京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『スティルウォーター』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月25放送分
『スティルウォーター』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカ、オクラホマ州にある街、スティルウォーターで石油掘削の作業員だった中年男性ビル・ベイカー。油田の閉鎖にともない、現在は日雇いで働いている彼が飛行機に乗って向かうのは、娘アリソンがいるフランス、マルセイユ。彼女は留学中にガールフレンドを殺害した罪に問われ、9年の実刑判決を受けて服役すること5年。面会をすると、無実だというアリソンは、弁護士への手紙をビルに託すのですが、その弁護士には取り合ってもらえず、彼は5年前の事件の真相を探ることに…

スポットライト 世紀のスクープ (字幕版)

製作と監督、共同脚本は、『スポットライト 世紀のスクープ』でアカデミー賞作品賞脚本賞を獲得したトム・マッカーシー。フランスの脚本家コンビと一緒に書き下ろした脚本をもとに、オールロケで撮影を行いました。ビルを演じたのは、マット・デイモン。娘のアリソンに扮するのは、『リトル・ミス・サンシャイン』のアビゲイル・ブレスリンです。
 
僕は先週木曜の午後、TOHOシネマズ二条で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マルセイユというのは、何度となく映画の舞台になってきた街で、特にスリラー、サスペンス、犯罪ものとの相性がいいんですよね。紺碧の海、今回も出てきた自然の造形美が楽しめる切り立った岩に囲まれた入り江のかランク国立公園がそばにありながら、大都市で港町だけあってたくさんの人種が入り混じって暮らす独特の喧騒と活気がある。マッカーシー監督は、たくさんの画家や映画監督を魅了してきたマルセイユの光を捉えたいと、今回も日本人撮影監督の高柳雅暢(まさのぶ)とタッグを組んで、オールロケにこだわり、手持ちカメラを多用する躍動感のある映像をものにしました。実際のところ、映画の大半はマルセイユが舞台なんですが、それを大きくサンドするのが、オクラホマのスティルウォーターです。ギュッと人口密度が高くて、海辺から高台まで、起伏に富んだ地形のマルセイユと正反対で、だだっ広い荒涼とした景色が広がります。人もまばらで、動きがない。最初なんて、ハリケーンで被害を受けた住宅の片付けをしてますから、ビルは。そんな彼の淡々とした孤独で、のちのちわかってくる落伍者としての贖罪の日々を、カメラはじっと固定で見つめます。町の名前、動かない水、Stillwaterのようにカメラも動かない。

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© 2021 Focus Features, LLC.
今作はマルセイユという街そのものがもうひとりの主役であるように映されますが、それはあくまで、スティルウォーターが最終的にどう見えるか、見え方がどう変わるのか否かというフリにもなっています。つまり、マルセイユを舞台にしつつも、これはそこで異邦人として過ごすアメリカ人の話であり、アメリカ社会のひずみがテーマになっているという作品なんです。外国に出ることで、日本のことがそれまでとは違って見えるようになったってのはよく聞く話だし、僕にも経験があります。要は井の中の蛙大海を知らずってことです。アメリカには、外国に興味がない人たち、パスポートを持たない人たちも多いと言いますが、ビルだって、娘のアリソンが留学することがなければ、きっとそうだったでしょう。そして、アリソンは、仕事に失敗して人生から滑り落ちていったかつての父親から、そして自分の性的少数者としての保守社会での居心地の悪さから、つまりスティルウォーターにおける自分の境遇と将来の見通しの悪さから、ここではないどこかを目指して飛び出したアマガエルだったんです。

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© 2021 Focus Features, LLC.
ところが、アリソンは今獄中にいる。ガールフレンドとの痴話喧嘩のもつれとされているけれど、アリソンはやっていないという。では、誰が。ビルが独自に動き出すわけですが、まぁ、大変です。フランス語もできなければ、土地勘もない。そもそも能力もない。とにかく娘を牢屋から自由にできればそれでいいのだという執念だけがある。リュックを片側だけ下げて、ジーパンにシャツをイン。髭をたくわえて、サングラスにくたびれたキャップ。クマが徘徊するような絵面でビルは港町を歩きます。触れ込みとしては、サスペンス・スリラーですから、細い糸を彼が手繰り寄せて事件の真相に迫るってことなんですが、実は事件の犯人やその動機が解明されれば一件落着ってことではないというか、まずビルひとりの手には負えない話なんですよね。この作品では、マット・デイモンはスパイのジェイソン・ボーンではないんです。社会でも家庭でも失敗し、そこから立ち直ろうとしている途中にある、アメリカン・ドリームを見ることもないアメリカ人中年男性です。

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© 2021 Focus Features, LLC.
そんなビルが、マルセイユで、地元の小さな女の子や、その母親と出会い、ふたりの協力を得ながら、あるいはふたりを時に助けながら、「こんなのはじめて〜!」をたくさん経験することになります。アメフトじゃなくて、サッカーもおもしろい。世界にはいろんな人がいる。フランス語も少し覚えてみる。演劇というものを初めて観る、などなど。殺人事件の真相と関係なさそうだけれど、実はなんならこうしたシーンの数々が、ビルのこれまでとその変化を巧みに描写していて、それがラストの感慨につながります。
 
無駄な描写も会話も回想シーンもないソリッドな語り口なのにわかりづらいところなど何ひとつなく、意見や世界観の押しつけもないのに、僕たちの視野と見識を広げて感動させてくれるうえ、謎解きもキッチリする。役者陣の演技もスタッフの技術的な水準も極めて高く、ジャンルを更新するような新しさがある。文句のつけようがない傑作でした。
マルセイユを舞台に何度かカントリーが流れるんですが、特にこの曲がかかるタイミングは、
本当に束の間の安らぎ、幸せなシーンでした。いい選曲。

さ〜て、次回、2022年2月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『コーダ あいのうた』となりました。フランス映画『エール!』のリメイクですが、これがまた評判高いですね。聴覚障害者のファミリーにあって、唯一耳の聞こえる女の子が歌手を目指す物語。アカデミー賞でも有望ということで、良さげなんを当てました! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『こんにちは、私のお母さん』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月18放送分
『こんにちは、私のお母さん』短評のDJ'sカット版です。

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生まれてから大人になるまで、何をやってもしくじりばかり、たいていのことでしっかり母親の手を焼いてきた娘ジア。ある日、母親と一緒に交通事故に遭い、20年前の1981年にタイムスリップしてしまいます。そこで出会ったのは、まだ若く、自分を生む前の母親。母に迷惑ばかりかけてきたジアは、彼女をとにかく喜ばせたい。そして、ここで母親の人生を変えてしまおうと、目指せ玉の輿、恋のキューピッドになるべく奮闘するのですが…
 
中国の人気コメディエンヌであるジア・リンが、48歳で亡くなった自分の母親への思いをこめて書いて演じたコントを膨らませて映画用の脚本にして、自ら監督、そして自ら主演しました。他にも、中国屈指のコメディアンにして大スター、シェン・トンも、タイムスリップした81年、工場長の息子を演じています。
 
僕は先週木曜の午後、大阪ステーションシティシネマで鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

「世の中には間に合わない事があって、その最たるものが、親孝行である」とジア・リン監督は言っています。早くに母親を亡くした彼女なら、余計にそう思うでしょうし、実際に、それは後から取り返しがつかないことで、「孝行のしたい時分に親はなし」という川柳もあります。他にも、石に布団は着せられず、なんてのもありますね。半自伝的な話だし、自分で演じているジア監督は、生まれた時からでっかくて、その後もよく食べるのはいいのだけれど、元気が良すぎてやらかして、勉強はうだつが上がらないまんま大学生に。話は2001年、合格通知が届いたその祝賀会から始まるんですが、よせばいいのに、その通知書は友だちに頼んで作ってもらった偽造もの。パーティーも台無しです。ジアにしてみれば、母親に喜んでほしい一心だったんですが、完全に方向を間違えたところで、交通事故、からのタイムスリップです。

バック・トゥ・ザ・フューチャー (字幕版)

時間旅行をして、若い両親に出会うってことで、当然『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出すわけですが、ジアの場合は、単純に空から落下して、地面に落ちる。なんなら、母親はその空から降ってきたジアの下敷きになるっていう、しっかりここもコメディー仕様になっています。だって、やがて現代に戻ろうとする時も、「え? それ?」っていう行動にジアが出るので、笑えるんですが、そこは描写しないでおきましょう。

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(C)2021 BEIJING JINGXI CULTURE & TOURISM CO., LTD. All rights reserved.
ユニークで僕が興味深く鑑賞したポイントはふたつあって、ひとつめは、1981年の中国の様子です。もちろん、ばりばり共産主義だし、当時は改革開放政策の中で市場経済を立て直していた時代。ジアが関わりを持つ若者たちもみんな工場労働に精を出していました。管理された社会だし、情報は統制されているし、工場を中心とした街は決して裕福ではないけれど、それなりに牧歌的で楽しそうです。80年代初頭と聞いて思い浮かべる様子とはずいぶん違います。まだテレビは各家庭にないし、娯楽にも乏しい。僕ら日本の観客には伝わりづらい小ネタもたくさんあるんだなってことはわかる、中国の人には懐かしいムードですよ。だから、印象としては『ALWAYS 三丁目の夕日』的な感じで、ノスタルジーむんむんの僕にしてみれば苦手なやつかと思いきや、そもそも知らない世界だから、面白いんです。何より、ジアが観客を案内してくれるような格好ですからね。そして、何より、この映画の目的は、若かりし母親を、やがて母になる人としてではなく、その青春を描くことでもあるんです。原題は、「こんにちは、リ・ホワンイン」と、お母さんの名前が入っていますから。そんな母の青春をより楽しくしたい。現代で叶わなかった親孝行を、過去に戻った今やりとげたい。たとえ、自分がそれによって生まれなかったとしても。ってことであれやこれやとハッスルする様子は、ギャグも散りばめられていて笑えるんだけれど、正直、笑いの取り方に古臭いところはあるし、外見で笑いを取るのもなんだかなぁと思うこともありました。それも81年当時のスタンダードの再現なのかもしれないけれど。

ライフ・イズ・ビューティフル (字幕版) カメラを止めるな!

 と、ここで興味深く鑑賞したポイント、ふたつめは、そうした古臭さやタイムトリップだからってご都合主義が多すぎるんじゃないかと思えた展開を、すべてカッコに入れてくくった上で相対化してしまう脚本の構成です。ラスト20分の流れには、思わず僕も落涙。笑いと涙の混じり合う様子は、僕はベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』を連想しましたが、とにかく怒涛の畳み掛けで、それまでの2時間弱を相対化するというか、『カメラを止めるな』的に、見え方がまるっきり変わる体験をすることになります。これにはやられました。「親の心子知らず」と言いますが、僕たちはそれぞれに主観で世界を認識しているわけで、いくら肉親であっても、その心のうちはわからない。わからないからこそ、通じ合った時の喜びはひとしおなわけで、その種の体験・仕掛け・伏線回収にへなへなになります。あのオープンカーも、まさかここでこんな形で意味が生まれるとは… ジア・リン監督、お見事でした。

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(C)2021 BEIJING JINGXI CULTURE & TOURISM CO., LTD. All rights reserved.
誰しもが親のことを思い出し、考え、同時に子や孫がいるなら、そのことも考えるような、とても普遍的なヒューマン・コメディ。中国の当時の風俗を垣間見る興味深さもあわせて、とても有意義な映画体験となりました。
映画の中では、中国の歌もいくつか流れて、これまた楽しかったんですが、ここでは作品の余韻を疑似体験いただけるかなと、日本語で、AIがこれも自伝的にお母さんに向けて歌ったこの曲をオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年1月25日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『スティルウォーター』となりました。大作目白押しの中、渋い1本が当たったという印象もあるかもしれませんが、なんといっても『スポットライト 世紀のスクープ』のトム・マッカーシー監督がマット・デイモンとタッグを組んでいるわけですから、これも立派な大作ですよ。今回はマット・デイモン、どんな目に遭うのか。サスペンス・スリラーです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ボス・ベイビー ファミリー・ミッション』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月11放送分

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ボス・ベイビーが、兄のティムと繰り広げた、赤ちゃんvs子犬の戦いから25年。ボス・ベイビーは金融関係の会社のCEOになり、ティムは専業主夫として、仕事のできる妻、7歳の長女タビサと赤ちゃんの次女と幸せに暮らしていました。そこへボス・レディーなる人物が姿を現し、世界征服を企む悪を倒すよう、ボス・ベイビーとティムに指示をしたのですが…

ボス・ベイビー(字幕版)

監督・製作総指揮は、前作に続き、生みの親であるトム・マクグラス。音楽はハンス・ジマーとスティーヴ・マッツァーロの師弟コンビ。吹替版のキャストは、ムロツヨシ宮野真守多部未華子芳根京子となっています。
 
僕は先週火曜の昼、TOHOシネマズ梅田で吹替版を鑑賞いたしました。公開から時間が経ってスクリーン小さめだったとはいえ、かなりお客さんが入っていましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

見た目は赤ちゃんなのに、中身はおっさん。アカデミー賞にもノミネートした前作を、僕は2018年3月末にラジオで評しています。そこではまず、ドリームワークスというスタジオ全体の方針を紹介しました。「ディズニーは、子供と、大人の中にある子供心に向けて映画を作るが、ドリームワークスは大人と、子供の中にある大人心に向けて映画を作る」というもの。ボス・ベイビーはそのコンセプトを象徴するような作品で、技術にも作劇にも多少のアラはあるものの、ワーク・ライフ・バランスの問題や他者とどう向き合うかという、実はそれこそ大人っぽいピリリとくるトピックを扱いつつ、しっかりジンとくるような映画になっていて、結構評価したんです。その後、TVシリーズも作られ、日本ではEテレでも放送され、こうして続編もあり、人気を博しているのはご承知のとおりです。
 
設定が突飛でユニークなだけに、テレビ向けのエピソードはそのバリエーションで色々エピソードが作れるのはよくわかるんですが、長編映画となると、今回はどんなでっかい話になるのかと思ったら、まず驚いたのは、まさかの舞台が25年後っていうこと。しかも、ティムが専業主夫になっているという今どきの攻めた設定でいきなり飛ばしてるなと思ったら、ボス・レディーが登場。早速、性別分業への異議を唱えたかと思えば、普遍的な兄弟愛、家族愛がやはり軸になるという、テーマの柔軟性に惹かれました。

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(C)2021 DreamWorks Animation LLC. All Rights Reserved.
前作同様、これはトム・マクグラス監督のお兄さんへの気持ちも作品の原動力になっています。曰く、自分に映画の作り方を教えてくれた兄が、若くして家族を持って故郷にとどまり、弟である自分が映画業界でバリバリやりながら家族を持たずにいる。本作では兄と弟がテレコになっていますが、対称的な兄弟の人生をテーマにしつつ、今回のポイントは、そこにティムと娘のタビサの親子愛を盛り込むというツイストもきかせています。設定は相変わらず強引ではあるものの、うまいなと舌を巻きます。
 
そして、目と眉毛でここまで感情が表現できるのかというキャラクターの動かし方と、絵のトーンの変化にも目を見張りました。これも前作同様、3DCGの中に古き良き2Dのタッチを物語的に意味のある形で混ぜ込んでくる手法も見受けられます。簡単に言えば、現実と空想で変化をつけるわけですけど、音楽の使い分けとも連動させながら、この手法を一段進化させていました。

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(C)2021 DreamWorks Animation LLC. All Rights Reserved.
惜しむらくは、少々味つけが濃いことですかね。キャラクターもそれぞれ濃ゆいし破天荒だし、ドタバタのギャグやアニメらしい物理法則を無視した動きが濃密すぎて、物語の実は繊細でもある感情の流れをぶった切ってしまっている印象は拭えません。とはいえ、しっかり最後はジンときて、また笑ってと、うまいです。ディズニーのコンテンツ一人勝ち状態が続く中、カウンターとしてのドリームワークス、その今や看板のひとつ、ボス・ベイビー、僕は引き続き推したいところです。家族で観に行ったら、きっと親世代、祖父母世代の方が目頭を熱くすることでしょう。
前作同様、遊び心満載で音楽をよく理解しているサントラには、ハンス・ジマーのオリジナルに加え、Run DMC、ハリー・ニルソン、Enyaトーマス・ニューマンなど並んでおりますが、ここではSalt-N-Pepa, Push Itをオンエアしました。


さ〜て、次回、2022年1月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『こんにちは、私のお母さん』となりました。中国映画で、コメディーで、なおかつタイムトリップもの。中国映画に明るくない僕なので、うかつなことは言えませんが、これは僕たちにとっては新しい映画体験になりそうな気がしています。コメディーと言いつつ、思わず落涙しそうな雰囲気もありますね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『キングスマン:ファースト・エージェント』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月4放送分

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表の顔は、高貴なる英国紳士。裏の顔は、世界最強のスパイ組織キングスマン。国家に属さない秘密結社の活躍を描くシリーズ3作目にして、組織の誕生秘話を描いた今作。名門貴族オックスフォード公とその息子コンラッドは、20世紀初頭、第一次世界大戦に突き進んで混迷を極めるヨーロッパを舞台に、暗躍する羊飼いなる黒幕とその一味の企てを葬り去ることができるのか。

キングスマン(字幕版) キングスマン: ゴールデン・サークル (字幕版)

 

監督、原案、脚本、製作、そのすべてを手掛けるシリーズ生みの親マシュー・ヴォーンは、もちろん今回も続投しています。オックスフォード公を演じ、製作総指揮も務めたのは、レイフ・ファインズ。その息子コンラッドをハリス・ディキンソン、女執事をジェマ・アータートン、公爵の右腕をジャイモン・フンスーが演じます。
 
僕は先週水曜の午後、Movix京都で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

「最近のスパイものはシリアスすぎる」。007の熱狂的なファンでもあるマシュー・ヴォーン監督が、原作者とパブでそう話して企画がスタートしたキングスマン。確かにそうです。スパイものも、SFも、ヒーローものも、現実の世の中がインターネットで万事解決するような時代にあって、そしてビッグバジェットで観客の最大公約数を狙おうとすればするほど、倫理的な問題も横たわり、主人公はやたらと考え込んだり、アイデンティティに思い悩むようになりました。キングスマンというシリーズは、そうした物語設定の難しさの網の目をうまくかいくぐり、Manners maketh man「礼儀が人を作る」という14世紀後半の古い英語の格言を持ち出して、階級社会の鎖をちぎってみせ、人に優しくあれという、宗教・時代・国境を越えるような普遍的な価値を打ち出すことで、成功を成し遂げました。確かにキングスマンというテーラーはロンドンにあるけれど、MI6のようにイギリスという国家に従属しているわけでもない、世界情勢のバランサーという発明的なアイデアだったと思います。その土台の上で、マシュー・ヴォーンは紳士が仕立て屋の隠し扉を抜けると戦闘員になるという痛快なギャップと、ニヤリとくるユーモア、無駄を削ぎ落とした美しいまでのアクション、音楽的と言ってもいいようなリズミカルな物語運びを編集でも生み出してきました。2作目のゴールデン・サークルでは、その変奏もうまくいき、舞台はアメリカへ拡大。アクションのアイデアはますます豊富にして新鮮でした。

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© 2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
で、3作目。前日譚です。僕は観る前、この超楽しいエンターテインメントが後退してしまうのではないかと正直心配しました。前日譚の失敗例も多いし、何より第一次世界大戦なんて描いたら、それこそ監督が問題意識として持っていたという「シリアスすぎるスパイもの」に追従してしまうのではないか。ところが、マシュー・ヴォーンは、またしてもやってくれました。まず歴史をきっちり調べ直して、たとえば、イギリスの国王ジョージ5世、ロシアのニコライ2世、ドイツのヴィルヘルム2世がいとこ同士だったことや、サラエボでのフランツ・フェルディナンド公の暗殺事件の偶然性など、史実をふんだんに盛り込みながら、権力者がいかに間違ったリードで人類をスポイルしたのかを描き、ラスプーチンマタ・ハリといった実在の謎多きキャラクターがいかに跋扈し、暗躍したかをファンタジックに見せながら、だれしもがまずは話し合うことが必要であるという結論へと確実に導いていきます。その様子がまた絶妙に荒唐無稽で、それでも歴史の核心は外さないバランス感覚は見事でした。ロケ地の選定も入念でしたね。エンドクレジットを見ていてびっくりしたんだけど、サラエボのシーンは僕の生まれたトリノで撮っているんです。切り取り方がうまいので、トリノって気づかなかったぐらい。驚きました。

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© 2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
確かにシリアスな部分は大いにあって、オックスフォード公には悲しみがつきまとう一方、その悲しみを突破するのが、実は何があっても平和を希求する想いだと説得力をもって結論づけることで、晴れてキングスマンが誕生する。現代最高峰のアクションシーンにも匹敵する脚本にお手上げです。そして、邦題では「ファースト・エージェント」と付いていますが、原題はただ『The King's Man』。そう、これがキングスマンの始まり。勢いで作ったつじつま合わせの前日譚とは一線を画する、シリーズの始まりを観れば、きっとあなたはこのシリーズがもっと好きになることでしょう。僕がそうでした。
主題歌はFKA twigsが担当。歌詞の端々に聞こえるワードチョイスも含め、Central Ceeのラップのタイミングも含め、ピタリとハマっていました。

さ〜て、次回、年始、2022年1月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ボス・ベイビー ファミリー・ミッション』となりました。また爆笑をかっさらってくれるんでしょうか。そして、かなりの騒動になるんでしょうか。予告のサムネイルでも、いい表情してますね。僕はボス・ベイビーの眉、眉間の動きが好きなんですよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『マトリックス レザレクションズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月28放送分
『マトリックス レザレクションズ』短評のDJ'sカット版です。

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99年の名作『マトリックス』からスタートした三部作から18年。今作における主人公のネオ、こと、トーマス・アンダーソンは、かつて「マトリックス」というゲームソフトを開発して一世を風靡したクリエイターです。彼は頻繁にフラッシュバックに襲われ、夢とは思えないような夢を見る経験をしていて、セラピストのもとに通っています。この世界はやはり仮想世界マトリックスで、人類はAIによって栽培された状態なのではないか。ネオは再会した恋人トリニティーを救う、新たな戦いに挑みます。

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ウォシャウスキー兄弟と言われていたふたりがともに性別適合手術を受け、今はウォシャウスキー姉妹の姉、ラナが監督・共同脚本・共同製作を担当した今作。キアヌ・リーブスキャリー・アン・モスジェイダ・ピンケット・スミスランベール・ウィルソンが前作から続投した他、ジェシカ・ヘンウィックなど、新たなキャストも登場しています。
 
僕は先週木曜の夕方から夜にかけて、Movix京都のドルビー・シアターで鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

今思えば、1作目ってのは、世紀末の公開で、パソコンが徐々に家庭に普及するようになり、ネット・サーフィンも多くの人が経験する中で、2000年問題に怯えている状況だったわけです。マシンガン撮影という特殊効果によって実現したバレットタイムは多くの人が熱狂してあの屋上のシーンを真似して社会現象になったということも覚えていますが、それ以上に、この世界が実は仮想現実であって、人類はコンピュータに支配されているという哲学的な物語構造に衝撃があって、終末思想がとぐろを巻く99年にあってセンセーショナルを巻き起こしました。
 
今回は、実はその1本目のセルフオマージュ、というより、はっきり引用する手法が多く採用されています。これは単純にファンサービスというよりも、あの3部作そのものをカッコに入れたメタ的な続編だからなんですね。正直、始まってからしばらくは観客は混乱させられます。だって、主人公のトーマス・アンダーソンは、サンフランシスコの高層ビルでパソコン・モニターを前に、ゲーム開発をしていて、その大企業の会議ではマトリックスの続編企画について語り合っているんですもの。どういうことなんだ、と。注意深く会話を追うと、どうやらあのマトリックス3部作は、今観ている4の中では、映画ではなくゲームであったと。そして、開発者であるトーマスは、現実と虚構の区別がつかない世界を生み出した男として、今はその自分も現実の中に虚構が入り込んでくるような体験をしていて、情緒不安定になっている。カフェではトリニティーそっくりのティファニーという女性に出会い、握手しながら、「私たち、前に会ったかしら?」と聞かれるんだから、もうぐちゃぐちゃです。そして、やはりコンピューターの生み出した仮想世界マトリックスの中を自分が生きていることに気づかされていくわけです。そこで、コンピューターとの戦いが再び始まるわけですが、なぜこんな作品が今物語られないといけないかというのが、大切だと思うんですね。

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©2021 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
99年というのは、考えてみれば、SNSスマホもない世界だったわけですが、2021年というのは、まさに世界がコンピューターにつながれた状態で、ある意味、マトリックスという作品が予見した時代なわけです。つまり、今こそますます仮想世界から脱却して自分たちを取り戻し、既存の価値観に縛られない人間の自由意志というものを取り戻さねばならないのだというのが、ラリー・ウォシャウスキー、改め、ラナ・ウォシャウスキー監督からの確固たるメッセージです。これは、あの三部作以上にはっきりと伝わってきます。そもそも、監督もお仕着せのジェンダーから解放されて、今は女性として生きているし、この世界はますますネットに依存していて、ともすると僕たち観客個人個人はそのシステムに隷属しているような有様だからこそ、さらには、あの三部作がまさにゲームのようにコンテンツとして消費されるものになっているからこそ、ここで今一度、物語の核心を復活させるような4作目が必要という判断だと僕は受け取りました。

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©2021 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
マトリックスの新作なら、もっとアッと驚く映像が観たかったという人がいるのは理解できるし、僕もそこにかなり期待していたけれど、大胆極まりない物語そのものに僕はしっかり興奮しました。クライマックスあたりで急にゾンビ映画みたいになるのも趣旨を考えれば納得だし、サングラスやファッションの更新もイケてるなとわりと満足。世間での評価は真っ二つという状態のようですが、改めて、1に戻りたくなるという意味でも、僕はかなり好意的に捉えています。
目覚めるんだと僕らに強く訴えかける曲をサントラから。Rage Against The Machineのカバーですね。


さ〜て、次回、年始、2022年1月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『キングスマン ファースト・エージェント』となりました。近頃は続編、シリーズ物が続々と投入されるので、少々辟易しているところもありますが、キングスマンについては、前を観ていないとストーリーがまったくわからないわけではないですから(たぶんね)、年末年始、映画館で気分高揚させちゃいましょう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パーフェクト・ケア』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月21放送分
『パーフェクト・ケア』短評のDJ'sカット版です。

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一人暮らしが難しくなった高齢者の法定後見人として財産を管理しながら、法の網をくぐり抜けてまんまと私腹を肥やし続けているマーラ。彼女はビジネス・パートナーのフランと一緒に会社を運営しながら、次なるターゲットに狙いを定めます。それは、天涯孤独のリッチな女性、ジェニファー・ピーターソン。これは最高のお宝だと、これまたまんまとジェニファーを老人ホームに放り込んだマーラでしたが、どうしたことか、これまで完璧だった歯車のめぐりがおかしくなっていきます。

ゴーン・ガール (字幕版) ベイビー・ドライバー (字幕版)

 監督・脚本・製作は、イギリスのJ. ブレイクソン。マーラを演じるのは、『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイク。そのパートナーであるフランを、『ベイビー・ドライバー』のエイザ・ゴンザレス、ふたりのカモとなるジェニファー・ピーターソンをアカデミー女優のダイアン・ウィーストが演じている他、軟骨発育不全で低身長の俳優ピーター・ディンクレイジも重要な役どころで登場します。

 
僕は先週金曜の昼に、自宅リビングでアマゾンプライムビデオの配信で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

先に言ってしまえば、とびきり面白く、痛快な映画です。118分という、最近では平均的な尺の中で、一度もダレることなく、何度もジャンルをシフトしながら、現状の社会問題をあぶり出し、同時に観客を楽しませる。かなりの離れ業を実現しているその理由は、まず脚本にあります。
 
主人公の成年後見人マーラは、いきなり裁判で追求を受けるところから始まるんですね。告発した男性は、自分の母親がまだ自活できるにも関わらず、本人や家族の許可を得ないまま、高齢者施設へ不当に送り込まれている。息子である自分の面会が許されないばかりか、母親の資産はマーラによって吸い取られているという主張です。それに対してマーラは、同情を禁じえないとしながらも、自分は法的に問題のないことをしているばかりか、彼のような無理解な家族から年老いた母親を守るためには致し方ないことをしているのだと、理路整然と語ってみせるんです。ここで明らかになるのは、法の網の目よりも細かい論理の網の目を編み込んだマーラのやり口には、事実上、司法は介入できないばかりか、あまりに巧みな犯罪のため、問題にすら気づかれないということ。ガチガチに理論武装できているし、演技も達者なので、彼女の餌食になった家族にはとうてい勝ち目がありません。当の告発者たる男性は、裁判所の外でマーラを追いかけて、感情を爆発させながら、ついつい女性蔑視的な悪態をつくんです。すると、マーラは、男性社会への鬱憤をまぶしながら、今度は論理よりも感情でも男を圧倒してみせます。その姿は、まるでライオン。そう、彼女自身がナレーションで自分を百獣の王にたとえたように。私は資本主義というこの弱肉強食の世界のライオン、いや、ライオネス、雌ライオンなのであると。

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(C)2020, BBP I Care A Lot, LLC. All rights reserved.
法廷劇はここでおしまい。見事な映画のセットアップです。続いては、彼女の次なる獲物、ご新規さんをどう獲得するかという鮮やかな手つきを見せる組織犯罪ものになります。組織というのは、マーラと美しきパートナーのフラン、そしてマーラにとって都合の良い診断書を書く女医など、そのチームの構成員はほとんどが女性です。さっき僕が言ったように、この雌ライオンファミリーの捕食対象になったら最後、普通はどうあがいても勝てません。がしかし、今回狙いを定めた女性が普通ではなかったんです。そこから今度は、一気にクライム・サスペンスに様変わり。ひょんなことから、本物のというか、旧来的な暴力団と相まみえることになります。そちらは、ほとんどが男性で組織されていて、暴力と恫喝が彼らの言語です。

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(C)2020, BBP I Care A Lot, LLC. All rights reserved.
面白いのは、マーラがまったくひるまないこと。肝の据わり方と、金銭への執着が尋常ではなく、命ある限りは何があっても諦めません。その諦めなさそのものがエンターテイメントになるという凄みに、最後の最後まで何がどうなるかわからず、目が離せません。しかも、『ゴーン・ガール』を凌駕する狂気をロザムンド・パイクが体現するもんだから、最低にして最高です。
 
残念ながら、製作予算の不足が垣間見える画面もあるにはありましたが、それすらも克服する俳優たちの演技力と場面ごとの的確な衣装スタイリングや小道具など、比較的お金のかからない部分での綿密な演出が作品の質を担保しています。

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(C)2020, BBP I Care A Lot, LLC. All rights reserved.
そして、観終わって想像したのは、マーラがもし真っ当なビジネスをしていたらってこと。そうであれば、彼女はかっこいい女性像の体現者なんですよ。実際、映画の中でも、内実を知らない人にはそう見えています。しかし、中身は雌ライオン。そんなモンスターを生み出したのは、男性優位の価値観であり、あらゆることを金銭的価値に置き換えてしまう資本主義という魔物でもあるわけです。法律の限界もしっかり見せながら、観客の倫理を問うてくる、見事な手つきの社会派娯楽作でした。
曲は、マーラが医者に会う時にかかっていた軽快なメロディー。

さ〜て、次回、年内最後、2021年12月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『マトリックス・レザレクションズ』となりました。今年のシメはキアヌ・リーブスのビッグ・タイトルとなりました。問題は三部作をそれなりに忘れていることでしょうか。また革新的な映像が飛び出すのかどうか、観に行くことにします。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ディア・エヴァン・ハンセン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月14放送分
『ディア・エヴァン・ハンセン』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカの郊外で、地元の高校に通うエヴァン・ハンセン。彼は内気で、学校に友達がおらず、シングルマザーの母親は看護師としての仕事が忙しく、孤独な日々を過ごしています。エヴァンは、セラピストから勧められて書いた、自分宛ての手紙を、ひょんなことから同級生のコナーに持ち去られてしまうんです。後日、コナーは自ら命を絶ちます。彼の服に残っていたその手紙を見つけたコナーの両親は、それをコナーがエヴァンに宛てて書いたものだと勘違いしたことから、事態は思わぬ方向へ。

ワンダー 君は太陽(字幕版)

数々の賞に輝いたブロードウェイ・ミュージカルの映画化でして、監督を務めたのは『ワンダー 君は太陽』のスティーヴン・チョボウスキー。ミュージカルパートの曲は、『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』などで一躍ヒットメーカーとなったベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビが担当しました。主人公のエヴァンを演じるのは、ミュージカルでもこの役に扮したベン・プラット。コナーの妹にして、エヴァンが心を寄せる女の子を、『ブックマート 卒業前夜のパーティーデビュー』のケイトリアン・デヴァーが担当した他に、ジュリアン・ムーアエイミー・アダムスなどが脇を固めています。
 
僕は先週金曜の昼に、Tジョイ京都で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

先週扱った『スパゲティコード・ラブ』の評では触れなかったんですが、何度か繰り返されるエピソードがあって、それは「誰もいない森の奥で木が倒れたとして、その音は誰かに聞こえるのか」という問いかけでした。それはメタファーになっていて、大都会を森に置き換えれば、そこには確かに人という木がたくさん生えているわけだけれど、誰かがそこで倒れてしまっても、誰にも認知されないのではないかという、人の孤独の話だったんだろうと思います。奇しくも、『ディア・エヴァン・ハンセン』にも同様のテーマがあるんです。なおかつ、エヴァンは実際に森の中で木から落ちて、腕を骨折している様子が、冒頭のシーンから映し出されます。周りに誰もおらず、救助に時間がかかったようなんですね。その経験は、自分が誰にも気づいてもらえない存在であるという自覚を強めています。

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© 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
この森の中での怪我が、映画全体の理解にとても大切で、事実何度か振り返られることになるんですが、面白いことに、その映像はいつも少し違うんです。ある時は、彼はひとりではなく、自殺してしまったコナーが手を差し伸べてくれます。また別のタイミングでは、なぜエヴァンが木を登ったのかが明らかになって、繰り返し目にした映像の意味が変わっていく感覚を観客は覚えるんですね。このあたりは映画としての巧みなストーリーテリングでした。このエピソードが象徴するのは、リアルとオンラインでますます複雑化する人間関係の中で、人は孤独をどう乗り越えるのかということ。

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© 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
メンタルヘルスのカウンセラーから推奨されているという自分への手紙がコナーに渡ってしまったことに端を発する騒動は、エヴァンとコナーの間には人知れぬ友情が育まれていたという勘違いを生み、その誤解が今度はエヴァンの嘘を翼として飛躍して広がっていきます。この嘘がまあ絶妙な嘘なんですよ。途方に暮れるコナーの母を慰めるやさしい嘘でもあるし、そのやさしさと自分の「こうであったら良かっただろうに」を燃料にして純粋培養した美しい嘘だったんですよ。すると、今度はそれがSNSで消費される感動物語としてバズって独り歩きするようになったもんだから、さあ大変です。エヴァンは気まずさを抱えながらも、引き下がれなくなり、これまでウォールフラワー、壁の花として学校生活の日陰者だった彼が、その中心で花開いて注目の的になっていく。ただ、そこで知ったのは、たとえばクラスのリーダー的なポジションの優等生が、実は抗うつ薬を常用していたこと。そして、エヴァンも関わりを避けていた荒くれ者コナーの意外な側面。人は単純なキャラ付けで割り切れるものではないということを、この作品はあちこちで提示します。

ウォールフラワー(字幕版)

そして、もちろん音楽ですね。メロディーのキャッチーさは抜群で、曲調はそれぞれ場面にピッタリ。歌詞も心情表現としてフィット。さらには、特に体育館のくだりやゲームセンターでのパートにおいて、ミュージカルのダンスが、ただ踊っているだけではなく、映画のテーマを深める映画的な表現にもなっていて、感心しました。
 
何らかの理由でコミュニティから阻害された人を一貫して描いてきたチョボウスキー監督。さっき『ウォールフラワー』ってチラッと言いましたが、考えたら、あの映画の原作もチョボウスキーでした。誰かをはっきり悪者にはせず、SNSの功罪どちらをもあぶり出し、最後には陽光のきらめきとほろ苦さ、人生の機微を堪能させる力作でした。もちろん、問題もあると思ってます。やむにやまれずついてしまった嘘を倫理的に受け入れられないって人もいるかもだし、SNSで潮目が変わって事態が急降下、炎上する理由が駆け足でわかりずらいとか、そもそもミュージカルなので、描写不足の部分が多々ありもやもやするとか。それでも歌で持ってかれちゃう感じが美しいやらずっこいやら、何やら。でもね、人間と社会の扱いづらい困った側面をあえて美しい曲とともに描いてやろうというねらいはすごいし、後から後から考えれば考えるほど、また観たくなる作品だと感じています。まずは映画館で堪能ください。
僕が窓越しに外を歩く人に手を振ったとして、誰か気づくだろうか。誰か僕に手を振り返してくれるだろうか? エヴァンの疎外感を歌う、サントラでも大事な曲です。

さ〜て、次回、2021年12月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パーフェクト・ケア』となりました。出ました、ロザムンド・パイク!  見てくださいよ、この不敵な笑みを。間違いなく、ケアしてくれなさそうなんですけど! 既に怖いんですけど! かなりいい評判を聞いているので、今から楽しみ。配信もありますね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!