京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『スパゲティコード・ラブ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月7放送分
『スパゲティコード・ラブ』短評のDJ'sカット版です。

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それぞれに何かを求めて渋谷で暮らす13人の若者たち。フードデリバリー、シンガーソングライターの卵、気鋭の広告ディレクター、自殺願望を持て余す高校生カップル、定住せずにノマド生活をする人などなど、彼らの感情と行動が複雑に絡み合って交差していくさまを描く青春群像劇です。

監督は、2004年にぴあフィルムフェスティバルで自主映画を入賞させて以来、MVやCM、ドキュメンタリーと幅広く手掛けてきた丸山健志(たけし)。有名なのは、MONDO GROSSOのラビリンス feat. 満島ひかりのMVですね。これが長編デビュー作となります。『ドライブ・マイ・カー』の三浦透子、倉悠貴(ゆうき)、八木莉可子(りかこ)といった若手たち、そしてゆりやんレトリィバァや、満島ひかりも出演しています。
 
僕は先週木曜日の午後に、Tジョイ京都で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

スパゲティコードという耳慣れない言葉がタイトルに入っています。これはどうやら、解読するのは作った本人にしかできないような、複雑に絡み合ったプログラミングコードのこと、らしいですね。なるほど、皿に盛られたスパゲティを一本一本、解きほぐしていくなんて、考えただけでもしんどいですもんね。東京、の中でも、古くから若者文化の中心地、つまりは夢が生まれては消えていく街である渋谷をひとつの皿に見立て、そこでうごめく人たちをスパゲティの1本1本だととらえれば、確かにこれは寄りで見れば複雑な絡まり方をしているし、引きで見れば時代ごとにソースや盛り付け、茹で加減の異なる料理だとたとえられるわけです。
 
評するにあたり、こちらもパスタ料理でたとえるなら、盛り付けセンス抜群だけど、ソースの味つけが薄めで味のまとまりには精彩を欠いたかなと考えています。

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©「スパゲティコード・ラブ」制作委員会
この作品で表現したいことは明確に伝わります。なにがしかの夢や恋愛感情、将来への希望を胸にみんな暮らしているのだけれど、そりゃどうしたってすべて叶うわけではなく、みんな自分のことに必死で、他人とじっくり向き合う機会は少なく、誰かと関わるにしても、どうにも表層的なつながりしか持てずにいる。そんな渋谷に象徴される社会のあり様を活写してみたいということだろうと思います。滑らかでなまめかしくもある映像で、街の灯と心の闇をスクリーンに映したい。その企画のねらいはよくわかるんです。
 
ただ、僕には脚本や演出、特に編集の意図が透けて見えすぎて、映画に入り込めないところがありました。まずもってキャラクター設定がすごくわかりやすいんですね。こういう人いるよねという人たちを13人並べて、次はどういう風にクロスしたら面白いだろうか、意外性があるだろうかと、逆算しているように感じるんです。スパゲティのたとえを蒸し返すなら、13本の麺をまず平行にきれいに並べてから、意図的にパズルのように絡み合わせた感じで、複雑なようでいて、タイトルとは裏腹に、観客にもきれいにほどけてしまう。有機的な絡み方というよりも、絡めることそのものが目的化してしまっていて、絡めることによって生まれる深みにまで到達していないように思えます。

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©「スパゲティコード・ラブ」制作委員会
それが証拠に、何らかの変化を遂げるキャラクターたちの、その変化の理由や、そもそもの葛藤そのものは、正面から見据えていないんです。自転車に乗ってデリバリーをしているあのお兄さんは、なぜ地下アイドルの追っかけをするのか、推しがアイドルをやめたことでその気持ちを吹っ切るために、なぜ配達の件数に固執するのか、よくわからないんですね。この調子で、全体として、観察はしているものの、考察が足りないわけです。
 
キャラクターの多くは、SNSや独り言ではよく喋るのに、対面では寡黙。そうした外面と内面のギャップは、コロナ禍のマスクの時代にあってさらに興味深い現象だけに、登場人物を減らしてでもいいから、もっとその心理に下りてほしかったところです。一方で、これが劇場デビュー作となる丸山監督やフレッシュな俳優たちの顔ぶれには発見があって、そこからの期待の高まりも覚えました。
三浦透子は、劇中ではストリート・ミュージシャンとしてギターを弾いていましたが、もちろん歌も聴くことができます。このところ、彼女は各方面で引っ張りだこ。この歌は、テレビドラマ『うきわ 友達以上、不倫未満』のエンディングテーマでしたが、不思議とテーマには共通するところもあります。

さ〜て、次回、2021年12月14日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ディア・エヴァン・ハンセン』となりました。既にサントラから番組でもいい曲をオンエアしている、ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した大作ですね。SNSをモチーフにしていて、テーマとしては今週の『スパゲティコード・ラブ』に通じるところもありそうです。楽しみ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

「イタリア名優列伝 ちょいワル編」全体解説 ~イタリアの星々に見とれて~

ドーナッツクラブが国の力を借り(文化庁助成金)、満を持してお送りするイタリア映画祭「イタリア名優列伝 ちょいワル編」、なかには満席回も出る盛況をいただいております。映画館での上映は今週末までのアップリンク吉祥寺を残すのみ、引き続きオンライン上映が堂々スタート! ということで、映画祭の概要と僕たちドーナッツクラブの想いをより良く知っていただくために、フルカラー20ページの謹製映画祭オリジナルパンフレットのなかから、野村雅夫による全体解説を公開しちゃいます!
 
パンフレットはオンライン販売対応ですが、まずは野村雅夫による3000字たっぷりのコラムをお楽しみください。

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イタリア名優列伝 ちょいワル編
ローマに住んでいた2005年から2007年、夏が近づくと僕が楽しみにしていたことがある。ヴァカンス・シーズンでみんなが逃げ出したローマの街はガランとするのだが、夜の帳が下りてくると、地元の小学校のグラウンドや中庭に灯りがともる。集まってくるのは夕涼みを兼ねて映画でも観ようかという老若男女で、日没から日付の変わる頃まで、最近のヒット作から往年の名作まで、多種多様な作品が上映されるのだ。題して、「星空の下のスターたち」。どでかいスクリーンで、夜、冷えたビールなんかを飲みながら、文字通り星空の下で映画スターたちを観たことが懐かしい。
い。

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スプレンドール
ところで、古今東西、無数にある映画の中から、あなたは何を基準にして鑑賞作品を決めているだろうか。ちょっとした映画通なら監督? どこかの評論家やラジオDJがオススメしていたから? ヒットして巷で話題だから? 原作が好きだから? 答えはいろいろあって、どれもこれもそれでいいのだが、きっと一番多いのは、「好きな俳優が出ているから」ではないだろうか。あの人が出ているやつは、どれも観たい! それがたとえたいして面白くなかったとしても、スターの姿を拝めたから、文句なし。これは、人が映画を鑑賞する大きな動機だ。
 
では、イタリアの俳優といえば、あなたは誰を思い浮かべる? おおよそ片手で数えられる程度が平均的なのではないかと、勝手ながら推察してしまう。そして、それも仕方のないことだと、僕は思う。原因はいろいろ挙げられるが、その最たるものは、日本におけるイタリア映画の興行のあり方ではなかろうか。とりわけ輸入が盛んになった1950年代以降、バブル期のミニシアターブームくらいまでの長きにわたって、作品の宣伝に用いられたのは、その多くが監督の名前だった。ロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティフェリーニ、アントニオーニ、パゾリーニ、タヴィアーニ兄弟、ベルトルッチ、レオーネ、アルジェント、トルナトーレ、ベニーニ、モレッティ…。確かに、彼らはそれぞれ独自の演出と映像感性で、イタリアのみならず、世界映画史にその名を深く刻んだ面々である。間違いなく巨匠と呼ぶにふさわしいのだが、基本的にはスクリーンに直接その姿を見せるわけではない。一方で、表に出る俳優たちはと言えば、マルチェロ・マストロヤンニソフィア・ローレンは別格として…。あとは、ジュリアーノ・ジェンマあたりなら、その昔、日本のテレビやCMに出るほど人気者だったから、よく知られているだろうが…。その他となると、一定レベル以上の映画好きでないと、固有名は出てこないのではないか。日本同様、コンスタントにレベルの高い作品が作られ続けている映画大国イタリアの作品が、(特にここ20年ほどの間)広く認知されるにいたらない大きな理由は、巨匠と呼べるような図抜けた監督が少なくなったこともあるが、ひとえにスターたちのキラメキを売り出す努力がいまひとつ重要視されてこなかったことにある。少なくとも、京都ドーナッツクラブはそう考えている。
 
去年の秋は、今乗りに乗っている俳優としてエドアルド・レオにフォーカスしてイベントを企画したが、今年はざっとイタリア戦後映画史を概観するようにして、イタリアでの評価と日本での知名度が釣り合わなさすぎる俳優たちを改めてお披露目しようと決めた。メンバーそれぞれに思いを巡らせるのは楽しい時間だ。あの人も取り上げたい、この人も取り上げたい。腕組みして、考えれば考えるほど、東海林さだおの長寿食エッセイ連載みたいな調子になり、リストはどんどん長くなる。そして、大変なのはそこからである。予算は限られているし、権利元がすぐに判明しないような作品だと開催までに交渉が間に合わない。どうしよう。結果的には、わりと正攻法というか、シンプルな選び方になった。それぞれの時代において、それこそ、あれにも出ていた、これにも出ていたという役者が「共演していて」、日本ではDVDや配信で「現在観られない」もの。もちろん、「日本初公開」となるものも積極的に紹介したい。こうして10本強の最重要作品がリスト化され、交渉の紆余曲折を経て落ち着いたのが、今回ご覧に入れる6本であり、そこで躍動する「ちょいワル」たちである。この雑誌LEON的副題を採用したのは、今回便宜的に男性俳優にフォーカスしたこともあるが、実際、それぞれの作品の中で、彼らはそれぞれに「ちょいワル」化する場面が必ずあるから。これは確かに「ちょいワル」だとか、いやいや「ちょい」を通り越して「かなりのワル」だぜ、とか、そんな具合に観てもらうのは、楽しむにあたっての必要条件ではないが十分条件にはなるだろう。
 
もしあなたがローマへ行けば、土産物店や食堂で必ず1度は目にするだろう俳優。それが、アルベルト・ソルディだ。きっと今日もあちこちに貼り出されたポスターの中で、彼はスパゲッティを大きく開けた口に運んだまま止まっているいるはずだ。その作品『ローマのアメリカ人』(Un americano a Roma、1954年)もいつか上映したいものだが、今回は、『自転車泥棒』や『ひまわり』の演出で世界的巨匠として知られるヴィットリオ・デ・シーカのハンサムっぷり、イケオジっぷり、そしてろくでもない権力者を演じるとサマになる感じを楽しんでもらおうと、ソルディと彼が丁々発止のやり取りをする『交通整理のおまわりさん』を選んだ。

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『ローマのアメリカ人』
もしあなたが僕の家に遊びに来れば、「これですわ、これ!」と僕に自慢されるだろうポスターは、イタリアのチャップリンなんて言われることもある喜劇王トトと、あちらの太っちょ俳優のさきがけであるアルド・ファブリッツィが共演していた『警官と泥棒』(Guardie e ladri、1951年)のものだ。ラインナップのバランスを考えた上でこの作品の上映は見送ったが、ふたりの出演作はしっかり選んだ。

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『警官と泥棒』
僕の母シルヴィアがフェイバリットによく挙げるヴィットリオ・ガスマンは、僕も大人になってからその魅力がよくわかった人だ。色男でもあるし、知的でいて、時にしっかりバカもできる。そりゃ、人気も出るはずだ。
 
他にも、本当は喜劇が得意で、その片鱗をシリアスな芝居にも垣間見せるマッシモ・トロイージ。ネチョッとした独特な声と、ポヨンとした体型で冴えない男を演じることが多いものの、しっかり主役を張るのは演技力が図抜けているからに他ならないシルヴィオオルランド。彼は社会的な役割の鋳型の中で居心地悪くもがく役を演じさせるとピカイチだ。そして、21世紀に入ってからのスターと言えばまずこの人という、ステファノ・アッコルシ。その色気はただごとではない。マストロヤンニにもご登場願った(というより、彼抜きには考えられない)。

とまぁ、これより先の個別具体的な魅力はそれぞれの解説に譲るとして、彼らはとにかく僕たちがよくよく考えて集めたスターたちだ。メンバーの個人的な想いも溢ればかりにあると同時に、等級で言えば一等星にあたる人たちばかり。まとめれば、この上映企画は、イタリア映画史という大空に輝くスターたちを僕たちが結んだ新たな星座だ。映画館という闇の中で、彼らの放つ輝きにぜひ目を細めていただきたい。

もし好評とあらば、今度はちょいワルではなく美男子を集めたっていいし、女優という呼称が廃れゆくものであることは承知したうえで、イタリアが誇る女性たちの活躍にも目を向けてもらうのもいいだろう。そんなワクワクの有意義な未来を見据えながら、そして誰に頼まれたわけでもないのに使命感に燃えながら、僕たちはただただイタリアの銀幕できらめく俳優たちにこれからも見とれていく。
 

 
名調子の全体解説のほか、各作品解説コラムやフルカラー場面写真などが満載のオリジナルパンフレットは、各館窓口に加えてオンライン販売でも! 映画の鑑賞後にぜひお手元に、そしてさらにイタリア映画の魅力にハマっていただけますように。
 
そしてオンライン上映は12月8日(水)12:00スタート! こちらはなんと、本家・イタリア映画祭を主催する朝日新聞社に共催していただくという夢のコラボが実現しましたので、配信はイタリア映画祭のプラットフォームから行います。ちょいワル特設サイトからリンクで飛べますので、映画館でご覧のみなさまもぜひご反芻のほど。また、ドーナッツクラブ公式ツイッターでは最新情報と野村雅夫による各作品解説動画も順次公開予定ですので、こちらもぜひフォローよろしくお願いします。
 

doughnutsfilm.jimdosite.com

「イタリア名優列伝 ちょいワル編」
2021年
11月19日(金)~28日(日) @アップリンク京都
11月26日(金)~12月5日(日) @アップリンク吉祥寺
12月8日(水)~19日(日) @オンライン上映会
 

『ドーナツキング』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月30放送分
『ドーナツキング』短評のDJ'sカット版です。

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世界最大のドーナツ大好き国家アメリカで、ドーナツ王と呼ばれている人物が、実はカンボジアからの難民だったのです。その人、テッド・ノイはなぜアメリカへ渡り、ドーナツ店を経営することになったのか。いかにして成功し、今どうしているのか。彼の数奇な人生と、西海岸の最新ドーナツ事情がわかるドキュメンタリー作品です。
 
監督・撮影・脚本は、地元LA出身で、ヘルツォーク監督作品のカメラマンを経験するなど、ドキュメンタリー畑を歩んできたアリス・グー。これが、長編デビュー作です。製作総指揮として彼女をバックアップしたのは、かの名匠リドリー・スコット
 
僕は今回はマスコミ試写で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

日本でドーナツと言えば、まずミスタードーナツなわけですが、関西ならはらドーナツといったチェーンもあるし、他にも地元で人気を集めているような個人経営店が増えてきている印象です。では、太平洋の向こう、世界に冠たるドーナツ大国はどうなのか。アメリカで暮らしたことがない僕にはまったくわからないことで、知っているのは劇映画に出てくるお店の漠然としたイメージだけでした。そして、アメリカに住んだことがあるという方でも、そのエリアによって、どうやら事情は様々らしいということもわかってきます。かつて日本にも進出したことのあるダンキンドーナツ東海岸で強く、この映画の舞台となる西海岸の場合には、ウィンチェルドーナツのお店が多かったのですが… 年間の国内消費量100億個、実に2万5000店ものドーナツ屋がひしめくアメリカですから、トレンドや資本の流れによって、チェーンにも個人店にも、栄枯盛衰それぞれのドラマがあるわけです。

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(C)2020 – TDK Documentary, LLC. All Rights Reserved.
そんな状況のアメリカへ、70年代なかば、妻、子どもたち、そしていとこを連れたテッド・ノイという男が、カンボジアからの難民として、命からがら、そして無一文でやって来ます。このドキュメンタリーで描かれるのは、大きく分けて3つの題材です。1つは、難民のノイがいかにしてドーナツと出会い、自分で店を持ち、カンボジアの同胞を助けて彼らにドーナツ店経営のノウハウを教え、大金持ちのドーナツ王となったのか。その伝記映画的題材。2つは、ノイたちが祖国を捨てざるを得なくなったカンボジアという国の現代史の流れ。最後の3つ目は、ドーナツそのものをめぐるアメリカの現在・過去・未来。
 
もちろん、目玉はノイの伝記的な要素です。いわゆるアメリカン・ドリームを体現したかっこうですが、自分たちを受け入れてくれた牧師さんに感謝しながらも、早く自立したいという一心で、教会の清掃に加えて、ガソリンスタンドで働いている時に、ふっと漂ってきた、ウィンチェルドーナツの店で、初めてドーナツというお菓子の存在を知るんです。食べたら、カンボジアの揚げ菓子にも通じる味わいですっかり魅せられて、その店員さんに早速聞いたんですって。自分のお店を持てるだろうかって。それほどに人生を変える香りだったんですね。ノイはチェーン拡大のために人材を募集していたウィンチェルドーナツの研修を受けて、好きこそものの上手なれとばかりにメキメキ成長、ビシバシ働いて、あれよあれよと1店舗を任されるようになりました。で、同時に、まさかのことですが、倹約に励んで自分の個人店もオープン。家族総出で24時間営業の店を切り盛り。まぁ、そこからの手練手管と一心不乱の努力は映画を御覧いただきたいんですが、彼のすばらしいところは、自分と似た境遇のカンボジア難民たちを今度は自分が身元引受人となって受け入れ、彼らにまたドーナツ店の商売を教え、資本を投下するというチャンスメイクをどんどんしたこと。それにより、カリフォルニアのドーナツ個人経営店の90%がカンボジアアメリカ人で占められるようになったんです。彼のドーナツがまるで浮き輪のようになって、たくさんの命を海を越えてすくい上げた。のですが… その大成功の向こうには影もあるわけで、彼は思わぬところで、ドーナツ王からストンと穴に落っこちてしまうことになるのも皮肉なもの。日本の5年後、10年後も案じたくなるような、お金にまつわるエピソードが用意されています。

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(C)2020 – TDK Documentary, LLC. All Rights Reserved.
カンボジアの内戦、ベトナム戦争の影響、ポル・ポト派の圧政など、これまで断片的にしか知らなかったアジアの話も、ノイの物語として見ることで、とても身近に感じました。パートナーの女性とのロマンティックすぎるラブ・ロマンスはそれだけ抽出しても映画のようでした。
 
さらには、ドーナツをめぐる時代の変化に個人店がどう対応しているのか、チェーン店も手をこまねいているばかりではなく、西海岸に本気で乗り込んできたらどうなるの!? そして、ノイは今どうしてるの?

ゲティ家の身代金(字幕版)

監督は、話をテーマ別、時代別に、教科書的に並べて語るのではなく、以上の3つの要素をうまくブレンドして観客を飽きさせません。テンポは軽快だし、インタビュー、アニメーション、膨大な記録映像をシームレスにまとめるレシピと調理の腕はすごいです。ドーナツ生地のように練られた題材とテーマが大きな輪となり、そこからはアメリカという国のあり方が見渡せる体験。『ゲティ家の身代金』やこれから公開の『ハウス・オブ・グッチ』など、最近特に時代やカルチャーを象徴する実話を監督として描いているリドリー・スコットが製作総指揮している理由がわかるような気がしました。それほどに、カンボジアのドーナツキングは興味深いのです。目を丸くして観て、劇場を出たら、最寄りのドーナツショップ経由でお帰りください。
それにしても、車社会の発展とともに、西海岸の街がどんどん広がっていって、ドライブスルーで朝には通勤がてら、ふたつのドーナツとコーヒーというライフスタイルが定着していく話は、なるほどなと。そして、僕にとっては、そんなアメリカ文化の一端を、子供の頃、ミスドの店内ラジオで感じ取っていました。なんてことを思い出しながら、久々に尾崎豊をオンエアしました。

さ〜て、次回、2021年12月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『スパゲティコード・ラブ』となりました。大勢の若者たちの恋模様が複雑に絡み合っていう青春群像劇とな。ドーナツからのスパゲティ。テッド・ノイには思わぬ落とし穴がありましたが、こちらの若者たちは恋をしているつもりで、恋に人間関係に絡み取られていくんでしょうか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『アンテベラム』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月23放送分
『アンテベラム』短評のDJ'sカット版です。

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アメリ南北戦争当時、ルイジアナ州の南軍の駐屯地には綿花プランテーションがあり、黒人女性イーデン(エデン)はそこで捕らえられて働かされています。会話することさえも制限された奴隷たちと、未来を見通せない暮らしを送っていました。一方、現代のアメリカで黒人や女性の権利向上を訴えて注目を浴びている社会学者にして作家のヴェロニカ。講演会のために訪れた街のホテルで、奇妙なことが起こり始めます。

ゲット・アウト(字幕版) アス (字幕版)

過去と現在が交錯する、この一風変わったスリラーを製作したのは、『ゲット・アウト』や『アス』といった話題作を提供してきたプロデューサーのショーン・マッキトリック。監督・脚本は、ジェラルド・ブッシュ、クリストファー・レンツの若手コンビ。主人公の女性イーデンとヴェロニカを一人二役で演じるのはジャネル・モネイ。他にも、歌手のリゾがかなり好演していますよ。
 
僕は今回はマスコミ試写で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

全体的には大きく三幕に分かれる物語で、南北戦争の時代と、現代のアメリカと、それが交錯するようなハイライト。そして、過去のイーデンと、現在のヴェロニカ、主人公となる黒人女性を、いずれもジャネル・モネイが演じてはいるものの、すぐには同じ彼女だとわからないくらい様子が違います。過去では綿花の強制労働と将校からの性的な関係の強要、そして脱走への企みを胸に秘めていることで、彼女は汚れ荒み、ギラついた目には不屈の魂も宿らせている。翻って、現代のヴェロニカは、愛し合う家族や気の置けない友人に恵まれ、社会的にも認められた、聡明な姿で、美しく輝いています。しかし、なぜこの2人の女性が、映画では同時に描かれることになるのか。

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ジャンルとしては、ホラーと書かれることもありまして、確かに予告なんかは、かなりおどろおどろしいんですよね。ふたつの時代が短い尺の中で行き来するし、過去において虐待される姿は痛ましく、現代においてドアを開けると廊下に佇む金髪白人少女の姿は『シャイニング』の双子みたいで怖い怖い。でも、実はいわゆるホラー演出ってのはほとんどありません。むしろ、スリラーであり、ミステリー的な要素が強いんです。
 
要するに、さっきの問いですよ。この2人にはなんの関係があるのか。特に第一幕なんてずっと歴史ものですから。そりゃイーデンの置かれた状況には憤るし、腰に文字通り烙印を押される場面とか、遠くからプランテーションへ連行されてきた妊婦に同情しながらもなだめる場面とか、見ていると怒りが湧いてきますし、肉体的にも痛そうで精神的には絶望感に苛まれているだろうなと思います。で、ある夜、将校の相手をして、ふと目が覚めると、現代なんですよ。ヴェロニカになっているんです。隣で寝ているのはやさしい夫。悪い夢か… 
 
そこで、2幕に入る。すると、現代のパートに、過去の断片が、まるで時代を飛び越えた呪いのように、歴史としてはやがて敗れることになった南軍の白人たちの怨念のように、画面の隅に現れるもんだから、僕たち観客はこの1幕と2幕に、どんな関連があるのかと、固唾を飲んで目が釘付けになるんです。その意味で、サスペンスでもあり、現代のヴェロニカが過去の怨念に捕らわれるのではないかというスリラーでもあり、最後まで謎は明かされないミステリーでもあるという映画です。

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[R], TM & [c] 2021 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved
思い返せば、冒頭には、ウィリアム・フォークナーの言葉が引用されます。「The past is never dead. It's not even past. 過去は死なない。過ぎ去りさえしない」。もうこれが、なるほどその通りだと言わざるを得ないほど納得です。そもそもの問題意識として、プロデューサーと監督たちには、Black Lives Matter運動がここ数年大きなうねりとなった背景として、本当に黒人たちは、あるいは黒人女性たちは解放されているのだろうか。下手をすると、形を変えて、あるいは見えない形で差別と搾取は今もマグマのように地下でドロドロと蠢いているのではあるまいか。
 
サスペンスが解消される時、映画が終わるところで、おおよそのことがわかるわけですけど、そこでスッキリというものでは実はなく、今話した問題意識はむしろ突きつけられる恰好なので、身の毛がよだつし、人を蔑んで利用することで自らの権利とやらを成立させるような選民意識に虫唾が走ります。人間の歴史は過去から現在へと時間とともに進歩しているはずなんだという、僕たちがそうあってほしい歴史観をあざわらうかのような、映画的なしかけには、すっかり騙されたし、鮮やかなアイデアでしたよ。って、ちょっと待てよ。考えてみたら、冒頭のかなり尺のある長回しから、そう言えば… また見直したくなります。さすがにこんなことは実際には、ねぇ、と思いたいくらいの物語だし、そこを弱点だとする批判もあるでしょうが、それがありえないでもないんじゃないかと思わされる、後味の悪さが良かった!
それにしても、こんな仕掛けの映画を作りたくもなるほどに、まだまだ黒人女性は、つま先立ちで、ピンと張った綱渡りをしている人生という見方もできるんじゃないかと、放送ではモネイのこの曲をかけました。

さ〜て、次回、2021年11月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドーナツキング』となりました。これ、アメリカでドーナツ屋さんを創業して大きなチェーンにまでその事業を拡大していったカンボジア人のドキュメンタリーなんですが、製作がなんとリドリー・スコットなんですよね。ドーナツは作っていないけれど、食べるのは大好き、京都ドーナッツクラブという会社を運営する僕としては、好奇心でいっぱいですよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『劇場版 きのう何食べた?』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月16放送分
『劇場版 きのう何食べた?』短評のDJ'sカット版です。

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自分で開業するのではなく事務所に務める弁護士の筧史郎、通称シロさんと、やはり勤め人の美容師である矢吹賢二。この同棲中の男性カップルは、ふたりでとる夕食の時間を大切に日々を送っています。ある日、賢二の誕生日プレゼントとして京都旅行に出かけたふたりは、中年にさしかかった自分たちの将来をそれぞれに案じはじめるのですが…

きのう何食べた?(1) (モーニングコミックス)

よしながふみの人気漫画を原作に、2019年にテレビ東京系で放送されてヒットしたドラマの劇場版です。スタッフもキャストも基本的に続投していまして、脚本は朝ドラ『おかえりモネ』の安達奈緒子、監督はドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の中江和仁(かずひと)。シロさんを西島秀俊、賢二を内野聖陽が演じる他、山本耕史磯村勇斗松村北斗チャンカワイマキタスポーツ田中美佐子梶芽衣子などが出演しています。
 
僕は先週金曜日朝、MOVIX京都で、忙しいのをいいことに、果敢にもドラマ・原作まんがともにまったく接することなく鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ドラマから映画へという流れはまったく珍しくないですが、今回のケースだと、放送枠が1時間ではなく、40分の深夜枠だったんですよね。そもそもが派手なストーリーを組み上げていくようなものではなく、小さなコミュニティのひとつひとつ小さなエピソードを組み上げていくタイプなだけに、僕としては120分というたっぷりした映画の尺の中で、下手するとダレてしまうのではないかという懸念がありました。結論から言えば、むしろ脚本の勝利でした。劇場版だからこそできるテクニックを使ってまとめていました。

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(c)2021劇場版「きのう何食べた?」製作委員会
京都旅行へふたりが出かけるところから始まるわけです。まさに季節は秋。ここで、シロさんと賢二それぞれの立ち位置や関係性、性格をさりげなく提示しています。僕は賢二というキャラクターにここで初めて接したので、少し面食らったんです。内野聖陽が思った以上に、いわゆるオネエな感じで、演技というよりも演出がステレオタイプなのではないかと。ところが、シロさんと賢二はともに、そして多くの人が性別に関係なくそうであるように、ふたりきりの時と、世間に開かれた時の立ち居振る舞い、言動に区別があって、特に賢二はそこを使い分けているんですよね。そのあたりがだんだん掴めてきてからは、くすくすしながら、ハラハラしながら、まんまと引き込まれることになりました。
 
同棲してから少しずつ時間が経過し、年齢も中年にさしかかってきて、ふたりそれぞれに、自分の行く末を考え始める時期ですよ。ふたりとも独立開業できる職種でありながら勤め人ですから、仕事のことも考えるし、親や兄妹、家族との距離感や役割も変化していきます。さらには、そろそろ気になる身体のこと、健康のこともあるし、自分たちはこれからどうやって生きていくんだろうかということを、話したり話さなかったり。そして、話さないこと、話してくれないことで、余計な想像力をたくましくさせたり。そんな、どんな家族、誰にもある人生のステップだけれど、そのひとつひとつが、ゲイカップルだといちいちハードルが残念ながら上がるので、今のところ、これも残念ながら普通とされている家族よりも真正面からぶつからないといけないわけです。大きなものから小さなものまで。ハイライトとなるシロさんとその家族への賢二の関わりもそうでした。具体的には言いませんから、そこは劇場でご覧ください。そのうえで、このふたり、互いが互いを必要としているってことが、セリフや演技に表れるのはもちろんのこと、脚本の構成でも伝わることに僕は感心しました。「え? 死んじゃうの?」っていうセリフがわかりやすいけれど、いくつものシーンやセリフが、対になるんですよね。そこに気づくと、単にいい言葉を口にする以上に感動するわけで、これは安達奈緒子さんの脚本の勝利です。

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(c)2021劇場版「きのう何食べた?」製作委員会
ちょっと不満があるとすれば、サブキャラクター、特に今回で言えば、ジルベールこと航くんのエピソードが途中からおざなりになってしまっていたし、史朗が扱うホームレス殺人事件のことも、今ひとつ機能しきれていなかったような気がします。
 
それから、僕はこれで初めて観たから余計にそう思ったわけだけれど、いくらなんでも、あまりにもプラトニックではないかと。がしかし、僕はこうも考えています。ふたりのあのおいしそうな食事は、性行為のメタファーとして機能しているわけで、ここではレシピまで丁寧に話しておいしい食事を作って一緒に食べる。これで十分にふたりの関係を描ききれているわけですよね。結果として、おいしそうだし、おいしくなさそうな時には、その理由があるし、きっちり見せているから、性的なところを描く必要はないし、ある意味描けているのだと。

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(c)2021劇場版「きのう何食べた?」製作委員会
それにしても、言いたいこともあるにはあるが、おもしろいですね。ドラマもさかのぼって観たくなったし、原作はまだ続いていますから、これからも何らかの展開があることを願っています。
初めて聞いた時から見事な歌詞だと思いましたが、映画を観たら、余計にそう思いました。政宗さん、すごい。

さ〜て、次回、2021年11月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アンテベラム』となりました。ちょっと、予告のサムネイルの時点で怖いんですけど… これ、宣伝担当の方からも公開前に個人的にオススメいただいていたんです。ホラーのように見えますが、ちと違う。「ラストに唖然としながら、そういうことだったのかとじわじわ押し寄せる恐怖」だなんてメールに書いてくださっていて… それは結局ホラーじゃないのか!? なんてツッコみたくなりますが、そう単純でも内容で。主演のジャネル・モネイも楽しみ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ビルド・ア・ガール』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月9放送分
『ビルド・ア・ガール』短評のDJ'sカット版です。

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1993年、なんの変哲もないイギリスの郊外で暮らす主人公の女の子、ジョアンナは16歳。学校ではまったく冴えないのですが、図書館で本を読み漁り、想像力は誰よりもたくましく、文才に恵まれています。何かが起こるのを待っていても、人生は変わらない。ジョアンナは奇抜なファッションに身を包んで大胆にイメチェンして、かっちょいいペンネームを考え、音楽専門誌のライターとして、まさかの大成功を収めることになるのですが…

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー(字幕版) レディ・バード (字幕版)

 この映画は、概ね事実に基づいているんですね。原作と脚本は、キャトリン・モラン。ジャーナリストで作家の彼女が、自分の体験談を綴った原作は、現状日本語で読めないので、続編と合わせてこの機会に邦訳が出てほしかったところ。監督は、テレビドラマで腕を磨き、これが初長編作となるコーキー・ギェドロイツ。そして、出ずっぱりの主演、ジョアンナを演じるのは、『ブックマート 卒業前夜のパーティーデビュー』や『レディ・バード』と、ここ数年でメキメキ頭角を表しているビーニー・フェルドスタインです。ジョナ・ヒルの妹さんですね。

 
僕は先週木曜日、京都シネマで鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まずざっとした印象として、痛快だし、心温まるし、元気が出るし、めっちゃいい。これです。原作・脚本のキャトリン・モランは僕の3つ上で、郊外に育ったという意味では、世代や時代の空気感はわかるものがありますが、それだけに、ジョアンナの行動はすごいこともよくわかります。だいたい、当時はまだネットもない中で、タイプライターを使っていた頃に、子だくさんで親からもろくに面倒をみてもらえない状況で、よくロンドンの音楽雑誌に乗り込んでいったよ! 僕はラジオに投稿して、下ネタを読んでもらって喜んでいたくらいのレベルでしたから。それに引き換え、ジョアンナはいきなりロッキンオンの門戸を叩くみたいなことですよ。えらいこっちゃ。

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(C)Monumental Pictures, Tango Productions, LLC, Channel Four Television Corporation, 2019
でも、それが曲がりなりにもうまくいったのは、彼女の基礎教養と想像力が培った文才のおかげです。お父さんはミュージシャン崩れで、お母さんは子育てにほとほと疲れている。愛情はあるし、自由を尊ぶのはいいけれど、なにせふたりともジョアンナにじっくり構う余裕がない。そして、ジョアンナには友達がいない。決して暗い性格ではないけれど、かなり屈折している。要は、こじらせています。お母さんからは、北欧系の豊満な体型を受け継いだわねって言われる場面がありましたが、きっと炭水化物メインの食事を出されていただろうし、ベッドの下でヌテラみたいなスプレッドをなめたりしてるから、いじめっ子たちからはまた、太っているとバカにされる。でも、彼女をどうして責めることができようかってことですよ。思春期における容姿の問題は死活問題だけれど、そんなの一過性のものでもあって、ごちゃごちゃイジってくる奴らを見返すことができるサスティナブルな能力を彼女は自分で身につけてきました。それは何って、教養です。図書館で本を読み漁って、彼女が自分のメンターたちだと、自分の部屋に貼っている人たちとの妄想の会話なんて最高。エリザベス・テイラードナ・サマーフロイトマルクスなどなど。

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(C)Monumental Pictures, Tango Productions, LLC, Channel Four Television Corporation, 2019
文章書いて、原稿料がもらえる。それ、いいじゃん! 家計も逼迫していたところで、彼女は使命感込みで、このまま手をこまねいていたら、一生このままだとばかりに、ペンは剣よりも強しを地でいく活躍を見せます。そしてマニック・ストリート・プリーチャーズのライブを観て、それまで関心の薄かったロックが、彼女の最大の関心事になります。でも、そこから順風満帆というシンプルなストーリーではありません。彼女はセクハラやパワハラの類は巧みにいなして、自分のペンで、自分の剣で、自分の道を切り拓く、ウザい男どもはギャフンと言わせる、のみならず、自らを、そして自らの大切な人たちを傷つけもしてしまう。調子乗り、勘違い、そりゃありますよ。10代だもの。ドッタンバッタンしてこその青春映画だもの。カメラワークも、要所要所でドッタンバッタンしていました。そして、それが彼女のダイナミックかつポジティブな進路の選択に合致していました。特に、ここ一番でのカメラ目線ですね。彼女が僕ら観客に直接話しかけてくるところ、その言葉、笑顔で画面の奥へ向かう様子には「いいぞいいぞ」って言いたくなります。唐突かつ強引ではありましたけどね。

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(C)Monumental Pictures, Tango Productions, LLC, Channel Four Television Corporation, 2019
下ネタもいっぱい。決して上品でない青春映画ですが、同時に下品ではないバランスに好感が持てます。強引にまとめれば、人生はいつからだって作り変えられる。リビルドできるということです。その時に大切なのは、自分を精神的に支えて守ってくれる教養と、これまでの自分とは違うことをあえてやってみる勇気。ジョアンナの言葉を、胸に刻めば、僕たち観客はいつだってもう一度、あるいは本当の青春を初めて、体験できるような気がします。
エンド・クレジットの清々しさがたまらないのは、この曲のおかげでもありました。そして、クレジットのフォントがしっかりタイプライター風になっていたのも良かったですね。

さ〜て、次回、2021年11月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『劇場版 きのう何食べた?』となりました。ヒットドラマの劇場版ですよ。そりゃ、設定くらいはなんとなく知っていますが、ドラマはまったく見ていないのです。大丈夫かしら? とラジオで問いかけたら、「主な登場人物とその関係性ぐらいはチェックしておくのが無難」という真っ当なお答えをいただいたので、仰せの通りにして行ってまいります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ロン 僕のポンコツ・ボット』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月2放送分
『ロン 僕のポンコツ・ボット』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカの典型的な郊外の町で、父親と祖母と3人暮らしの少年バーニー。学校では流行りの話題についていけず、友達もうまく作れず、ウイてるなと自覚している彼。回りのみんなは、Bボットというロボット型デバイスを学校にも連れてきています。Bボットはオンラインに常時接続して、持ち主とぴったりな友達候補を探し出してくれるんですが、バーニーにはそのBボットもありません。ある日、そんなバーニーを見るに見かねた父親がプレゼントしたのは、壊れかけ、ポンコツのBボットだったからさぁ大変。
 
イギリスの鳴り物入りの新しいアニメ制作会社ロックスミスによる初の劇場公開作なんですが、ここのところの映画業界再編の動きに巻き込まれていて、今はディズニーの傘下にある20世紀スタジオが制作・配給をしています。企画から公開まで、かなりややこしいプロセスを辿った作品なんですが、一応はロックスミス社創業者のひとり、イギリスの映画人サラ・スミスが共同脚本と監督でキーパーソンにはなっています。
 
僕は先週木曜日、MOVIX京都で吹替版を鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

主人公のバーニーは中学生。年齢ははっきりしませんが、14歳だと仮定すると、2007年生まれです。生まれた頃から、携帯電話ひとり一台は当たり前、ものごころ着いた時にはスマホをみんな持っている、デジタルネイティブ世代です。ところが、小さな頃に母親を亡くし、父親は風変わりなおもちゃ、ガジェットを生み出しては、えらい古いパソコンでネットに接続、世界各地に商品をプレゼンする発明家のような人。同居するおばあちゃんは、これまたなおのことクセがあって、旧ソ連の当時共産圏から移民してきたであろう肝っ玉ばあちゃんです。家にあるのはレトロなガラクタばかりで、ニワトリやヤギがうろつくユニークな家庭でなんだかおもしろそうですが、思春期のバーニーにしてみれば、そりゃクラスで家のことを話すのは恥ずかしいし、自分の趣味も岩石コレクションだし、浮いているのは百も承知。そして、決定的なことに、みんな持ってるBボットを自分だけ持っていない。だからこそ、みんなにバカにされるばかりで、友達はできない。まぁ、こんなもんだろうと、半ば自分でもあきらめている始末です。それでも、誕生日のプレゼントにと、ダメ元でおねだりをし、お父さんが仕方あるまいとばかりに特殊なルートで入手したのが、あの家に似合うっちゃ似合うポンコツ・ボット、ロンだったということ。おおよそ想像はつくと思いますが、テーマは表面的には友情とは何か、です。

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© 2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
バーニーは「友達なんていないならいないで大いに結構」という、孤高の精神の持ち主でもあったように思いますが、クラスでの爪弾きは辛いものがある。では、クラスメートたちが育んでいるのは、果たして友情と言えるのか、という問題もあります。Bボットは、スマホやスマートウォッチを進化させたようなもので、持ち主の好みや情報をすべて集約してネットに接続し、SNSへ投稿したり、好きなものを教えてくれたり、友達付き合いを勧めたり、なおかつ話し相手にも、移動手段にもなるという、それ自体、友達のような存在というのが肝でして、ユーザーはもっともっと世界とつながれとばかりにけしかけられて、中学生たちもほとんど自覚がないまま人間関係に疲弊し、自己承認欲求を満たすべく奔走させられているように見えるんです。

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© 2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
このあたり、明らかに、GAFAへの風刺が見て取れます。ユーザーは個人情報をまるまるボットに預けている状態ですから、検索し、買い物し、人とつながり、デジタル機器同士が勝手にネットワークを形成して、すべてビッグデータとして収集されてしまう。開発した企業の思惑はまさにそこにあって、うさんくさいCEOのひとりは、ボットが実は友人を作るものではなく、ビッグデータを集めてビジネスに利用するための手段に過ぎないと考えています。そして、エンジニアからCEOに上り詰めたもうひとりの青年は、面白いことに、Bボットは友達を作るためではなく、Bボットさえいれば友達が要らなくなるものだと考えている。ところが、誤算だったのは、バーニーの相棒となるロンが不良品であること。壊れかけて機能不全に陥っている最大の要因は、ネットに接続できないこと。ただ、示唆的なのは、ネットに接続できないがゆえに、ロンとバーニーが、お仕着せの友情ではなく、自分たちだけの、文字通りかけがえのない友情を育んでいくこと、なんです。

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© 2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
こうした登場人物たちそれぞれの事情と思惑が絡まったドタバタ人情喜劇的に物語は展開。そのゴチャゴチャした感じと、湿っぽくなりすぎない演出が、僕にはちょうど良く、結論もお行儀よく「友情っていいね」に安易に落とし込まないのが良かったです。もちろん、似たテーマとある程度似たロボットの外見という意味で先行する『ベイマックス』に比べると、とりわけ話運びや設定に詰めの甘さが見られるものの、僕としては、新興の制作会社が劇場版一作目として発表し、当初から狙ったことではないにせよ王者ディズニーから配給することになった中で、かなり検討しているなと、嬉しいサプライズでした。

サントラは、音に頼りすぎず、ここってところでは歌を聞かせて、それがとてもポップで、いいバランスだったと思います。

さ〜て、次回、2021年11月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ビルド・ア・ガール』となりました。ぴあの華崎さんがこの前番組で紹介してくれていた作品ですね。90年代前半のUKロックシーンを舞台に、それまでうだつのあがらなかった女の子が、ライターとしてペンを片手に乗り込んでいく青春エンパワーメント・ムービーって、どう考えたって面白そうじゃないですか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!