京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ワース 命の値段』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月14日放送分
映画『ワース 命の値段』短評のDJ'sカット版です。

2001年、9月11日に起きた、アメリ同時多発テロ。多くの犠牲者が出て社会が混乱する中、政府は早期に動き、遺族を救済する保証基金プログラムを発表します。特別管理人として主導することになったのは、調停のプロを自認する弁護士のケン・ファインバーグ。仲間と一緒に独自の計算式を作って補償金額を算出しようとしますが、批判も矛盾も噴出します。プログラム申請の期限までに目標とされる対象者80%の賛同を得ることはできるのか。

命に〈価格〉をつけられるのか

監督は、ニューヨーク大学大学院映画学科で修士号を取得し、現在はブルックリンに暮らすサラ・コランジェロ。脚本は『キングコング:髑髏島の巨神』のマックス・ボレンスタインが務めました。弁護士ケン・ファインバーグに扮したのはマイケル・キートン。遺族の中でファインバーグ批判を展開するチャールズ・ウルフ役を演じたのはスタンリー・トゥッチ。他にも、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でマイケル・キートンと共演していたエイミー・ライアンがファインバーグ弁護士の片腕カミールを担当しました。
 
僕は先週金曜日の昼にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画の脚本をもし自分が書くとして、話の組み立てが難しいのは、あれから20年ほど経て、ましてや海外に住んでいる僕たちからすれば余計に知らなかった保証基金プログラムについて、その意図とシステムを知ってもらわないといけないという問題がまずあります。物語のスタート地点というか、ドラマが転がり始めるところまで、早めに観客を連れて行かないとしびれを切らしてしまうわけですが、これがまた事情が特殊かつ複雑で難しいケースなのに、その手際がまず良かったんです。セオリー通りいくなら、まず同時多発テロをファインバーグ弁護士がどう知るかっていうところから始めそうなものですが、違うんですね。冒頭のシーンで、彼は大学の教壇に立っていて、司法を学ぶ学生たちに考えさせているんです。若い人が不幸にも亡くなってしまったとして、その補償金額を生徒たちに議論させます。まさに邦題の副題になっている「命の値段」を検討させているわけです。この枕が効いています。この資本主義社会において、命は良くも悪くも経済的価値に換算されうる。それはとても辛いことだし、非情なことだけれども、そうでもしないと残された遺族は前に進めない。彼はこうも言います。「フェアに保証するのが目的ではない。終わらせて先に進むこと」であると。そこから物語は始まるわけです。

(C) 2020 WILW Holdings LLC. All Rights Reserved.
ただ、もうひとつセットアップで重要なのは、この後にも先にも例がない基金の目的です。動き出したのは、テロからわずか11日後。もし何千人もの人々が、航空会社などを相手取って訴訟を起こしたら、倒産する企業も出てくるだろう。今度はその企業の従業員たちも路頭に迷うことになり、社会はさらなる混乱に陥ってしまう。それはテロリストたちの思うつぼではないか。であれば、基金を作って、ある種お見舞い金を配ることで、混乱も政権へのダメージも抑えられる。そのためには、対象者の80%が同意してお金を受け取れば良かろう。こういう理屈なんですね。そこで白羽の矢が立ったのは、アメリカ有数の紛争解決手続きの専門家であり、民主党寄りでも知られたファインバーグです。当時はブッシュ政権共和党だったので、政府としては、彼を起用することで挙国一致のイメージを作れるし、失敗したとしても、リベラルのやったことだと切り捨てることができた。この辺の裏事情もさらりとわかりやすく手短に提示されるので、誰もがすんなり入っていけるんですね。

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かくして、映画のゴールが決まりました。保証金申請率80%。締切は2年ちょい。こんなはっきり言って儲かりもしない汚れ役なんて断る手もあったわけですが、ファインバーグは国の一大事にある種の使命感を胸に、自信に満ち溢れた状態で部下たちに生涯年収の割り出しなどの指示を出していきます。その上で、経験に基づいて計算式を編み出していくんですね。ところが、5000人を超える被害者の中には、当たり前のことですが、多様な人々がいる。証券会社の重役もいれば、消防士もいる。移民もいれば、同性愛者もいる。ひとつの数式にこうした多様な人生を当てはめることで、不満が噴出します。
 
ファインバーグ氏の事務所のスタッフたちは、彼ら一人ひとりの事情を聞いていくんですが、興味深いことに、それがだんだんとセラピーのようになっていくんですね。遺された人たちにとって、お金も大事だけれど、前に進むために必要なのは、話を聞いてもらうことであるわけです。そして、僕たち観客は、それぞれのケースを聞きながら、あの日に起きたことを多面的に知ることになる。それは、表面的にショッキングで安易な回想シーンよりもずっと真に迫るものとして響きます。このあたりは脚本と監督の演出の合せ技として見事でした。
 
中盤では、話がどんどん広がり、目標の数値は上がらず、誰もが途方に暮れてしまいます。関係者全員が葛藤しているんです。そこで、もうひとつうまいなと思ったのが、家の建築を映画全体に並走させたこと。ファインバーグはそう遠くない将来の引退に先駆けて、田舎に家を建てていて、時折そこへ向かうんですね。様子を見に行く。事務所のホワイトボードに書かれた%の数字と同様、ゴールを可視化したものとしてこの道具立ては有効だったし、家という日常を送る装置が組み上がっていく様子はシンボルとしても重要な役割を果たしていました。

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映像面での派手な演出はありませんが、ショットの一つ一つに細かい気配りがある。壁、ブラインド、犬、そして、登場人物の表情などなど。物語の転換点となるのは、ファインバーグが趣味であるオペラの観劇に向かうところ。彼はそこで気まずい思いをして、杓子定規で四角四面だった自分の基準を変更すべきではと考えます。でも、それは言葉としては表明されないんです。名優マイケル・キートンがアップで画面に映し出されたその顔だけで心境の変化を表現する。言葉にしなくても、僕たちにそれが伝わった直後、ファインバーグの数式に批判的だったウルフという人物と劇場で会って話をするところなんて、これまた名優のスタンリー・トゥッチとの演技合戦が見もので、ふたりとも声を荒げることなどないのに劇的なシーンになっていました。
 
この映画には今につながるたくさんの問題が提示されていて、もちろん80%という物語のゴールがすなわち社会のゴールでないこともわかります。映画は終わっても、それぞれの人生と社会はまさにmove onしていく。そのうえで大切なのは、人を動かすのは、誰かの誠実な姿勢なのだと静かに伝えているようで、僕はとても感銘を受けました。
 
曲はサントラからでなく、911の後に再び注目が集まって愛されたものを。

さ〜て、次回2023年3月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』です。先日の第95回アカデミー賞では、なんとなんと、主要部門をほとんどかっさらっていく7部門を獲得。とんでもない旋風を巻き起こした、この最先端カオス映画ですよ。日本での通称エブエブ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!