京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『オン・ザ・ロック』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月13日放送分
映画『オン・ザ・ロック』短評のDJ'sカット版です。

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ニューヨークに暮らす4人家族。妻のローラはふたりの幼子を育てながら、小説を書いています。夫ディーンは、投資関係の会社を軌道に乗せたところで、ブイブイ言わせているのですが、どうも新しい同僚の女性と残業が増えていて、もしや浮気なのかとローラは疑いだしています。彼女が何人かに相談したうちのひとりが、生涯を通してプレイボーイの父フェリックス。すると、フェリックスは調査すべきだと、なんなら娘以上に張り切り始めて、ややこしい事態に…

ロスト・イン・トランスレーション [DVD] 

監督・脚本はソフィア・コッポラ。彼女と『ロスト・イン・トランスレーション』でタッグを組んだビル・マーレイがフェリックスに扮しました。その娘ローラを演じたのは、ラシダ・ジョーンズ。あのクインシー・ジョーンズの娘にして、さっきかけたVampire Weekendのフロントマン、エズラ・クーニグとの間に、一昨年、息子さんを授かっていますね。音楽はフランスのバンド、フェニックスが担当しました。
 
今作の制作会社は、今飛ぶ鳥を落とす勢いのA24です。この番組で扱ったものなら、『WAVES/ウェイブス』『ミッドサマー』がそうですね。ここがAppleと組んで、Appleサブスクリプション・サービスApple TV+で放映するために作ったのがこの作品。だから、劇場公開をこうしてした直後、もう23日にはApple TV+で配信されるようになります。
 
僕は先週木曜日の夜に、UPLINK京都で観てきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

とても小さな物語です。大それたアクションや出来事はないし、コメディーだけど大爆笑があるってわけでもない。大都会ニューヨークに暮らす40がらみの女性が、パートナーの浮気を疑って、事の真相はどうなってるんだってことをサスペンスにしながら、それを探る相棒となる父親との久々の交流がちょこちょこあって、パートナーとのすれ違いは解消するのか、疑念は晴れるのか、はたまた…ってなことで結論が出てお話は終わるわけです。世界を救う話でもなければ、激しい愛の物語でもない、小さな物語。
 
ソフィア・コッポラ自身、今49歳で、ニューヨークで子育てをしています。インタビューによれば、夫の忠誠心に疑いを持って、父親と一緒に木陰に隠れて夫をスパイしたという友人もいるそうです。そして、主演のラシダ・ジョーンズは、年齢も主人公のローラに近いし、彼女もニューヨークで子育て中。さらに、ソフィアにもラシダにも、偉大なる旧世代の父親、フランシス・フォード・コッポラクインシー・ジョーンズがいる。物語とある程度重なりますね。

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© 2020 SCIC Intl Photo Courtesy of Apple

つまり、小説で言えば、リベラルな中年女性の人生の迷い・戸惑いやスランプを描く、私小説的な中編という感じ。あくまで例えですが、ジム・ジャームッシュの初期作品や、ニューヨークでもあるしウディ・アレンのタッチが好きな人にはハマるし、そうでない人には、どこにチューニングしていいかよくわからないまま終わるという可能性も大いにある映画だと思います。では、僕としてはどうかと言えば、チューニング感度良好でした。この手のささやかだけれど、細やかで丁寧な描写は大好きです。

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© 2020 SCIC Intl Photo Courtesy of Apple

とある評論家の、こんな批判も眼にしました。曰く、「ローラにしたって、父のフェリックスにしたって、経済的余裕のある層の一人よがりな行動、贅沢な悩みの解決法に見えてしまう」と。これが、チューニングが合わなかった一例だと思います。僕に言わせれば、ここで経済的な困窮や格差みたいなことを描こうもんなら、肝心のテーマは浮かび上がってこないですもん。都市生活者の孤立なんかすっ飛んじゃいますから。
 
じゃあ、そのテーマって、もうちょい具体的には何よって話なんですが、もちろん、いろんな受け止め方があろうと思います。父と娘のジェネレーション・ギャップだとか、父フェリックスがバカげた話をするように、男と女の恋愛観の違いだとか。それもあるんだけど、僕が汲み取ったのは、誰かが誰かを所有する、なんてナンセンスだってことです。

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© 2020 SCIC Intl Photo Courtesy of Apple


冒頭を思い出してください。幼い娘に、父親がこう話しかけます。「いいか、他の男を好きになるな。結婚するまではパパのものだ。結婚してからも、な」っていう。どうです、このしょうもない所有欲。やっぱり、今の感覚からすれば、滑稽でもあるんですよ。でも、それが故に、父フェリックスも結局孤独なんですよ。そして、ローラにしたって、「私の」夫への疑念から、一気に人生どん詰まりって状況になっちゃうわけです。この所有欲って、難しい問題なんだけど、そこにクリアな解答を出さず、軽やかな折り合いをつけてみせる着地のラストだったと僕は感じています。実に小粋。誰かを排除していないでしょ。誰かを孤立に追いやっていない。先月対談した佐野元春さんの言葉を借りれば、孤独は多少残っても、孤立はさせないエンディングが、絶妙だなと思いました。そこに向けて、ラシダ・ジョーンズビル・マーレイの軽妙極まりないアンサンブルを引き出しつつ、ニューヨークならではの小道具もたくさん入れ込んだ観光映画としての側面も折り込みつつ、実は徹底して日常の反復と差異を描く劇映画のセオリーを守っている、ソフィア・コッポラがコロナ禍に発表する映画として、実にチャーミングな作品でした。
 

それでは、Phoenixによるサウンド・トラックから、この曲を。ミニマルなアレンジが、映画の雰囲気によく合っているかなと思います。
 
ちなみにこの曲は、昨年52歳で亡くなってしまった、フィリップ・ズダールへの追悼の意味も込められているようです。90年代から〇年代にかけてのフランスダンスミュージックシーンの重要人物であり、フランツ・フェルディナンドPhoenixを手掛けたプロデューサーですね。

さ〜て、次回、2020年10月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『82年生まれ、キム・ジヨン』です。家族ものが続きますが、こちらは笑ってはいられなさそう。でも、すごく評判が高いですよね。本当は原作が前から気になっていたから、先に読みたいなとも思っていたんですが、まずは映画館へ行ってきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映より 『わしら中年犯罪団』サウンドトラック

ジローラモに騙されるな」と声を大にして言いたい。スーツに高級腕時計でキメて、口を開けば女の子の話……。そんなステレオタイプなイタリアのちょいワルおやじ像を打ち壊すべきではないか。そんな思いから、現地イタリアのちょいワルおやじの生態を紹介すべく、『わしら中年犯罪団』を上映する運びになったと言っても差し支えないだろう。2018年から1982年にタイムスリップしたちょいワル……もといぱっとしない中年三人組。ちょっと間の抜けた色男セバスティアーノ役はアレッサンドロ・ガスマン、気の小さいジュゼッペ役はジャンマルコ・トニャッツィ、お金に汚いモレーノ役はマルコ・ジャッリーニが演じる。経歴も紹介しておくと、アレッサンドロ・ガスマンは『追い越し野郎』など1950年代から活躍し続けた名優ヴィットリオ・ガスマンの息子、ジャンマルコ・トニャッツィはイタリア式コメディーの象徴ウーゴ・トニャッツィの息子だ。実力と名声を兼ねそろえた二世俳優の豪華な共演が実現している。そしてマルコ・ジャッリーニはいくつもの映画でエドアルド・レオと共演した「コンビの相方」的な存在。作中ではこの中年三人がレオと一緒にハードロックバンドのキッスのコスプレで銀行強盗をするのだから、面白くないわけがない。

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左からモレーノ(マルコ・ジャッリーニ)、ジュゼッペ(ジャンマルコ・トニャッツィ)、セバスティアーノ(アレッサンドロ・ガスマン)

 

さて、タイムスリップした彼らは、戸惑いつつも、古き良き「リラの時代」を謳歌する。ベルトや靴を購入し、『ランボー』のポスターをバックに自撮りをし、今はなきアイスキャンディーをほおばる。つまり作中には中年おやじを引き立てる様々な文化的アイテムが登場するのだが、そのなかでも今回は音楽に着目したい。1982年であるがゆえに、かかる音楽は懐メロばかり。ディスコの場面では、当時リリースされたばかりのインディープ「ラスト・ナイト」、そしてもちろんキッスのコスチュームを着て強盗に入るシーンはキッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー」。当時の流行がよくわかる洋楽も聞いていて楽しいのだが、ここはイタリア国産の懐メロを見てみよう。

 

物語り後半のディスコの場面で流れるアラン・ソレンティ「星の子どもたち」(Figli delle stelle)。1977年にリリースされた軽快なディスコ・ポップ・チューンで、当時この手の曲が英語ではなくイタリア語で歌われることは非常に珍しく、その目新しさも手伝って16週に渡りイタリアのシングルチャートのトップ10入りを果たした。アラン・ソレンティは元々プログレ・ロック出身だが、この曲が収録されているアルバムで大きく方向転換する。AOR的な大人の雰囲気を醸しつつ、のびやかで柔らかいハイトーンボイスで歌われるそのサビの歌詞が以下のようなものだ。

 


Alan Sorrenti - Figli Delle Stelle - 1977 versione originale restaurata

 

Noi siamo figli delle stelle ぼくらは星の子ども

figli della notte che ci gira intorno. 周りを包む夜の子ども

Noi siamo figli delle stelle, ぼくらは星の子ども

non ci fermeremo mai per niente al mondo. この世界にとどまることはない

noi siamo figli delle stelle, ぼくらは星の子ども

senza storia senza età eroi di un sogno. 歴史も年齢も夢のヒーローも知らない

Noi stanotte figli delle stelle, ぼくらは今夜 星の子ども

ci incontriamo per poi perderci nel tempo. 時のなかで迷子になるために出会うのさ

 

アラン・ソレンティは「星の子どもたち」のリリースから二年後にバラード「僕にとって君は唯一の女性」(Tu sei l’unica donna per me)でさらなる成功を収める。それに引き換え日本では知名度が低いこちらの楽曲だが、いま聴き返しても鮮度が落ちていない。「ぼくらは星の子ども」を繰り返し、刹那的な生き方を楽しむ当時の若者たちの儚さを、その軽やかな旋律で表現している。イタリア中年たちが、こんなオシャレ曲を聴いて育っていたとは、やはりあなどりがたい。

 

そしてもう一曲紹介したいのが、物語の肝となるヴァレリア・ロッシの「三つのことば」(Tre parole)だ。2001年のトルメントーネ(その夏いちばんのヒット曲)で、当時32歳だったヴァレリア・ロッシはこのデビュー曲でキャリア最大のセールスを売り上げた。意地悪な言い方をすれば一発屋と呼べなくもないが、こちらのサビの歌詞も興味深い。

 


Valeria Rossi - Tre Parole

 

Dammi tre parole 三つのことばをちょうだい

Sole, cuore, amore 太陽 心 愛

Dammi un bacio che non fa parlare 口を開けなくなるようなキスをちょうだい

È l'amore che ti vuole あなたが望む愛

Prendere o lasciare つかみとるの それとも手放すの

Stavolta non farlo scappare 今度は逃さないでね

Sono le istruzioni これは教え

Per muovere le mani 手を動かすための

Non siamo mai 私たちがこれほど

Così vicini 近くにいることはなかった

 

透明感のある楽曲の雰囲気とアレンジはどことなく、「三つのことば」のさらに数年前に全世界で流行ったオーストラリアの歌手ナタリー・インブルーリアの「トーン」に似ている気がするが、高揚感のあるサビでparole(パローレ=ことば)、 sole(ソーレ=太陽)、 cuore(クオーレ=心) 、amore(アモーレ=愛)と、母音「オーエ」でイタリア人の心にもっとも刺さる最強の韻を踏んでいるところはこの曲ならでは。さらにサビの後半でもistruzioni(イストゥルツォーニ=教え)、mani(マーニ=手)、vicini(ヴィチーニ=近い)で長音+「ニ」の韻を踏んでいる。この押し寄せる韻のコンボが大ヒットに結びついた。

1982年時のヒット曲に混ざって、2004年のヒット曲が歌われる、いわば懐メロのマリアージュが、中年おやじの冒険譚を鮮やかに引き立てている。

 

 

アップリンク吉祥寺で上映される『わしら中年犯罪団』16時30分~(野村雅夫トークショー付き)の回、チケット先行予約が始まっております!

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました!

今回は、イタリア語およびヨーロッパ言語の観光ガイド・アシスタントになるためのグイダプリマベーラ養成講座をご紹介。

 

インバウンド業務のプロフェッショナル株式会社JAPANISSIMOが母体となって立ち上げた一般社団法人日本ツーリストガイド・アシスタント協会。協会ではガイド・アシスタントを養成するグイダプリマベーラ養成講座をイタリア語、スペイン語、フランス語で定期開催。その他、野外講座、翻訳講座、文化セミナーなど、入会していただくと語学を使ったお仕事につながる様々な特典が用意されています。

下記バナーから公式ホームページへアクセス!

 

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『ミッドナイトスワン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月6日放送分
映画『ミッドナイトスワン』短評のDJ'sカット版です。

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男性の身体に生まれてはきたものの、自分としては女性だと自覚する、トランスジェンダーの凪沙(なぎさ)。故郷の広島を離れて上京。親にはカミングアウトしないまま、新宿のニューハーフクラブでショーガールとして働いています。ある日、一人暮らしの凪沙のもとに転がり込んでくることになったのは、育児放棄状態のいとこの娘、中学生の一果(いちか)。それぞれに社会から孤立していたふたりは、一緒に住むことで、しだいに変化していくのですが…
 
オリジナル脚本を書いて監督も担当したのは、Netflix『全裸監督』の演出にも深く関わった内田英治。凪沙を演じたのは、草なぎ剛。他に、水川あさみ真飛聖(まとぶせい)、田口トモロヲなどが脇を固めているのですが、なんといっても、今後の活躍が楽しみでしょうがないのは、オーディションで一果役を射止めた新人、服部樹咲(みさき)、2006年生まれ。彼女の演技がまたすごい。
 
僕は先週木曜日の夜に、TOHOシネマズ二条で観てきました。結構入ってましたね。女性が多めって印象かな。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


結論から言いますと、前評判通り、鑑賞の意義は大いにある1本なので、劇場での鑑賞を強くお勧めします。ただ、どうも首を傾げてしまう演出があったことも事実なので、その点も指摘していきます。

 
まず、キャストの好演がとにかく光っています。どなたも、その表情ひとつで、もっと言うと、目の色でも、社会からいかにその人が孤立していて、人生に希望を見いだせないでいるかを見事に表明していました。凪沙役の草なぎ剛しかり、一果役の服部樹咲しかり、その母役の水川あさみしかり。この3人は、シーンによって、姿勢とか歩き方まで変化をつけています。お見事!
 
特に服部樹咲さんは、恐るべき新人ですよ。バレエの心得はあったということですが、それにしたって、達者な役者たちに怯むことなく、つま先立ちもおぼつかないレベルから、国際コンクールのレベルまでを演じ分けるのは圧巻です。

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© 2020 Midnight Swan Film Partners.

その上で、テーマがまた興味深いです。LGBTQの当事者がいかにまだまだ世間の理解を得られずに困窮・転落しかねないかという点、そして血の繋がりだけに依存する家族の絆と呼ばれるものがいかに誰かをスポイルしかねないかという点もさることながら、僕がより深く感銘を受けたのは、この映画が人を広い意味で育てる、その人を形成するのは、両親だけでなく、家族外の人間との交流であり、芸術との関わりであるという点です。当たり前に聞こえるけれど、この作品はそのテーマを深く胸を打つやり方で描いているんです。
 
擬似親子もの、とか、凪沙が母性を獲得する話とまとめると、どうもこの映画の意義を矮小化してしまうような気がして、僕はためらわれます。だって、一果を育てたのは、凪沙であり、ろくでもないけど母親であり、そしてバレエの先生なんですよ。誰一人欠けても、彼女の成長はありません。そこが大事だし、今挙げた3人は、それぞれに一果に希望を見出して、一果に未来の光を見ます。はっきり言って、誰かひとりだけなら、一果にとっては悲劇が続いたかもしれない。そして、一果の輝ける可能性は、広い意味での3人の母の輝ける未来を保証するものではない。にも関わらず、3人は彼女に惜しみなく自分を捧げようとする。不器用だし、問題もあるけれど、それこそ愛情なのではないかということです。

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© 2020 Midnight Swan Film Partners.
なんだよ、結局絶賛じゃないか。と思われるかもしれませんが、僕にはこの映画で起こる大きな出来事の多くが、突然で唐突に感じられたんです。百歩譲って、それこそ演出だとしても、あまりにも一果がそれぞれの出来事に対して何を考えているかがよくわからないんですね。「見てて」とか、「お母さん」とか、やおらセリフを口にしたりするんだけど、僕らが彼女の胸の内を想像する材料としては、いくらなんでも不十分ではないですかと。
 
とはいえ、物語られる出来事は、どれも衝撃だし、分断や貧困の日本社会に対して示唆的だし、その上で美しい。不満要素はあれど、強く強く、鑑賞をオススメしたい作品でした。


さ〜て、次回、2020年10月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『オン・ザ・ロック』です。ソフィア・コッポラ監督に、ビル・マーレイ。しかも、小ぶりな物語…とくれば、『ロスト・イン・トランスレーション』じゃないですか。予断は禁物ですが、僕の好みの匂いがプンプンします。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『窮鼠はチーズの夢を見る』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月29日放送分
映画『窮鼠はチーズの夢を見る』短評のDJ'sカット版です。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
どうにも優柔不断で、女性からのアプローチを断りきれず、不倫もしてきた広告代理店勤務の大供恭一。ある日、会社に、大学卒業以来会う機会のなかった後輩、今ヶ瀬渉がやって来ます。今ヶ瀬は探偵で、恭一の浮気調査を依頼され、その真相を追っていたのですが、証拠を掴んだ彼は恭一にそれを隠蔽する条件として肉体関係を要求。恭一は当初こそ拒否するものの、実は7年間ずっと自分をを想い続けてきたという今ヶ瀬のペースに乗せられてしまいます。

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα) ナラタージュ

 水城せとなの同名人気漫画を行定勲監督が映画化。脚本は、『真夜中の五分前』や『ナラタージュ』など、行定作品で書いてきた堀泉杏が担当しました。恭一を大倉忠義、今ヶ瀬渉を成田凌が演じた他、バンド「ゲスの極み乙女。」のドラム、さとうほなみも出演しています。僕も以前ご自身の監督作『パラダイス・ネクスト』でインタビューしたことのある半野喜弘が、印象的な劇伴で参加しました。

 
行定監督には、先日、withコロナ時代のエンタメの未来をゲストと一緒に考えるコーナーTHE SHOW MUST GO ONにご出演いただきました。その時にも話題になりましたが、6月に公開予定だったものが、新型コロナウィルスの影響で公開延期となりまして、このほど9月11日に無事に公開されました。良かった!

僕は行定監督のコーナー出演をきっかけに、試写で作品は拝見していまして、ご本人にもチラッと感想はお伝えしましたが、改めて評してみます。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

大倉忠義成田凌がフルヌードでラブシーンを演じた! 体当たり! なんて感じで、好奇の目で見られがちな作品かもしれません。BLものっていうジャンルで括られて。でも、その実、大倉忠義は自分としては異性愛者だと思っていたわけで、結婚もしていて、ちゃっかり不倫もしてっていうことなんで、女性との関係も繰り返し出てきます。だから、観ている最中に気づくことですが、これはもっとシンプルに恋愛映画なんです。やたらモテる男が、言い寄ってくる、すり寄ってくる人たちとどう心を通わせるのか、いや、通わせているのか、通わせることなんでできるのかって話。どの恋愛にも「クセ」があります。不倫、同性愛、会社の要人がこじれて関わるオフィスラブ、元カノ込みの修羅場など。トータルに考えれば、「普通の恋愛」なんてあるんですかっていう問いかけや提言にすら思えてきます。恋愛には、大なり小なり、クセがあるものだろうと。
 
とにかくモテる恭一という男。確かに人当たりが良い。端正でクールなマスクに、スマートな所作。発言はわりと知的。さらに、線は細くて、儚げで支えてあげたくなる感じですよ。しかも、やさしいと言えば聞こえはいいけれど、とにかく自分で決断しないからズルズルいっちゃって、いつも流されがち。結果として、関わった人をより深く傷つけることがあろうと、その性質はなかなか変えられないという厄介さ。そんな恭一に、それぞれ惚れていくんだけど、今ヶ瀬渉は惚れているというより、惚れ抜いている。彼のセリフで言えば、「すべてにおいてその人だけが例外になっちゃう」って状態です。対して、パッシブ、受け身な恭一なんだけど、相手からすれば、「あれ? こっちに気があるのかな?」的な態度や視線を送ってくる、スタートははんなりアクティブな男だったりするので、ますます厄介です。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
彼ら/彼女らの行く末は映画でご覧いただくことにして、行定監督の演出で光っていると僕が感じたのは、やはり視線です。監督も僕のインタビューで言っていたように、わりとセリフが多いんです。発せられた後に尾を引くような刺さる言葉もちょくちょく入る。にも関わらず、喋りまくりの会話劇という印象は受けません。言葉と同じように、あるいは時にそれ以上に、映像が語っていたからです。被写体のキャラクターの口は閉じていたとしても、目は開いているわけで、それがどんな瞳をしていて、どこを向いているのか、どこへ動くのか、留まるのか、泳ぐのか。そのバリエーションが豊かでした。ほとんどが室内のシーンです。恭一と誰かが向き合うのか、並ぶのか。人物の配置も入念に行われていましたから、そこに僕らは意味を見出そう読み取ろうと、ついつい目が離せなくなるんです。限られた空間と人数で表現できるバリエーションを最大限に見せながらも、作劇の基礎とも言える反復と差異もきっちりやっています。性行為そのものもそうだし、その後の表情や仕草、下着の見せ方ひとつ取っても、演出の芸が細やかです。タバコ、ビール、カーテン、TVモニターで流れる映画と、小道具の類にもすべて物語的な役割が与えられているので、物語もその見せ方も、ともにかなり求心力のあるものになっています。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
ムービーウォーカープラスの記事にあったインタビューによれば、成田凌はこの作品を通じて「『なにもしないということをする』のを学んだ」んですって。目の動きや吐息だって、映画では大きな意味を持つ。それだけ小さなことも、大きなスクリーンと音響にアンプリファイされる。だから、大きなアクションやリアクションだけでなく、佇まいそのもの、そこにいることそのものが表現になりうるってことだと思います。つまりは、それほどに繊細な心模様とその折り重なりが描かれているだけに、特にラストにかけてバーンと画面いっぱいに外の景色が広がると、インパクトがありました。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
この恋愛の渦に巻き込まれると、かなり集中させられますから疲れますけど、恋愛って疲れるものでもあるでしょう。爽やかで清々しくて気持ちの良いだけのものではない。TVでは観られない恋愛がここにあります。観に行ってみてください。僕はあのふたりにはできれば関わりたくないけれど、画面は穴が開くほど眺めることになりました。
 

今週は「窮鼠はチーズの夢を見る」を短評しました。曲はサントラからではなく、Macklemore & Ryan Lewisにしました。愛には様々な形があって、どれも同じ愛だと、LGBTQの観点からもアンセム化した『Same Love』です。

行定さんは、関西でのトークショーを控えています。枚方T-SITE蔦屋書店が企画する「CREATOR'S SALON」というシリーズの一環で、10月5日(月)、19時半開演です。MCは僕が務めます。現場のチケットはソールドアウトですが、オンラインのチケットはまだまだいくらでも販売できるということなので(そりゃそうだ)、ぜひご覧ください。


さ〜て、次回、2020年10月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ミッドナイトスワン』です。前評判は相当高いですね。そして、またもやLGBTQもの。ただ、「窮鼠は〜」とまたかなり違ったアプローチであることが予想されるので、そのあたりにも気を配って観ようかしら。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映より 『わしら中年犯罪団』解説

「マリアーナ団にぞっこんさ」

このセリフから始まる予告編からもわかるとおり、主人公モレーノもぞっこんになる実在の犯罪組織マリアーナ団が、本作の大きなテーマです。今回は作中、ましてや字幕だけでは語り切れないマリアーナ団の魅力に迫りたいと思います。これを知っておけば、『わしら中年犯罪団』鑑賞が百倍楽しくなること間違いなし! ややこしいカタカナの固有名詞ばかり出てくるのですが、そこはごめんなさい!

 

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奥さんと別れ慰謝料支払いをめぐって紛糾するモレーノ、愛妻家で間が抜けているけれどどこか憎めないセバスティアーノ、義父の会社でいやいや働く気の弱いジュゼッペ。彼らは小学校からの付き合いで、ことあるごとに集まってはバカをやらかす仲良し中年三人組だ。今回集まったのは、マリアーナ団マニアのモレーノが、小金を稼ぐために、このギャング団ゆかりの地を巡る観光ツアーを企画したためだった。もちろん犯罪集団の犯行現場や元アジトを観光するツアーなど成立するはずもない。ところが、下見で訪れたマリアーナ団のたまり場だったバールの奥に入っていくと、謎の扉が怪しい光を放っているではないか。成り行きのまま扉をくぐると、1982年にタイムスリップしてしまう。サッカーのワールドカップでイタリアが歴史的優勝を果たしたその年は、マリアーナ団の勢力が最も大きかった時期でもある。バールでたむろするマリアーナ団構成員たちと鉢合わせてしまった三人組。危険な目に遭わないうちに、さっさと現代に帰りたがるセバスティアーノとジュゼッペをしり目に、モレーノはここでも金儲けに走るのだった……。

 

現実のマリアーナ団は、1977年頃、ローマ南西の郊外住宅地マリアーナで結成された。「鉛の時代」と呼ばれた当時のイタリアでは、爆破テロや要人の暗殺が横行し、そのいくつかにマリアーナ団が関わっていたことが指摘されている。例えば1980年のボローニャ駅爆破テロ、元首相アルド・モーロ誘拐事件の真相を究明しようとしたジャーナリストのミーノ・ペコレッリの殺害などなど。さらにそれを指示したのが当時の首相ジュリオ・アンドレオッティという説もある。つまり、マリアーナ団はきな臭い時代の未解決事件のカギを握る存在で、今もなお、野次馬根性たくましい現代史好きの興味を刺激し続けているのだ。その意味では、少し強引な比較になるが、日本でいうところの新選組と少し似ている。

かくしてマリアーナ団の関連本やドキュメンタリーは相当な数に上る。なかでも2000年代に入り注目を集めたのが『野良犬たちの掟』(Romanzo criminale)だ。もともとは、当時の事件に詳しい元判事ジャンカルロ・デ・カタルドが2004年に発表した小説で、それが映画化を経て、TVドラマ化されて大成功を収めた。尺が長い分、映画版よりもかなり濃厚なTVドラマ版”Romanzo criminale”は、登場人物が実名ではないものの、忠実にマリアーナ団の魅力を伝えている。そのあらすじを見てみよう。

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TVドラマ版"Romanzo criminale"の主人公3人。右からフレッド(ヴィニーチョ・マルキオーニ)、リバネーゼ(フランチェスコ・モンタナーリ)、ダンディ(アレッサンドロ・ローヤ)

 

マリアーナに住むチンピラのリバネーゼは、色男のダンディほか、地区の仲間たちといっしょに小さな盗みで手に入れた金で、銃を大量購入する。さらなる大金を手に入れるべく、銃を使ってローマの富豪ロセッリーニ伯爵を誘拐するつもりだ。ところが購入した銃を積んだ車が盗難に遭う。盗んだ相手は、別のチンピラ集団を取り仕切るフレッドだ。本来なら大事な車を盗んだ相手など、殴り倒してしまうリバネーゼだが、凄む彼を前に全く動じないフレッドを見て、ただ者ではないと悟り、伯爵の誘拐計画を持ちかけるのだった。

 こうして伯爵の誘拐が実行される。事件が起こった当初、当局は高をくくっていた。必ず失敗に終わる。なぜならローマには、チンピラの小集団がいくつも存在するだけで、これほど大きな犯罪をやり遂げられる統制のとれた組織など、ありえないからだ。それを覆したのが、リバネーゼとフレッドという二人のカリスマだった。決して馴れ合うことはないが互いを認め合う二人は、信頼できる仲間たちとともに、誘拐を遂行し、麻薬売買の元手となる大金を手に入れる。そこからさらにのし上がっていくのだが、あまりにも強大な力を手に入れリバネーゼは何者かによって暗殺され、仲間の密告によりフレッドは国外逃亡を余儀なくされる。彼らの趨勢を横目にボスの座に君臨したのが、リバネーゼの親友だった色男ダンディだ。

このあらすじは、やや脚色されている部分もあるが、事実をかなり忠実に再現している。麻薬の売買に参入する郊外地区のチンピラたちが、ナポリのカモッラやシチリアのマフィアと対等に渡り合う様は、まるで甲子園の強豪校と互角の勝負をする弱小公立高校の野球部といったところだ。

歴史好きから愛される新選組的な要素あり、野球漫画のような成長物語ありのマリアーナ団に情熱を注ぐマニアのひとりが、『わしら中年犯罪団』のモレーノというわけだ。そして1982年にタイムスリップした彼は、マリアーナ団のボスと対面する。その名はレナティーノことエンリコ・デ・ペーディス、”Romanzo criminale”のダンディだ。『わしら中年犯罪団』のなかでは、かなり乱暴なキャラクターとして描かれているが、娼婦の彼女に惚れ込んでいたり、教会に宝を隠していたりという設定は踏襲されており、マリアーナ団マニアの心をしっかりとくすぐるのであった。

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『わしら中年犯罪団』のレナティーノ(エドアルド・レオ)

 

『わしら中年犯罪団』も上映されるエドアルド・レオ特集上映@アップリンク京都の上映時間が公開されました! 一般のお客様のチケット予約も9月30日10時から可能になります。

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 

 

コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。

 

POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。

 

公式サイト

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エドアルド・レオ特集上映より 『黄金の一味』俳優紹介

先日『黄金の一味』(Gli uomini d’oro)をなら国際映画祭にてプレミアム上映させていただきました。おかげで大盛況のうちに上映を終えることができました。難しい状況下でご来場いただいた皆様、改めてありがとうございました! そして本作は10月にアップリンク吉祥寺、アップリンク京都、アップリンククラウドにて鑑賞可能なので、引き続きよろしくお願いします。

というわけで、今回はその『黄金の一味』の主人公ふたりをご紹介。エドアルド・レオ特集上映と銘打っておりますが、ほかの俳優も曲者ぞろいで大注目です。

 

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ザーゴ役のファビオ・デ・ルイージ(左)とメローニ役のジャンパオロ・モレッリ(右)

 

まずは『黄金の一味』第一章の主人公ルイージ・メローニ。彼は郵便局の現金輸送車を運転するという今の仕事に飽き飽きしていて、早期退職してコスタリカでビーチバーを開くという夢を抱いている。ところが国の金融政策により、早期退職の道が断たれたメローニは、現金略奪の完全犯罪を計画する。友人を犯罪に巻き込むメローニは、仕事中もほぼ一人でしゃべり続ける自分勝手なナポリ人。彼を演じるのが、ナポリ生まれのイケメン俳優ジャンパオロ・モレッリ。ドーナッツクラブが過去に字幕を担当したマネッティ兄弟の映画『僕はナポリタン』(Song’e Napule)や『愛と銃弾』(Ammore e malavita)にも出演しており、勝手に縁を感じている推しメンだ。TVドラマや娯楽映画の端役をしていたが、2000年代中盤から、マネッティ兄弟に気に入られてブレイクにいたった。2020年4月には、自作の小説を、自ら監督・主演を務めて映画化した『君を恋に落とす7時間』(7ore per farti innamorare)を公開し、その多才ぶりを発揮している。ジローラモ・パンツェッタもナポリ出身だが、もしかしたら系統は似ているかも……?


映画『愛と銃弾』劇場予告編

 

この予告編で見られるとおり、『愛と銃弾』では無口でクールな殺し屋だったモレッリが、『黄金の一味』では字幕が追いつかないほどしゃべりまくる。それでも周りから特に鬱陶しがられる訳でもなく、人懐っこい魅力的な人柄が成り立つのは、ナポリ人の天性かもしれない。

 

次に第二章の主人公アルヴィーゼ・ザーゴを見てみよう。メローニとは対照的な、無口で不愛想な彼は、家では電気代を節約し、仕事を掛け持ちして家族を養う。愛する娘のことを思い、借金を完済するために、メローニの犯罪計画に手を貸す。彼を演じているのはコメディアンのファビオ・デ・ルイージだ。舞台俳優からコメディアンに転身し、テレビのお笑い番組への出演をきっかけに人気を勝ち取った。個人的に彼を知ったのは、人気コメディー女優ルチアーナ・リッティッツェットと共演した映画『男やもめ希望者』(Aspirante vedovo)だ。リッティッツェット演じるやり手の女社長と結婚した青年実業家夫のデ・ルイージが、彼女を殺して遺産を手にすることを夢見るが……というストーリー。これはアルベルト・ソルディが主役を務めた1959年の映画『男やもめ』(Il vedovo)の現代版リメイクだ。


Aspirante vedovo - Trailer ufficiale

 

ところが、モレッリのケースとは逆に、普段なら饒舌にしゃべるデ・ルイージが、『黄金の一味』では、無口な仏頂面で勝負している。「コメディアンなのに、心の奥に哀愁が漂っている」という理由で監督ヴィンチェンツォ・アルフィエーリに惚れこまれたデ・ルイージは、役作りのために6か月で10キロ体重を落とし、本来の彼とは違う「別人」役に臨んだ。自由奔放なナポリ人メローニと、仕事に真面目で口数の少ないトリノ人ザーゴという対比も、イタリアの地域性を反映していて面白い。

 

三人目の主人公エドアルド・レオも、本作では、いつもの中年ダメ男というはまり役ではなく、哀しみを背負った元ボクサーを演じていることを考えると、主人公の俳優三人ともに、キャラ違いの意表を突いた役どころを演じていることになる。『黄金の一味』はそんな大胆なキャスティングも楽しめる作品なのだ。

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、バッグとベルトの気鋭ブランドFattoria del cuoioをご紹介。

 

Fattoria del cuoioとは革なめし工場の意味。

ミラノでヴィンテージの素材を活かしたオリジナルリメイクアイテムのデザイナーとして腕を磨き、日本に帰国後イタリア製ベルト・バッグブランドTIBERIO FERRETTIの企画とブランディングを務めた(株)コマコ・オフィチーナ代表の駒井氏が、トスカーナ州の小村モンスンマーノを拠点に、2019年春夏から新たに立ち上げた新ブランド。彼らと手を組んだのは、イタリア国内外の大手ブランドのベルトを多数手がける100%トスカーナ生産の由緒ある革工房の凄腕職人たち。すでに10年以上にわたり共に仕事をしてきたここモンスンマーノで、職人たちが培ってきた革小物の品質とこだわりに、TIBERIO FERRETTTIの企画で鍛えられた駒井氏の発想力と独創性が混ざり合う。クリエイティブでありながら高品質を保つ魅惑の新ブランドを、日本から発信し、育て上げていく。

 

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実写版『ムーラン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月15日放送分
実写映画『ムーラン』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
むかしむかし、中国の小さな村で育った女の子ムーラン。周囲から浮くほどのおてんばですが、それもそのはずで、彼女には「気」と呼ばれる特殊能力が備わっていました。立派な兵士だった父は、そのことに気づきながらも、女性には結婚と家庭の維持ばかりが求められる時代でもあることから、その能力は隠しておくように諭します。時は経って、ムーランが花嫁修業を始めようかという頃、北方民族の首領ボーリー・カーン率いる軍勢が国家を脅かしており、皇帝は各家庭からひとり男性を差し出すよう命じました。徴兵ですね。ただ、ムーランの父親は足が悪く、戦場へ赴けば命を落としかねない。そこでムーランは、父親の武具を盗み出し、自分が男であると偽って軍隊に参加するのですが…
 
このところ相次いでいる、90年代、ディズニー・ルネサンス時代のアニメ作品の実写化。今回は98年『ムーラン』が対象となりました。監督は、女性を生き生きと描くことを得意とするニュージーランド出身の女性ニキ・カーロ。ムーラン役に抜擢されたのは、リウ・イーフェイチャン・イーモウ監督の『紅夢(こうむ)』でヴェネツィア映画祭主演女優賞を獲得したコン・リーが魔女のシェンニャンを演じている他、『イップ・マン』シリーズのドニー・イェンや、ジェット・リーなど、アジアとアメリカ双方で活動する役者が揃い踏みです。

イップ・マン 序章 (字幕版) 秋菊の物語 [DVD]

もともとは2018年秋に公開が予定されていましたが、製作そのものが遅れていたところに新型コロナウィルスによる影響もあって、ディズニーはついに多くの国や地域で劇場公開を断念。サブスクリプションサービスのディズニー+での有料配信となりました。
 
僕はもともとディズニー+には加入していましたが、もちろん、税抜2980円を支払って、土曜日に自宅のテレビで日本語吹き替え版を鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

2010年代に入ってから、ハリウッドにおけるアジア系の俳優の活躍が顕著となり、特に中国との映画合作も増える中、繰り返し映像化されてきた、6世紀の漢詩を基にしたこの物語の実写化には注目が集まりました。ただ、様々な角度からの期待があるがゆえに、製作は難航しました。アニメ版のリメイクとしての「原作」ファンの期待もあったし、実写として中国文化をどう描けるかという問題や、物語が内包する政治的な側面や、主演のリウ・イーフェイSNSでの香港民主化問題への発言など、何かと波乱含みで、それはもう気の毒と言っていいレベルにも感じられました。
 
そこで、僕としてはまず何よりもできあがった作品そのものを評価するべく、作品外の情報は鑑賞前に触れないようにしていましたが、残念ながら、魅力は限定的と言わざるをえません。アニメ版からの改変はいくつもあります。ミュージカル要素の排除。サブ・キャラクターを統廃合して整理したこと。武侠映画のスタイルを採用してアクションを重視したこと。マレフィセントに似たヴィランの魔女をムーランを導く存在にも仕立てたこと、など。アニメ版に特に思い入れのない僕からすれば、どれもディズニーのチャレンジに感じられるし、その意味で興味深いんですが、これら改変が物語にもたらす効果がどれもさほどないんですね。むしろ、観る人によっては逆効果にすらなりうるリスクをはらんでいます。

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(C)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
女性が主人公だからと恋愛要素を入れる必要はないし、戦争する映画であるというハードな内容なので笑いの要素も控えめにしたのはうなずけます。そして、中華圏の伝統である武侠映画スタイルを取り入れるのもわかるんですが、そのわりには肉体を駆使したアクションはあまり見られず、スター・ウォーズのフォースのような「気」という概念で説明される、CGやワイヤーを使った動きで見せ場の多くが占められていることは、むしろ武侠映画へのリスペクトが足りないとの批判は免れません。そして肝心の「気」についての言及がなさすぎて、これじゃ努力によって何かを成し遂げるという側面が緩んでしまって、カタルシスが削がれるんですね。

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(C)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
おそらくはムーランと同じような能力を有する魔女の存在も、彼女が何を望んでいるのかよくわからないため、結局はヴィランとしてもメンターとしても謎めいたままで、今ひとつピンとこないんです。そして、おそらくはディズニーにとって一番プッシュしたかっただろう、自分で考えて行動するプリンセスとしてのムーランですが、考えてみれば彼女は皇帝を頂点とする中央集権的な軍事国家の駒であることからは逃れられないわけで、価値観を刷新することはないんですよね。だいたい、北方民族を単なる野蛮な存在として端から悪者としてしか描かないという単純化は、むしろディズニーが志向するリベラルな価値観からも遠いものではないでしょうか。
 
こうした要素がいくつも重なって、ムーラン実写版は、表面的には美しい画面ですいすい展開していく観やすい作品になっているものの、各方面からのどの期待にも満足には応えられないものになってしまった気がします。


 Christina Aguileraが表現度が上がった歌い直し、響きましたよ。

 


さ〜て、次回、2020年9月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『窮鼠はチーズの夢を見る』です。番組では先日行定勲監督を迎えて、コロナ禍でますます浮き彫りになった映画というシステムの未来の話をしました。その時に、僕は既にこの作品を観ていたので、少し感想もお伝えしましたが、改めてしっかりまた来週評します。監督とは、枚方の蔦屋書店で10月5日にCREATOR'S SALONというトークイベント(配信あり)で、またご一緒しますよ。この新作と合わせて、ぜひ。その前に、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!