京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ソワレ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月15日放送分
映画『ソワレ』短評のDJ'sカット版です。

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役者になる夢を持ちながらも、なかなか鳴かず飛ばずの翔太。ある夏、所属劇団が高齢者施設でワークショップを開くことになって向かったのは、彼の故郷和歌山県の海辺の街。施設には、年の近いタカラという女性が、生気のない表情で働いていました。彼女は父親から性暴力を受けていたのです。夏祭りの日。翔太は、衝動的に父親を刺したタカラの手を強く引き、ふたりの予期せぬ逃避行が始まります。

わさび 此の岸のこと

監督・脚本は、1980年生まれの外山文治。これが長編2作目となる彼に大いなる期待を込めてサポートしたのが、共に俳優である豊原功補小泉今日子。ふたりは、監督を巻き込んで新世界合同会社という映像プロダクションを設立。本作はその第一作となります。昨年行われたクラウドファンディングでは、400人弱の支援も受け、公開にこぎつけました。翔太を村上虹郎、タカラを芋生悠(はるか)が演じています。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

逃避行、なんて言うと、「愛の」を枕詞に付けたくなります。アメリカン・ニュー・シネマの名作『俺たちに明日はない』も頭をよぎります。ただ、この作品の場合は、様子が違います。ふたりは愛を成就するために逃げるんではないんですね。愛し合うどころか、まだたいした交流もない状態で、それぞれに着の身着のままで逃げ出すことになります。刑務所から戻ってきたばかりで娘のもとをまたぞろ訪れた父を刺してしまったタカラ。その場に居合わせた翔太。冷静に考えると、逃げずにその場にとどまれば、正当防衛で情状酌量の余地はあるだろうか    ら、罪はそう重くならないだろうと思うんですが、とっさに逃げ出すわけです。表面的には、ふたりは犯罪からの逃亡を図るんだけれど、もう少し踏み込んで考えると、ままならない現状、人生の見えない壁にぶち当たっている閉塞感から矢も盾もたまらず飛び出したという印象があります。つまり、逃亡の素地があったということですね。そんな状態だから、計画も何もない。微妙な距離を保ったまま、ふたりは電車に乗り込み、あてもなくさまよいます。

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(C) 2020 ソワレフィルムパートナーズ
翔太が強く手を引いたってストーリー紹介で言いましたけど、彼は彼で、やり場のない焦燥感を抱えています。役者としてうまく立ち回れない中、努力も中途半端で、オレオレ詐欺の片棒をかつぐような有様のはっきり言って小物です。そんな彼がたまたま実家近くの老人ホームへ行って、カモにしてきたような老人たちと交流するわけですから、気まずさや罪悪感も湧いてくる。俺は何をやってるんだろう。こんなはずじゃなかった。でも、タカラを窮地から救うことで、自分の存在意義を確認するような、そんな感覚もあったかもしれません。申し訳無さそうにするタカラに対し、「俺、かくれんぼ得意なんだ」なんて口にします。
 
一方のタカラは、途中で巡り合った人を相手に、事情を説明しなければならなくなった際、怪しまれないように、「駆け落ちです」と応える。このあたりから、翔太が助けるように見えて、むしろタカラが引っ張ったり支えたりする局面が垣間見えるようになっていきます。

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(C) 2020 ソワレフィルムパートナーズ
つまり、ふたりの関係と距離が入れ替わったり、伸び縮みしたりしていくんです。その「時間」とふたりの「体温」を感じさせることに、監督は心を砕きます。説明するんではなしに、感じてもらうために、今僕はべらべら喋っていますが、セリフはかなり削ぎ落としてあるし、当初の脚本にあったキラキラ青春映画的要素もカットしたようです。代わりに、和歌山ロケだからこそ実現できる景色や眩しい陽光の濃淡と色味の工夫でふたりの時々の心境を画面に映し出すことに成功しています。だから、今思い出すのはその映像なんです。ドキュメンタリー的な息遣いの映像もあれば、何度かファンタジックに飛躍する演出があって、忘れがたいです。

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(C) 2020 ソワレフィルムパートナーズ
タイトルの出し方もかっこよかった。ソワレとは、フランス語で芝居の夜公演を指す言葉。これを幼年期の終わり、大人として迎える夜明けまでの物語として見ると面白いと僕は思います。ふたりの寄せては返す感情と言動の果て、鑑賞後の僕に残ったのは、意外にも、働くこと、誰かの記憶に残ること、そして、誰かを想って生きることの、喜びでした。逃避行というジャンルの常として、明快なハッピーエンドは少ないし、これも決して明るい話ではないけれど、ジメッとはしていなくて、最後にはじんわりと喜びがやって来ました。不思議な体験だし、僕は「映画を観た」という実感を強く覚える佳作だと思います。


これは僕が勝手に添える曲です。イギリスのBIBIOが今年リリースした作品。眠りながらも飛び続けるアマツバメをモチーフに、辛いことに直面してから抱く希望を歌っています。


さ〜て、次回、2020年9月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、実写版の『ムーラン』です。製作上のすったもんだがあって公開が遅れ、コロナ禍にぶち当たり、挙句の果てにディズニー+での配信となってしまった作品。会員登録(一ヶ月は無料とはいえ)に加えて税抜2980円が必要というハードルの高い作品。いろいろと波乱含みですが、ディズニーの新作を候補に入れないのもなと思っていたら、当たりました(笑) あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!