテンポ、そしてトンマーゾ自身が落ちついてきて、観客側もじっくりと状況を見守る態勢になっていく。
観終わってすぐに、もう一度観たくなった。私がこの有名な事件の数々を詳しく知らなかったことも大きいと思うが、多彩な登場人物それぞれの立場を知ったうえで「あの時あの人はどんな動きをしていたのか」と解明しながら観る2回目以降は、きっともっと楽しめるだろう。当時の警察のマフィアに対する処遇、裁判の様子などもとても興味深く、音楽の効果も見事なので物語の世界をたっぷりと堪能できると思う。自分とは全く次元の違う話に感じていたが、事件や裁判の日付が画面に出るたびに、自分は当時日本で子ども時代を過ごしていたのだと気づいて、同じ時間を生きていたことになんとも不思議な気持ちになった。
(文:あかりきなこ)
『ハニー・ボーイ』短評
さ〜て、次回、2020年9月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『糸』です。おりしも、中島みゆきさんは明日からフェスティバルホールでのコンサート劇場版の上映イベントがありますね。8月31日(月)まで。合わせて観るのも良さそう。あの名曲がどう膨らむのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『ジョーンの秘密』短評
トレヴァー・ナン監督。僕は不勉強にもこれが初見でしたが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、ナショナル・シアターで活躍し、重厚な歴史ものからオペラやミュージカルといった歌ものまで、舞台の演出をメインにしてきた方です。あのジュディ・デンチが信頼するのもうなずける、手堅い語り口と演技指導だったんじゃないでしょうか。MI5による取り調べと、第二次大戦前後に彼女がどうソ連寄りの物理学者に成長していって、事に及んだのか、それが行ったり来たり。アクションとリアクションという調子で、シンプルに構成されています。過去と現在。動と静。特にジュディ・デンチが演じるパートにはほとんど動きがないんですけど、監督の本業である演劇的な見せ方でもなくって、クロースアップの切り取り、短めのカット割り、そして取調室、病室など、場所もこまめに変えながら、ジョーンの些細な表情の変化が伝わることにこだわった映画っぽい物語運びを実はしています。
大学入学直後の垢抜けていない真面目な理系オタクが、ある夜窓から入り込んできたユダヤ系ロシア人、そしてイケてるソニアと知り合うことで、やがて彼女の周辺人物とつるむことで、どんどん人生を謳歌していく、女性としても開花していく、そして恋愛と思想の間に張られたタイトロープ、その危ない橋を渡る様子が、きっちり描けています。全体として小道具の使い方がうまいんですよ。たとえばミンクのコート。自分では野暮だと思った親戚からの貰い物を、ソニアが「これはクールだ」と褒めると、見方が変化するといったように、ひとつのアイテムを物語内で効果的に何度か配置しながら、ストーリーに映画的な奥行きを与えていました。
最終的に彼女が守り続けた核兵器に対する信念というか信条のようなものに、僕はさして共感はしませんが、言いたいことは理屈としてはわかる。物理学者としての葛藤があったことも、描けていました。大きな歴史のうねりの中で、流れに棹さして迎合するのではなく、人生を賭して独自に極秘に抵抗して平和を求めた孤独な胸の内を想うと、じわじわ感じるものがありました。確かに、巨大なテーマを扱った小さな映画になっているし、余韻はかなりのロングスパンです。大人がじっくり味わうスパイ映画という、新しいスタイルかもしれませんね。