京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月1日放送分

とある中堅広告代理店の月曜の朝。大事なプレゼン資料作成で会社に泊まり込んでいた、小さな部署の社員たち。部長が出勤してきます。「モーニン! 会社に泊まったの? 若いね〜」なんて言ってます。プレゼンに行かないと。慌てる主人公の女性に、後輩2人が報告します。「僕たち、同じ一週間を繰り返しています」。にわかには信じられないことなんでスルーするのですが、月曜日がやって来るたびに、確かにループしているのかもしれないと主人公も思いはじめて…

 

この映画作りの中心人物はふたり。You Tube短編映画『ハロー!ブランニューワールド』が国内外で5000万回以上再生され、去年の青春映画『14歳の栞』もSNSで話題となってロングヒットした竹林亮監督。同じく『ハロー!ブランニューワールド』で共同脚本を務めた作家・脚本家、ライターの夏生(なつお)さえり。このふたりが組んだストーリーチームTAKE Cの作品という位置づけなんですね。主人公の吉川を円井(まるい)わん、部長をマキタスポーツがそれぞれ演じています。
 
僕は先週金曜日の朝に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ブルーマンデー症候群という考えがありますね。これは1月の第3月曜日を1年で最も憂鬱な日とするもので、とあるイギリス人が打ち出したもの。決して科学的なものではありませんが、それが独り歩きして、なんなら毎週月曜は憂鬱です、となり、日本だとそれがさらに進んで、日曜の夕方、サザエさんの時間から憂鬱です、という、サザエさん症候群なるワードが登場して久しいわけです。この映画は、そんな日本に顕著なマインドセットを利用したタイムループものであり、風刺をきかせたコメディーでもあります。
 
同じ時間を繰り返すタイムループものっていうのは、その原因をどう見せるか、キャラクターがどう自覚するか、そしてどう打破するのかというのが脚本家の腕の見せ所でもあり、矛盾を生じさせないように描くには綿密な計算が必要なことから技術的にも難しいものでしょう。そのうえで、僕が興味深かったのは、繰り返されるのが1週間であるというその単位と、ループ現象に気づいていくキャラクターの順番です。

(C) CHOCOLATE Inc.
朝起きたら、また同じ日になっていたという設定にも、もちろん辛いものがありますが、月曜日に会社で目を覚ましたら、また同じ1週間を繰り返すことになるというのは、社畜なんていうワードが飛び交うほどワーク・ライフ・バランスがうまく取れない日本の労働者にとって、かなりキツイですよね。比較的低予算という作品の台所事情もあっただろうし、登場人物と撮影場所をひとつのオフィスにほぼ限定してしまうのなら、これがベストに効果的という時間の単位でした。なおかつ、お湯をかけたら炭酸の味噌汁になるという珍奇なタブレットを売り出すCMのキャッチコピーを提案しなけりゃいけないという、なかなかに愛着を持ちづらい案件の締め切りまでの1週間です。最悪ですよ。地獄ですよ。土日の休みもそっちのけで取り組んで、やった〜! できた〜!と思ったら、また同じことを繰り返すわけですから。
 
そして、ループを自覚する順番が技ありでした。部長を頂点とするあの小さな部署の若手社員から順番に気づいていくんですよね。主人公の女性、吉川も最初は気づいていなかったところに、若手の男性2人から教えられてもすぐには信じられないまま何周かループしてようやく、きみたちの言っていることはどうやら本当だとなるわけです。この時点でまた面白いのが、若手ふたりは既にこのループをしっかり分析していて、タイムループものにありがちな原因の特定を済ませていること。これがしっかり、このジャンルへのメタ的な批評になっているんですよね。彼らは原因は部長にあると考えている。それを知った吉川は、じゃあすぐに部長に直訴すればいいじゃんとなるわけですが、実行に移してあっさり失敗します。なぜか。日本の組織の特性上、部下の要求や提案を通すには、ひとつ上の上司から、そのまたひとつ上の上司へと、それぞれに許可を得ていかないとボスにまで訴えが届かないことを実感する瞬間です。おいおい、この調子だとあと何回1週間をやらないといけないんだと、さらなる地獄がその口を開けます。ワンランクごとに仲間は増えるけれど、文字通りのラスボスを攻略するのは大変という企業戦士RPGみたいになるわけです。

(C) CHOCOLATE Inc.
サブタイトルにある通り、物語はラスボスたる部長に向けて、巡り巡りながらも突き進んでいくわけですが、たった82分という尺の中に、ゲームのたとえを続けるなら裏面、SIDE-Bが用意されているから、さあ大変です。そのあたりのからくりは劇場で確認いただくとして、これが風刺の効いたブラック・コメディとして機能する理由は、多かれ少なかれ、僕たちひとりひとりだって、判で押したような1週間を過ごした経験をくすぐられたり、組織の歯がゆさや理不尽さ、個人としての力の無さを思い出させられるシニカルな展開やセリフが不意に訪れるように構成されているからです。笑えないけど笑ってしまうというブラック・コメディの特徴を備えています。

(C) CHOCOLATE Inc.
一方で、気になるところもあります。特に後半の部長の秘密が唐突であること。全体の着地がそれでいいのかという曖昧なもので、それまでのシニカルな視点が突き抜けることなく萎えてしまっているから、どうしても鑑賞後のインパクトが弱くなっていること。
 
それでも、TAKE-Cの竹林・夏生コンビのポテンシャルは十分に感じられる1本です。今後、もっと予算もついてくるんじゃないですかね。そこでこのふたりがどんなことをしてくれるのか楽しみになってきたことも収穫となった1本でした。と、はい、ここで9年間毎週続けている映画短評のループがまたひとつ、ぐるりと巡ったことをご報告します。
 
女性たちのラップグループlyrical school。曲の歌詞が物語にリンクする部分もある主題歌です。

さ〜て、次回2022年11月8日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『天間荘の三姉妹』です。映画館で予告を観ていると、誰の目にも明らかなほどにCGが多用された映像が気になっていたんです。大丈夫かしらって。でも、ここんところ死生観について考えさせる作品を何本か扱ったところに、もう1本来たって感じ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『アイ・アムまきもと』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月25日放送分
映画『アイ・アムまきもと』短評のDJ'sカット版です。

田舎町の市役所市民福祉課で勤務する40代の独身公務員、牧本。彼が担当するのは「おみおくり係」。身寄りがないまま孤独死した人を無縁墓地に埋葬するのが仕事なのですが、まったく空気を読まず、人の話をまったく聞かないコミュニケーション下手の彼はそこに勝手に独自のルールを持ち込んでいます。それは、自腹で葬儀を行い、できる限り遺族を探して無縁仏にならないように努めること。ある日、自宅のすぐ向かいで孤独死した男性の「おみおくり」をするところから、まきもとの暮らしと価値観に、小さくはあっても決定的な変化が訪れるようになります。

おみおくりの作法(字幕版)

原作となる映画は、ヴェネツィア映画祭で4つの賞を獲得した、2013年、イタリアとイギリス合作、ウベルト・パゾリーニ監督の『おみおくりの作法』(Still Life)です。ロンドンを舞台にしたこの原作映画を日本を舞台に脚色した監督は水田伸生。脚本は、岸田國士戯曲賞受賞の劇作家、倉持裕(ゆたか)。牧本を演じたのは、『舞妓 Haaaan!!!』『謝罪の王様』など、これで水田監督と4度目のタッグとなる阿部サダヲ。他に、満島ひかり國村隼宮沢りえ、宇崎竜童、松下洸平、でんでん、松尾スズキなど、豪華キャストが揃いました。
 
僕は先週金曜日の朝に、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

人は誰もが必ずいつか死ぬ。人生いろいろなら、死に方もいろいろです。誰かに看取られる人もいれば、ひっそりと死んでいく人もいて、特に自宅でという場合にはそれは孤独死と呼ばれるわけですね。どんな暮らしをしていようと、「死ねばひとりなのだ」という意味で死は究極の孤独であると言えなくもないでしょうが、これが社会問題化してきたのは、発見が遅れがちであるという意味で、広い意味で死の後始末がなかなかに大変であるということや、高度経済成長、都市化、核家族化の行き着く先としての現代人の孤独を象徴する現象だと見られているからではないでしょうか。
 
身寄りのない人、あるいは家族や親戚はいても縁の途絶えている人が亡くなると、対応するのは役所です。公務員が遺体を引き取り、死亡届、火葬など、たくさんの作業を代行することになるわけです。『川っぺりムコリッタ』にも、役所に遺骨が安置されていることを示す場面がありましたね。この映画の主人公牧本は、自分の仕事にやりがいと誇りを感じている節がありまして、これは業務の範囲を越えることなのだけれど、火葬に立ち会うだけでなく、葬式まで執り行う。しかも、なんとまあ、自費で。なぜにそこまでご執心なのか。そのきっかけはどこにあったのか。映画の中ではっきりとは示されません。興味深いことに、亡くなった人の生前の様子を丹念に調べる牧本は描かれるのに、牧本の過去というのはまったく出てこない。つまりは、ある意味ドーナッツの穴のように、この映画の真ん中には牧本という空白があるんです。わかっているのは、彼が市営団地にひとりで暮らしていて、趣味といえる趣味もなく、質素というレベルを越えて極度に合理化されたミニマリストの極みという生活様式を採用していること。家の中でも仕事着だし、服は同じものをいくつも揃えているし、料理はフライパンで温めるだけのできあいのおかずと白米を、なんと台所で立ったまま、皿に盛り付けることもせず口にしている。自分のルールを確立しきっていて、家の中でも外でもすべてにルーティーンが事細かにある。余計なことを考えたくないがための、こだわらないためのこだわりみたいなもので塗り固めてあって、「人間らしい」とは言いがたい感じ。そんな彼が、唯一と言っていいほど、ある種、人間らしく情熱を注ぐのが、見知らぬ誰かの弔いです。

(C)2022 映画『アイ・アム まきもと』製作委員会
彼は亡くなった人の生前の行いを探る探偵ですよ。遺留品に目を通し、身寄りがないか調べては警察でも見落とすような人間関係を洗い出し、可能なら会って話をし、葬儀に参列してほしいと頼み、その願い叶わずとも、自分ひとりでも手を合わせる。本作では、何人かのケースをテキパキと見せてこの仕事と牧本の特徴、あるいは異常性を見せた後に、ある理由からこれが最後の事案となるかもしれない蕪木という60代男性のケースを、その行程の最初から最後までをみっちり描くという構成。まきもとが蕪木の過去を辿っていく中で、その人物像を立体的に浮かび上がらせながら、まきもとの人生観や価値観が少しずつ、でも確実に変化していく、人間らしくなっていくところに僕たちは立ち会います。見るからに生き生きしてくるんですよね。
 
牧本は蕪木の家族や仕事仲間などにひとりひとり会って話を聞く。すると、回想シーンなんてないのに、蕪木の人柄や浮かび上がっていく。と同時に、牧本の生き様も浮かび上がる構成は、脚本を手がけた倉持裕のあっぱれな仕事です。水田監督の演出はカットひとつひとつに説明がつくような滑らかで手堅いもので、俳優の演技も基本的に抑制させることで観客が登場人物の感情を想像する余地を与えています。それだけに、たとえば漁村の食堂での場面など、セリフの多いシーンで何度か見られた俳優の動かし方の不自然さが際立つこともありましたが、全体的にロンドンが舞台の原作映画をうまく日本にローカライズした佳作です。太古の昔から、弔うという行為にはその民族その文化の特徴が強く反映されてきたわけで、原作と比較しても面白いと思うのでオススメします。

(C)2022 映画『アイ・アム まきもと』製作委員会
原題はStill Life。これは死後の世界みたいなスピリチャルなことではなくて、人は死んでも誰かに思い出される限りは、その誰かの心の中でそれぞれに生き続けるのだということ。だからこそ、それがどんな人であったとしても、簡単に忘れられてはならないのだという普遍的な思いを新たにしてくれます。そして、僕たちも、映画館を出た後も、He was MAKIMOTOと彼のことを思い出すような余韻がとても良いなと感じました。
映画では、劇中で一言もセリフを発しなかった宇崎竜童さんの歌でこの曲Over The Rainbowが流れます。こちらはPentatonixのバージョンですが、とてもユニークなアプローチの宇崎さんバージョンはどうぞ映画館で聞いてみてください。

さ〜て、次回2022年11月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』です。タイトルが長い。実際、ここに書き出す時に2回、書き損じました。早速、僕もループにハマってしまった格好ですが、タイムループものは過去に多彩な作品が数あるだけに、こちらはどんな手法で魅せてくれるのか。期待しています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ソングバード』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月18日放送分
映画『ソングバード』短評のDJ'sカット版です。

2024年、もしCOVID-19の後に立て続けにさらに強烈な感染症が蔓延していたとしたら。世界各地の大都市でロックダウンが長引いている中、4年間もロックダウンが続いているLAが舞台です。はっきり免疫がある少数派のみが自由に出歩くことができ、そうでない人は外出禁止。さらに、もし感染すれば、その高い致死率のせいでQゾーンという施設に徹底隔離されてしまいます。免疫のある青年ニコは運び屋として働きながら、免疫のないとされる恋人サラと直接は会えないながらも愛を育んでいました。そんな中、サラの感染が疑われる事態になり、彼はなんとかサラを救い出せないかと動くのですが…
 
プロデュースは、ハリウッドの破壊王マイケル・ベイ。監督と共同脚本はアダム・メイソンが務め、2020年、実際にロックダウンされていたLAで撮影が行われました。ニコを演じるのは、『僕のワンダフル・ライフ』のKJ・アパ。サラには、今年歌手デビューも果たしたソフィア・カーソンが扮します。他に、ブラッドリー・ウィットフォードピーター・ストーメアデミ・ムーアなどが出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まず思い出しておきたいのは、日本で最初の緊急事態宣言が出た頃のことです。ステイホームが叫ばれて、繁華街からも人の姿がほとんど消え、映画館も閉まってしまいました。そんな極めて特殊な状況の中で、それでも映画を作ることをやめたくないと、特殊な状況を反映させてしまおうじゃないかと動いたのが、行定勲さんや上田慎一郎さん、そして神戸の元町映画館関係者の皆さんなどでした。直接会うのが難しいのなら、撮影もリモートでやってしまおうという機敏さ、柔軟性はすばらしいものでした。そんな時期に、日本よりも厳しいロックダウンの中、制限だらけだってのに、テキパキ脚本を作ってロケをして、なおかつアクションシーンまで盛り込んじゃうプロデューサーのマイケル・ベイには、唖然としながら称賛してしまいますね。監督と共同脚本を務めたアダム・メイソンは2020年の3月からプロットを考え出して、夏には撮影されたといいますから、まずはその勇気と行動力を評価したいものです。

(C)2020 INVISIBLE LARK HOLDCO, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
先ほどのあらすじでは、ニコとサラのロミオとジュリエットのような恋愛劇に的を絞りましたが、実は群像劇でもあります。サラのスペイン系の母親。まだ日の目を見ない女性シンガーソングライター。彼女のファンで、アフガニスタンから負傷して帰還した引きこもりの元軍人。ニコが務める配達業者のボス。市の衛生局長。さらにはレコード会社の重役とその家族。こうした面々が、ロックダウン下で、それぞれ自分の思惑で動いていく様子が、並行して描写されながらしだいに物語として絡み合っていく構成は、現実問題として大人数でひとところで撮影できないという条件をむしろ味方につけるようなアイデアで、サスペンスも生まれるし、パンデミックにおける暮らしのバリエーションも見せられるし、うまいなと感じました。ニコが普段配達に使っている自転車に加えて、途中からバイクが登場するのも、物語のスピード、ドライブ感とシンクロしていて良かったし、元軍人で今は社会に嫌気が差していてロックダウン前から引きこもっていた「ステイホームのプロ」たる彼が何度か自分のドローンを本気で操作するくだりはきっちり見せ場になってしたし、引きこもっていた彼こそ、実は街の状況を誰よりも知っているというような設定も面白いです。そんなパラドキシカルな設定の妙をもうひとつ挙げるなら、免疫のあるニコのような一部少数派が手首にフリーパスのブレスレットを付けて自由に街を動き回れるのだけれど、彼らは自分が感染せずともウィルスの運び屋にもなるかもしれないから結局人には会えず、ゴーストタウン化した街でむしろ強烈な孤独を味わっているという点です。

(C)2020 INVISIBLE LARK HOLDCO, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
ただ、短期間で練り上げた脚本であるということを承知の上で、首を傾げてしまう点も大なり小なり散見されました。これは現実にとても似通ったSFなので設定は自由だとはいえ、免疫を持っている人とそうでない人の検査体制の仕組みがよくわからんとか、あの状況が長く続いて食事や仕事はどうなっているのかという描写がサクッとすっ飛ばされているとか、悪役に相当するキャラクターの悪事の手段はまあわかるけれど動機がよくわからんとか、ピンチに陥った時に他の誰かがすんでのところで助けるってのはお約束として良いんだけれど、ひとりあいつは誰なんだってやつがこれまたよくわからんとか、とか、とか、とか。

(C)2020 INVISIBLE LARK HOLDCO, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
それでも、ピュアなラブストーリーを軸に、よく批判的に描かれるSNSやネット社会での人間関係にも温もりはあるのだという視点を盛り込み、社会的な弱者は守られるべきだろうという作り手のまっとうな姿勢が内包されていて、僕はそれなりに楽しみつつそれなりにジンと来たし、何よりあんな状況でよく撮ったなという気概も込みであまりくさしたくないです。そして、色鉛筆の新しい使い方も学ぶことができました。日本では2年も遅れてしまいましたが、それでも公開されて良かったなと思えるパンデミック下のパンデミックスリラーとして一見の価値ある作品です。

さ〜て、次回2022年10月25日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アイ・アムまきもと』です。僕は映画館で何度か予告を観ていて、阿部サダヲさんがまたぶっ飛んだ人を演じているのか、ぐらいにぼんやり思っていました。ところが、実は原作にしているのがイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』と聞いてびっくり! あのすばらしい作品を日本に置き換えてあるのか! 俄然楽しみになってきております。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

おみおくりの作法(字幕版)

映画『四畳半タイムマシンブルース』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月11日放送分
映画『四畳半タイムマシンブルース』短評のDJ'sカット版です。

京都の腐れ大学生の「私」は、下鴨幽水荘という4畳半のぼろアパートに暮らしている。何をやってもうだつの上がらないその原因を、すべて暑さのせいにしていた灼熱の夏。建物にたった一台しかないクーラーのある部屋に引っ越して3日後、とんだことでコーラがこぼれてリモコンが水没してしまう。途方に暮れていたところへ、突如現れたタイムマシンを見た彼は、これで昨日に戻って壊れる前のリモコンを持ってくることを思いついたのだが、悪友の小津たちが調子に乗って過去である昨日を改変したからさあ大変。リモコンの行方、そして「私」の密やかな恋の行方やいかに。

四畳半神話大系 四畳半シリーズ (角川文庫) 四畳半タイムマシンブルース【電子特典付き】 四畳半シリーズ (角川文庫)

作家の森見登美彦が2005年に発表した小説『四畳半神話大系』。これは、脚本をヨーロッパ企画上田誠、監督を湯浅政明が担当してTVアニメ化されていました。その小説世界に、ヨーロッパ企画の戯曲『サマータイムマシン・ブルース』がドッキングした『四畳半タイムマシンブルース』が、まず2020年に森見登美彦によって小説として出版され、こちらはそれが上田誠脚本で映画化されたという、とてもややこしくかつ楽しい、特殊なプロセスを経ています。今回は同じく森見原作の劇場アニメ『夜は短し歩けよ乙女』も監督していた湯浅政明率いるサイエンスSARUがアニメ制作を担当しつつ、監督は「四畳半」「夜は短し」ともにスタッフとして参加していた夏目真悟が担当しています。キャラクター原案は、TVアニメの時から中村佑介が担当し、その中村佑介がジャケットを毎度書いていることでおなじみ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが今回も主題歌を書き下ろしました。
 
声は「私」を浅沼晋太郎、恋心寄せる明石さんを坂本真綾、悪友の小津を吉野裕行など、TVアニメのキャストが再集合した他、ヨーロッパ企画本多力が未来からやって来た青年の声をあてています。
 
この作品はDisney +で配信している他、現在映画館でも期間限定で公開中ですが、僕は公開前にマスコミ試写で、そして今回改めてDiney +で途中まで細切れに公開されているエピソードを再鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

森見作品、特に初期に見られる、うだつの上がらないモラトリアムな大学生ものの魅力のひとつに、僕は「過剰さ」があるんだと考えます。何かと考えすぎる。恋に対しても慎重でありすぎる。考えに考えて、シミュレーションを幾重にも重ねた結果、石橋を叩いて叩いて叩き壊す。クーラーのリモコンが壊れたら、リモコンの通夜が営まれる。大げさにすぎる。そもそもアパートがボロすぎる。すぎる、すぎる、すぎるが多すぎる。どのキャラクターも濃すぎる。濃すぎるがゆえに、万年学生の樋口師匠にしろ、映画サークルに君臨する城ヶ崎先輩にしろ、歯科衛生士の色っぽい羽貫さん、そして悪友にして運命の黒い糸で「私」と結ばれているという小津。もう一度言おう。濃すぎる。中村佑介のこれまたデフォルメのウマすぎるキャラクター造形も加わり、原作から飛び出した彼らは、小説、アニメ、演劇、いろんなメディアの複数の作品を気ままに横断するようになるわけです。アジカンの今作主題歌のタイトル通り、森見作品内の左京区出町柳パラレルユニバースにおけるスターシステムの俳優として機能してきました。強固なキャラクターの魅力があるからこそ、ヨーロッパ企画のこれまた名作『サマータイムマシン・ブルース』の枠内に彼らをまるごと放り込んでもお話は壊れないわけです。

(C)2022 森見登美彦上田誠KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会
そもそも、森見登美彦上田誠がどうしてこんなに相性がいいのか。いくつか理由はあるのでしょうが、そのひとつに、たとえどんなに些細でどうでも良さそうなことであっても、おそるべき丹念さと綿密さで語りきる描写しきることが挙げられるのではないでしょうか。やはり過剰なんです。なので、いきおいセリフが多くなります。僕は普段から台詞による説明が多い作品によく文句をつけていますが、本作における言葉の洪水ともいうべき事態は例外です。なぜなら、その過剰さこそがスタイルだからです。リモコンが使えなくなるという、彼らにとっては確かに一大事かもしれないが、どこから見たってどうでも良いことを、またよせばいいのに過去と未来を行ったり来たりしてオオゴトにしすぎるあまり、これまたいきおい情報量が多くなり、複雑怪奇となり、それをまたよせばいいのに短いカット割りでポンポン説明的な絵で見せたりする演出になっているものだから、もう大変。たとえば、細かいところで言うと、五山の送り火デートに「私」が明石さんを誘えるか否かのくだりで、五山の送り火KBS京都テレビで生中継されているという情報が一瞬出てくるんだけど、はっきり言って、それはセリフとしても端折れるし、ましてや映像で絵解きする必要なんて微塵もないにも関わらず、KBS京都の社屋のカットを差し挟むわけですよ。僕がこのクラクラくる感覚で思い出したのは、ジャンルはまったく違うんだけど、アダム・マッケイの『マネー・ショート 華麗なる大逆転』でしたね。あれは原作からの過剰な脚色が見事でアカデミー賞を獲得した作品でした。過剰な説明、過剰な情報の中に、不意に芯を食ったセリフや映像が出てきてハッとする感じ、似てるなと。

マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

何につけても無駄を省き、だれもかれもが人生にコストパフォーマンスでも追い求め、とかくライフハックがもてはやされる現代にあって、彼らが過ごしているのは無駄過ぎる時間です。でも、それこそが青春というやつではなかったか。何かをして徒労に終わったり、無駄に悩んだり、今作において映画研究会が自主制作する『幕末軟弱者列伝』みたいなヘンテコなものづくりに血道をあげるようなことこそ、実は難なく卒なく過ごした日々よりも得難い人生の宝になるのではないか。逆に言えば、傍から見ればなんでそんなことに夢中になっているんだというものがある人は、年齢に関係なく青春の只中にあるのではないか。そんなことさえ考えてしまった、実は恋愛映画の良作でもありました。

(C)2022 森見登美彦上田誠KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会
オススメは、映画館でやってるうちに一度怒涛の情報を食らい、気に入ったら、ひとつひとつのネタをしがむように、込み入った時間の糸をほどくように、配信でゆっくり見直していくスタイルです。さらに、『四畳半神話大系』も見直す。さらには、原作へ。さすれば、あなたも立派な四畳半主義者です。四畳半という沼へ、どうぞ、おいでやす。

アジカンとの相性は今回も抜群でした。もちろん、主題歌をオンエアしましたよ。

さ〜て、次回2022年10月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ソングバード』です。マイケル・ベイがプロデューサーになった、パンデミック・スリラーとのこと。そして、リスナーからは、主演のKJ・アパが僕にそっくりだという声がいくつも届きました。え? そうなの? 僕、出てるの? 僕に似ているケースは、『テリー・ギリアムドン・キホーテ』におけるアダム・ドライバーが殿堂入りだと認定してあるんですが、どうでしょうか。ってことはさておき、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『川っぺりムコリッタ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月4日放送分
映画『川っぺりムコリッタ』短評のDJ'sカット版です。

富山県の川沿いにある小さな町の塩辛工場。そこで働き口を見つけた無口な青年山田は、社長から紹介された安アパート「ハイツムコリッタ」で一人暮らしを始めます。ひっそりとした新生活になるかと思いきや、隣人の島田が初対面でいきなり「風呂を貸してほしい」と訪ねてきたことで、一変。夫を亡くした大家の南や、息子とふたりで墓石の訪問販売を続ける溝口、そして島田の幼馴染の寺の住職など、ムコリッタ界隈の人たちとの交流の中で、ふさぎ込んでいた山田の心が少しずつほぐれていきます。
 
かもめ食堂』などで知られる荻上直子が2019年に発表した同名小説を原作に、彼女が脚本を書いて自分で監督しました。山田青年と隣人の島田を演じるのは、松山ケンイチムロツヨシ。大家の南には満島ひかり、墓石販売の溝口には吉岡秀隆が扮するほか、江口のりこ薬師丸ひろ子柄本佑などが出演しています。
 
僕は先週金曜日にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


映画でも冒頭で説明が入るので、まずムコリッタのことを話しておきましょう。僕は寡聞(ぶん)にして知りませんでしたが、これは仏教用語が由来とのことで、1日という時間を30分の1にした、48分という時間を指しています。しばらくの間、みたいな意味を持つわけです。まず、この単位が面白いなと思いました。僕がよく10時すぎに「番組はまだ小1時間生放送です」って口癖で言ってますが、それぐらいの単位ですよね。何かをするには短いささやかな時間だけれど、同じく仏教用語である刹那と比べるとうんと長く、考えてみたら、ムコリッタの間に昼は夜にもなりうる。映画を見るには短いが、食事をしたり、風呂に入ったり、ちょっとした庭仕事ならできる時間。ささやかだけれど、生きている実感が得られうる時間とも言えるかもしれません。

 
実際に劇場でもあちこちから結構笑いがもれていたように、コミカルなところもあるし、ファンタジックでシュールなところもある。おいしそう。これは悲しい… などなど、ほんわかしたタッチの中に喜怒哀楽をうまく散らしてあるんですが、鑑賞後に振り返ると、生と死、あるいはそのサイクルの話ということで、一本、筋がしっかり通っています。その意味で、あのように川のある町でロケをしているのは、タイトルにもなっている通り大事なんですね。いくつもの象徴的な意味が込められています。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
世界の大きな都市には必ずと言っていいほど川があるように、あの川も社会の象徴だと考えれば、文字通りハイツムコリッタの住人たちは、その「へり」でささやかなつましい暮らしを送る人たちです。島田さんは自称ミニマリストだけれど、傍目には無職だし、山田青年は社長のデリカシーに欠ける(とその時点では思ってしまう)あけすけな物言いで序盤にあっけなく明らかになる通り、元受刑者です。そして墓石を売る溝口さんにしても、傍から見れば変なおじさんであり、社会の本流からは外れているのでしょう。そんな彼らが、既存の価値観に踊らされることなく、自分の時間軸で、ささやかな幸せってものを模索していく話なんですね。僕たち誰しもがふとした拍子に考えるのは、生きていることの意味でしょう。この映画は死の影をあちこちに垂れ込ませることで、僕たちに問うてきます。思い出してください。大家の南さんは入居する山田さんにアパートの中を案内した時に「築50年の古いところですが、大丈夫。この部屋で死んだ人はいませんから」みたいなことをさりげなく言うんだけど、その後、山田がその部屋である意味死者と同居することになるわけで、見事なフリになっていました。実際、何人かの死が強烈な存在感をもって登場しますね。大家の南さんのパートナーや、ある人の家族、そしてご近所さん。彼らの死がそばに浮かび上がるにつれて、登場人物たちの生きている実感もより顕(あらわ)になってくる構成と演出に、荻上監督の手腕が光っていました。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
あつあつの風呂。風呂上がりの牛乳。炊きたてのご飯。自分で作った野菜の漬物。たまの贅沢の牛肉。誰かと囲む食卓。せっせと手足を動かすことで何かを作ること、生み出すこと。かつて生きていた誰かを思い出すこと。そうしたムコリッタな時間が有意義に感じられるようになる。
 
となると、あの川は現世とあの世、生と死を隔てる流れにも見えてきます。かつて日本の農村で頻繁に見られた弔いの儀式「野辺送り」のような場面があの川沿いを舞台にしていたことも大事です。遺骨も出てきましたが、人間という種の長い歴史という川の中で、その生と死のサイクルの中で見れば、僕たちの人生もムコリッタな時間なのだろうと感じます。そこに、誰かに決められたわけじゃない、自分なりのお手製の幸せを見つけてみるのも一興だろうと最後にじんわり思わせてくれる良作だったと僕は思います。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
ピアニカやリコーダーなんかを中心にした楽しい音作りをするパスカルズが担当していた音楽も劇中のあちこちで、かわいらいくて、どこかシュールで、どっか怖い不思議な効果をもたらしていました。
 
この声でお気づきだと思いますが、元たまの知久寿焼(ちくとしあき)さんです。知久さんは出演もしていて、溝口さんちの息子とセッションもしていましたよね。彼が率いるバンド、パスカルズは、最近短評した『さかなのこ』でも劇伴を作っていました。主題歌の歌詞ありバージョンで、むこりった、お送りしました。

さ〜て、次回2022年10月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『四畳半タイムマシンブルース』です。僕は森見登美彦の小説は全部読んでいて、森見作品と相性抜群でこれまで何度も映像化にあたって脚色をしてきたヨーロッパ企画上田誠氏も大好き。さらに、舞台は僕の左京区とくれば、観ない手はありません。なんなら、既にマスコミ試写で鑑賞済みですが、この機会にもう一度観る所存です。森見作品『四畳半神話大系』とヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース』の悪魔的融合と銘打たれています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『3つの鍵』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月27日放送分
映画『3つの鍵』短評のDJ'sカット版です。

ローマの高級住宅街のとあるアパートに3つの家族が住んでいます。互いに顔見知りであり、ある程度の交流はあるものの、素性をよくよく知っているわけではないという、都会の暮らしぶりです。ある夜、1階に車が衝突し、女性が亡くなってしまいます。運転手は、3階の裁判官ヴィットリオとその妻ドーラの息子である青年アンドレアでした。この日を境に、3つの家族はそれまでとは違う人生を歩み始めることになるという群像劇です。

三階-あの日テルアビブのアパートで起きたこと

原作は、イスラエルのベストセラー作家エシュコル・ネヴォが10年ほど前に書いた「Three Floors Up」という小説で、映画公開に合わせてか、五月書房新社から邦訳が先日出版されました。裁判官のヴィットリオを演じているのが、共同脚本と監督を務めるナンニ・モレッティです。キャストには、イタリアを代表する面々が揃いました。特に、モレッティ作品ではこれが4度目の出演となるマルゲリータ・ブイが裁判官の妻ドーラを演じたほか、リッカルド・スカマルチョが事故で仕事場を破壊された1階の住人ルーチョ、そしてアルバ・ロルヴァケルが2階の妊婦モニカに扮しています。
 
僕は先週月曜日にUPLINK京都でトークショーを開催することもあり、公開前にマスコミ試写で鑑賞しておりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

現在69歳で、70年代から監督として俳優として国際的に知られる活躍を見せ、ホームタウンのローマでは映画館も共同経営する名匠ナンニ・モレッティ。今作が、実は初めての原作ものになります。さっき概説で触れたように、小説は邦訳が出たところなんですが、そのタイトルは『三階 あの日テルアビブのアパートで起きたこと』です。そう、舞台はもともとイスラエル第2の都市であるテルアビブなんです。それをモレッティはローマにスライドさせました。なおかつ、彼はこんな風にも語っています。場所を選ばないテーマであり、この物語は東京でも起こりうるかもしれません、と。では、そのテーマとは何かと問われれば、今年春に日本初上映されたイタリア映画祭のリモートQ&Aでこう答えました。「親であることの難しさです。親であるということは、やっぱり間違いは必ずすると思うんです。だけど自分がとってしまった行動、親としての自分がとった決断、ないしは行動のもたらした結果というのも含めて、責任を追うということはどういうことなのかを映画で描きたかった」と。
 
なるほど、確かに、これは3つの家族の物語ですから、それぞれに何らかの形で親子の問題が浮上します。ただ、小説と映画ではまったくと言っていいほど語り方が違うのは注目に値するし、それこそがモレッティの演出の手腕でもあると思うのです。原作では、3つのフロアの3つの物語は、実は独立して語られます。1階の男は自分の身に起きたことを友だちの小説家に話して聞かせ、2階の妊婦はやはり友だちに手紙をしたため、3階の未亡人は死んだ夫にボイスレターを録音するんです。言わばオムニバスで、それぞれ出来事のクライマックスで語りが中断され、読者は小説ならではの余韻として、その後のことや3つのフロアの関係を想像することになります。

©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte
モレッティは物語とテーマに惹かれながらも、これでは映画としては弱いと考えて、まず3つの物語を組紐状に交差させて結わえていきます。同時進行させるんですね。その発端となる、建物に車が突っ込むあの事故ですが、原作にはないオリジナルです。事故が起きたことで、「なんだなんだ」と住人が顔を出すことが、そのまま導入としてのキャラクター紹介として利用しつつ、家庭の導火線に火がついていく発火点であることを印象づけるアイデアなんてめちゃくちゃ巧いです。そのうえで、それぞれのフロアのあの人とこの人がまさかこんな風に関わるとは、とか、この時に別のフロアではどんなことが起きているのかなど、言わばヒッチコックの名作『裏窓』的なアプローチで、サスペンスやミステリーを育んでいきます。さらに、モレッティは小説が良い意味で投げ出していた物語を、時間をかけてフィナーレまで持っていく、つまりは付け足すんです。これは原作がある映画では勇気の要る決断ですが、5年10年と時間経過を導入することで、今度は「あの人は今」みたいな観客の好奇心を刺激して映画を最後まで引っ張ります。しかも、過酷な体験をした登場人物たちと、それを観察して疑似体験した観客に、より明るい未来を提示してくれます。世界のどの都市にも今や共通するような都市生活者の孤独から、これまた映画オリジナルのダンスシーンを加えることで、解放しようとしてくれる。彼らと僕たちを閉鎖した建物と行き詰まったコミュニケーションから外へ連れ出してくれる。

©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte
モレッティはとても幅広い作風で、コメディーも多いし、風刺もピリリどころかビリリときいています。ところが、今作ではカンヌでパルム・ドールを獲った20年前の『息子の部屋』に連なる正統派人間ドラマのひとつの到達点と言えるでしょう。この熟練の技を味わったら、ぜひその他のぶっ飛んだ作品も楽しんでみていただきたい。次なる作品はまたコメディーになるとのことを聞いていて、今から僕はワクワクしています。

モレッティ監督が自分で主役を演じているエッセイ風の映画『親愛なる日記』も現在同時公開中です。カンヌ国際映画祭で監督賞をとった93年の作品ですが今回ピカピカの画質になって蘇り、中ではとあるシーンで、こんな陽気な歌でモレッティが踊っています。細野晴臣さんのカバー・バージョンでお送りしました。
これ、もとは1951年の映画アンナという作品のサントラです。それをモレッティ監督がバールに流れていたテレビでたまたま見かけて、菓子パンかなんかをつまみながらおもむろに踊りだすシーンが最高なんですよ。そして、そんな曲をピックアップされていた細野さんの着眼点にもシャッポを脱ぎますね。


さ〜て、次回2022年10月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『川っぺりムコリッタ』です。荻上直子さんが、まず小説を書いて発表し、それをご自分で脚本に仕立てて監督したという、珍しい流れでできあがった作品のようですね。ムロツヨシを筆頭にキャストも魅力的。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『彼女のいない部屋』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月20日放送分
映画『彼女のいない部屋』短評のDJ'sカット版です。

公式ホームページのシノプシス、あらすじのところには、たった1行、こう書いてあります。「家出した女の物語、のようである」。
 
フランスの地方都市。彼女は朝、どうやら夫とふたりの子どもを残して、家を出ました。彼女は車を走らせます。フランス公開時にも、これ以上の物語の詳細は伏せられていたというのがこの作品。

007 / 慰めの報酬 (字幕版) さすらいの女神たち(字幕版)

 共同製作、監督、脚本は、マチュー・アマルリック。『007 慰めの報酬』などに出演してきた俳優でありながら、『さすらいの女神たち』など監督としても知られる人ですね。現在来日中です。

 
主人公の女性クラリスを演じたのは、このコーナーで短評した作品で言えばシャマランの『オールド』にも出演していたヴィッキー・クリープス。夫のマルクをアリエ・ワルトアルテが演じています。
 
僕は、先週木曜日の夜、京都シネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


今作はとにかく前情報がまったくなく、あらすじもわからないという状況で観る人がほとんど。もちろん僕もそうでした。だから、ネタバレに気をつけてお話をしますが、『彼女のいない部屋』は部屋に彼女がいる状態から始まります。主人公のクラリスは、ベッドの上にポラロイドで撮りためた家族写真を裏にしてランダムに配置して、まるで神経衰弱のようにめくっては裏返し、そのゲームの題名通り神経を衰弱、あるいは尖らせて、何度もやり直しをするんです。事情が定かではない僕たち観客は、これはいったい何が起きているのだろうと、家を出ようとする彼女に、あるいはそこで鍵を落として鳴ってしまったピアノの音に、目と耳をすませます。どこかに彼女の家出の原因が見つかるに違いない、聞こえるに違いない。そういうわけです。

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
クラリスが乗り込んだのが70年代後半のものと思しき古い珍しい車で、オーディオはカセットテープ。彼女はそれで娘の弾くピアノを聴きながらアクセルを踏むものだから、てっきり数十年前の話かと思いきや、当たり前のようにスマホが出てきて、最近のことなんだと気づかされたり、とにかく断片的なシーンが続くので、そこに食らいついていく感じです。家を出たクラリスはどこへ向かうのか。そして、彼女のいない部屋、つまり家に残った家族の反応やいかに。なんて、紋切り型にサスペンスを煽ってしまいそうになりますが、どうやらクラリスの身に起きたこと、あるいは家族に起きたこと、その出来事も大事にはなるし驚くんだけれど、謎が解けて膝を打ってすっきりするというよりも、その出来事が引き金となった感情、記憶、時間に心を持っていかれる映画です。
 
映画には、僕たちがコミュニケーションにこうして使っている言語ほど精緻ではないなりに、こういう風に見せれば、こういう順序で映像を並べれば、音を使えば、だいたいみんなが同じ状況を把握してくれますというような「文法」があります。たとえば、クラリスがどこかを熱心に見つめているイメージの後に、子どもの姿があれば、それは彼女の目線、視界を表しているんですよっていうような約束事があるわけです。そういう経験則に基づいて無意識に映画を観るし、監督はそんな流れを意図して映像をつないでいくものですが、本作においてはそんな経験や合理性が通用しないので、僕たちは面食らうことになります。この美しい木漏れ日は誰が見ているものなんだろう。子どもが木登りをしているのはいつのことだろう。海辺の街は。聞こえてくる歌は。フランス語とスペイン語の入り混じった会話は。悲しみにのあまり同僚に喋りまくる夫マルクを見ているのは、誰…

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
主観と客観、意識と無意識、過去から未来へと続く時の流れ、空間が次々と交錯する中で、僕たちは、そう、あの冒頭のポラロイドをめくってはまた戻していたクラリスのような体験をしながら、悲しみと喜びと喪失と再生のきざしに感じ入るんです。原題はSerre moi fort. 英語のタイトルはHold Me Tight. 彼女は、愛しい人たちを抱きしめたし、抱きしめられた。彼女のいない部屋は、彼女の胸の中にずっとある。

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
最後は禅問答みたいになってきましたけど、マチュー・アマルリック監督の才能や恐るべし。パズルを解くようなミステリーではなく、これは人の孤独をめぐるポエジー、詩です。ベートーヴェンドビュッシー、J・J・ケイル、ショパンなどなど、ピアノ曲とポップスに乗って、あの車に乗って、あの魚の匂いをかぎ、あのカフェオレをボウルで飲みながら、いつしかクラリスの経験と感情は、監督のそれと重なり、僕たちに届く。冒険心に満ちた、それでいて純映画的な作品でした。すごいです! ブラヴォー!!!
この映画では、確かにピアノ曲を中心としたクラシックがとても大事な意味を持って響くんですが、僕は予告編でも流れていたこの無骨なロックが胸を打ちました。サンフランシスコのサイケロックバンドThe Brian Jonestown Massacreマサカーを取り上げたのも渋くてかっこいいです。

さ〜て、次回2022年9月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『3つの鍵』です。昨日は台風が迫る中、UPLINK京都でモレッティ監督の魅力に迫るトークショーを行ったところ。独自のユーモアを封印して、都会の同じマンションに暮らす3家族の物語を編み上げたその手腕にご注目ください。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!